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桜色の頭 ~人間と魔族と謝礼金と~  作者: 管澤捻
いつものように起床した時かな? 自分が反抗期だと気付いたのは。
19/21

いつものように起床した時かな? 自分が反抗期だと気付いたのは。(3)

「ハンネス。

 お前は以前、これが自身の在り方、宿()()だと私に話したな」


 眼帯に隠れていない左碧眼を、鋭く細めるサクラ。

 彼女の右手に握られた、根元から切断された刀。

 その切断面を向けられた先に立つ影法師の男。

 男の名前はハンネス・アラン。

 二百年前に滅んだとされる魔王の同種にして、同等の力を引き継いだ存在――


 最強の魔族。


 サクラの剥き出しの敵意を受け、だが特に警戒する様子もなく、無造作に立つハンネス。

 男の赤い瞳を見据えつつ、サクラはゆっくりと左手を持ち上げ――


 自身の右目を隠す眼帯に触れた。


「……確かにそう言ったな」


 サクラの問いに対する、ハンネスからの短い返答。

 サクラは嘲りの笑みを浮かべる。


「二百年前の真似事をすることが、お前の宿命って奴か?

 自分が魔王と同種の魔族だからって、魔王と同じことをすることが宿命だなんて、単純思考過ぎやしないか?」


「知ったような口を利くな。

 人間の女」


 サクラの言葉に反発したのは、ハンネスではなく、玄関口に控えていた、小人族のヴィレムであった。

 丸眼鏡に赤い瞳を隠したヴィレムが、少なくとも表向き崩すことがなかった慇懃な態度を打ち消して、サクラに対して乱暴な口調で言い放つ。


「ハンネス様は魔族の頂点に立つために、存在されているお方だ。

 貴様のような人間が、本来は会話することすら憚れる、高貴な存在だぞ。

 そのお方にあろうことか、その浅薄な知識で意見を述べるとは、身の程をわきまえろ、人間が!」


「……なるほど。

 宿命だ何だというのは、このおっさんの口車に乗せられてのものか?」


「なんだと!」


 憤慨するヴィレムを無視して、サクラは無表情のハンネスに向け、言葉を続ける。


「宿命だ何だと言うわりに、お前はそのことに、さほど興味を抱いていない。

 だから結果に拘らないんだろう?

 お前が重要視しているのは、宿命に従う過程のほうだからだ」


 右目を隠していた眼帯を外すサクラ。

 外した眼帯を脇に捨て、眼帯に隠れていた右目の瞼を、ゆっくりと開く。

 サクラの表情に、魔族と同じ赤い瞳が、禍々しく輝いた。


 碧い瞳と赤い瞳。

 サクラはその両眼に、鋭利な眼光を同時に瞬かせる。


「つまり――()()()()()()()()()()だ。

 宿命に従う自分自身にな」


「……お前がどう解釈しようと勝手だが……」


 ハンネスが小さく溜息を吐き、ぼそぼそと聞き取りにくい小声で話す。


「流れに逆らったところで面倒だ。

 行きつく先が同じなら、流れに身を任せればいい」


「それは、一度でも宿命に逆らった奴の言うことだ。

 従うだけの甘ちゃんがほざくな」


「……お前に何が分かる?」


 ここで初めて、ハンネスが感情らしきものを、表情に覗かせた。

 怒りとも憎しみともつかない曖昧な不満。

 彼の見せたその僅かばかりの反応に小気味よさを覚えつつ――


 サクラは集中力を高めていく。


「――私はこの場所から、遥か東にある島国で生まれ育った」


 突然、関係のない話をするサクラに、ハンネスが感情を映したその表情に、疑問符を浮かべる。

 彼の疑問は他所にして、サクラは淡々と言葉を続ける。


「その島国は、他国との交流が皆無に近い、閉鎖された国だった。

 ゆえにその島には、独自の文化や風習が数多く存在している。

 私の刀や着物も、その独自文化の一つだ」


 舌を動かしながらも意識を集中していく。

 自身の身体に封じられている強大な力。

 それを限界まで引き出すには、並外れた集中力が必要とされる。

 未熟な自分では、その集中力に達するまで時間が掛かる。

 ゆえに、適当な雑談で間を埋める必要があった。


「その島国では一つの有名な伝説がある。

 それは龍神伝説と呼ばれるものだ。

 遥か昔、世界を混乱に陥れた龍神が存在した。

 その龍神は、世界の因果をも書き換えるほどの、強大な力を持ち、この世を白紙に戻すことを使命としていた。

 だがしかし、その島国いる一人の巫女が、龍神の力を己の身に封じ込めることに成功し、世界を救ったのだという」


 ハンネスの表情に浮かんでいた疑問が、徐々に無関心なものに変わっていく。

 眉唾に過ぎないだろう伝承を聞かされ、うんざりしているのかも知れない。

 だがサクラは、ハンネスの態度など気にすることなく、流暢に話を続けた。


「――だが封印には欠陥があった。

 巫女の老化とともに封印が弱まり、龍神の力がこぼれ出てきたんだ。

 龍神の封印を継続するためには、新たな巫女を用意し、その身体に龍神の力を封じ込めなおす必要があった。

 龍神を封じた巫女は、自身の娘を新たな巫女として選び、自身に封じた龍神の力を娘に継承した」


 極限まで高められた集中力。

 サクラの内に眠る強大な力の源泉に、意識が辿り着く。


「それ以降、巫女は自身の娘に龍神を継承することが習わしとなった。

 龍神の力を受け継いだ巫女は、龍神の力を決して外に出さないために、その一生を島で生きることを義務付けられる。

 島国の民はそんな巫女と、神である龍神を崇め、現在まで生きてきた」


「――さっきから何の話をしている!?」


 ヴィレムが声を荒げる。

 要領の得ないサクラの話に、いい加減に忍耐も尽きたのだろう。

 顔をどす黒くするヴィレムを一瞥し、サクラは口元をニヤリと曲げる。


「その巫女の姓は轟。

 私は()()()()()()()()()()()()()()()()()だ」


 ハンネスの赤い瞳が、僅かばかり見開かれる。

 その瞳を見据えながら――


 サクラは――


「私も()()()宿()()()()()()()()()なんだよ」


 力の源泉を限界まで解放した。


 その瞬間――


 大気に鳴動が(とどろ)いた。


「――何!?」


「――ッ!」


 ヴィレムとハンネスが、驚愕に表情を強張らせる。

 サクラを中心にして、周囲の空気が巨大な渦を巻き、まるで龍が駆け上がるように、頭上へと立ち上る。


 狂ったように吹き荒れる強風。

 振動しながら細かくひび割れる大地。

 まるで世界そのものを直接つかみ、上下左右に振り回しているかの如き、あまりにも不規則で乱暴な力の奔流が、サクラを起点にして周囲に広がっていく。


 暴れる大気と大地にバランスを取られ、ヴィレムが強かに転倒する。

 対して、力の起点となるサクラのすぐ近くにいながらも、微動だにすることもないハンネス。

 だが彼のその表情が、強大な力を身にまとうサクラの姿に、強張りを見せていた。


「……お前は……何者だ?」


 ハンネスの呟き。

 それは周囲に荒れ狂う強風に吹き千切られ、すぐに霧散した。

 ゆえに本来は、サクラへと届くはずがない。

 しかしサクラは確かにその呟きを聞き――


 ()()()()()()()()()()を見開いた。


「話しただろ。

 龍神の力を持つ巫女だと」


 桜色の髪の毛が真紅に染まる。

 鋭く伸びた牙が口元から覗き、全身の皮膚に鱗のような痣が浮かんでくる。

 サクラは、体の変異に伴う激痛を堪えつつ、荒々しく笑った。


「悪いがあまり時間を掛けられない……早々に決着をつけさせてもらうぞ」


「……勝手なことを」


 ハンネスのその苦言は、益体のない故郷の話で時間稼ぎをしたサクラに対して、向けたものなのだろう。

 的を射たクレームだが、こればかりは仕方がない。

 龍神の力を限界まで引き出したこの状態は、サクラにとってあまりにも危険であり、長時間も保てない。


「第一、その折れた武器で何を――」


 ハンネスの言葉が途中で止まる。

 サクラの右手に握られた、根元から切断された刀。

 ペーパーナイフほどの長さもない、武器として用を為さない刀身が――


 まるで急速に成長する植物のように、その長さを伸ばしていく。


「――な!?」


「行くぞ!

 ハンネス!」


 刀身を伸ばした刀を振るい、驚愕するハンネスに駆けていく。

 瞬く間にハンネスとの距離を詰めるサクラ。

 ハンネスが軽い舌打ちをして、右手に漆黒の闇をまとう。

 刀を横なぎに全力で振るう。

 ハンネスの右手に出現した闇の刀が、サクラの刀を受け止めた。


 ハンネスが操る黒魔導。

 あらゆる物質を触れただけで消滅させる『万物消滅(ロスト・シングス)』。

 その能力により生成された闇の刃は、鍛えられた鋼でさえ抵抗なく切断せしめる。


 だが――


 サクラの振るった刀は、ハンネスの生成した闇の刀に、()()()()()()()()()()()()


 刀を振り抜こうと力を込めるサクラ。

 そのサクラの力を、縦に構えた闇の刀で抑え込むハンネス。

 拮抗する両者の力。

 だが爛々と赤い瞳を輝かせるサクラとは異なり、ハンネスの赤い瞳には明らかな、動揺が浮かんでいた。


「――なぜ……消滅しない!?」


「特別に教えてやるよ。

 それは――」


 ここでサクラは突然に刀を引く。

 拮抗した力の片側が突如失われ、ハンネスの体が僅かではあるが前方に揺らいだ。

 刀を引いた力と連動させ、サクラは左拳を強く突きだす。


 ハンネスが咄嗟に半身になり、右肩でサクラの拳を受け止める。

 表情を苦悶に歪め、数歩後退するハンネス。

 サクラは素早く地を蹴り、ハンネスへと追いすがった。

 だが――


 突如、目の前に闇の障壁が現れる。


 騎士軍を退けるために使用されたハンネスの能力。

 恐らくこの闇の障壁もまた、触れただけで無条件に対象を消滅させる、黒魔導の術なのだろう。


 どのような刃も、銃弾すら通さないだろう鉄壁の防御。

 サクラはその障壁を――


「しゃらくさい!」


 愚直に()()()()()


 闇の障壁をぶち破り、サクラの鉄板が仕込まれたブーツの底が、ハンネスの鳩尾に突き刺さる。

 大きく口を開け、大量の空気を吐き出すハンネス。

 後方へと吹き飛ばされた彼の体が、地面を激しくバウンドし、屋敷の塀に衝突して停止した。


「――ぐ……はあ……」


 四つん這いの姿勢で、口から血の滲んだ涎を吐き出すハンネス。

 荒い呼吸を繰り返しながら、彼が脂汗の滲んだ顔を上げ、サクラに赤い瞳を向けた。

 揺らめきを見せる彼の視線。

 それをサクラは、鋭くした赤い瞳で泰然と見返した。


 ふらふらと立ち上がるハンネス。

 その彼に刀の先端を向け、サクラは牙を剥いて笑う。


「話の続きだ。

 龍神の力を限界まで引き出した私は、魔道属性が変化する」


「属性が……変化するだと?」


 ハンネスが赤い瞳を訝しげに細める。

 浮かべた笑みを深くして、サクラは告げる。


「今の私は――()()()()()だ」


 ハンネスの赤い瞳が見開かれた。

 サクラはその瞳に語るように話を続ける。


「白魔導は創造を司る力。

 今の私が操る能力は――『輪廻創造(セルフ・パーマネンス)』。

 失われた物質を元の形へ繰り返し創造する、()()()()()()()()()()()()()()()()()だ」


「創造の力……では、俺の消滅の力が通用しなかったのは……」


 すでに察しがついているであろうハンネスに、サクラは笑みを濃くする。


「お前の消滅の力が通用しないんじゃない。

 消滅した物質が創造しなおされていたから、消滅していないように見えただけだ。

 私の能力の影響下にある物質は、どれだけの破壊や消滅を受けようと、創造しなおされる。

 この状態の私を殺すことは不可能だ」


「ば――馬鹿な!」


 サクラの解説に反発したのは、ハンネスではなくヴィレムであった。

 玄関口で二人のやり取りを聞いていた小人族の男が、唾を飛ばしながら声を荒げる。


「白魔導だと!?

 創造の力だと!?

 白魔導はあくまで黒魔導と対をなす、理論上の魔導属性だ!

 白魔導が実在するなどという話は聞いたこともないわ!」


「……って、外野がほざいているが、ハンネス。

 お前はどう思う?」


 ヴィレムに溜息を吐きつつ、ハンネスに尋ねるサクラ。

 ハンネスが大きく見開いた瞼を閉め、しばし沈黙する。

 時間にして五秒。

 ハンネスが閉じた瞼をゆっくりと開く。


「……できれば今の話、腹を蹴られる前に聞いておきたかったな」


「お前だって私の刀を折った後に、能力の解説をしただろ。

 これでおあいこのはずだ」


「お前に訊きたい」


 ハンネスの口調が変化する。

 その微妙な変化を感じ取り、サクラは口を閉ざして、ハンネスの言葉を待った。

 一拍の間を空けて、ハンネスが口を開く。


「お前が……龍神の力を封じた巫女であるならば、どうして島から離れている?

 龍神の力を外に出さないため、巫女は一生を島で生きることを義務付けられたと、お前は話していた。

 それが巫女の宿命だというのなら、なぜ宿命に反して、お前がここにいる?」


「……いいだろう。

 知りたいのなら、教えてやるよ」


 サクラは静かに息を吸い込むと、固唾を呑んでこちらの回答を待つハンネスに――


「ただの反抗期だ」


 そうきっぱりと告げた。


「……………………ん?」


 長い、ことさら長い沈黙を挟み、ハンネスが目を瞬かせる。

 ぽかんと呆けた顔をするハンネスに、サクラは何の後ろめたいこともないと言わんばかりに、堂々と言い放つ。


「お母様に対する反抗期だ。

 何かもう十六歳を過ぎたあたりで、アレ?

 これっておかしくね?

 何で私がこんな狭い島で、一生過ごすことを、勝手に決められなきゃならねえの?

 と思ってな。

 夜中のうちに荷造りして、置手紙だけ残して、島を出てきた」


 サクラの回答がよほど意外だったのか、感情を映さないハンネスのその顔に、非常に分かりやすい動揺が浮かんでいた。

 何かを考え込むように首を傾げ、ハンネスが呟く。


「……反抗期……だと?」


「そうだ。

 誰でもあるだろう、親に反発したい年頃って奴だ」


「……巫女の宿命はどうした?」


「そんなもの知るか」


 断言するサクラ。

 赤い瞳を困惑に瞬かせるハンネスに、サクラは肩をすくめる。


「私の周りが勝手に決めたことだ。

 私がそれに従ういわれはない。

 私の体に龍神が封じられている都合上、私は巫女にならざるを得ないが、まあ深くは考えていない」


「考えていない……だが龍神の封印は年齢とともに弱まると話したな?」


「どうにでもなるだろ。

 多分」


「自分の娘に龍神を継承するとも」


「何とかなるだろ。

 きっと」


「……適当過ぎやしないか?」


 魔族からの呆れられた一言。

 サクラは「適当で何が悪い」と吐き捨てる。


「私の人生、私の思うように生きているだけだ。

 言っておくが、私はお前のように、流れるままに流されて、それで納得できるような物分かりのいい奴じゃないんだ。

 誰に迷惑が掛かろうと、全力で流れに逆らって、自分の意志で生き方を選択してやる」


「……だがどれだけ流れに逆らおうと、結局行きつく先は同じかも知れんぞ?」


「だとしても、私は流れに逆らい続ける」


 サクラは、動揺を滲ませたハンネスの赤い瞳を見据えて、口調を強める。


「例え行きつく先が同じだろうと、流れに逆らった分、横道に逸れることはできる。

 その無駄に思える経験の積み重ねこそが、私が自分の意志で選んだ人生だ。

 誰にもそれは否定などさせない。

 結果が同じだというのなら、その道中を楽しまないでどうする?」


「――……」


 ハンネスが息を呑んだのが分かった。

 赤い瞳を力なく細めて、サクラから視線を逸らすハンネス。

 二呼吸ほどの間を空けた後に、彼が独りごちるように言う。


「楽しむ……か。

 俺はそんなこと考えたこともないな。

 俺は世界で唯一の魔王族だ。

 誰一人として仲間もいない。

 今までずっと独りで旅を続け、戦いを続けてきた」


 自身の手のひらに視線を落とし、ハンネスが「だが……」とその手のひらを握る。


「戦いすらも……俺を楽しませてくれたことはない。

 俺はどの魔族よりも強く生まれた。

 誰と戦おうと苦戦することすらなく、俺は退屈していた」


 落としていた視線を上げて、ハンネスがサクラを見据えた。

 彼のその赤い瞳には、先程まで湛えられていた動揺がいつの間にか消え失せ、その代わりに――


 強い興奮を湛えた眼光が輝いていた。


「初めてだ。

 俺と対等に戦える存在は」


 ハンネスが()()()()()()

 彼の笑みにつられ、サクラもまた口元に笑みを浮かべた。


「ようやく()()()()()()()()か。

 それでいいんだよ。

 闘争こそが魔族の本能だ。

 宿命だ何だなんて小難しいことを持ち出して、場をしらけさせるようなことするなよな」


「無粋な真似をしてすまなかった」


 ハンネスが闇の刀を構える。

 そして半身の姿勢を取り、腰を落とした。

 彼がサクラに対して、初めて見せる臨戦態勢。

 魔王族たる男から放たれる、その剥き出しの敵意に――


 サクラは頬を紅潮させて胸を高鳴らせた。


「人間も魔族も戦争も宿命も、今は全てがどうでもいい。

 お前もそうだろ」


「ああ。

 ただお前がいればいい。

 俺と対等のお前さえいてくれれば、それでいい」


「私も同じ気持ちだ。

 お互いに、立場もしがらみも何もかも忘れて――」


「この喧嘩を楽しもう」


 ハンネスが駆け出した。

 サクラもまた同時に駆け出す。

 瞬く間に距離が詰まり、二人が刀を振るう。

 サクラの白刃と、ハンネスの闇の刃が激突し――


 甲高い音を立てて弾けた。


「くたばれ!

 ハンネス・アラン!」


「殺してやる!

 サクラ・トドロキ!」


 互いが相手を口汚く罵り、最強同士のただの喧嘩が開幕する。


 サクラは素早く刀を引くと、それを全力で突き出した。

 迫る切っ先を闇の刀で弾き、ハンネスが体を捻じり、闇の刀を横なぎに振るう。

 半歩後退するサクラ。

 闇色の刃が彼女の鼻先を掠めて通り過ぎる。

 一瞬で凍える背筋に、サクラは興奮を高めた。


 創造を繰り返すサクラには、消滅の力は有効に働かない。

 だが物理的な硬度をもった闇の刀で体を打たれれば、当然ダメージは免れない。

 痛みは判断力を鈍らせ、ひいては戦況を悪くする。

 ただでさえ、龍神の力を引き出していることで、全身が激しい痛みに悲鳴を上げているのだ。

 体にこれ以上の負担を掛けないためにも、ハンネスの攻撃は極力、刀で受けるか、躱しきらなければならない。


(とどのつまり、普通の戦い方と同じだ。

 シンプルで分かりやすい!)


 サクラは瞬時に状況判断をすると、後退した体をすぐに前進させ、ハンネスに接近した。

 刀の切っ先を地面に掠めるように走らせ、体を跳ね上げるようにして、下から上に刃を振り上げる。

 半身になりサクラの白刃を躱すハンネス。

 サクラは跳ね上げた体を捻じり、ハンネスの脇腹をめがけて、回し蹴りを見舞った。

 タイミングは完璧。

 だが――


「――!」


 サクラの蹴りがハンネスに届く前に、一歩踏み込んだハンネスの拳が、サクラの鳩尾に突き刺さった。

 横隔膜を押され、サクラの口から大量の空気が漏れる。

 咄嗟に地面を蹴り、後方に退いて衝撃を逃がす。

 軽く咳き込むサクラに、ハンネスが挑発的に笑う。


「剣術だけだと思うなよ」


 ハンネスが駆ける。

 サクラに肉薄し、ハンネスが闇の刀を横なぎに振るう、と見せかけて左拳でサクラの顔面を殴りつけてきた。

 強かに頬を打たれ、体をよろめかせるサクラ。

 隙を生んだサクラに、ハンネスが今度こそ闇の刀を頭上に構え、高速で叩きつけてくる。


 態勢を立て直す暇はない。

 ならば――


(態勢をあえて崩す!)


 サクラはよろめいた体をそのまま倒し、地面に手を付いて足を振り上げた。

 闇の刃がサクラの頭部を掠めると同時に、サクラの振り上げた靴底が、ハンネスの顎を叩いた。


「――ぐっ!」


 今度はハンネスが数歩後退する。

 サクラは態勢を整え、ハンネスへと駆け出す。

 闇の刀を構えるハンネスに向け、サクラは刀を投擲した。

 ハンネスの目が驚愕に見開かれる。


 サクラの刀が、ハンネスの足元に突き刺さる。

 彼女の奇抜な行動に、ハンネスが判断を迷わせる。

 その一瞬の隙を突き、サクラは全速力の勢いそのままに、ハンネスに中段蹴りを見舞う。

 サクラの蹴りを咄嗟に肘で受け止めるハンネス。

 だが衝撃を吸収しきれず、ハンネスが地面に靴底を擦りながら、大きく後退した。


 地面に突き刺さった刀を引き抜き、サクラは後退したハンネスに駆ける。

 体を左に振り、すぐに右にずらす。

 簡単なフェイント。

 ハンネスの赤い瞳が、瞬きする時間だけ、サクラを見失う。

 その僅かな時間に、サクラはハンネスの死角に回り込み、ハンネスの足を素早く払った。

 転倒こそ防ぐも、ハンネスの体が大きく傾く。


 ハンネスの無防備な首筋めがけ、刀を振り下すサクラ。

 瞬間、振り下された刀とハンネスとの間に、闇の障壁が生まれる。

 闇の障壁に刀が弾かれる。

 だがその程度のこと予想済みであるサクラは、戸惑うことなく、すぐさまハンネスの腹部を蹴り上げた。


「――かはっ!」


 腹部を手で押さえて後退するハンネス。

 サクラは戦況が自身に傾いていることを悟る。


 ハンネスは状況判断能力が優れており、またその判断に応えるだけの、高い身体能力をもほこる。

 だが格下の相手ばかりしていたからか、搦め手を用いた戦闘には不慣れだ。

 直線的な攻撃を避け、フェイントを織り交ぜて戦いを進めれば――


(負けることはない。

 勝てる――)


 だが――サクラのその考えは甘かった。


 後退したハンネスに追いすがろうと、駆け出すサクラ。

 あと一歩でハンネスを射程に置けるというその距離で、サクラは突然、がくんとバランスを崩した。


 素早く足元を確認するサクラ。

 地面の一部がぽっかりと窪んでおり、その窪みにサクラの右足がはまっていた。

 脳裏に走る疑問。

 だがすぐに、サクラは理解する。


(消滅の力か――)


 後退すると同時に、消滅の力で地面に穴を掘っていたのだろう。

 ただの落とし穴に過ぎないが、それは単純なだけに、あまりにも効果的な戦略だった。


 態勢を崩したサクラに向けて、ハンネスが闇の刀を振り下す。

 サクラは闇の刀を受け止めようと、刀を横に構えて頭上に掲げた。

 互いの刀がぶつかる、その直前――


 ハンネスの闇の刀が消失する。


 刀を受け止めるようと、衝撃に備えていたサクラの体が、肩透かしを食らい強張る。

 その隙を突き、ハンネスが刀を打ち消した右手を素早く伸ばし――


 サクラの喉をがっしりと掴んだ。


「終わりだ――」


 直後――サクラの足元から濃厚な闇が出現する。

 まるで天に落ちる滝のように、膨大な闇がサクラの体を呑み込み、頭上へと流れた。

 サクラの視界が、一瞬にして闇に染まる。


「――ぐ!」


 闇の濁流にのまれ身動きができない。

 さらにこれまでよりも濃厚な闇が、サクラの能力を僅かに上回り、彼女の体を徐々に侵食して消失させていく。


 衣服が崩れ、皮膚が剥がれ、肉が削られていく。

 その激痛に、思わず悲鳴を上げそうになるサクラ。

 だが彼女は、その激痛を意志の力だけで内に封じ込めると――


 自身の喉を掴む、ハンネスの右腕を、左手で力強く掴んだ。


 闇に染まった視界に、ハンネスの表情は映らない。

 だが掴んだ腕越しに、ハンネスの動揺が伝わってきた。

 サクラは、体の自由を奪う闇の濁流に、力任せに抗い――


「があああああああああああああ!」


 刀を振り下した。


 パンッ!

 と、足元から立ち上っていた闇の濁流が消え失せる。

 視界を塗りつぶしていた闇が失せ、そこにハンネスの姿が映し出される。

 全身黒ずくめの、影法師のようなハンネスの姿。

 その起立した影に――


 袈裟懸けに走る裂傷が刻まれていた。


「……っ」


 膝を崩して、サクラの前に座り込むハンネス。

 おびただしい出血に呼吸を荒げる彼を見下ろしつつ、サクラは、自身の喉を掴んでいた彼の右腕から、左手を離した。


 小さく息を吐くサクラ。

 ハンネス同様、彼女の全身もまた無残な有様だった。

 闇の濁流に呑まれ、八割ほど崩れ落ちた着物は、すでに衣服の用途を満たしておらず、彼女の大部分の肌を露出させている。

 そして、その露出した彼女の肌もまた、闇の濁流により削り取られ、血の滲んだ赤黒い筋肉が、痛々しく覗いていた。


 だが白魔導の能力により、その削れた傷跡も崩れた衣服も、五秒ほどで創造(なお)される。

 少なくとも、見た目だけは戦う以前と変わらない姿に戻ると、サクラは意識を鎮め――


 龍神の力を体の内に封じ込めた。


 サクラの口元から覗いていた牙が消え、髪の色が赤から桜色に戻る。

 皮膚に浮かんでいた鱗のような痣もなくなり、血に濡れたように赤く染まっていた左眼が――


 碧い輝きを取り戻した。


 帯に吊るしていた鞘に刀を収めるサクラ。

 その彼女に、足元から声が掛けられる。


「……どうして、殺さない?」


 視線を足元に下すサクラ。

 目の前に座り込んだハンネスが、こちらを見ていた。

 出血からか、顔を蒼白にするハンネスに、サクラは気楽な調子で手首を振る。


「殺るつもりだったさ。

 だがお前の能力で刀の先端が削られていたようでな、致命傷となる傷にまで刃が達しなかったんだ。

 運が良かったんだよ、お前は」


「今、とどめを差せばいい」


「どうでもいいさ」


 サクラは投げやりな口調でそう言うと、ニヤリと口元を曲げた。


「悪いな。

 もう()()()()()()()()んだ」


「……」


 ささやかな仕返し。

 サクラの言葉に、暫くハンネスが呆然と目を丸くし、そして――


 柔らかく微笑んだ。


「それは……悔しいな」


「ざまあみろ、バーカ」


 子供のような程度の低い悪口で、大いに留飲を下げたサクラは、屋敷の玄関口に立つヴィレムへと視線を向けた。

 ハンネスの敗北が信じられないのか、表情を硬直させているヴィレム。

 ハル誘拐に始まる一連の事件の首謀者である、小人族の男に向けて――


 サクラは意地の悪い笑みを浮かべた。


「いいものを見せてやるよ。

 お前の心血注いだ計画が、ぐちゃみそに崩れる瞬間だ」


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