乙女の意識がない隙に、勝手に服を脱がして治療するな!(4)
ヴィレムに言われずとも、この自身の腕に抱かれた少年を、病院に連れて行く意味がないことは、サクラも悟っていた。
だからこそ彼女は、どこに立ち寄ることもせず、宿泊予定であった宿に向けて、足を速めた。
すでに日は沈み、辺りは重苦しい闇に包まれていた。
どうやら銃弾に撃たれ気を失っている間に、半日以上の時間が経過していたらしい。
サクラは、街を訪れる前に確認しておいたクレオパスの地図を、頭の中に思い浮かべつつ、街灯に照らさた街を進んだ。
一時間ほど掛かり、宿屋に到着する。
小人族とつながりがあるだろう店主に見つからないようにすべきか考えるも、今更のことだと思い、サクラは正面玄関から宿に入った。
受付に店主の姿はなかった。
何となく拍子抜けしつつ、サクラは自身が借りている部屋へと、廊下を歩いて向かう。
扉を開けて部屋に入る。
当然ながら誰もいない。
だが――
「……こいつは?」
ベッドの上に、一枚の便箋が置かれていた。
ベッドに近づき便箋を確認する。
便箋にはどこかの酒場と思しき名前が記されていた。
「……つまり、ここに来いってことか」
サクラは小さく嘆息した。
酒場モルダー=ブラウン。
クレオパスの中心部から離れた位置にあるその店は、どちらかと言えば、地元の人間が好んで足を運んでいそうな雰囲気の酒場であった。
建付けの悪い扉を開けて、酒場に入るサクラ。
店内は半分以上の席が空席であった。
店内に視線を巡らして目的の人物を探す。
目的の人物はひどく目立つため、すぐに発見することができた。
サクラは早足に、その目的の人物が囲うテーブル席に近づく。
近づいてくるサクラの気配に、彼らがこちらへと振り返る。
「姐さん、無事だったか」
「ほら、あたしの言った通りでしょう?
サーチンは不死身なんだよお。
てか、この世界の可愛いものは全部全部、不死身でゾンビでゴーストチックな素材なのお、キャハ☆」
餓鬼族のゴードン、そして液状族のリーザが、サクラに声を掛けてくる。
相変わらず生真面目な態度のゴードンと、相変わらずふざけた態度のリーザ。
その二体の魔族が酒を飲み交わしているテーブル席に、サクラも無言で着いた。
マントで全身を隠し、サングラスとマスクで変装したゴードンが、サクラに尋ねてくる。
「姐さんも何か飲むか?
なかなかに珍しい酒が置いてあるぞ」
「……私は未成年だ。
酒など勧めるな」
仏頂面でそう話すサクラに、煌びやかな衣装を着たリーザが、ケラケラと笑う。
「不便だよねえ、人間って。
液体ぐらい自由に飲ませればいいのにねえ」
「液体そのモノのお前が、何でもかんでも飲み食いする方が、不自然だけどな」
サクラの言葉に、「そっかな?」とニコニコ笑いながら、酒をあおるリーザ。
客がまばらとはいえ、魔族の彼らが人間の街で、こうも堂々と飲み食いしているというのは、奇妙な気分だ。
サクラは、酒をたしなむ魔族を順番に見回し、口を開いた。
「何があった?
簡潔に話せ」
「……ふむ」
ゴードンが空のグラスに酒を注ぎながら、サクラの問いに答える。
「姐さんが宿を留守にしている間、小人族の遣いだという者が現れた。
確か時刻は、今朝の九時過ぎだと記憶している。
その者が、ハル・ルーズヴェルトとサクラ・トドロキの両名をこちらで預かっている旨を伝え、そしてこのような手紙を渡してきた」
ゴードンが懐から一通の封筒を取り出す。
何の面白味もない一般的な茶封筒で、すでに中身を確認した後なのか、封筒の端が破られていた。
気だるく手を振るサクラ。
ゴードンが小さく頷き、封筒を懐に戻した。
「手紙には色々と書かれていたが、要約するとこうだ」
一度言葉を区切り、ゴードンがこう続ける。
「人間との戦争が始まる。
全ての魔族は武器を手に取り、人間と戦え」
手紙の内容が予想通りものであったため、サクラは特に反応を示さなかった。
リーザが枝豆を美味しそうにパクつきながら、ゴードンの言葉を補足する。
「手紙の内容ではねえ、明日の正午にクレオパスに魔族で襲撃を掛けるみたい。
まあ、それはあくまで開戦を示すもので、本気でクレオパスを潰すつもりはないみたいだけどお。
それでその戦いにはねえ、小人族の支配下にある各種族の寄せ集めを利用するらしいんだけどお、その戦力強化として、あたし達にも手伝ってほしいんだって」
「……それで、お前はそれをどう見てる?」
サクラの簡潔な問い。
リーザが何かを投げ捨てるように両手を広げる。
「もちろん――馬鹿げてるよお。
人間と戦ったって、勝てる見込みなんてないんだもん。
犬死なんて御免だよお。
あたしはずっと可愛い可愛い平穏な人生を送りたいのお」
おちゃらけた調子でそう話すリーザ。
彼女らしい反応だ。
まだ短い付き合いだが、闘争を本能とする魔族でありながら、彼女は積極的な争いを望んでいない。
仕掛けられれば躊躇なく応えるだけの気概はあるも、自らそれを先導することはない。
そしてそれはゴードンにも言えた。
こちらも決して長くない付き合いだ。
だが彼は、そこいらの人間などよりもよほど、義を重んじている男だ。
どちらに勝敗が転ぼうとも、両者に多くの犠牲が出るだろう戦争を、彼が望む理由などはない。
だがしかし――
(こいつらが個人的に、どんな思想を抱いていようと――魔族であることに変わりない)
サクラのその懸念を証明するように――
リーザが悩ましげな色を表情に浮かべ、頭上に掲げていた両手を静かに下した。
「……でもね、本当の本当に人間と魔族とで戦争が起こるなら、あたしは魔族側に付かざるを得ないかなあ。
小人族の思惑通りだなんて頭には来るけどねえ」
リーザの言葉に、ゴードンが「……残念だが俺も同感だ」と呟き、酒をあおる。
「何とも腹立たしいが、だからといって俺の仲間が人間にむざむざと殺されるのを、黙って見過ごすわけにはいかん。
個人的に人間に恨みはないが、戦わざるを得ないだろう」
餓鬼族のゴードンと、液状族のリーザ。
彼らの忌憚ない意見に、サクラは沈黙した。
彼らの判断は仕方のないことだ。
それは人間と魔族との戦争に拘わらず、国と国との戦争であろうと同じだろう。
それまでどれほど友好的で、協力関係にあった隣国であろうとも、ひとたび戦争が始まれば、互いが互いの立場をかけて、戦わざるを得ない。
戦争という大きな潮流において、個人の感情など何の意味も持たないのだ。
ゴードンとリーザ、そしてサクラが、ともに口を閉ざして沈黙する。
空気を微かに揺らす酒場の喧騒。
その形のない雑音が、そこに沈殿する静けさを、より際立たせていた。
その静寂を破ったのは、ゴードンであった。
彼は空になったグラスを指先で弄びながら、サングラス越しにサクラを見やり、躊躇いがちに口を開いた。
「……姐さんは、どうする?」
ゴードンの問いに対し、すぐに答えを返さないサクラ。
眼帯に隠れていない左碧眼を、やや俯けさせて、テーブルの上を意味なく見つめる。
沈黙するサクラを、リーザも注目していた。
いつもふざけた調子の彼女が、神妙な顔をしてこちらを見つめている。
サクラは小さく息を吐き、やや俯けていた視線を、やや頭上に傾けた。
視線の先に、特に何かがあるわけではない。
だがサクラは、その何もない空間に、目的とするものが確かに存在しているかのように、その碧い瞳を固定して揺らさない。
サクラは――口を開いた。
「私は初めに言ったように、人間にも魔族にも付くつもりはない。
所詮は根無し草だからな。
この地方で戦争が始まれば、戦争のない地方に逃げ込んで、気楽に暮らすさ」
サクラの答えに、ゴードンとリーザが、どこかほっとしたように、表情を綻ばせる。
「……そうか。
こういうのもなんだが、姐さんと戦わずに済んで安心した」
「サーチンとのお別れは、ちょっと寂しいけどねえ。
こればかりは仕方ないかなあ」
ゴードンとリーザがそれぞれそう話し、サクラから視線を外す。
ゴードンは空になったグラスに酒を注ぎ、リーザは再び枝豆をパクつき始める。
そんな彼らを視界の端に映したまま、サクラは頭上を見上げていた。
ぼんやりと何もない空間の一点を見つめ――
ポツリと言う。
「――ただ巻き込まれただけ」
「ん?」
サクラの呟きに、ゴードンとリーザが同時に、サクラへと振り返る。
ゴードンのサングラス越しに瞬く赤い瞳と、リーザのきょとんと見開いた青い瞳。
彼らの困惑を浮かべたその視線を無視して、サクラはうわごとのように、唇から言葉をこぼしていく。
「――死ぬ必要がないから生かした」
「……姐さん、何の話だ?」
「――邪魔になるとは思えない」
「……ねえサーチン。
ホントどうしたの?」
「――興味がない」
ゴードンとリーザの疑問を無視して、サクラはそこまで呟くと、おもむろに立ち上がった。
サクラの奇行に、ぽかんと目を丸くするゴードンとリーザ。
サクラは、まるで弓を引くように、まるでバネを圧し潰すように、ゆっくりと右腕を振り上げると――
「――ふっ」
全力で右拳を振り下し――
「――っざけんなああああああああああああああああああああああああああああ!」
目の前にあったテーブルを、右拳で粉々に打ち砕いた。
「うおおおおおおお!?」
「いやああああああああああん!?」
ゴードンとリーザが、驚愕して悲鳴を上げる。
砕けたテーブルから散乱する、グラスと酒瓶、そして酒の肴と食器類。
それらがほぼ同時に床に落下して、激しい物音を立てた。
まばらな客で、小さな喧騒に包まれていた店内。
そこに突如鳴り響いた騒音に、喧騒は一瞬にして打ち消され、それに取って代わり、凍りつくような静寂が店内を満たした。
店内の客の視線がサクラに集中する。
周囲から向けられる、突き刺さるような奇異の視線。
それを意に介さず、サクラはテーブルを打ち砕いた拳を、ブルブルと震わせていた。
同時に唾を呑み込むゴードンとリーザ。
リーザがゴードンを見やり、視線だけで何かを合図する。
ゴードンがひどく躊躇いつつ、サクラに口を開いた。
「……あの……姐さん?
何がどういうことなの……でしょうか?」
なぜか敬語で尋ねてくるゴードン。
だがサクラは、そのゴードンの疑問には答えず、ギラリと左碧眼を凶悪に尖らせた。
犬歯を鋭く剥き、歯ぎしりしながら言葉を紡ぐ。
「邪魔にならない?
興味がない?
この私を雑魚扱いか?
まったく……言ってくれるじゃないか。
こんな屈辱的なことは初めてだ……私を舐めやがって……」
ガンッ!
と床を力強く踏みつける。
鉄板が仕込まれたブーツの底に、床板が無残にも踏み抜かれた。
またもざわつく店内。
だがサクラは、そのような雑音など耳にも入らず、ギリギリと噛みしめた歯の根の隙間から、怨念のごとくブツブツと声を漏らす。
「上等だ。
戦争が起ころうが何だろうが知ったことじゃないが、そこまで言うなら、徹底的に邪魔してやろうじゃないか。
私を舐めてくれたこと、ビービー泣いて、ゲロ吐いて、靴の裏を舐めて、全裸で聖書を朗読するほどに、とことん後悔させてやるからな」
サクラは、呆然とするゴードンとリーザを睨みつけ、高圧的に命令する。
「お前らも手伝え。
あのクソどもに目にもの見せてくれんだ」
「え……あ……姐さん?」
「えっと……話が見えないんだけど?」
「やかましい!」
困惑の表情を浮かべるゴードンとリーザを、サクラは理不尽に一括した。
「何でもいいから手伝え!
私は相手を見下すのも舐めるのも大好きだが、見下されるのも舐められるのも大っ嫌いなんだよ!
あの根暗な男も丸眼鏡のおっさんも、刻んで潰してジャンケンポンしてやらないと、腹の虫がおさまらないんだあああ!」
「いや……しかし俺達は魔族で……」
「そうそう……人間側に付くのは……ねえ?」
「はあ!?
何言ってんだお前ら!
誰が人間に付けって言った!?」
サクラは、バンバンと自分の胸を叩きながら、ゴードンとリーザに唾を飛ばす。
「私は――私に付けと言ったんだ!
人間だか魔族だか戦争だか知ったことか!
お前達はこの私――サクラ・トドロキに付いて、戦えって言ってんだよ!」
サクラのこの発言に、ゴードンとリーザがはっと目を見開く。
サクラはまたダンダンと地団太を踏み、床板を破壊すると、ゴードンとリーザを順番に指差し、吠え猛る。
「第一、お前らは私に敗北して、私が頭だとか何だとか抜かしていただろうが!
だったら頭である私の命令に従え!
人間も魔族も関係なく、私の敵がお前らの敵だ!」
一息にそう言い切り、ぜえぜえと呼吸を荒げるサクラ。
酸素不足にあえぐ彼女を、ゴードンとリーザが無言で見つめている。
暫くして、サクラから視線を外したゴードンとリーザが、互いに何かを確認し合うように、顔を向き合わせて、視線を交差させた。
魔族が視線を合わせていたのは、十秒にも満たない時間だった。
その間、二体の魔族は声を出すことはおろか、僅かな身動ぎさえすることはなかった。
餓鬼族と液状族。
異なる二つの種族。
その二体の魔族が、互いの視線だけを介し、何かを伝えあっている。
そして――
ゴードンが、マスクに隠したその口から凶暴な牙を覗かせて、笑った。
「なるほど。
確かに姐さんに付くのなら、何の問題もないな」
ゴードンに続き、リーザが左右のツインテールを揺らしながら、カラカラと笑った。
「だねだね。
そもそも、あたし達はサーチンに喧嘩で負けてるからねえ。
頭であるサーチンの命令は絶対だしい、もうこればかりはサーチンに従うしかないよお、キャハ☆」
誰かに言い訳するように、ゴードンとリーザがそう話して、二体同時にサクラへと振り返った。
まるで悪戯を企んでいる、子供のような笑みを浮かべる二体の魔族。
その魔族の笑みにつられ、サクラもまた怒りの感情をそのままに――
表情に凶悪な笑みを浮かべた。
「――決まりだな」
帯に吊るしていた刀を鞘ごと引き抜き、サクラは鞘の先端を床にガンッと突き立てた。
眼帯に隠れていない左碧眼と、眼帯に隠れた右赤眼に、刃のような鋭い眼光を湛え――
サクラは宣言する。
「戦争を――止めるぞ」




