ペネロペの靴下②
「ペネロペ。今月に入って何度、聖弦を持ったまま転んだと思っているのですか!」
今日もペネロペはセリアに叱られていた。原因は、ローブの裾を踏んづけて転んだことだ。
聖奏師団員に支給されるローブはある程度サイズが決まっており、小柄なペネロペは一番小さいサイズのものでもまだ大きかった。当然裾上げをしなければならないが、裁縫が苦手なペネロペは自分で縫うこともしないし、かといって誰かに頼むのも恥ずかしいし……と後回しにした結果、何度も転ぶことになってしまった。
「本当にあんた、懲りないわね。裾上げくらいちょちょーっとやりなさいよ」
「だって、私がやったら裾がぼろぼろになっちゃうもん……」
「いいじゃない、着るのはあんたなんだし。それか、まずは簡単なものから始めたらどう?」
「そういえばペネロペ、靴下の穴を空いたままにしているじゃない。練習もかねて穴を繕ってみなさいよ」
「ええぇ……でも失敗したら、不格好になっちゃうわ!」
「いいじゃない、履くのはあんたなんだから、自己責任よ」
それもそうだ、とペネロペは鼻をかみ、まずは靴下の穴を繕うことから始めようと考えた。
だが、ペネロペが裾上げをすることも、ましてやまともに靴下の穴を繕ろうことさえできないまま、セリアは城を去ってしまった。
筆頭の座をかけた勝負でセリアを打ち負かし、新たな筆頭になったのは新人聖奏師のミュリエル。
「セリアは厳しすぎたからね。私は皆が満足して働けるように尽力するわ」
集まった聖奏師たちの前でそう言うミュリエルは、自信に満ちた顔をしていた。
仲間の中には、「セリア様とは違うけれど、聖奏師団に新しい風が吹いてくるかもしれない」と思っているものもいるようだが、ペネロペはこのミュリエルが好きになれなかった。
ミュリエルはよく、泣いているペネロペに「セリア様ってひどいわよね。あなたは悪くないのよ」と声を掛けてきたが、そういう言葉を聞きたいわけではないとペネロペは思っていた。
セリアは厳しいがやるべきことをやれば褒めてくれるし、もし失敗したとしてもなんだかんだ言って最大限のフォローもしてくれる。
理不尽に叱ったりしないし、小柄でどんくさいペネロペが貴族の少年にからかわれているときなどは間に入り、ペネロペを背に庇ってくれたりもした。
座学で分からないところがあれば根気強く教えて、難しい問題が解けたときにはこっそりお菓子をくれたりもした。
ペネロペは、セリアが大好きだった。
だから、セリアがミュリエルに惨敗したというのも今でも信じられないし、できるならセリアについていきたいと思ったくらいだ。
だが、そうすると自分は家族に仕送りができなくなるし……生きていける自信もない。
だから、聖奏師団に残ってミュリエルを新たなリーダーとして仰ぐことにしたのだが。
「ちょっと、ペネロペ。一人を治療するのにどれだけ時間を掛けているのよ」
「す、すみません、ミュリエル様。最後まで弾こうと思ったら、時間が掛かって……」
「何を言っているの。聖奏一曲分の長さは決まっているというのに弾き終えられないのは、あなたがちんたら弾いているからでしょう。もっとテンポを上げなさい」
「でも、そうしたら間違えやすくなるんです。セリア様も、間違えるくらいならゆっくりの方がいいって……」
「ペネロペ。今、あなたが筆頭と呼ぶべきなのは、誰?」
最初からイライラした様子だったミュリエルだが、セリアの名を聞いた途端、その可愛らしい顔に憤怒の色を浮かべてペネロペに詰め寄ってきた。
思わずペネロペが息を飲むと、じりじりと距離を詰めながらにらみつけてくる。
「そんなにセリアがいいのなら、出て行きなさい。もちろん、聖奏師の身分証は没収するけれどね。そうする?」
「し、しないでください!」
「それなら私の言うことを聞きなさい。……ったく、どんくさいし泣き虫だし、とんでもないお荷物だわ……」
独り言にしてはやけに大きく呟きながら、ミュリエルは去って行った。どうやらその先で仲のいい騎士と会ったようで、ペネロペに文句を言うときとは真逆のはしゃいだ可愛らしい声で挨拶しているのが聞こえた。
聖弦を抱え、ペネロペはくすんと鼻を鳴らした。
ミュリエルが筆頭になって、一年。たったこれだけの期間で、ペネロペと仲のよかった同期は皆辞めてしまった。
ミュリエルはとにかく無茶ばかり言ってきて、城の人間の依頼を全て受け付けてしまう。しかもセリアの頃のように途中で聖奏をやめないように、というお達しがあるため、時間が掛かろうと最後まで弾き切らないと叱られてしまう。
貴族や騎士たちの多くは、「ミュリエル様の代になってから、聖奏師団は活躍しているようだ」なんてのんきなことを言っているが、働かされるこちらの身にもなってほしいと思う。
一日こき使われてふらふらになりながら、ペネロペは自室に帰った。
「セリア様……」
呟くのは、敬愛する元筆頭や気さくな同期、優しかった先輩たちの名前。
ぶんぶんと首を振り、聖弦の手入れをしたペネロペはデスクに向かった。そこに置かれているのは、ぼろぼろの靴下やハンカチ、テーブルクロスなど。
もう、「自分で裁縫しなさい」と言ってくる人はいない。
それでもペネロペは針を持ち、繕い物の練習をしていた。
もし、セリアに会うことができれば、たくさんの報告をしたいから。
聖奏師としての仕事を頑張っています、などの他にも、苦手だった裁縫にも取り組んでいることを教えれば、セリアはきっと褒めてくれるだろう。
『ペネロペ、よくできましたね』
今はもう、どこにいるか分からない人の声を思い出すペネロペは、幸せそうに微笑んでいた。




