乙女の意識がない隙に、勝手に服を脱がして治療するな!(2)
ハンネスの部屋から廊下を歩くこと暫く、ヴィレムはとある部屋の前で立ち止まった。
「この部屋に入ってください」
穏やかにそう告げるヴィレム。
彼の右手に構えられた拳銃。
その銃口に睨まれている金髪の少年、ハル・ルーズヴェルトが、澄んだ金色の瞳に、緊張の色を滲ませた。
少年が部屋の扉を、躊躇いがちに開ける。
開いた扉の隙間に体を滑り込ませ、部屋に入る少年。
ヴィレムもすぐに少年の後を追い、部屋に入室した。
この部屋は客室として使用されている。
部屋の広さは四十平米ほど。
揃えられた家具は高価な物ばかりだが、決してけばけばしいということはなく、全体的に落ち着いた色合いで、統一されている。
部屋の中心に置かれた猫足のテーブルと、それを挟み込むように両脇に置かれている革製の二脚のソファ。
そのソファの一つに――
四十代後半と思しき、スーツを着込んだ白髪交じりの男が座っていた。
「遅いぞ、ヴィレム。
呼びつけておいて、こうも待たせるとはどういう了見だ」
「申し訳ありません。
こちらも想定外のことがありましたので……」
ヴィレムはそう笑顔で釈明すると、男の対面のソファに、腰を下ろした。
「想定外?」と訝しげに眉をひそめる男。
ヴィレムは拳銃を懐にしまうと、手をハラハラと振った。
「ああ、ご心配には及びません。
計画には何の支障もございませんので」
ヴィレムの返答に、男がふんと鼻から息を吐く。
そして男の視線が、扉の近くで居場所なく佇んでいる金髪の少年に向けられた。
値踏みするような男の視線に、少年が困惑の表情を浮かべる。
少年を見つめる男の口元が、ニヤリと曲がった。
「ハル・ルーズヴェルト。
どうやら回収は成功したようだな」
「ええ。
少々手間取りましたが、この通り怪我もなく、無事にことを終えましたよ」
「当然だ。
ハーマン様のご子息だ。
怪我でもしようものなら、私とて庇いきれんぞ」
口元に浮かべた笑みを打ち消して、男が昂然な態度でそう話した。
男に見覚えがないのか、戸惑うように目を瞬かせる少年。
ヴィレムは男を手で指し示し、少年に振り返る。
「ハル君、紹介します。
彼はキシリア教クレオパス支部教会、教会長のダンカン・スコールズ様です。
今回、ハル君の捜索において全体的な指揮を取られていた方なんですよ」
「キシリア教……教会の人?」
ますます困惑したように、少年の眉が訝しげに曲がる。
「教会の人がどうしてここにいるの?
だってこの人達は……えっと魔族で……」
「このお方は、私達小人族にとって、大切なビジネスパートナーなんですよ。
そもそも今回の、ハル君誘拐における一連の計画は、彼が立案したものですからね」
その言葉に衝撃を受けたのか、少年が金色の瞳を見開く。
ヴィレムの対面に座る男――ダンカン・スコールズが、「ビジネスパートナーだと?」と不満げに眉根を寄せる。
「魔族風情が図に乗るな。
私と貴様らの立場は対等ではない。
魔族にしては、それなりに利用できるから使ってやっている。
今回がそうであるようにな」
「これは、失礼な発言をお許しください。
もちろん、ダンカン様には支部教会長となられる以前より、様々な便宜を図っていただき、小人族一同、感謝しております」
恭しく頭を下げるヴィレム。
ダンカンが小さく頭を振り、少年に再び視線を向ける。
「怖い思いをさせてしまい申し訳ありません、ハル・ルーズヴェルト様。
しかしどうかご理解して頂きたい。
これも全ては、クレオパス並び、カッサンドラ地方のためなのです」
「……どういうことなの?」
困惑する少年からの問い掛けに、ダンカンが丁寧な口調で話を始める。
「少し難しい話ですが、ハル様にはぜひご理解いただきたいゆえ、お話しいたします。
クレオパス並びカッサンドラ地方では、自治による政治運営を進めております。
それゆえ貴方様のお父上、ハーマン・ルーズヴェルト様はかねてより、中央政府に従属する我々教会の規模を縮小し、教会の代替となる自警団なる組織の強化に努めてまいりました」
クレオパスの政治を動かしているのは、都市民からの投票により選出された、複数人からなる議会議員だ。
その議員の一人として、ハル・ルーズヴェルトの父親である、ハーマン・ルーズヴェルトがいる。
クレオパス並びカッサンドラ地方の自治化は、議会議員が長い年月を掛けて進めてきた、政策の中心に位置づけられる議題であった。
ダンカンが小さく息を吐き、その表情を沈痛に曇らせた。
「自治による治安維持という、そのハーマン様のお考えは、とても素晴らしいものと思います。
しかし残念ではありますが、理想だけが先行し、現実に盲目になられている。
人間だけを罰する組織というのであれば、あるいは自警団でも良いのかも知れません。
しかし現実はそうではありません。
私達人類は、凶悪な魔族とも戦っているのですから」
ダンカンの視線が、一度魔族であるヴィレムに向けられる。
無感情なダンカンの視線を、薄い微笑みを浮かべて見返すヴィレム。
ダンカンが再び少年に視線を戻す。
「魔族と対抗できるのは、強大な組織力を持つ教会だけです。
だというのに、ハーマン様はその人類を守るべく教会の力を、奪い取ってしまっているのです。
確かに、近年は魔族も大人しくしている傾向にあります。
ですがそれはあくまで、教会の力により抑えつけているがゆえに過ぎません。
もしも教会の力がこれ以上弱まるようなことがあれば、必ずや魔族らは人類に反旗を翻し、その牙をもって襲い掛かってくることでしょう」
徐々に声の調子を上げていたダンカンが、ここでふと、口を閉ざして言葉を区切った。
ひどく悲しげな視線で少年を見やり、ダンカンが小さく頭を振る。
「……私はハーマン様に、そのことをご理解して頂きたかった。
ゆえに私は、ハーマン様のご子息であられる貴方様を、魔族に誘拐させたのです。
魔族がいかに危険で恐ろしいものなのか、そして教会がいかに必要な存在なのか、実感して頂くために」
そう力なく話をして、ダンカンがソファから立ち上がる。
ダンカンの話を聞いて、言葉なく呆然とする少年。
その少年に向けて、ダンカンが深く頭を下げた。
「私のしたことが、ひどく恐ろしいものだということは、自覚しております。
ハル様にも怖い思いをさせてしまったこと、心苦しく感じております。
しかし、それでも必要なことでした。
人類を魔族の脅威から守るために、私は自らを奮い立たせたのです」
下げていた頭を上げ、ダンカンが「考えても見てください」と、少年の瞳を見つめる。
「今回の事件は、私の狂言でありました。
しかし魔族がその気になれば、同様の事件を起こすことは可能なのです。
その時は当然、ハル様の命の保証はできません。
私達人類は常に、そのような巨悪がすぐ近くにいることを、自覚しなければならないのです」
一度落とした声の調子を再び上げ、ダンカンが演説でもするように、両手を広げる。
「教会には力が必要です。
魔族を抑え込めるだけの力が必要なのです。
そして私はさらにその先を見据えています。
魔族を抑え込みその力を利用するのです。
今回の事件がそうであるように、教会の力により魔族を支配する。
それこそが、人類が平穏に生きる唯一の方法であり、そして、それができる人間は、私をおいて他におりません!」
ここでまた、ダンカンが上げた調子を、静かに落とす。
状況の変化に付いていけてないのか、先程から一言も声を発していない少年に、ダンカンが穏やかな口調で言う。
「貴方様に全ての事情をお話ししたのは、貴方様が聡明な方であり、それをご理解いただけると信じたからです。
貴方様は将来、お父上の後を継ぎ、議会議員としてカッサンドラ地方を統治されるお方です。
その際に、教会がいかに重要な役割を担い、治安維持のためになくてはならない存在なのか、真に理解していて欲しかった」
そして、ダンカンが大きな仕事をやり遂げたように、疲労の滲んだ笑みを浮かべた。
「ハーマン様も、この事件を契機に教会への施策を考え直してくれることでしょう。
しかしその際には、ハル様の口利きも必要となります。
どうか私の考えに賛同し、お力をお貸しください。
それでも、このような事件を引き起こした私を許せないと、そう判断されるならば、このダンカン・スコールズ、どのような罰も謹んでお受けする所存です」
粛々と話をするダンカン。
だがすぐに「しかし」と、彼が表情に鋭い刃を閃かせる。
「この事件が私の主導したものであろうと、魔族がそれに協力した事実は変わりません。
下手をすれば二百年前のように、人類と魔族の戦争を引き起こしかねません。
私はそれを回避するために、ハル様を無傷でお父上にお届けし、事件に関与した魔族を早急に処罰いたします。
もちろん、その魔族はこのヴィレムが用意するものですが……何にせよ、私が捕まるようなことになれば、人類と魔族の戦争を止めることはできないでしょう」
顔を蒼白にするハル。
その少年の反応を見て、ダンカンが満足げに微笑む。
「一度根付いた魔族への不信感は、簡単には払拭できません。
貴方様のお父上は必ず、中央政府にことの顛末を報告し、騎士軍によりカッサンドラ地方の魔族を、殲滅することでしょう。
そうなれば、被害者の貴方様が何を話そうと意味はない。
教会とハーマン様を止めることができるのは、その両者と強いつながりのある、私だけです」
ダンカンの発言を簡潔に説明するなら――
彼は戦争をちらつかせ、ハル・ルーズヴェルトを脅迫しているのだ。
この話を暴露すれば、二百年前のような人類と魔族との戦争が起こる。
それを回避したければ、この話は決して口外せず、共犯になれと、ダンカンは少年に迫っている。
冷静に考えて、ダンカンの発言はあくまで可能性の一部であり、本当に戦争が引き起こされるかは不明確だ。
教会や中央政府、そしてハーマンが、首謀者であるダンカンの罪をより重く捉えれば、戦争が引き起こされることはないのかも知れない。
だがまだ少年であるハル・ルーズヴェルトにはそこまで理解できない。
ダンカンの話した推測が、あたかも定められた未来のように考えているはずだ。
(いや……仮に気付いていたとしても、変わりはないか)
人類と魔族との戦争。
その可能性が僅かにも存在するのなら、少年はダンカンの指示に従わざるを得ない。
ダンカンもそれを理解しているからこそ、自身の罪を洗いざらい告白し、少年に共犯者となるよう、迫っているのだろう。
そして事実、少年はダンカンの告白を真剣な面持ちで聞いていた。
怯えからか、蒼白にした表情を強張らせているが、ダンカンの誘いを真っ向から拒絶する様子はない。
少年がダンカンの誘いを受ける。
それはもう時間の問題と思われた。
(なんと狡猾な男か)
ヴィレムはダンカンをそう評価する。
魔族のみならず人類さえも利用して、自身の目的を果たす。
その野心の強さは、ある意味では魔族よりもそれらしい。
ダンカン・スコールズが立案した計画の終着点。
それはもう間近に迫っていた。
そしてダンカンより依頼された、ヴィレムの役割もまた、すでに完了したといえるだろう。
ゆえにここから先は――
(我々……魔族の計画を始めさせてもらう)
ヴィレムは口元に笑みを浮かべると、懐に手を入れて――
ホルスターに収められた、拳銃のグリップを握った。




