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安らぎの地で

 グリンヒルの大地は、秋を迎えても緑の草原に包まれている。

 もともと一年を通して気候の変化に乏しく、冬以外は瑞々しい草花が生い茂るグリンヒル。ここら一帯は高低様々な丘が連なっており、慣れない者にとっては丘を越えるのも一苦労だ。


 その丘を、えっちらおっちらと登っていくひとつの人影があった。


「……ん?」


 グリンヒルの館で暮らす少年が、丘を登ってくる者を目にして立ち上がる。

 彼は自分の近くで遊んでいた年少者の子どもたちを一旦下がらせ、旅人風の装いをした見知らぬ者に向かって慎重に歩み寄った。


「こんにちは。旅の方ですか」


 少年は愛想よく挨拶をしつつも、警戒を解くことはしない。

 グリンヒルが存在するヴェステ地方はどの国にも属さない独立地域で、様々な国籍、身分、立場の人間がふらりと寄ってくる。基本的に来る者拒まずだが、中には館の女性に手を出そうとしたり金品を狙ったりといった不埒な輩もいる。警戒するに越したことはないのだ。


 旅人は少年の前で足を止めた。フードの隙間から覗く顔は、若い青年のそれだった。おそらく少年よりも三つほど年上だろう。

 旅人はにっこり笑い、腰に提げていた護身用の剣をベルトごと外して足下に置いた。


「怪しい者じゃない……と言っても信憑性はないよなぁ。おれの持っている武器はこれだけだ。それでも怪しければ、君はそのままおれを警戒してくれていいよ」


 青年は怪訝な目で自分を見上げてくる少年に微笑みかける。


「この館に、知人がいるんだ。彼への届け物があってね」

「……知人の名前は?」

「ディー――いや、デニス。パウロが来たって言ってくれたらすぐ分かるはずだよ」












 物置小屋の前で子ども用の家具を組み立てていたというデニスは、訪問者の名を聞いて表にすっ飛んできた。


「パウロ! 久しぶりだな、元気にしていたか?」


 肩から提げたタオルで汗を拭きつつ駆けてきたデニスは、しばらく見ない間にずっと逞しくなっていた。

 パウロは満面笑顔になり、デニスが差し出してきた手を強く握り返した。


「はい、お久しぶりです! おれは見ての通り元気ですよ」

「そのようだね。……おまえ、しばらく見ない間にずいぶん背が伸びたな」

「そりゃあおれだって、もう十五歳ですからね。まだまだ伸びて、いずれデニスさんを越しますよ!」

「はは、楽しみにしているよ」


 玄関前で再会を喜び合った後、パウロはデニスに案内されてグリンヒルの館に入った。

 グリンヒルの館についてはデニスたちの話で聞いていたし、遠くから見たことはあった。だが実際に中に入るのは初めてで、彼は廊下を歩きながらも壁に掛けられた子どもの絵やあちこちつぎはぎだらけのカーペットなどをもの珍しそうに眺めていた。


「ここでデニスさんが暮らしているんですね」

「ああ。毎日笑い声が絶えないし、住んでいて楽しい。いい場所だよ」

「デニスさんの話し方から、満足感がひしひしと伝わってきますよ」


 そうしてパウロは館の女主人であるベアトリクスに挨拶に伺い、盲目だという彼女に「デニスのことを心から尊敬しているのですね」と見破られて驚き、そのまま応接間に通された。


「不思議な人ですねぇ、ベアトリクスさんって」


 デニスが淹れてくれた茶を飲みつつ感想を述べると、デニスは苦笑してパウロの向かいの席に座った。


「僕も、いろいろなことを見破られて参ったものだよ。でも、マザー――ベアトリクスさんはとても聡明な方だ。僕たちの様々なことを見破っても、それをやたらめったら口にしたりはなさらない」

「すごい人なんですねぇ」


 茶で一息ついた後、パウロは鞄から平べったい箱を取り出した。


「これ、コンラート様からです。お姉さん――いや、セリアさんが目を覚まされたって聞いて、コンラート様も喜ばれてましたよ」

「ありがとう、パウロ」


 デニスは箱を開け、中から手紙を取りだした。

 グロスハイム王国の若き国王であるコンラートから、かつての部下であるデニスへ宛てた個人的な手紙だ。パウロは、この手紙を届けにはるばるヴェステ地方まで来たのだ。


 パウロは茶菓子を摘みつつ、熱心に手紙を読むデニスの姿を見つめた。


 一年前の初夏、デニスの呪いを解いた聖奏師セリアが原因不明の眠りに就いてしまった。

 デニスは彼女を連れてグリンヒルに戻り、セリアが目を覚ますのを待っていたという。


 そして今年の春、セリアがついに目を覚ました。

 彼女はデニスを救った代償として、生まれ持った聖奏師としての力を失ってしまったのだという。また、永い眠りから覚めてからどことなく体が動かしにくくなったという。日常生活を送るのは問題ないが、いきなりふらつくことがたびたびあるため、デニスがかいがいしく側で世話を焼いている。


 ――という内容がしたためられた手紙がグロスハイムに届いたのが、今年の夏。秋を迎えてからパウロはコンラートからの手紙を持ってグリンヒルにやってきた。そういうわけで、彼がデニスと会うのも一年以上ぶりだったのだ。


「セリアさんはお元気ですか?」


 デニスが一通り手紙を読み終えたタイミングを見計らって尋ねると、顔を上げたデニスは微笑んだ。

 ――パウロが今まで一度も見たことのない柔らかな笑みだ。


「ああ、元気だ。夏は少し辛そうだったけれど、最近はめっきり調子がいい。今は女友だちやチビたちと一緒に町に降りているから、もうじき帰ってくるはずだ。セリアも、パウロのことを気にしていた」

「へへ、それは嬉しいですね」


 セリアに気遣われているというのが嬉しく、そして少しだけ照れくさくて、パウロは赤く染まった頬を掻いて茶菓子を口に突っ込んだのだった。











 グロスハイムの現状や旧ファリントン王国の現在などをデニスと話していると、応接間のドアがノックされた。


「私よ、デニス。パウロもそこにいるかしら?」

「いるよ。今開けるからね、セリア」


 返事をしつつデニスは立ち上がり、ドアを開けた。

 そこに立っているのは、簡素な普段着を着た若い女性だった。

 デニスが彼女の手を取り、過保護だと言えるほど丁寧な動作で彼女をソファに導く。


「お帰り、セリア。体調は大丈夫? 足元はふらつかない?」

「今日も大丈夫だったわ。ありがとう」

「いいんだよ。今日も可愛いよ、セリア」


 セリアが礼を言うと、さらりと甘い台詞を吐いたデニスが彼女の前にかがみ込み――


 二年ほどで空気の読める男に成長したパウロは、そっと視線を外した。窓の外の風景を見ながら、一生懸命無心で茶菓子を咀嚼する。


「……あー、なんというか、すっかり仲良しになったんですね、お二人さん」

「ああ、そうだな」

「久しぶりね、パウロ。……あら? 昔はもうちょっと小さかったような――」

「成長したんです! おれ、グロスハイムに戻ってからも毎日特訓したんです。いずれ、コンラート様をお守りできる騎士になるんですからね!」


 視線を前に戻したパウロは、胸を張った。

 向かいの席に並んで腰掛けるデニスとセリアは顔を見合わせ、くすくすと笑いだす。


「そうか……それは頼もしいな」

「コンラート様にも、ちゃんとご挨拶ができたらいいのだけれど……難しいわね」


 セリアはそう言い、自分の足元を見つめた。

 以前より運動能力が落ちたセリアは、長旅が難しい体になったそうだ。

 元々乗馬の心得はなかったが、今は馬車に長時間乗っているだけで体調が悪くなってしまうという。そのため、彼女がグロスハイムに来るというのは不可能なのだ。


「いえ、コンラート様もセリアさんが元気でいらっしゃるならそれが一番だと言われてました。もしよかったら、セリアさんもコンラート様に手紙を書いてくれませんか。簡単な現状報告だけでもいいので」

「まあ、それじゃあそうさせてもらうわ。筆記用具を取ってくるから、少し失礼するわね」


 セリアは嬉しそうに笑い、立ち上がった。慌ててデニスも席を立つが、「階段は上がらないから大丈夫よ」と彼の同行をやんわりと断っている。

 パウロはそわそわしているデニスを見、思い切って聞いてみた。


「そのー……突っ込んだことを聞いちゃいますけど、お二人って結婚してないですよね?」

「え? ……ああ、まだしていない」

「あっ、まだ、なんですね」

「いずれ申し込もうとは思っている」


 デニスははにかんだように笑い、セリアが去っていったドアの方を目を細めて見つめた。


「セリアがあのように不自由な体になったのは、僕の責任だ」

「……責任を取りたいから、ですか?」

「そうじゃない。一緒に生活するとなったら、セリアが快適に過ごせるように工夫しなければならない。そのための金を今貯めているんだよ。これから先も館で暮らすのかよそで二人暮らしをするのか、それは分からない。でも、結婚にしても新生活にしても先立つものは金だ。十分な資金が貯まってから、話を切り出したいんだ」

「……そうですか。すみません、失礼なことを言ってしまって」

「気にしないでくれ。セリアの世話を焼くのだって、僕がしたくてしているんだ。ちょっと前までは女性陣が手伝っていたんだけど、何人かは結婚して出て行ってしまってね。それならと、できる限りのことは僕が手伝うようにしているんだ」

「へぇ……」


 パウロは、しげしげとデニスの顔を見つめる。

 デニスが、こんなに幸せそうな顔をするなんて。

 金に自由があるわけでも、恋人が万年健康なわけでもないのに、これほどまで安らいだ表情を見せるなんて。


「……セリアさんってすごいですね」

「……そうだな。あ、でもおまえには渡さないからな」

「分かってますって!」


 ……セリアの笑顔が好きだ、というのは、自分の中だけに留めておこうとパウロは決めた。











 その後、デニスとセリアがそれぞれコンラートに宛てた手紙を書き、パウロはそれらを例の平べったい箱に入れて鞄にしまう。


「それじゃ、おれは失礼しますね」

「もう行くのか? 泊まっていけばいいのに」

「ありがとうございます。でも、麓の宿を取っているんです。馬もそっちに預けているから、今回はここでおいとまさせてもらいます」


 パウロはそう言って、デニスとセリアに見送られて館を出発した。


 丘を下っていると、中腹辺りに見覚えのある少年の姿があった。彼はパウロを見て一瞬目を見開いたようなので、パウロは彼に声を掛けた。


「お邪魔したね。おれは麓に戻るよ」

「……そうですか」

「君、この館は好きか?」


 パウロの問いに、少年は驚いたように顔を上げた。

 だがすぐに彼は表情を緩め、こくっと頷く。


「……大好き」

「それはよかった。……またな、少年」


 パウロはぽん、と少年の肩を叩き、その脇を通り過ぎた。

 少年が何かを言いかけたように振り返ったのが気配で分かったが、パウロはあえてきびすを返すことはせず、どんどん丘を下っていった。


 緑の丘。

 安らぎの地。


「……お幸せに、デニスさん、セリアさん」


 パウロはフードをぎゅっと引き寄せて目深に被り、夕焼けの色に染まる草原を歩いていった。

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