全ての法律は、私の都合の良いように捻じ曲げられるべきだ。(4)
ハルを叩き起こし、液状族の女性――ミリィに従い、サクラは牢を脱出した。
まずミリィに案内されたのは、牢が並んだ廊下の先にある、小さな詰め所だった。
詰め所には、サクラ達の荷物と、テーブルに突っ伏して眠る、中年の男性がいた。
「簡単には起きませんよ。
睡眠薬入りのコーヒーを差し上げましたので」
「……随分と警戒心のない奴なんだな」
ぐーすかとイビキを立てる男を、そう評価するサクラに、ミリィが小さく頭を振る。
「仕方ありません。
この私の姿は、本物の教会員を擬態したものですからね。
彼も同僚の出す飲み物にまで、注意を払わなかったのでしょう」
「本物の?
つまりその姿は、お前の本当の姿ではないということか?」
サクラの問いに、ミリィがクスリと笑う。
「液状族に決まった姿はありません。
もっとも、皆さんお気に入りの姿はあるので、その姿でいることが多いですが。
私も暫くはこの姿のままでいようかと思っています」
「何にでも化けられるってことか。
何とも便利な魔族もいたものだな」
「そうでもありませんよ。
姿は真似できても質感を再現するのは難しいんです」
そう話して、ミリィが手のひらを差し出してくる。
サクラは僅かに躊躇した後、ミリィの差し出した手のひらを握る。
グニャリとした奇妙な感触に、ぞわりと背筋が冷える。
「この通り、触れればすぐに液状族だとバレてしまいます。
身を隠しての潜入には有効ですが、人と接する機会の多い、諜報活動には不向きな能力なんです」
そんなことを話しているうちに、ゴードンが詰め所から、手荷物を持って出てくる。
手荷物と言っても、たいしたものはない。
財布などの貴重品と、武器となる刀ぐらいだ。
帯に刀を下げて、詰め所を後にする。
教会の留置所は、基本業務を行う本館とは別にあるため、サクラは教会員に見つかることなく、あっさりと留置所を脱出できた。
「リーザはここから少し離れた、街の広間で待っています。
付いて来てください」
その指示に従い、ミリィの後を付いて歩くサクラ。
寝起きだからか、眠たそうに目元をこすりながら、ハルが蛇行して歩く。
何とも危なっかしい少年を見るに見かねたのか、ゴードンが少年の体をひょいと持ち上げて、自身の背中に少年を負ぶった。
人気のない深夜の街を歩くこと約五分。
ちょっとした広間に、サクラ達は着いた。
石畳で舗装された広間。
そこには、十数名の女性が横一列に並んでいた。
そして、その女性らを代表するように、一人の女性がその列の前に立ち、サクラ達を見据えている。
十代半ばと思しき女性だ。
ツインテールにした青い髪に、大きな青い瞳。
血色を感じない白い肌に、それとは対照的に映える薄紅色の唇。
服装はド派手の一言で、目に痛いカラフルな上着に、胸元で結ばれた赤いリボン、裾がふわりと花開いたミニスカートに、黒のストッキング、とどめとばかりに、ファーのついた底上げブーツというものであった。
広間に着いたサクラに、カラフル女性が頬に手を添えて、元気よく口を開く。
「はっじめましてえ。
あたし、オレスト渓谷を縄張りとしている液状族の、その頭をやらせてもらっている、リーザって言うのお。
よろしくしてねえ、キャハ☆」
耳障りな高音の声で、そう自己紹介をするカラフル女性、もとい液状族のリーザ。
彼女の異様なテンションに、サクラとゴードンがぽかんと目を丸くする。
するとここで、ほんのりと頬を赤らめたミリィが、神仏を崇めるように両手を合わせた。
「ああ……何と可愛らしいことでしょう。
さすがリーザ。
非の打ちどころがありません」
リーザに対するミリィの評価に、何となく寒気を覚えるサクラ。
ミリィがスキップするようにリーザのもとへ駆け寄り、ぺこりと頭を下げる。
ミリィに振り返ったリーザが、まるで子供のような――事実、容姿は子供そのものだが――無邪気な笑顔を浮かべる。
「ハル君達を連れてきてくれて、ありがとねえ、ミリィ。
危なくなかったあ?」
「いいえ。
リーザのためなら、この程度のこと何でもありません」
ミリィの言葉に満足したのか、リーザが意味もなくピョンと体を跳ねさせる。
「あとは、あたしがお話しするから、ミリィは下がっていていいよお、キャハ☆」
「承知しましたリーザ、キャハ☆」
示し合わしたように、ミリィがリーザと同じポーズを取り、すぐさまリーザの背後にいそいそと下がる。
二人の会話が済んだようなので、サクラは躊躇いつつ口を開く。
「……お前が、液状族の頭のリーザか。
こんなところに呼びつけて何の用だ?」
「まずは感謝の言葉が聞きたいかなあ?
あたし、あなた達を助けてあげたんだよお?」
「寝ぼけたことを言うな。
ハルを迎えに来たとは聞いている。
一体、何の用だ」
ふざけた態度を取るリーザに、瞳を尖らせるサクラ。
だが彼女の視線などまるで意に返す様子もなく、リーザが「うふ」と小さく笑い、肩をすぼめる。
サクラは聞こえよがしに舌打ちをすると、「まあ、大方の見当はついているがな」と、口調を鋭くさせる。
「ハルを迎えに来たってのは、餓鬼族が誘拐したハルの身柄を、受け取りにきたってことだろ。
とどのつまり、今回のハル誘拐事件の黒幕は、お前たち液状族だというこ――」
「違うよお」
リーザの食い気味にされた否定の言葉に、サクラは思わず肩をこけさせる。
気勢を挫かれて目を丸くするサクラに、リーザが小さく肩を揺らし、クスクスと笑う。
「まあ、そう考えても仕方ないよねえ。
だけどそれは勘違いだよお。
確かに、液状族の中に、ハル君の身柄を受け取るよう指示されていた、悪い子はいたんだけどねえ、彼女が行動する前に、あたし達のほうで彼女を拘束して、拷も――じゃなくて尋問したんだあ」
「……拘束だって?」
サクラのオウム返しの疑問に、リーザが意味なく腰をくねらせながら答える。
「もともと素行の悪い子だったからね、みんなで監視していたんだよお。
それでえ、尋問して初めて、あたし達もこのハル君誘拐の計画を知ったんだあ。
だけどさすがに驚いたよお。
今回ばかりは、駄目だよポカリで、済ませられる程度を越えてるからねえ」
「……もしそれが事実なら、それこそハルに何の用だ?
お前達は無関係なんだろ?」
「いやだあ、そんなの決まってるじゃん」
無邪気な笑顔を浮かべていたリーザが――
途端にその表情に狂気を混ぜ込んだ。
「液状族の仲間を利用して、勝手な真似をしようとしたクズ野郎がいるってことだよお。
そんな舐めたことをされて、黙っているわけにはいかないじゃんねえ、キャハ☆」
リーザの変化に、表情を引き締めるサクラ。
リーザが一瞬だけ覗かせた狂気を、再び笑顔の奥にしまい込み、ゴードンの背中で寝息を立てている少年を一瞥する。
「連中がハル君を誘拐して、何をしようとしているかまでは分からなかったけどお、その子は計画の要となるものでしょお。
だからこっちで押さえておきたいのお」
「……魔族同士で争いを始めるつもりか?」
「それは向こうの出方次第かなあ。
だけど、どう転ぶか分からないから、少しでもアドバンテージを握っておきたいのお。
いかんせん、油断できない相手だからねえ」
「……そのハルの誘拐を企てた連中ってのは、一体誰なんだ?」
「小人族。
こそこそと陰で動き回るのが好きな、可愛くない魔族だよお」
さらりと言われたリーザの返答に、サクラは食堂での、ゴードンとの会話を思い出す。
小人族。
ゴードンもまた、この誘拐事件が餓鬼族の単独ではなく、黒幕がいると推測して、その種族名を口にした。
どうやら彼の憶測は、的を射ていたようだ。
するとここで、リーザが小さく体を跳ねさせて、ぱちんと手のひらを打った。
「いっぱいお話ししたねえ。
それでねえ、ハル君だけでなく、あなた達までここに連れてきたのには、理由があるの。
まあ、あなた達というよりは、ゴードンさんだけどねえ」
突然、自身の名前を上げられ、ゴードンがサングラス越しに、目を瞬く。
疑問符を浮かべているゴードンに、リーザが青い瞳を薄く開いて、言葉を続ける。
「ゴードン・ゴブリンさん……だよね?
それって変装?
まあ何でもいいけど、餓鬼族の頭をやっているんだよねえ?
あなたも誘拐の件で随分舐めた真似されたんでしょお」
「……まあ、そうだな」
「それでどうかな?
あたし達で一緒に、小人族と戦うっていうのはさあ」
リーザからの思いがけない提案。
ゴードンが眉間に皺を寄せる。
「餓鬼族と液状族が手を組むということか?」
「そういうこと。
小人族は力こそたいしたことないけど、顔が広いからね。
その戦力も馬鹿にできないのお。
だけど二つの種族が力を合わせれば、どうにでもできるでしょお」
「……確かに、そうかもな」
「でしょでしょ。
もちろん他にも特典があるよお。
政治家の子供を魔族が誘拐したなんて、下手したら騎士軍が、総出で魔族狩りをするような事案だよお?
でもでも、あたし達でハル君を取り返しちゃったら、あたし達の種族だけはきっと処罰の対象外になるよお」
「……まあ、うむ……一理あるが……」
「それじゃあ、手を組むってことでいい?」
「……ああ……それはなあ……」
煮え切らない返答を繰り返すゴードン。
リーザが訝しげに、きょとんと首を傾げる。
「……どうしたの?
迷うようなことじゃないと思うけどお?
ゴードンさんだって、餓鬼族の頭として仲間を守りたいでしょ?
これしか方法ないと思うけどお?」
「ん……まあ、実はなリーザくん――」
「――断る!」
ゴードンの声を遮り、リーザの提案に明瞭な返答をしたのは、サクラだった。
腕を組んで眉尻と目尻を吊り上げるサクラに、リーザが見開いた目をパシパシと瞬かせる。
「……え?
何であなたが返事するのお?
ていうか、すっごく今更になるけど……あなたって誰?
見たところ人間みたいだけどお」
「いや……リーザくん。
実を言うとな、俺はもう餓鬼族の頭ではないんだ」
「……へ?」
リーザが丸くした瞳を、さらに大きく広げる。
ゴードンがサクラを一瞥して言う。
「俺は喧嘩に負け、餓鬼族の頭を引退した。
今の餓鬼族の頭は――そこの姐さんだ」
「――はあ!?
え……喧嘩に負けたって……嘘!
人間相手に!?」
「私はそんなものになった覚えはない」
ゴードンを半眼で睨み、すぐにその視線を驚きに目を丸くするリーザに向ける。
「だが何にせよ、お前の提案は却下だ。
ハルは私が親元に連れていく。
私はまだ謝礼金ウハウハ作戦を諦めていないんだ。
魔族なんかに、金のなる木を奪われてたまるか」
「ちょっと……あなた待ちなさいよお。
その謝礼何たら作戦ってのは分からないけどお、ハル君には二種族の運命が懸かってるのよお?
そんなお金なんかのために――」
「知らん!
魔族なんかよりも、私は金の方が大事だ!
悔しければ口から金を吐け!」
「吐かないよお!
魔族のあたしが言うのも何だけど、その考え人としてどうなの!?」
「ゴチャゴチャとうるさい奴だな」
サクラは、帯に下げた刀の柄に手を触れると、一息に刃を抜刀した。
サクラが武器を構えたことで、リーザが、その幼さの残る表情を、険しく引き締める。
「闘争を本能とする魔族が……たるい話し合いをいつまで続ける気だ。
欲しいものがあるなら力づくで来いよ。
魔族の流儀に合わせて、タイマンで決着を付けてやる」
サクラの挑発めいたこの言葉を受け、リーザが初めて、サクラに向けて――
魔族に似つかわしい凶暴な眼光を瞬かせる。
「……それ本気で言ってるう?
人間が魔族に喧嘩売るなんて馬鹿げているよお」
「教会の騎士軍に尻尾丸めている魔族が、随分と上等な口を利くじゃないか」
「確かに人類は脅威だよ……でも個人となれば話は別。
ましてやタイマンとなればねえ」
「ならそれを証明して見ろよ」
「あたしがこんな姿だからって、もしかして舐めてるう?
だとしたらひどい間違いだよお。
あたしは可愛いものが好きなのお。
だからこの姿をしているだけで――」
リーザの話が終わる前に、サクラは態勢を低く屈めて駆け出した。
瞬く間に、リーザの懐に入り込み、刀を振るう。
リーザの胴体に刃が潜り込み――
あっさりとリーザの体を両断した。
「――!?」
サクラの俊敏な動きを見てか、リーザが驚きに目を見開く。
駆けた勢いそのままに、リーザの背後へ移動するサクラ。
リーザの両断された上半身が傾き、そのまま地面に――
落ちなかった。
「不意打ちい?
ずるいことするねえ」
背後にいるサクラへと振り返り、体を両断されたリーザが、ニヤリと笑う。
リーザの切断された胴体。
その断面が波打つように揺れ、瞬時に接着される。
刀による傷跡を消したリーザが、何事もなかったかのように、気楽な口調で言う。
「でも驚いたあ。
あんなに早く動けるんだねえ。
あなた、ただの人間じゃ――」
またリーザの話の途中で、サクラは全力で駆け出した。
刀を横に構え、切っ先を力一杯に突き出す。
リーザの眉間に、刀身が半ばまでめり込んだ。
ビクンと体を震わせるリーザ。
サクラは刀身を捻じり、リーザの眉間のさらに深く、刃を潜り込ませた。
生物にとって急所となる頭部の破壊。
だがやはり――
リーザの笑顔が崩れることはない。
「……ひどいよお。
あたしの可愛い顔が台無しじゃないのお」
「知らないのか?
都会じゃ眉間から刀を生やすのが流行しているんだぞ」
「ホント?
何だかすごく嘘くさいけど……でもでも、あなたも近くで見たら、すごく可愛い顔してるのねえ。
そんな目を尖らせないで、もっと笑えばいいのに」
「金を積まれれば、幾らでも笑ってやるよ」
呑気に会話しているわけではない。
サクラは先程から、突き刺した刀を引き抜こうと、苦心していた。
だがリーザの眉間に突き刺さった刀は、まるでセメントで固められたように、微動だにしない。
軽く舌打ちをするサクラに、リーザが微笑みを強くする。
「お金なんて下らないよお。
そんなものより、可愛いことが重要でしょお?
可愛いことこそ唯一無二なのお。
あなたも可愛いんだからさあ――」
リーザの右腕がパシャリと液状化し、サクラの胴体にぐるりと巻き付いた。
「あたしに色々な表情を見せて欲しいなあ」
腕を振り上げるリーザに、サクラは為すすべもなく体を持ち上げられる。
「キャハ☆」とご機嫌に笑い、リーザが脚を大きく踏み込んで、掴んだサクラを力任せに投げつけた。
リーザの眉間から刀が抜ける。
サクラは空中で態勢を制御すると、衝撃を逃がすために、体を丸めて地面を転がった。
五メートルほど地面を転がり、片膝立ちで静止するサクラ。
全身に鈍痛を覚えつつ、再びリーザへと駆け出そうとしたところで――
咄嗟に刀を前面に構える。
縦に構えた刀身に、リーザの液状化して伸ばされた左腕が、叩きつけられた。
腕から肩かけて、痺れるような衝撃が伝わる。
サクラは刀を捻ると、リーザの伸ばされた左腕をいなし、即座に振り上げた刀をリーザの左腕に叩きつけた。
だがどれほど鋭く刃を振るおうと、液状化した彼女の腕を切断することは叶わない。
「――ちっ!」
すぐさま大きく振られたリーザの左腕に、強かに殴り飛ばされる。
またも地面を転がり、四つん這いの姿勢で制止するサクラ。
口の中が切れて、赤い血が唇から滴り落ちた。
血の混じる唾を吐き捨て、サクラはふらりと立ち上がった。
表情を苦悶に歪めるサクラ。
その彼女を見て、リーザがツインテールを揺らしながら、満足げに首を縦に振る。
「うんうん。
その悔しそうな顔も、とっても可愛いよお。
どうしよう。
あなたのこと、あたし気に入ってきちゃった。
今からでも喧嘩を止めて、お友達になりたいかもお」
相変わらずふざけたことを話すリーザに、サクラはまた唾を吐き捨てる。
「……やはり青魔導属性は面倒だな。
ただ斬っているだけでは埒が明かないか」
サクラの愚痴ともとれるその言葉に、リーザがスカートをひらりと揺らし、体を回す。
「液状族が得意とする青魔導『流水可変』だよお。
あなたは赤魔導属性みたいねえ。
魔力を持たないはずの人間が、どうして魔導属性を扱えるのかは疑問だけど、単なる力馬鹿に過ぎない赤魔導なんて、あたしの敵じゃないよお」
無意味な体の回転を止めて、両手を後ろに組んだリーザが、ちょこんと首を傾げる。
「まだ続けるう?
人を殺すと後々面倒だから、あまりに気が進まないんだけどなあ」
リーザが勝ち誇るように話す。
背後にいる十数体の液状族から、「きゃあ、リーザってば可愛い」と的を外した歓声が上がる。
因みにサクラの連れであるゴードンは、一応はサクラの心配をしているのか、サングラスとマスクに隠れた表情を渋くさせており、そのゴードンの背中で眠っている少年は、涎を垂らして意味なく笑っていた。
それら外野の面々に視線を巡らせて、サクラは静かに――意識を内面に沈めていく。
細身の体格でありながら、人間を遥かに上回る膂力。
それを実現する、自身の体に満たされた膨大な魔力。
そしてその根源。
サクラは内面に沈めた意識を、さらに深く潜り込ませ、魔力の源泉となる存在に接触する。
そして彼女は、細心の注意を払い――
源泉より――
魔力を解放した。
サクラの全身から、突如として巨大な魔力が噴出する。
周囲の空気を巻き込んで、旋回するように立ち上る魔力の激流。
サクラの眼帯に隠れていない左碧眼が――
チカチカと赤く点滅する。
「――!?
な……何よコレ!?」
勝ち誇った顔をしていたリーザが、サクラから噴出する魔力の気配に、表情を強張らせた。
サクラを起点として、旋回しながら荒れ狂う強風に、リーザのツインテールとスカートが大きくはためく。
彼女の驚愕に見開かれた青い瞳。
それを見据え――
サクラは禍々しく微笑んだ。
「続けるかだと?
そんなこと決まっている。
ここまで昂らせて、お預けなんか御免だ」
旋回した空気をまとい、サクラは力強く地を蹴り、駆け出した。
鬼気迫るサクラの表情に、リーザが一瞬たじろぐのが分かった。
だがすぐに気を引き締め直し、リーザが液状化した右腕を、サクラに向けて高速に伸ばす。
サクラは駆ける足を止めず、リーザの伸ばした右腕に、全力で刃を叩きつけた。
その瞬間――
リーザの右腕が、火薬でも仕込まれていたように、大きく爆ぜた。
「――はあ!?」
驚愕するリーザ。
彼女の反応に構わず、サクラは全力で駆ける。
リーザが左腕を振り上げ、液状化して叩きつけるように振り下す。
サクラはやはり駆ける速度を緩めず、体を回転させて、刃の先端を地面に掠めつつ、頭上に向けて刃を振り切った。
リーザの左腕が刃に切断された直後、その左腕が右腕同様に、大きく弾け飛ぶ。
「――そんな」
その呟きをリーザが吐いた時には――
サクラは彼女の懐に潜り込んでいた。
明確な恐怖を、表情に浮かべるリーザ。
サクラは彼女の腹部に向けて、躊躇なく刀を横なぎに振るう。
刃がリーザの衣服を裂き、胴体を切断して、背後へと抜けていく。
刀を高速に振り抜いたことで、刀の軌道に沿って大きな気圧差が瞬間的に生じ――
空気が爆発したように暴れまわり、リーザの下半身を吹き飛ばした。
リーザの上半身が、べちゃりと地面に落下する。
全身から噴き出す魔力の気配を、慎重に鎮めていくサクラ。
彼女の周囲を旋回する、強大な魔力の奔流が――
徐々に沈黙する。
サクラは小さく息を吐くと、足元に倒れたリーザに、刀の切っ先を向けた。
上半身だけのリーザが、首を捻りサクラを見上げる。
小さく震えているリーザの、その青い瞳に――
サクラは微笑んだ。
「勝負あったな。
これで、ハルは私のモノになったわけだが、文句はないな?」
「……まさか何の策もなく、あたしの能力を力任せにねじ伏せるなんてね……」
リーザが呆れたように小さく笑う。
サクラは刀を鞘に納め、肩をすくめた。
「弾けた体はどうすれば元に戻るんだ?
一生このままってことはないよな?」
「一応は心配してくれるんだ?
大丈夫だよお。
水を補給すれば戻れるから」
リーザがそう話し、表情を柔らかく弛緩させて、クスクスと笑った。
「あーあ……負けちゃったかあ。
液状族の頭であるあたしが、喧嘩で負けたんじゃあ、あなたを液状族の新しい頭として、認めないとだめだよねえ」
「その単純思考の従属関係……何とかならないか?
私はそんなものに興味ないんだ」
渋い顔をするサクラに、リーザが「そうもいかないよ」と、プルプルと頭を振る。
「それが魔族の習わしでもあるからね。
あたしは負けたんだから、あなたに従うことにする……ううん。
そうじゃない。
あたしねえ、あなたに従いたいのお」
「……ん?」
変なことを口走るリーザに、サクラは怪訝に眉をひそめる。
下半身を切断され、上半身だけの姿で、地面に横たわるリーザ。
こちらを見上げている彼女の瞳が――
妙に熱っぽいものに変わっていた。
「あの戦いの合間に見せた、狂おしいほどに力強い表情……可愛かったあ……」
「……おい」
「あと戦いが終わった後に、あたしに見せてくれた笑顔……キュンキュンしちゃったの」
頬をほんのりと紅潮させるリーザ。
サクラの背筋がゾワリと冷える。
「悔しいけど完敗だよ。
だってとっても可愛かったんだもん……食べちゃいたいぐらい」
「待て……一体何の話をしている?」
「あたしねえ、あなたのそばに居たいの。
可愛いあなたを眺めていたいの。
だからこれからはずっと一緒だよお。
あたしね、少しだけ粘着質だけどよろしくね、キャハ☆」
サクラは生まれて初めて――
強い恐怖に意識が遠のいた。