アイドルに興味はないが、そこに付随する金には興味がある。(3)
クレオパスを訪ねた理由は、もちろん観光ではない。
魔族により誘拐されたハルを親元に送り届けて、謝礼金をがっぽりと頂くことが、クレオパスを訪ねた理由だ。
街の正門前で行われていた検問は、サクラの心に深い傷を残したものの、どうにか突破することができた。
その成果に最も貢献した者をあげるとするなら――
液状族のミリィだろう。
アイドルユニットとそのマネージャー。
その団体に扮するために、ミリィは液状化させた体で、否が応でも目立つ巨漢のゴードンの全身を包み込み、表面を変化させて肥満の男性へとその姿を変えたのだ。
さらに、ハルや武器の類などの手荷物をゴードンに抱えさせ、それらもまとめてミリィが包み隠したことで、偽装をより完璧なものとした。
ミリィが擬態している間、ゴードンが喋ろうものなら、声がこもり奇妙なものとなる。
そのため、マネージャーでありながら人見知りという、少々強引な設定になりはしたが、ミリィの活躍があってこそ、サクラ達は無事にクレオパスへ侵入できたと言える。
ゆえに、文句を言うことがお門違いであることは、サクラも理解していた。
だがそれでも、どうしても一言だけ愚痴らずにはいられず、サクラは仏頂面でぼやいた。
「できれば、宿までそのマネージャーの姿のままでいて欲しかったな。
検問を抜けた途端に元の姿……まあそれが元の姿でもないが……とにかく女性に戻らなくてもいいだろ」
「そうは仰りますが……」
硬いスプリングのベッドに腰掛けたサクラに、ミリィが眉間に皺を寄せて言う。
「醜悪な容姿になるというのは、液状族にとって遺憾きわまるものです。
リーザのためと割り切りましたが、本来なら一分一秒とてあのような姿にいたくありません」
液状族の拘りということか。
理解したわけではないが、どちらにせよ検問を過ぎてからは、街中に教会関係者の姿は見えなかったため、それ以上の追及は止めておく。
その代わりではないが、次はゴードンを睨みつけ、サクラは唇を尖らせた。
「そもそも、無駄に目立つお前が付いてくるのが悪い。
森に帰ればよかったんだ」
「……そう言ってくれるな、姐さん」
困ったように頭を掻き――変装グッズ一式は外してある――、ゴードンが言う。
「姐さんが魔族を助ける気がないのは、分かっている。
それは姐さんの考えだから、否定するつもりもない。
だが俺も餓鬼族の元頭として、この状況に何もせずにはいられん」
「そういうことだよお、サーチン」
サクラの右隣に腰掛けたリーザが、ニッコリと微笑んで、ゴードンに助け舟を出す。
「あたし達は、サーチンの邪魔はしないよお。
むしろ検問の時みたいに、手助けしてあげるつもりだよお。
ただハル君を親元に返す時、あたし達も一緒にいたいのお。
そうすれば、液状族と餓鬼族は敵意がないって伝わって、仮に騎士軍による魔族への報復がされても、あたし達だけは助かるかも知れないじゃん?
キャハ☆」
自身の種族さえ助かるのならば、他の魔族は滅んでも良いとするリーザの発言は、ともすれば冷たいようにも聞こえる。
だが魔族と一括りにされているとはいえ、魔族とされている種族間に、生物学的なつながりがあるわけではない。
それを踏まえれば、リーザの自身の種族だけを気に掛ける発言は、別段おかしなものでもないのかも知れない。
リーザの言葉を受け、サクラはひどく不満げに眉をひそめた。
「検問を抜けるのに、液状族の能力が必要だったのは認める。
だが魔族を連れて、ハーマン議会議員の屋敷に向かうってのはな……何を勘繰られるか分かったもんじゃない」
「頼む姐さん。
迷惑は絶対に掛けない。
ただ一緒にいさせてくれるだけでいいんだ」
背筋を伸ばして、頭を下げるゴードン。
だがなお渋い顔をするサクラに――
「サクラお姉ちゃん」
ハルが話し掛けてくる。
サクラの左隣に腰掛けた少年が、眉尻を落として言う。
「ゴードンおじさんも、リーザお姉さんも、可哀想だよ。
何とかしてあげて」
人間であるハルが、魔族を味方する発言をしたことが意外だったのか、ぽかんと目を丸くするゴードンとリーザ。
金色の瞳を一心に向けてくる少年に、サクラは溜息を吐く。
線が細く軟弱に見える少年だが、その実はかなりの頑固者で、自身が決めたことを容易に曲げたりしない。
それはクロラス森林にて、サクラは思い知らされている。
ここにまで来て、ハルに駄々をこねられるのは得策ではない。
リーザとミリィ、そしてゴードンとハルの視線が集まる中、サクラは渋々と肩をすくめる。
「……優先すべきは、私の謝礼金だ。
それを確保した後の交渉は、好きにしろよ」
「きゃああ!
サーチンたらサイコー!」
「分かってくれると信じていたぞ、姐さん」
詰まらない世辞を言う魔族。
サクラは蠅でも払うように、プラプラと手首を振る。
「これで満足だろ。
だったら今日はもう解散にしよう。
辻馬車を利用したとは言え、さすがに一日中荷台で揺られていて、疲れているんだ。
明日の朝に、ハーマンの屋敷に向かうから、それまでは自分の部屋で大人しくしていること。
いいな」
「自分の部屋?
皆でこの部屋に泊まるのではないのか?」
ゴードンの疑問に、サクラは「馬鹿言え」と眉尻を吊り上げる。
「乙女の私が、お前らと同じ部屋にいられるわけがないだろ。
自分の部屋を別に借りろ」
「同じ乙女だしい、あたしはサーチンと一緒の部屋でいいよねえ?」
「失せろ液体」
抱きついてきたリーザに、サクラはにべなく告げた。
「ひどいぃ」と泣く仕草をして体を離すリーザ。
涙を一切こぼしていない彼女を慰めつつ、ミリィがポツリと言う。
「……ここの宿代は、液状族が出しているわけですが、そこは忘れていませんよね?」
「謝礼金が手に入ったら、一割増で返してやるよ。
ほら散った散った」
そう話しながら、背中からベッドにバタリと倒れ込むサクラ。
もうどのような反対意見が返されようと、応えるつもりなど毛頭なかったのだが――
「……分かった。
だがその前に、俺が気になっていることを一つ言わせてくれ」
神妙に言うゴードンに、思わずベッドに寝転がりながら、視線を向けるサクラ。
彼女の注意が向いたことを確認し、ゴードンが話し始める。
「ハル君の誘拐事件だが、その首謀者だと思われる小人族が、これまで動きを見せていないことに、俺は違和感を覚えている。
てっきり、クレオパスに向かう道中、何らかの接触があると思っていたのだが、そういった気配すらなかった」
「……ハルの行方を見失っているだけじゃないのか?
連中とつながりがある餓鬼族と液状族は、お前達が制裁を加えたんだろ?」
「それだけならばいいが、連中が餓鬼族と液状族に仕込んでいる内通者が、一人だけとは思えん。
状況を観察して、小人族に報告をしている奴がいないとも限らん」
「というより、絶対にいるよお。
だからあたしも、信頼しているミリィだけに直接的な指示を出しているんだもん。
少なくとも、あたし達がクレオパスに向かったってことぐらいは、小人族も把握していると考えて、間違いないと思うよお」
リーザの確信めいた口振りに、サクラは欠伸交じりに応える。
「だとすれば、ハルを誘拐することを諦めたのか、或いは――」
眼帯に隠れていない左碧眼を鋭く細める。
「これから仕掛けてくるか」
サクラの言葉に頷き、ゴードンが悩ましげに、眉間に皺を寄せる。
「杞憂ならばいいが……用心に越したことはないだろう。
とはいえ、連中は力こそたいしたことはない。
連中の息が掛かった魔族も、街の中においそれと入れるとも思えん。
だからこそ街の外で仕掛けてくるだろうと考えていたんだがな……」
「あたしも同感。
連中が街中で何かできるとも思えないけど、注意はしとくべきかなあ」
「……頭の片隅にでも覚えておくよ」
今度こそ話は終わりだと言うように、サクラは瞼を閉じて、体を横向きに転がした。
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自治都市クレオパス。
その一画にある喫茶店ラフレシア。
彼はのんびりと歩きながら、その喫茶店にあるテラス席を眺めた。
テラス席にいた男が、彼の姿を見つけてにこやかに手を上げた。
彼は特に表情を変えることなく、その男のもとへと歩いて近づく。
「やあ、こんにちは」
その男は時間に正確だ。
彼はそれを理解していたため、朗らかに挨拶するその男が、約束の時間に遅れた自分のことを、三十分間も待っていたことを確信する。
「ささ、こちらの席にお座りください」
だが男は、遅れてきた彼を責めるようなことは言わず、笑顔で自身の対面にあたる席を、彼に促した。
男に促されるまま、彼は席に座る。
そして、目の前のテーブルに置かれている、背の高いパフェを突っついている男を、彼は改めて観察した。
どうという特徴のない男だ。
見た目の年齢は四十代前後。
やや赤茶けた肌に、ワックスで後ろに撫でつけられた黒髪。
色の入った丸眼鏡に、整えられた口髭。
ぴっちりと着込まれた黒のスーツは、まるで下ろし立てのように皺ひとつ見当たらない。
対して彼は、黒のパーカーに黒のカーゴパンツと、全身黒ずくめの影法師を思わせる、粗雑な恰好をしていた。
見た目の年齢は二十歳前後ほどで、対面している男に比べれば、まだまだ若造にすぎない。
そんな、身なりの悪い若造に、やり手のビジネスマン然とした男が敬語で話し掛けている様子は、さぞ不自然なものに映ることだろう。
目深に被られたフード。
そのフードの端より、針のように鋭く尖らせた瞳を覗かせて、彼は男を見据える。
パフェを食べているご機嫌な男に、彼はぼそりと尋ねる。
「要件は何だ?
ヴィレム」
彼の短い問い。
ビジネスマン風の男――ヴィレムが、笑顔をそのままにさらりと言う。
「彼らがクレオパスに入り込んだようです」
ヴィレムのその報告は、彼にとって特に重要なものではなかった。
というより、正直どうでもいい。
だが彼は、最低限の礼儀として、「ふーん」と応答だけは返しておく。
彼の気のない返事にも、特に気分を害する様子もなく、ヴィレムが肩をすくめる。
「まあ、驚くようなことではありませんね。
あちらには液状族のリーザがいますから、検問はどうにかするだろうと、予想もしていました。
ただ報告によると、その検問を誤魔化すやり口というのが、なかなか愉快なものらしく……お聞きになりますか?」
「興味ないな」
にべなく告げる。
だがやはり気分を害する様子もなく、ヴィレムが話を続ける。
「分かりました。
しかし液状族の手助けがあったにせよ、これは教会の失態に違いないでしょう。
人手不足で適切な人員が割けていない。
彼が嘆くのも無理ありませんな」
「さっさと本題に入ってくれないか?」
フードの奥に隠した瞳に、鋭利な眼光を瞬かせる。
彼の催促に、ヴィレムの淀みなく語られていた言葉が止まる。
両者の間に落ちる沈黙。
それは決して長い時間ではなかった。
二秒か三秒。
だがその短い間に、ヴィレムの朗らかな笑顔が――
冷徹なものに変わっていた。
「我々は――小人族はハーマン・ルーズヴェルト議員のご子息、ハル・ルーズヴェルトの確保にこれから動きます。
貴方にもぜひ、その協力をお願いしたい」
色付きの丸眼鏡越しに、魔族の証でもある赤い瞳を輝かせるヴィレム。
その原色に近い赤い瞳をぼんやりと眺めつつ、彼はヴィレムの種族について頭に思い浮かべる。
人間と酷似した容姿を持ち、その高い知性を駆使して人間社会に潜伏する小人族。
表舞台に立つことは少なく、広い人脈とそこから得られた情報で、舞台裏から場を支配することを旨とする。
闘争を本能とする魔族にあって、変わり種といえる種族だ。
ハル・ルーズヴェルトの誘拐。
これもまた小人族が画策したことであり、その計画の取りまとめ役としてヴィレムがいる。
だからこそ、計画の局面を左右するこの状況で、滅多に姿を現さない小人族のこの男か、彼の元に直接話を持ち込んできたのだろう。
彼はのんびりと瞼を閉じると、少々投げやり気味に、ヴィレムに返事した。
「……他の魔族に頼めばいい。
利用できる奴は俺以外にも大勢いるだろ」
彼の返答に、ヴィレムがひどく残念そうに、眉をひそめる。
「私達のように人間に酷似した魔族ならばともかく、一般的な魔族を街中に招待するのは、なかなか骨が折れる作業でしてね。
やってやれないことはないですが、時間も掛かります。
ならば、ここクレオパスで生活をしている貴方に頼むのが、得策かと思いましてね」
「街に入る前に手を打てばよかっただろ」
「あちらには餓鬼族のゴードンと、液状族のリーザがいます。
さらにその二体を打ち負かしたという奇妙な女。
さすがにあの三人を相手取ることができるだけの魔族を、すぐに集めることは、我々にもできません」
「……どうかな。
あんた達ならどうにかやりそうな気もするが」
「買い被りです。
所詮、小人族は魔族でも弱小の一族。
できることに限りがあります」
謙遜するヴィレムに、彼は僅かな間を空けた後に、ぼそりと呟く。
「……俺の意思を確かめることが目的か?」
彼の言葉に――
ヴィレムが歯を見せて笑う。
「……貴方を疑っているわけではありませんがね、あまり非協力的な態度を取られると心配にはなります。
貴方はこの計画の――否、世界の動きを左右する、最重要となる存在です。
計画が最終局面に到達した時、心変わりされても困りますからね」
「だから俺を、早いうちから計画に係わらせようというのか?」
「逃げ道を断つ……と言えば聞こえが悪いですが、忌憚なく言えばそうです」
本当に遠慮のないヴィレムの言葉に、彼は暫し沈黙した後に、小さく息を吐く。
「……連中の居場所は分かっているのか?」
「はい。
クレオパスにおいては、衰退した教会よりも我々の方が情報力は上です」
「……餓鬼族と液状族。
それにその二体を負かした女。
その三人を相手取り、ただ殺すだけならばともかく、子供を生かして確保できるかは確約できない」
「心配には及びません。
基本的に、彼らの追跡及び捕縛をする役割は、別の方々にお任せしようと考えています。
貴方はその方々により追い詰められた彼らから、子供をかすめ取って頂くだけで良いのです。
いわゆる、漁夫の利を得るという奴ですよ」
「別の?
魔族は利用できないんじゃなかったのか?」
そもそも、魔族を利用するならば、漁夫の利を得るという表現もおかしい。
怪訝に眉をひそめる彼に、ヴィレムが含みを持たせた笑みを浮かべる。
「魔族ではなくとも、利用できるものはあるということです。
実を言えばこれが、クレオパスでハル・ルーズヴェルトを確保することに決めた、要因の一つでもあります」
「……まあいい。
大筋のやり方はお前に任せる。
それで、子供以外の連中はどうする?」
「魔族である餓鬼族と液状族を殺してしまえば、今後の計画に支障が出るでしょう。
彼らと敵対するわけにもいかないので、生かしておいてください」
「……女はどうする?」
「貴方のご自由になさってください」
つまり邪魔になるようなら――
殺せということだ。
ヴィレムが溶けかけたパフェをスプーンですくい、機嫌よく口に頬張る。
中年男性には不釣り合いの、子供のような笑みで舌を転がし、こくりと喉仏を揺らす。
そして、色付きの丸眼鏡の奥で、ヴィレムの赤い瞳が怪しげに瞬く。
「では、おまかせしましたよ。
全ての計画が順調に進めば、時代はまた二百年前に遡ります。
我々魔族が最も力を持ち、最も繁栄を築いていたあの時代に……」
フードの奥に見える彼の瞳を見据えて、ヴィレムが「そして……」と続ける。
「その新時代において、全魔族を牽引することができる力を持つのは、二百年前に滅び去った魔王と同種族である――魔王族のハンネス様、唯一人だけです」
彼――ハンネス・アランは、フードの奥に隠した赤い瞳を、静かに細めていった。




