いつものように起床した時かな? 自分が反抗期だと気付いたのは。(4)
午後一時。
魔族の襲撃があるという、その予定の時刻から一時間が過ぎた。
クレオパスの正門前で、騎士軍を従えたダンカン。
彼の表情に、深い困惑が浮かんでいる。
魔族が現れるだろう平原を眺めるダンカン。
その彼に若い騎士が躊躇いがちに近づく。
「……あの教会長」
「……なんだ。
任務中だぞ」
「す……すみません。
しかしその……魔族の襲撃なんですが予定の時刻を過ぎても――」
「そんなはずはない!
必ず……必ず魔族どもは街に襲撃を仕掛ける!
気を抜くな!」
ダンカンの怒声に、若い騎士が慌てて謝罪して、持ち場へと戻っていく。
ダンカンは苛立たしく爪先で地面を叩きながら、魔族が姿を現すその時を、黙して待った。
しかしさらに一時間が経ち、午後二時になっても、魔族が姿を現す気配はない。
(どういうことだ……どうして魔族どもは姿を現さない……)
さすがに焦りを覚えるダンカン。
この期に及んで、まさか魔族のブラフであったなどということが、あり得るのか。
否。
そんな嘘を吐く理由が、魔族にはないはず。
(必ず……必ず来るはずなんだ……中央政府に相談もなく、独断でこれほどの騎士を動かした挙句……何もありませんでしたなど……許されることじゃないんだぞ)
もはや祈るような気持ちで、魔族が現れるのを待つダンカン。
するとその時――
「随分と物々しいな、ダンカン」
そう彼を呼ぶ声が背後から聞こえた。
教会長である自分を呼び捨てにするなど、何と無礼な輩なのか。
ダンカンは瞳を怒らせ、その無礼者に振り返った。
その無礼者とは――
クレオパス議会議員、ハーマン・ルーズヴェルトであった。
「ハ……ハーマン様!?」
ダンカンは慌てて、胸に手を当てて敬礼すると、憤怒の表情を素早く打ち消す。
「どど……どうしてハーマン様がこちらに……な、何にせよ、ここはすぐに魔族との戦場となります。
どうか安全な場所にお下がりになっていてください」
「戦場に?
だが君の話では、魔族が襲撃を仕掛けるのは正午のはずではないか?」
「もうすぐ現れます……恐らくこれは心理的動揺を誘う、奴らの作戦に違いありません」
その説明が苦しいことは、ダンカンも理解していた。
だがこの場はそう言うしかない。
だがやはり、ハーマンはその説明に納得していないようだった。
というよりも――
ハーマンは初めからダンカンの話を聞く気がないようだ。
睨みつけるように金色の瞳を細めて、冷たい視線でダンカンを見つめるハーマン。
彼の奇妙な態度に疑問を抱きつつ、ダンカンは腰を低くして、ハーマンを促す。
「ささ、ハーマン様。
すぐに塀の内に戻られてください。
ここは教会が責任をも――」
「私が何も知らないと思っているのか?」
そのハーマンの一言に、ダンカンの背筋がゾクリと冷える。
果たして、何も知らないとは、何を差して言われた言葉なのか。
まさか、ハル・ルーズヴェルト誘拐に関する一連の事件に、自分が係わっていたことが、バレたとでもいうのか。
そんなことはあり得ない。
だがそれ以外に、何が考えられる。
(いや……やはりそれはあり得ない。
魔族が告げ口などするはずないし、仮に告げ口をしたところで、教会長である私の言葉を無視して、魔族の言葉を鵜呑みにするなど、あり得るはずがない。
仮に教会長である私以上に、ハーマンが信用する者がいるとすれば――)
それは彼の息子であるハル・ルーズヴェルトぐらいだろう。
だがその少年は魔族の凶弾に倒れ、命を失った。
死人に口なし。
少年がハーマンに告げ口するなど――
(あり得ない……大丈夫。
きっと何か別の話だ……怯える必要などない)
強張る表情を必死に堪え、ハーマンに向けて、ダンカンは不格好な笑みを浮かべる。
「申し訳ありませんが……何の話でしょうか?
皆目見当もつきませんが……」
「……そうか。
あくまで白を切るというのなら、まずは彼に会ってもらおうか」
ハーマンが背後を振り返り、クレオパス正門に視線を向ける。
ダンカンもまた、ハーマンに倣い、正門へと視線を向ける。
魔族の襲撃が始まるまでは、連絡や物資等のやり取りを考慮して開門しているため、正門の奥にある街の景色がよく見えた。
そして――
その景色の中に、大きく手を振っている、金色の頭をした少年の姿がある。
「もういいんだよね?
出て行っても。
ボクってば待ちくたびれちゃったよ」
少年の朗らかな声に、ハーマンがこくりと頷く。
笑顔を浮かべた少年が、スキップでもするような軽やかさで、ハーマンのもとへと駆け寄った。
ハーマンが、駆け寄ってきた少年の頭を、優しく撫でる。
くすぐったそうにコロコロと笑う少年。
ダンカンはその如何にも無害と思しき少年の、その顔を見て――
全身の血の気が引くのを感じた。
「ば……そ……え?
そんな……どうして……その子が……」
「ダンカン。
君は写真でしか見たことがなかったな。
いや……私の知らないところで、会ったことがあるんだったか。
何にせよ、改めて私のほうから紹介させてもらうよ」
金色の瞳をパチパチと瞬かせる少年。
その肩に触れ、ハーマンが少年の名前を口にする。
「ハル・ルーズヴェルト。
私の息子だよ」
「よろしくね。
えっと……ダン……さん?」
少年――ハル・ルーズヴェルトの挨拶に、ダンカンは目玉をこぼさんばかりに、瞼を見開いた。
一歩、二歩と少年から後退り、脂汗を浮かべた顔を、力なく左右に振る。
「馬鹿……な。
そんな……確かに……ハル・ルーズヴェルトは……死んだはず」
少年の遺体を確認したわけではない。
だが銃弾が少年の胸に着弾するのは見ていた。
間違いなく死んだはず。
仮に運よく助かったとしても、無傷であるはずがない。
声を詰まらせるダンカン。
その彼に――
「カラクリを教えてあげよっか?」
ハル・ルーズヴェルトの声が、すぐ隣から聞こえてきた。
「ひああ!」と悲鳴を上げ、尻もちを付くダンカン。
ぜえぜえと荒い息を吐きながら、ハーマンのそばに居るハル・ルーズヴェルトから、声の出所へと、視線を移動させていく。
そこには――
ニッコリと微笑んだハル・ルーズヴェルトがいた。
「ななな……なんで……ハル・ルーズヴェルトが……ふ……二人!?」
後から現れたハル・ルーズヴェルトがクスクスと笑う。
そして――
少年の輪郭がぐにゃりと崩れた。
「――な?」
輪郭を崩した少年が、まるで粘土をこねるようにうねうねと輪郭を波立たせ、新たな形を形成していく。
少年であったその奇妙な液体は、瞬く間にその姿を――
妙齢な女性へと変えた。
女性がブラウンの髪をさらりと揺らし、同じくブラウンの瞳で、ダンカンを見つめる。
「お久しぶりです、ダンカン・スコールズさん。
とはいえ、この姿でお会いするのは、初めてでしたか。
以前お会いした時は、私はハル・ルーズヴェルト君の姿でしたから」
「ハル……の姿……お前まさか……」
「液状族のミリィです。
覚えなくて結構ですよ。
私も貴方のことすぐに忘れるので」
そう話して、ニコリと笑う女性。
突然の魔族の登場に、騎士軍にざわめきが広がる。
慌てて武器を構えようとする騎士達に向け、ハーマンが声を上げる。
「武器を下せ!
彼女――ミリィさんは、さらわれた息子を私の屋敷に送り届け、このダンカン・スコールズの奸計を伝えに来てくださった、私にとっての恩人だぞ!」
騎士軍にまた動揺が広がる。
女性が「恩人とは照れてしまいますね」とクスリと笑った。
ハーマンの耳を疑う発言に、ダンカンは困惑しながらも慌てて立ち上がった。
「お待ちくださいハーマン様!
私の奸計というのは、まさかこの魔族の証言によるものですか!?
そんな馬鹿な話がありますか!
教会長の私より魔族を信用するのですか!」
「ミリィさんが信頼できる魔族であることは、私の息子が証明してくれている」
「しかし――」
「だがしかし、私も魔族である彼女の言うことを、簡単には信用することはできん。
ゆえに彼女の証言を裏付ける何かが必要だった。
そして、その裏付けをしてくれたのは君だ」
「わ……私が?」
ますます困惑を深めるダンカン。
ハーマンが金色の瞳を刃のように尖らせる。
「君が今朝、私に報告に来ただろう。
その君の報告が、彼女から事前に聞かされていた証言と、一致していたんだ。
息子の生死に関すること以外で、だがな。
だから私は、彼女と息子の言葉を信用することにした」
「あ……あの……あの時すでに、この女はすでにハーマン様と接触して……」
「ええ、そうですよ」
舌が上手く回らず、口をパクつかせるダンカンに、女性が朗らかに説明を始める。
「ハル君を送り届けたのは、今朝の日が昇る前です。
夜分に失礼とは思いましたが、状況が状況だけに致し方なく。
ダンカンさんとお話ししていた時に、ハーマンさんは一度寝室を出られたでしょう?
ハーマンさんはその時に、別室に控えていた私とハル君との三人で証言の照らし合わせを行い、ようやく私の言葉を信用してくれたということです」
「正直申し上げると、それでもまだ私は半信半疑でした。
ただミリィさんがお話した通り、魔族の襲来がこうして起こらない以上、もう疑う余地はありませんからね」
「魔族の襲来が……起こらない?
どうして……魔族の襲来がないと?」
もはやただ愚直に質問するだけのダンカンに、ハーマンが眉間に皺を寄せる。
「ミリィさんの仲間である、二体の魔族が襲撃を仕掛けるために集められていた魔族を、力づくで止めるということだ。
にわかには信じがたかったが、まさか実現するとは」
「だからお話ししたでしょう?
有象無象の魔族など、あの二人の相手にならないと」
女性が気楽な口調でそう話すも、ハーマンはやはり、狐に摘ままれたような表情をしていた。
ハーマンの気持ちは、ダンカンもよく分かる。
小規模とはいえ、クレオパスを襲撃しようと集められた魔族を、二体の魔族で引き留めるなど、考えられない。
果たして、その二体の魔族というのは、どれほどの力を持つ魔族なのか。
少なくとも、各種族を統率する頭ほどの力がなければ、そのようなことは不可能に思える。
だがしかし、仮に、偶然にも、種族の頭ほどの実力を持った魔族が近くにいたとして、魔族が人間の味方をするなどあり得ない。
その二体の魔族は一体――
誰の意志に従い行動したというのか。
「ダンカン・スコールズ。
君の身柄を拘束させてもらう。
君の処分は、中央政府とも相談の上、決定されることとなるが、決して軽くないことは覚悟しておくんだな」
ダンカンを拘束するよう、ハーマンが騎士に合図を送る。
まだ状況の変化に戸惑っている騎士だが、議会議員の命令に逆らうような愚かな真似は、するつもりがないらしい。
呆然と立つダンカンの背後に、騎士が回り込み、彼の両手を荒縄で拘束した。
瞬間――ダンカンは大きく哄笑した。
突然笑い出したダンカンに、周囲にいる騎士やハーマンが、表情を強張らせた。
ダンカンは喉が破れんばかりに哄笑すると、声を引きつらせながら、絶叫する。
「いいだろう!
罰でも何でも受けてやる!
だがなハーマン!
あんた一つ忘れているんじゃないのか!?
確かにこのガキの誘拐には俺も噛んでいるが、魔族が実行犯であることには変わりないんだ!
そんな危険な魔族をのさばらせていいのかよ!
こんな事件を起こした以上、魔族は皆殺しにすべきだ!
そのためには教会に力を与えるべきだろ!」
ダンカンの言葉は、決して的外れなものではない。
魔族が罪を犯した時、その魔族の身内や仲間を含めて、処罰を下すのが通例だ。
今回の事件は、議会議員の子供を誘拐し、人類との戦争を画策したという、重罪きわまるものだ。
ならば、その処罰が下される魔族の範囲もまた、大きなものとなる。
つまりー―
カッサンドラ地方に生息する、全ての魔族を殲滅するということだ。
ダンカンはそれをハーマンに指摘した。
そしてそれは、これまでの歴史を鑑みると、決して大袈裟な発言ではない。
そのことは、ハーマンも理解しているはずだった。
しかし――
「……むろん事件に関与した魔族は、厳重に処罰を下す。
だが不必要に、処罰の対象を広げるつもりはない。
私は彼ら魔族にも、人間と同じ基準で、裁きを与えるつもりだ」
「な……馬鹿な!
何を言っているんだ、あんたは!
人間と魔族が同じ基準だと!?
そんなふざけた話があるものか!
危険な魔族は、即刻始末するべきだろ!」
ハーマンの発言に驚愕したのは、ダンカンだけではない。
周囲にいる騎士もまた、ハーマンの言葉に、動揺を顕わにしていた。
ざわつく周囲に視線を巡らし、ハーマンが言う。
「今回の事件で分かったことがある。
魔族もまた人間同様に個性がある。
いや、それは初めから分かっていたことだが、実感が足りなかったというのが、正確だな。
一部の魔族が恐ろしい考えを持っていたからと、他の魔族を一括りにすることは誤りだ」
「何を甘いことを!
ハーマン!
あんたは二百年前の戦争を忘れたのか!?」
「むろん忘れたわけではない。
だがいつまでも過去に囚われることも愚かしいことだ。
人類と魔族は、お互いの関係を見直す時が近づいてきているのだろう」
「魔族は敵だ!
教会こそが正義だ!
そんなことは子供でも知っている常識だ!」
「今回の戦争を画策したのは魔族だ。
だが戦争を回避すべく尽力したのも、また魔族だ。
そして戦争を起こす魔族に協力していたのは、他でもない教会の人間。
人間も魔族も、一概に善悪を語れるものでは決してない」
「魔族が人間に与するなどあり得ん!
戦争回避も奴らの都合があるに違いない!」
「だとしても、人類との争いを望まない魔族がいることは間違いない。
私は息子を救い、戦争を止めてくれた魔族に、敬意を表している。
その意見を変えることなどない」
「――……あり得ない……そんな馬鹿な話」
力なく項垂れるダンカン。
そんな彼に――
「どうやらお互い、年貢の納め時のようですね、ダンカンさん」
そんな力のない声が掛けられた。
==============================
「……貴様は……ヴィレム」
項垂れていたダンカンが、こちらに視線を受けて、力なく呟いた。
サクラに連れられたヴィレムが、正門前に集まった騎士をぐるりと見回し、肩をすくめる。
「この一連の事件は、小人族である私とそこのダンカンさんによるものです。
この期に及んで逃げも隠れも致しません。
どうぞ、煮るなり焼くなり好きにしてください」
「ヴィレム……何を言って……」
「まあ良いではありませんか。
ダンカンさん」
ヴィレムが正門を抜けて、ダンカンのそばに近寄る。
サクラは念のためにヴィレムの後を付いて歩くが、彼に逃走する気がないことは、とうに分かっていた。
顔を蒼白にしたダンカンに、ヴィレムが降参するように、両手を胸の高さまで上げる。
「我々は二人とも敗北したのですよ。
それを潔く認めましょう。
足掻いたところで恥の上塗りにしかなりません。
人間だろうと魔族だろうと、最後ぐらいは誇りを持つべきです」
「……」
沈黙するダンカン。
その彼の様子に何やら満足げに頷いて、ヴィレムがサクラへと視線を移した。
彼女の眼帯に隠れていない左碧眼を見つめ、ヴィレムが言う。
「貴方が意識のない状態で、私の屋敷に運ばれてきた時、ハンネス様の意向に逆らってでも、貴方を即刻始末しておくべきだったと、後悔していますよ」
力のない微笑みを浮かべるヴィレムに、サクラはニヤリと唇を曲げる。
「私を見くびっているからだ」
「……そうですね。
私に敗因があるとすれば、恐らくそれなのでしょう」
そう呟いて、ヴィレムが騎士のもとへと近づいていく。
サクラは小さく溜息を吐くと、ヴィレムの背中から視線を外し、金髪の少年を見やった。
金髪の少年――ハル・ルーズヴェルトが、サクラに向けてズビシと親指を立てる。
「やったね。
サクラお姉ちゃん」
何とも呑気なものだ。
笑顔を浮かべた少年に、サクラはそう呆れ返りながらも――
少年に倣い、親指を力強く立てた。




