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桜色の頭 ~人間と魔族と謝礼金と~  作者: 管澤捻
いつものように起床した時かな? 自分が反抗期だと気付いたのは。
17/21

いつものように起床した時かな? 自分が反抗期だと気付いたのは。(1)

「これを貴方に差し上げます」


 早朝六時。

 自身の寝室――もっとも布団を敷くだけで、自身の個人部屋というわけではない――で目を覚ました轟桜に、母親である轟凛がそう言った。


 桜は、つい先程まで眠っていた布団に正座して、同じく向かい合わせに正座している母親を見つめていた。

 彼女は一度両眼を瞬かせて、その視線を母親の手前に下ろす。

 母親の前には、花柄模様の着物と帯、母親と同じデザインの眼帯、そして――


 黒塗りの鞘に納められた、一振りの刀が置かれていた。


「これは?」


 小さく首を傾げて尋ねる桜。

 母親が柔らかく微笑み、桜色の唇を開く。


「継承の義を終え、元服を迎えた貴方への、贈り物です」


 母親の言葉に、桜はそっと自身の右目元に指先を触れさせる。

 自分では鏡がなければ見えないが、今の桜の右目は、左の碧い瞳とは異なり――


 赤い輝きが灯されている。


「こちらの着物に着替え、立ち姿を私に見せてください」


 桜はこくりと頷くと、寝間着を手早く脱いで、花柄模様の着物に手を掛けた。

 その着物はとてもきれいで、生地の滑らかさやその網目から、とても高価なものであるということが、すぐに知れた。

 サクラは着物を羽織り、帯を慣れた手付きで腰に巻き付けた。


 帯に刀の鞘を吊るし、眼帯を右目につける。

 視界の半分が塞がれ、遠近感が狂う。

 眼帯に隠れていない左碧眼をパチパチ瞬かせる桜に、母親が自身の眼帯に触れながら言う。


「最初は戸惑うこともあるでしょう。

 しかしすぐに慣れますよ」


 桜は頷き、着物の裾や折り目などを確認して、背を伸ばして母親に向き直る。

 サクラのその立ち姿に、母親が碧い瞳を細めて、ニコリと笑う。


「とてもよく似合っていますよ、桜。

 立派になりましたね」


「……ありがとうございます、お母様」


 母に褒められ、桜は素直に喜んだ。

 母親が淀みない所作で立ち上がり、桜の目の前まで歩いて近づく。

 母親が左手を上げ、自身と同じ桜色の、桜の髪をそっと撫でた。


「これから貴方は、これまでの修練に加え、その体の内に収めた、龍神様の力を御する術を会得しなければなりません。

 ただしそれは並大抵のことではありません」


 桜の髪を撫でていた母親の手が、ゆっくりと下り、桜の眼帯に触れた。


「その力がとても強大であり、危険なものであることはお話ししましたね。

 ゆえにその力の制御をひとたび誤れば、その力は貴方の心と体を蝕み、場合によっては――」


 母親が言葉を止める。

 だがサクラには、母親が止めた言葉の内容など、言わずとも知れていた。

 母親の眼帯に隠れていない左碧眼を、自身の眼帯に隠れていない左碧眼で見つめる桜。

 母親が、桜の眼帯に触れていた指を静かに下し、桜の肩に手を置いた。


「力とは恐怖が伴います。

 貴方がこれより立ち向かうものは、恐怖そのものです。

 それはとても辛いものとなるでしょう。

 しかし私は、貴方はそれを成し遂げると信じています」


「はい。

 必ず龍神様の力を制御し、轟家の宿命を立派に果たして見せます」


 力強く宣言する桜。

 母親が、一度打ち消していた笑みを、再び浮かべた。


 そして――


「もしも、貴方がその力を完全に制御することができたのでしたら――」


 母親が断言する。


「貴方はまさしく()()となります」




 クレオパスの一画。

 周囲の建物と比べ、一際大きな屋敷。

 そこは、クレオパス議会議員ハーマン・ルーズヴェルトが住む、自宅兼事務所であった。


 その屋敷の奥まった位置にある、ハーマンの寝室に、ダンカン・スコールズは居た。

 ベッドに腰掛けたハーマンと、向かい合わせになるよう椅子に座った彼は、こちらからの報告を聞いて、力なく顔を俯けたハーマンの姿を、息を詰めて見つめていた。


 報告から三分が経つ。

 ハーマンが、顔を俯けたまま、弱々しい声音で呟いた。


「……そうか……私の息子は……ハルは……助けることができなかったか」


「……申し訳ありません」


 椅子から立ち上がり、ダンカンは深々と頭を下げた。


「我々教会も力を尽くしたのですが、あと一歩のところでハーマン様のご子息は、卑劣な魔族どもによる銃弾に撃たれ、その尊い命を失ってしまいました」


「……息子の遺体は……あるのか?」


「それが……重ね重ね申し上げにくいのですが、ご子息の遺体は、魔族により持ち去らわれ、以前行方知れずです。

 すぐにでも全力をあげて捜索をしたいのですが……そうするわけにもいかない、火急的問題がありまして」


「……問題?」


 ハーマンが俯けた顔を僅かに上げ、ダンカンに視線を向けた。

 血の気が失せ、どんよりと目元を曇らせたハーマンに、ダンカンは躊躇いがちに、「ええ」と頷く。


「ハーマン様のご子息を誘拐――いいえ、殺害したその魔族から、人類に対して宣戦布告がありました。

 奴らは二百年前の戦争をまた引き起こすつもりです」


「戦争だと?」


 ハーマンが眉をひそめる。

 唐突に戦争だと言われても、さすがにピンとこないのだろう。

 ハーマンの心労を鑑みて、ダンカンは細かい説明は省き、要点だけを話す。


「魔族がご子息のハル様を誘拐、殺害に至らしめた理由が、その戦争を引き起こすためのようです。

 先んじて、奴らは今日の正午に、クレオパスを襲撃すると予告しています」


「……どうするつもりだ?」


 上の空のようなハーマンの問い。

 ダンカンは悩ましく眉をひそめ、ハーマンに告げる。


「本来ならば、中央政府に報告し、上の指示を仰ぎつつ騎士軍を編成するというのが、基本となるのですが、さすがに時間が足りません。

 クレオパスに常駐する騎士を可能な限り集め、私が自ら指揮を執り、魔族を撃退する所存であります」


「……そうか」


「ご心配には及びません。

 人類の力は魔族を遥かに凌駕しております。

 宣戦布告よりまだ日も浅く、魔族とて各種族との統制が不十分のはず。

 必ずや魔族を撃退し、その戦果をもって中央政府に報告、魔族を根絶やしにせよとの意向が、示されることでしょう」


「……そうか」


 ハーマンが掻き消えそうな声で呟き、おもむろに立ち上がった。

「ハーマン様?」と尋ねるダンカン。

 頼りない足取りで彼を横切り、ハーマンが部屋の出口へと向かう。


「……すまない。

 少し一人になって考えたいんだ。

 後のことは任せるよ」


「……承知しました。

 ご期待に沿えるよう、誠心誠意ことに当たらせてもらいます」


 言葉を聞いているのかいないのか、ダンカンに振り返ることなく、ハーマンが部屋を出る。

 ハーマンが部屋からいなくなった後も、直立不動の姿勢を保っていたダンカンだが、暫くして気が抜けたように、ガクンと膝を崩して椅子に腰を落とした。


 正直、殴られることさえ覚悟していたのだが、意外にもハーマンは冷静であった。

 息子の訃報に深く落ち込んではいたものの、自棄になった様子はない。

 だが――


(生きた心地が……しなかったな)


 ダンカンは小さく息を吐くと、奥歯を噛みしめて瞳を尖らせた。


(くそヴィレムの奴め……つくづく余計なことをしてくれたものだ)


 ヴィレムの言う通り、完全な自治を目指すという理由で、年々と縮小を余儀なくされていた教会も、戦争を契機としてその力を取り戻すことだろう。

 確かにそれは、ハル・ルーズヴェルト誘拐を計画した、ダンカンの目論見に則したものではあった。


 しかし――


(結果的に、私が教会長の座に着いていなければ、何の意味もないじゃないか)


 中央政府にまで影響力を及ぼす要人、ハーマン・ルーズヴェルト議会議員。

 そのご子息をむざむざ魔族に殺された挙句、中央政府への報告も怠っていた。

 このような失態を犯して、お咎めがないわけがない。

 減給だけで済まされるはずもなく、十中八九、教会長の座を追われることとなるだろう。


(忌々しい魔族め……ただでは済まさんぞ)


 とにかく今は、クレオパスを襲撃するという魔族を速やかに殲滅し、さらにハーマンに上手く取り入り、中央政府に減刑の嘆願を申し出るしかない。

 こちらの行動が、合理性のあるものだと理解が得られれば、首の皮一枚つながる可能性はある。


(魔族を完膚なきまでに駆逐し、私の有用性をハーマンにも中央にも知らしめてやる)


 ダンカンはそう決意して、椅子を跳ね倒して、立ち上がった。


==============================


 どうして存在しているのかも分からない。

 いつから存在しているのかも分からない。

 ただ気付いた時には、彼は独りで宛てもなく旅をしていた。


 自身が魔族であることは理解していた。

 そこに根拠があるわけではない。

 誰かに指摘されたわけでもない。

 初めて人間を見た時には、初めて魔族を見た時には、おのずとそれを理解していた。

 そしてそれと同じ理由で、彼は理解していた。


 自分が独りきりの種族なのだと。


 魔族の生態は各種族によって異なる。

 そもそも魔族自体が、生来に魔力を持つというだけで、生物学的につながりのある種の集まりではない。

 だが往々にして、魔族は同一種により、群れを形成して暮らしている。

 つまり仲間がいるものだ。


 だが彼にはそれがない。

 世界に唯一つの種である彼は、生まれながらに孤立していた。


 それを悲しいと思ったことはない。

 辛いと思ったこともない。

 彼は物事を深く考えない。

 事実を淡々と受け入れ、現実に逆らうようなことはせず、結果を認めてきた。


 彼がその男と出会ったのは最近だ。

 丁度、カッサンドラ地方のクレオパス近辺を旅していた頃、どうやってか彼の噂を聞きつけたその男が、彼に声を掛けてきた。


「初めまして。

 私の名前はヴィレム。

 ご覧の通り魔族でして――種族名は小人族です」


 丸眼鏡から赤い瞳を覗かせて、男がそう話した。

 彼は少々困惑した。

 ヴィレムという名前はもちろん、小人族なる種族と係わり合いになったこともない。

 一体自分に何の用事があるのか。

 率直にそう尋ねる彼に、ヴィレムと名乗った男が、恭しく言う。


「貴方様の宿命。

 そのお力になりたいと、馳せ参じた次第でございます」


「宿命?」


「貴方様はご自身が、二百年前に魔族を統率した魔王族であることを、ご存知ですか?」


 自身の種族名どころか、魔王族という言葉自体、彼は初耳だった。

 訝しく眉をひそめる彼に、ヴィレムが「致し方ありません」と微笑みを浮かべる。


「所詮は言葉など記号であり、それは都合の良いようにカテゴライズされた、本質とはほど遠い曖昧なものに過ぎません。

 しかし貴方様は、感覚として理解されていたのではないですか?

 自身が魔族であり、唯一の種であり、そして魔族を従える存在であると」


「何が言いたい?」


「光ある場所に、魔族を導いて頂きたい」


 魔族が光を望むとは滑稽な。

 彼はそう感じた。

 だがすぐに彼は、その自身の考えを否定した。

 闇より生まれし魔族。

 その認識を広めたのは人間であり、本来生物に光も闇もない。

 二百年前の戦争の勝者である人間が、自らを光と称し、敗者を闇と分類しただけだ。


 ヴィレムが先程話したように、言葉とは曖昧で、定まりがない。

 人間が光であり魔族が闇という時もあれば、それが逆転することもある。

 つまりヴィレムは――


 魔族が勝者(ひかり)になることを望んでいる。


「小人族は二百年前の時代において、魔王アラン様の参謀を務めた種族であります。

 残念ながら二百年前に、我ら魔族の大義を果たすことは叶いませんでしたが、貴方様を新たな魔族の頭――魔王として迎え入れ、今一度その大義のために戦う所存であります」


 淀みなくそう話すヴィレムに、彼は率直な意見を口にした。


「興味ない」


 ショックを受けるか、或いは憤怒するか。

 そのどちらかの反応を予想していたが、ヴィレムの見せた反応は、そのどちらでもなかった。

 彼はただ――


 にこやかに微笑むだけだ。


「恐れながら申し上げます。

 これは貴方様の宿命であり、貴方様の意志は関係がございません。

 宿命とはその在り方であり、存在の意義そのものでございます。

 貴方様がなぜ強大な力を持つのか。

 それは闘争を本能とする魔族を力で従えるため。

 貴方様がなぜ孤立した種族なのか。

 それは魔族の頭は常に一つでなければならないため」


 サングラス越しに見える、ヴィレムの赤い瞳が、怪しげに瞬く。


「貴方様の力や境遇、その全てが、貴方様を魔王とすべく存在します。

 貴方様が否定しようと拒絶しようと、貴方様の在り方が、貴方様をそこに向かわせます。

 ならば宿命という潮流に逆らわず、気ままに流されることが宜しいでしょう。

 貴方様はただそれをするだけで、貴方様の在り方を満たし、存在の意義を得ることができるのですから」


 ヴィレムの言葉が真実なら、確かに宿命とやらに逆らうことは面倒なことだ。

 物事に興味がないのなら、それこそ気楽な道を辿りたい。

 そう思う。

 そして何よりも――


(俺の孤立(きょうぐう)が宿命に向かわせるためにものなら、それに逆らう限り俺は――独りだ)


 くどいようだが、それが悲しいとは思わない。

 辛いとも思わない。

 ただ――


(仲間がいるというのを――体験するのも悪くないかもな)


 彼はそう思い直し――


 ヴィレムの話を詳しく聞くことにした。


==============================


「ハンネス様。

 そろそろ屋敷を出ましょう。

 ゆっくりと歩いていけば、現場に着くころには丁度、魔族と騎士軍とが衝突している時間帯のはずですからね」


 ヴィレムの言葉に、彼――ハンネスは一つ欠伸をして、ベッドで上体を起こした。

 ヴィレムの広い邸宅。

 その地下にある殺風景な部屋が、ハンネスに割り当てられた個室だった。

 一応クレオパスに、ハンネス個人が所有する屋敷――ヴィレムが用意した――もあるが、作戦の決行も近いということもあり、昨晩はこの部屋で眠ることにしたのだ。


 ボサボサの黒髪を掻きながら、ハンネスは眠気眼でヴィレムを見据えた。


「……面倒だ。

 準備もろくに整っていない段階で、人間に襲撃を掛ける意味があるか?」


「お話ししたでしょう。

 戦争の開戦を意味するものですよ」


 ヴィレムが口髭を指先で撫でつつ、「それと……」とさらに言葉を加える。


「ハンネス様の存在を世間に知らしめるための、一種のパフォーマンスでもあります。

 魔王族であるハンネス様の存在は、人間の行動を抑止する意味においても、魔族の士気を高める意味においても、重要なものですからね」


「それこそ……俺には意味がないように思えるがな」


 だがヴィレムがそう言うのなら、そうなのだろう。

 まだ短い付き合いではあるが、この男が、情勢を見抜き、それを操作する術に長けていることは、彼も理解していた。


「念のため、騎士軍の存在には注意しておいてください。

 魔族の襲撃を迎え打つため、クレオパスの全兵力を正門に注ぎ込んでいるため、杞憂とは思いますが」


 ヴィレムの言葉に頷き、ベッドから立ち上がるハンネス。

 いつものように、パーカーのフードを被ろうとし、その手を止めた。

 もう魔族であることを隠す必要はない。

 ハンネスは黒い角と赤い瞳をそのままにして、ヴィレムに従い部屋を出た。


 屋敷の玄関を抜けて庭園に出る。

 そこは庭園とは名ばかりの、背の低い雑草すら生えていない、茶けた土がむき出しの場所だった。

 手入れの手間を省くため、除草剤を撒いているのだと、以前にヴィレムが語っていた。


 庭園の周囲は高い塀に囲まれており、塀の上には有刺鉄線が張り巡らされていた。

 門扉もまた内側から固く閉ざされ、望まない来訪者を無言に威圧している。


 もっとも、それだけの設備を施しても、その効果が望めるのは人間に対してだけであろう。

 程度にもよるが、強力な魔族であれば、その塀を跳び越えて敷地に侵入することも、門扉を破壊して敷地に侵入することも、容易いことだ。

 だからこそ――


 ハンネスは、庭園に()()()がいることに、驚くことはなかった。


「残念。

 出てきてしまったか。

 屋敷に放火して炙り出してやろうと思ったんだがな」


 女が唇をニヤリと曲げてそう言った。

 ヴィレムの眉間に深い皺が寄る。


「……どうして貴方がここに?」


「当ててみろよ。

 今度こそ飴ちゃんを獲得できるチャンスだぞ」


 女の軽口に、ヴィレムが表情を険しくする。

 小さく溜息を吐くハンネス。

 庭園の中心に立つ女を視界に映しながら、彼はゆっくりと足を踏み出した。


「……忘れ物を取りにきた……というわけでもないだろうな」


「借りたものを返しにきたんだ」


「律儀で結構だが……覚えがない」


「そっちになくても、こっちにはあるんだ」


 庭園に風が抜けた。

 女の腰まで伸びた薄紅色の髪と、ローブに似た花柄模様の奇妙な衣服が、風に揺れて大きくはためく。

 その揺れが丁度収まった時――


 女が腰に下げた剣の柄に手を触れた。


 歩く足を止めるハンネス。

 女との距離は五メートル。

 一息には踏み込めないギリギリの距離。

 剣の柄に掛けられた女の手に意識を向けつつ、ハンネスは口を開いた。


「……お前は無関係だ。

 なのに、なぜ戦う」


「決まっている……プライドのためだ」


 女が、その眼帯に隠れていない左碧眼を鋭くし、黒塗りの鞘から剣を引き抜いた。

 根元から切断された片刃の剣。

 ハンネスに切断面を突きつけるように剣を構え、女が――


 サクラ・トドロキが言い放つ。


「私を舐めた奴は――誰であろうと叩き潰す」


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