アイドルに興味はないが、そこに付随する金には興味がある。(2)
クレオパス支部教会警邏部に所属する、新米教会員のスコット・ウォルターは、ひどく困惑していた。
手にしていた書類に一度視線を落とし、すぐにまた視線を上げる。
そして胸ポケットに差していたペンを抜き取ると、躊躇いがちに口を開いた。
「えっと……ごめんね。
職業をもう一度聞いてもいいかな?」
「だ・か・ら――」
ツインテールの青い髪の少女が、ポニーテールの青い髪の少女に肩を寄せ、答える。
「アイドルユニットだって、そう言ったんですよお。
ユニット名は、スラリンシスターズでね、あたしはリーチンにこの子はサーチンて言うのお。
宜しくねえ、キャハ☆」
「……」
可愛らしいポーズを決めて答える、ツインテールの少女――リーチンに対し、ポニーテールの少女――サーチンは、顔を深く俯けたまま、無言であった。
スコットは、二度目となる少女達の自己紹介を受けて、ペンの先を書類に落とす。
(まいったな……アイドルなんて職業欄に書く場所なんてないぞ)
そう内心で呟いて、スコットは小さく溜息を吐いた。
自治都市クレオパス。
その玄関口となる正門の前で、スコットは街を訪れた人々に、一人ひとり検問をしていた。
教会の通常業務で定期的に行われる検問だが、今回の検問は今朝になり急きょ決められたもので、スコットも困惑しながら職務についていた。
検問の目的は、商業都市ヨディスの留置所から脱走した者を捜索することだ。
上司から手渡された書類には、その脱走者の身体的特徴が事細かに記されており、十人体制でクレオパスを訪れた全ての人に声を掛け、最低限の調書を取るよう指示を受けている。
どうやらこの検問は、クレオパスのみならず、ヨディス周辺にある街の全てで、執り行われているらしい。
何とも大規模な捜索ではあるが、脱走者が何の罪で投獄されていたのかなど、事件のあらましについては書類に記されておらず、疑問の残る命令であった。
もっとも、下っ端に過ぎないスコットにとって、事件の概要などさして興味もない。
自身は与えられた任務を、ただ着々とこなすことに心血を注ぐべきだろう。
(……会社員ってわけじゃないよな……フリーター……も違うだろうし)
暫し悩んだ末、スコットは仕方なしに、職業欄にある自由業の文字に丸を付け、補足でアイドルと記しておいた。
書類から顔を上げ、スコットは少女の背後に視線を向ける。
「えっと……そちらの体格の良い方が……」
「あたし達のマネージャーをしている、ゴーチンだよお。
可愛いでしょう?」
可愛くない。
気を遣い体格が良いと、そう話したが、そのマネージャーとやらは、脂肪で膨れた巨漢の男だった。
横幅だけでなく縦幅も大きく、目測で二メートル以上はある。
頷くだけで一言も発しないマネージャーに、リーチンが頬に手を当てて笑う。
「ゴメンねえ。
うちのマネージャーは人見知りなのお。
でも仕事はできる子なんだよお」
「そ……そうなんだ」
とりあえず納得するスコット。
そしてそれから、書類の定型に則り、少女とマネージャーに簡単な質問を投げていく。
どこから来たのか、クレオパスを訪れた目的は何か、どれほど滞在する予定なのか、家族や親戚がクレオパスで暮らしているか、等々。
質問の回答は、もっぱらツインテールのリーチンがしていた。
ポニーテールのサーチンは常に顔を俯け無言であり、マネージャーという男も、無表情に佇むだけだ。
奇妙な三人だとは思うが、捜索している人物像とは一致しない。
決められた調書を作成して、通してしまって問題ないだろう。
スコットはそう考えていた。
(――それにしても……)
スコットは質問をしながら、アイドルをしているという少女二人を覗き見る。
(アイドルなんて生で初めて見たけど……こんなに可愛いもんなんだなあ)
ツインテールのリーチンもそうだが、顔を俯けているポニーテールのサーチンも、その顔が整っていることは容易に知れた。
二人ともが、胸元の大きなリボンを基調とした、何とも可愛らしい服を着ており、下は太腿までよく見えるミニスカートを履いている。
小柄でありながら、胸も大きくグラマラスな体型のリーチンに、胸こそお淑やかではあるが、全体的にスレンダーでスタイルの良さを際立たせているサーチン。
二人ともが種類の異なる美少女であり、何とも甲乙つけがたい。
思わず頬が緩みそうになり、スコットはブンブンと強く頭を振った。
(いかんいかん……職務中だぞ。
真面目にやれ真面目に)
そう自身に言い聞かせ、スコットは先程から無言のサーチンに、雑談混じりに尋ねる。
「そっちのサーチンさんは、あまり話さないんだね?
無口な人なのかな?」
「そんなことないんですよお。
でもでも検問なんて初めてだから、ちょっと緊張しちゃってるのかなあ?
ねえ、サーチン。
少しぐらいお話ししたらどうかなあ?」
暫しの間。
リーチンの言葉を受けてか、サーチンが顔を俯けたまま、ぼそりと呟く。
「……死にたい」
「え?
死にた――」
「ああああああああああ!
違う違う!」
目を丸くするスコットに、リーチンが大仰に手を振り、口早に説明をする。
「えっとえっと……やっほー!
みんな私がサーチンだよお!
好きな食べ物は生肉でえ、血が滴っているほど大好きなのお!
休日はもっぱら街を徘徊して小銭拾いに精を出してますう!
こんな私だけどぜひぜひ応援よろしくねえ!
……って言ったんだよお!」
「……そんな尺あったかな?」
「ちょっとサーチン!」
首を傾げるスコットの前で、リーチンがサーチンに顔を寄せ、囁くように言う。
「ちゃんと言ったとおりにやってよお。
そんなんじゃあ、街に入れてくれないよお」
「……お母様ごめんなさい。
お母様ごめんなさい。
お母様ごめんなさい」
「両親への切実な謝罪は止めて。
ていうか、あたしが言うのも何だけど、サーチンは日頃から、両親に謝らなきゃいけないようなことしてるじゃん。
むしろ普段の方がひどいよ」
「……ポプッピペッポー」
「人格崩壊にはまだ早いよサーチン。
ここを乗り切って、お金を手に入れるんでしょ?」
「お……お金」
ピクリと肩を震わせるサーチン。
光明を見出したのか、リーチンが両拳をぐっと握り、スコットに聞かれるのも構わず――最初から聞こえていたが――、声を上げる。
「そう、お金だよお金!
大金を手にするために頑張るって決めたじゃん!
サーチンにならできる!
やり遂げられる!
ファイトファイト、サーチン!」
リーチンの応援を受けてか、サーチンの俯いていた顔が、徐々に上げられていく。
スコットの想像していた通り、サーチンのその顔は、息を呑むほどに可愛らしいものだった。
だがその愛らしいサーチンの右目には――
何とも不釣り合いの眼帯が付けられている。
(あれ……そういえば書類に、眼帯をした少女って記載が――)
記憶を探ろうとした、その時――
サーチンがミニスカートをひらりと揺らし、可愛らしいポーズを決めた。
「改めて、私がサーチンですう!
ずっと返事をしなくてゴメンねえ!
お兄さんがとっても素敵だから、胸がドキドキして声が出なかったのお!
こんなダメダメな私だけど、スラリンシスターズともども、応援してくれたら嬉しいなあ!
よろしくね、キャハ☆」
その鮮やかに咲いたサーチンの笑顔に――
スコットは職務を放棄して、色紙を取りに駆け出した。
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自治都市クレオパス。
それはカッサンドラ地方において、最も栄えた都市であり、そのあらゆる動向が、地方全域にまで影響を及ぼす、政治的な中心地でもある。
クレオパスが中央政府の庇護から独立し、自治都市となったのは約五十年前である。
中央政府に代わりその運営方針を定める組織、『議会』を設立したクレオパスは、その議員となる者を投票により選出し、議員と都市民とが一丸となり街を発展させてきた。
クレオパスは議会による、完全な自治を目指している。
そのため、これまで中央政府が保有する各種権利を、議会承認の機関へと移譲してきた。
街を安定させるうえで最重要ともなる治安維持については、現状まだ中央政府に従属する教会に頼らざるを得ないが、今後は自警団の規模を拡大し、その役割を徐々に移転させていくつもりらしい。
だが、クレオパスが完全な自治を目指しているとはいえ、当然ながら交易までもが閉鎖的となるわけではない。
むしろクレオパスは、カッサンドラ地方において、人材を含めたあらゆる物資が流れ込む場所であり、他所の地方との交流拠点ともなる都市だ。
その街並みを見渡せば、カッサンドラ地方では見掛けない、物珍しい様式の建造物が散見され、通りを行き通う人々を眺めれば、他所の地方から訪れたと思しき、見慣れない衣装に身を包んだ者が目に留まる。
特に、馬車よりも早く通りを走る、自動車なる乗り物が見られるのは、カッサンドラ地方のおいては、ここクレオパスだけだろう。
他所の街では得られない体験ができるクレオパス。
その街を訪れた誰もが、好奇心を刺激されて心を躍らせる。
特に初見ならばなおさらだろう。
サクラもまた、一度もクレオパスを訪れたことがなく、この街を目指していた道中においては、表情にこそ見せないものの、そこかとなく期待に胸を膨らませていた。
だが現在、クレオパスの通りを大股で歩くサクラには、悠長に街並みを眺めている余裕など、一切なかった。
胸元に結ばれている、馬鹿みたいに大きなリボンに、ヒラヒラと危うく揺れる、馬鹿みたいに短いスカート。
それらを含め、自身が身にまとう馬鹿みたいな衣装の全てが、サクラの羞恥を掻き立てた。
クレオパスの街並みを眺めて、きゃいきゃいと歓声を上げている液状族のリーザや、その巨漢をすっぽりとマントで覆い隠し、サングラスとマスクで変装した餓鬼族のゴードン。
そして魔族の二人に、物知り顔で街の解説を大声でするハル。
そんな嫌でも目立つ三人を尻目に、サクラは顔を深く俯けて、通りを早足に歩いていた。
狭い路地に入り、迷路のような入り組んだ道を抜けて、予め決めていた宿屋に入る。
事前にリーザから借りていた金で部屋を取り、宿の店主である糞中年親父のねっとりとした視線を頑なに無視して、サクラは借りた部屋に駆け込むようにして入った。
部屋に入るなり、荷物を投げ捨ててシャワー室に直行する。
着ていた服を手早く脱ぐと、ポニーテールにした髪をほどき、眼帯を外して、サクラはシャワーを全身に浴びた。
髪に塗られていた青色のペンキが洗い落され、地毛である鮮やかな桜色が現れる。
シャワー室に備え付けられていたシャンプーと石鹸を大量に使用して、わしゃわしゃと全身を洗う。
街を歩いている間に体にへばりついた、大勢の好機の視線をこそぎ落とすように、念入りに体をこすり、一気にシャワーで洗い流す。
全身を洗い終え、髪と体を清潔なバスタオルで拭く。
脱ぎ捨てた下着を手早く装着し、眼帯で右目を隠して、シャワー室を出た。
部屋に投げ捨てた荷物から、薄手のシャツとスパッツ、花柄模様の着物と帯を取り出す。
まずはシャツとスパッツを着て、続けて着物を適度に着崩して身にまとい、帯を腰に巻いて刀を吊るした。
ここでようやく、サクラは人心地つく。
するとその時、部屋の扉がノックもなく、バタンと開かれた。
扉を開いた主が、非難がましく声を尖らせる。
「もう、サーチンったら一人でズカズカと進んじゃうんだもん。
置いていくなんて酷いんだよお……って、あれあれ?
サーチンってば何で洋服を着替えちゃってるのお?」
「当たり前だろ。
あんなみっともない……」
声の主に振り返ることもなく、仏頂面でそう吐き捨てるサクラ。
扉を開いた主が、「ええ?」と不満げに声を漏らし、パタパタと部屋の中に入ってくる。
「みっともなくないよお。
可愛いよお。
サーチンがいつも着ているその……着物?
っていう服も可愛いけどお、サーチンは脚が綺麗なんだから、もっと見せていかないとお」
「金ももらえないのに、脚を見せるなんて御免だ。
くそ……検問を突破するためとはいえ、あんなうすら寒い格好させたうえに、髪にペンキまで塗りやがって」
「サーチンの髪の色は特徴的だからねえ。
さすがに隠さないと不味いでしょお?」
「おかげで髪がパサパサだ。
ていうか、サーチンなんて馬鹿な呼び方をするな」
「サクラだからサーチンだよお?
それともサクリンがいい?
あるいはゲボルグ?」
「唐突におどろおどろしい愛称をつけるな!
そもそも名前と何の関係も――」
適当なことばかり話す声の主に、サクラは堪らず振り返った。
そして――
「リーザ……何だそれは?」
先程からの声の主である、リーザが手にしている物を見て、サクラは半眼でそう言った。
サクラの問いに、リーザが青い瞳をきょとんと瞬かせる。
そして、自身の右手に握られた五段重ねのアイスと、左手に握られたメロンソーダを交互に見比べ、リーザが口を開く。
「え?
サーチンも欲しい?」
「いるか!」
声を荒げて地団太を踏む。
「何を勝手に飲み食いしている!
目立つ行動は避けろと言ったはずだぞ!」
「買い物ぐらいで目立たないよお。
心配性だなサーチンは。
キャハ☆」
サクラの怒りなど意にも介さず、リーザが肩をすぼめて「うふ」と笑う。
「それよりも見てみて。
このアイスとか段ごとに色が違くて、カラフルですごく可愛くない?
このソーダのストローも、ハートの形になってるんだよお。
可愛いよねえ?」
「知るか!」
「ええ、可愛いよお。
あたしお店の真ん前で、即席の写真撮影会までしちゃったもん」
「えぐいほど目立ってるじゃないか!」
怒声を上げるサクラ。
するとここで、廊下らからふらりと、一人の女性が姿を現した。
一眼レフカメラを首から下げた女性が、「いい写真が撮れました」とぽつりと呟く。
「リーザの愛らしい姿がたくさん撮れて、私は満足です。
すぐに何十枚と焼き増しして、液状族の仲間に配布することとしましょう」
ブラウンの髪と瞳を持つ、二十代前半と思しきその女性は、リーザと同族である液状族のミリィであった。
セーターにロングスカートという、目立たない服装に身を包んだ彼女が、バリバリに目立つごついカメラで、リーザの姿をパシャリとまた一枚撮る。
頬を紅潮させたミリィが、険悪な顔をするサクラに振り返り、少し残念そうに言う。
「しかし、サクラさんの可愛らしい姿も写真に収めておこうと思ったのですが、着替えてしまわれたのですね。
残念です。
リーザほどではないにしろ、お似合いでしたのに」
「だよねえ。
勿体ないよねえ」
「検問の時はカメラを出すことができませんでしたからね。
そうだ。
良ければまたお着替えになってはいかがですか?
被写体を可愛らしく撮影するの、私は得意なんですよ」
同族で勝手に盛り上がる二人に、サクラは急激な疲労を感じて、肩を落とした。
「……ゴードンとハルの奴はどうした?
一緒じゃなかったのか?」
「はて?
そういえばどこに――あ、二人とも来ましたよ」
廊下の奥に視線を向けたミリィが、手招きする素振りを見せる。
暫くして、サングラスとマスクで変装をした、餓鬼族のゴードンが扉の前に姿を現した。
「遅くなって済まない。
少々手間取ってな」
「手間取る?
道にでも迷ったのか?」
怪訝に眉をひそめるサクラに、ゴードンがひどく気不味そうに頬を掻く。
「いや……道に迷ったわけではないだが……」
「お待たせ、みんな!」
ゴードンが言い淀んでいると、金色の髪に金色の瞳をした少年が、元気よく廊下から姿を現した。
ウサギのリュックサックを背負ったその少年に、サクラは口を開きかけて――
眼帯に隠れていない左碧眼を、じとりと半眼にした。
「……おい、ハル。
その腕に抱えている、山のような荷物は何だ?」
「へへへ。
ゴードンおじさんに買ってもらったんだ」
金髪の少年――ハルが、自慢するように腕に抱えた紙袋を掲げる。
サクラは、お菓子やら玩具やらを端から覗かせているその紙袋をじっと見据え、暫くしてからその視線を、ゴードンに移した。
ゴードンが「まあ、あれだ」と言い訳がましく言う。
「子供にねだられると弱くてな。
ハル君には迷惑を掛けたし、その謝罪というのもある」
面目ないと頭を下げるゴードンに、スキップして部屋に入るハル。
そして、アイスをぺろぺろ舐めるリーザと、その彼女の姿をカメラで撮影するミリィ。
それら面々を順番に見回していき、サクラはことさらゆっくりと息を大きく吸い込み――
絶叫した。
「お前ら全員、観光気分かあああああああ!?」




