1、碧の続き
1、碧の続き
そこは、懐かしい風景の広がる世界だった。
青々とした木々が生い茂る山や、豊かな水が流れる川。それは、美しい自然の風景だった。
揺れ続ける電窓から、その美しい風景を見ても俺の気が晴れる事は無かった。
それは…………確実にこいつのせいだ。
ボックス席の、俺の目の前に座る女。
智樹の姉、中村 莉奈。
莉奈は俺の視線に気がつくと、一瞬こっちを見てまた窓の外を無言で眺めた。
最悪な雰囲気の中、俺はこいつと共に兄のいる所に向かっていた。場所がどこかは知らない。俺はこいつについて来ただけだ。
かれこれもう2時間、何本も電車を乗り継ぎ移動している。都心の気配はもうすっかり消え、田舎の長閑な景色が広がっていた。
長い間電車に揺られるのも、正直うんざりだった。
本当に、もう……うんざりだ。
田畑や森林の景色は美しい。美しいが……もうたくさんだ。素晴らしい自然の景色に、うんざりしていた。うんざりしながら、莉奈に話しかけてみた。
「莉奈、どこ行くんや?もうそろそろ教えてもええやろ?」
「やめて。智樹の口からあんたの関西弁なんか聞きたくない」
姉や兄と言っても、精神的には実の兄弟ではない。肉体は弟でも中身はこいつらの弟じゃない。俺はこいつらの弟、中村 智樹の体を譲り受けた。
その旨を姉の莉奈に伝えた時、俺はこいつから多くの罵声を浴びせられた。
そのうちの一言は『余計な一言』だった。俺にとって、一番言われたくない事。
『故郷を捨てても、何とも思わないの?』
その時は思わず絶句してしまった。
俺が何とも思わないとでも思うのか?
そんなわけがないだろ?
ふざけるな。お前に何がわかる?
元々現実世界の人間で、何不自由無く暮らし、暖かい両親や兄弟に甘やかされ育ったお前に…………俺の何がわかる?
お前は自由気ままで、頭の中が花畑で…………
その笑い声が鼻につく。
その涙に虫酸が走る。
その手で頭を撫でられると………………
何故か複雑な気持ちになる。
その気持ちが何なのかはわからない。おそらく、そんなものは元々俺にプログラムなどされてはいない。
俺はゲームの世界の登場人物。
『エメラルド』という名の、ただのゲームのキャラクターだ。
俺の生まれた世界は、
空の青と海の碧、そして草の蒼、
見渡す限り蒼が続く
『purus aqua』というゲームの世界。
水が溢れているのに、透明な水が存在しないとされる世界観の、アクションRPGゲーム。
純度の高い水『透明な水』は不思議な力を持つとされ、その力を手に入れる為に、時にはプレイヤー同士で協力し合いクエストをクリアしていく。
そのプレイ方法は、肉体を現実世界に残し魂だけがゲームの世界へ行き冒険をするというもの。その影響で、プレイ時間によっては現実世界の肉体の負担となり害を及ぼすようになる。
自由度の高いゲーム性が故に、ゲームの世界から帰ら無いプレイヤーも多く存在する。それがこのゲームを、別名『自殺ゲーム』と呼ばせる所以だった。
俺に肉体を譲った中村智樹もその一人だ。智樹は俺の考えを理解し、俺が現実世界の体を使う事を承諾してくれた。
しかし、ゲームの中で死んでしまえば二度と生き返る事はできない。うっかりゲームオーバーになれば、それこそ本当に一貫の終わりだ。
俺が元の世界に帰り、智樹のこの体が空かない限り智樹は戻っては来られない。智樹と期限の取り決めはしていない。おそらく、智樹は一生のつもりかもしれない。
残された家族……姉の莉奈にとっては、智樹の自殺に思えるかもしれない。しかし、俺はそうは思ってはいない。
俺が智樹の中に入る事は、智樹にとってもメリットがある。
魂の無い肉体は朽ちるのが早い。俺が智樹の中に入れば、智樹がゲームの世界にいる間に食事や睡眠を取り、健康を保つ事ができる。もし、智樹が戻りたいと望めば、現実世界に戻る事も可能になる。この肉体がありさえすれば、智樹は必ず戻って来られる。
本来なら冒険者は報酬を支払い、異世界人に定期的に肉体の中に入ってもらう。そうすれば安心してゲームをプレイし続けられるというわけだが……俺はその役割を無償で引き受けた。その代わり、俺は現実世界で自由に過ごす事を許された。ある程度目的を果たせれば、俺はいつでも帰ってもいい。智樹にこの体を返して元の世界に帰るつもりでいる。
しばらくの間かもしれない。
だが……
俺はこの世界で、本当の自由を手に入れた。
やっとこの時が来た!!
現実世界に体が欲しいと相談を持ちかけた時に、智樹は不思議そうな顔をして言った。
『王子様なのに、自分の世界が嫌なの?』
王子かどうかが関係あるか?嫌に決まってるだろ。誰が決めたかは知らんが、俺だけがこんな設定……。
俺は智樹を説得するために、ゲーム内の自分の設定を説明した。
俺は運悪く、蒼のプルスという国で王家という地位のある家に生まれた。それも、13番目という王位継承からは程遠い末端だ。因みに姉は7人、妹もそれと同じだけいる。
しかし、王子という立場に生まれた以上、俺は自身の役割を果たさなければならない。
その、俺の役割とは…………俺だけじゃなく、13人の王子のやるべき役割だった。
それは、女性プレイヤーの相手。ツンデレや逆ハーレム、このゲームは最初の設定で、ストーリーの好みを事細かに選択する事ができる。こっちからすればいい迷惑だ。
しかし、それが生まれもって与えられた存在意義。端から見れば羨ましいとも思われるかもしれない。それも、女が好きな設定ならの話だ。いや、だからといって男が好きという設定はされていない。
俺に設定されているのは『女が嫌い』それだけだ。
そのせいで、わざと嫌われるような事をしたりする。俺が急に関西弁になったのも、おそらくは莉奈の嫌いなタイプだからだと思う。そんな設定で、プレイヤーの相手はもはや苦行でしかなかった。
だから俺は、極力冒険者とは関わりを持たないようにした。そのストーリーに入る事はしない、そう決めていた。
そんな中…………
ごく稀に設定を選択しない奴もいる。そうゆう場合は、一番暇な奴が相手をするように選ばれる。暇な奴と言われると、残念ながら必然的に俺に役がまわって来てしまう。
その何も選ばなかった奴がこいつ。目の前のこいつは、誰も選ばなかった。
異世界で兄を追う事に必死で、異世界の誰にも目を向ける事はなかった。
それが俺にこの計画を実行に移させた一因でもある。
それでも……この計画を一度は途中でやめようとも思った。
二人に情が移ってしまった俺は、現実世界に帰り機器を壊し、二度とあの世界に来るなと莉奈に伝えた。
しかし、莉奈はもう一度来た。兄に会いたいがために。今も兄に会いたいがために、電車を乗り継ぎ兄の所へ向かっている。
『次は終点です。お荷物お忘れのないようご注意ください』
俺達は終点の駅で降りた。莉奈はホームの看板で降り口を確認していた。
俺はしばらく、智樹の体を乗っ取った悪者として莉奈に責められた。そのせいで、莉奈の俺に対しての対応は恐ろしく塩。
「もっと離れて歩いて」
それでもいい。それでもこの現実世界では、ゲームの世界で感じていた女への嫌悪感はない。
莉奈は何も知らずゲームの世界へ来たが、俺は莉奈の事を前から知っていた。
本当はあの莉奈だと知って……密かに再会を喜んでいた。
現実世界で莉奈を見た時、一瞬であの時の記憶が蘇った。成長していても、その面影は記憶にある。その輝くオーブのような瞳は変わっていない。
しかしそれがわかった所で、設定上俺は女を好きになる事も好かれる事もない。たぶん、俺が俺でいる以上、俺は莉奈を好きになる事はない。
幸い今は、俺がいるこの世界はゲームの世界じゃない。魔法や王子の地位など無くても、俺はもう自由だ。
この『現実世界』という新しい世界で、何でもできる。何でも学ぶ事ができる。誰でも好きになる事ができる。
俺はもう、女性プレイヤーの相手をさせられる男娼のような存在じゃない。
今はただの小学生。中村智樹だ。
全てを捨て来た。
俺はあの世界から自分自身を消した。
見渡す限り蒼の広がる…………
あの、
『蒼の続く世界』