語られる歴史と、語られぬ歴史
冬は、生物の活動が沈静化する時期である。
地域によって冬の厳しさも大きく異なるのだが、ここら一帯は一年間を通して寒冷な気候であり、冬の寒さは驚異的なものになる。
秋の終わり頃から雪が降り始め、麓の町の者たちが冬の到来を感じ始める頃には既に、この近辺は白銀の雪に覆われている。
当然人の往来も途絶え、民も極力外出を控えるようになる。ここらの山は大きく内部がくり抜かれた虚のようになっており、冬を越す間は民が全員集まって過ごす、という集落も少なくない。
生まれたときから冬の寒さにしごかれてきている彼らは、案外極寒の時期ものびのびと過ごしていた。食料はたんまりあるし、防寒具もしっかり揃えている。
ただし、そんな彼らも「暇」には勝てない。
冬の終わりとなると、娯楽用に麓町で購入していたゲーム一式や本にも飽きてしまう。お喋りをしようにも、周りにいるのは秋の終わりから全く様相の変わらない面子ばかり。外出はできないので、新鮮な話題を提供してくれる者もいないのだ。
暇だな。
早く春にならないかな。
そう思いながら春の到来を待っていた彼らのもとに、風変わりな旅人が現れた。
旅人は、山の中腹あたりでうろうろしていたそうだ。
そろそろ冬も終わりに差し掛かっているとはいえ、よその生まれの者にとっては雪原地帯を歩くのも困難だっただろう。
民たちの生活場所となっている山の中は、蟻の巣のような形に掘られている。下層部周辺の偵察に行っていた者が、雪で道が遮断され立ち往生していた旅人を見つけて保護したのだという。
「すみません、このあたりに来るのは初めてで、道に迷ってしまいました」
暖炉の前で毛布にくるまってそう説明するのは、ひょろりと背の高い男性だった。
聞いてみたところ、彼は音楽を生業にしている吟遊詩人だという。ちょうどいい、と民たちは吟遊詩人の男性に「交換条件」を提案した。
「我々は長く続く雪の季節で、たいそう退屈している。雪の季節が終わるまでそなたを泊める代わりに、余興として演奏してくれないか」
「もちろんです。でも、それだけでは等価にならないのでいくらでもお支払いしますよ」
そう言った男性に、民たちは快活に笑った。
「なに、我々が求めるのは金よりも娯楽だ。それに、そなたのように細っこい男一人増えようとたいしたものではない」
「そういうことでしたら」
旅の吟遊詩人が演奏してくれるということで、民たちは洞穴の中で一番広い部屋に移動した。この地域では、ひとつの部族がひとつの山を住居に使うならわしとなっている。部屋に集まった一族は数十名ほどであった。
動物の革をなめして作ったマットに腰を下ろした吟遊詩人は、遭難しても決して手放さなかった竪琴をケースから出した。部族の中に竪琴を弾ける者なんていない上、弦楽器を見ることすら珍しくて子どもたちは目を輝かせて竪琴に見入っていた。
吟遊詩人はしばらく時間を掛けて、弦を張り直した。そうして数度弦をつま弾いて音程調節した後、優雅なメロディを奏で始める。
ゆっくり、今にも途絶えてしまいそうなか細い旋律はまるで、これから語られる物語の内容を示唆しているかのようだった。
吟遊詩人が語るのは、「むかしむかし」から始まるひとつの物語。
若き王様と、優秀な娘と、新人の少女、そして異国の騎士の、四人の若者たち。
穏やかそうに見えて、実は残酷だった王様。
敗北し、棄てられ、裏切られながらも必死にあがいた娘。
何も知らず、王様に踊らされていた少女。
祖国のために、全てを欺いてでも王様を討とうとする騎士。
四人の若者の想いが絡まり、それぞれの目的のために想いがもつれてゆく。
それは、民たちが知らない国の物語。
多少の脚色はあるものの、かつてこの世界のどこかで実際に繰り広げられた物語だった。
「ぎんゆーしじんさん」
こぢんまりとした部屋で竪琴の手入れを行っていた吟遊詩人のもとを、数名の子どもたちが訪れた。
ここは、吟遊詩人が借りている小部屋だ。「何かあればいつでも来てください」と言ったので、早速子どもたちが押しかけてきたようだ。
吟遊詩人はベッド代わりの布の上に竪琴を置き、ドアのところでもじもじしている子どもたちを見て破顔した。
「こちらへどうぞ。……先ほどの演奏は、いかがでしたか?」
「楽しかった!」
吟遊詩人に手招きされ、子どもたちがわあっと入ってくる。男女あわせて四人の彼らは、マットに座る吟遊詩人を囲むように腰を下ろした。
「ぼくね、騎士様が勝ちますように! ってお祈りしながら聞いていたんだ!」
「あたし、最初は王様がいい人だと思っていたからびっくりしちゃった。あんなに酷い人だったなんて……」
子どもたちが演奏の感想を口々に述べるのを、吟遊詩人は穏やかな眼差しで見守っていた。
「そうですか。気に入っていただけたなら、歌った甲斐があったというものです」
「うん。……あのさ。あの歌って、本当に起きた話なんだよね?」
四人の中では最年長らしき少年が、くりくりした大きな目を見開いて吟遊詩人を見上げてくる。
「だったらさ、最後の方ってどうなったのかな」
「最後の方、とは?」
「だってさ、歌は『こうして悪の王様と愚かな娘は死に、国は平和になりました』で終わっちゃったじゃん」
「そうそう。女の人と騎士様がどうなったのか、気になるの」
「……なるほど」
吟遊詩人は苦笑し、尖った顎を撫でる。
「……確かにあの歌は、僕が実際に立ち寄った国で起きた出来事をもとにしている」
「えっ、じゃあ王様や騎士様にも会ったことがあるの!?」
「王様はないけれど、『娘』と『騎士』には会っているよ」
「ええっ!?」
「じゃあさじゃあさ、二人がどうなったのか教えてよ!」
「そうそう! 『娘と騎士は国から姿を消し、それ以降彼らの姿を見た者はいませんでした』じゃあどうなったのか分からないもの!」
きゃあきゃあと声を上げる子どもたちを穏やかな眼差しで見つめていた吟遊詩人は、やがて己の口元に細い指を宛った。
「……僕たち吟遊詩人はね、歴史の全てを語るべきとは限らない。そして勝者が正義とは限らないんだよ」
「なんで?」
「僕は、その二人の行く末を知っている。でも、それを歌として語り継がれることを彼らが望まなかったんだ。……歌の中で、『騎士』がどういう人だったか覚えている?」
吟遊詩人に問われ、子どもたちは暫し考え込む。
「えーっと……騎士様は敵国の人間で、すっぱいだったんだよね」
「そう、スパイとして国に潜んでいた。彼は自分の生まれ故郷のためとはいえ、愛する人――『娘』の国を滅ぼした。そのせいで死んだ人も多い」
「……うん」
「だから彼は、英雄になることを望まなかった。罪を背負ったまま、歴史の表舞台から去ることを望んだんだ」
「でも、騎士様のおかげで悪い王様が死んで、国が救われたんでしょ?」
「そうそう。だったらみんなで、国を助けてくれてありがとう、って言いたいんじゃないかな」
吟遊詩人は苦く笑い、首を横に振った。
「確かにそうだけど、それを『騎士』は自分の成果だと思わなかった。彼は間接的にとはいえ多くの人を殺め、傷つけ、裏切り、悲しませたことを忘れてはならない。だからこそ、僕は彼らの行く末を語らないんだよ」
「うーん……よく分からない」
「いずれ分かるようになるよ」
吟遊詩人はそう言って、微笑んだ。
『歌……か?』
『はい。お二人の物語を叙事詩風に仕立ててみたのです』
『そうか。確かに、それが君の仕事だからね』
『いきなり押しかけてこんなことをお願いして、すみません』
『いや、構わないよ。でも……そうだな。僕たちが戦後どうしているのかは、伏せていてほしいな』
『……そう言われると思っていて、ラストはこんな形に締めました』
『……。……なるほど。これならセリアも安心するだろう』
『もしよろしければ、セリアさんも交えて下書きを読んでくれませんか?』
『いいよ。ただ、セリアたちは今ちょっと外に出ているから、戻ってきてからになるけれどいいか?』
『もちろんです。……ん? セリア『たち』とは――?』
春が来た。
吟遊詩人は足を止め、振り返る。
冬の終わりから今日まで過ごした岩山が、雪解けの大地の向こうに小さく見えている。
ひとつの国が滅んでから、一体何度目の春を迎えたのだろうか。
ちまちまとした人間の営みをあざ笑うかのように、時は流れてゆく。
国が滅ぼうと王が死のうと、春は訪れる。
「……久しぶりに、お邪魔してみようかな」
吟遊詩人は呟いた後、上着のフードを目深に被ってきびすを返した。
きっと、この柔らかい風は彼らの元にも春を運んでいることだろう。