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ある肉屋の恋

「ってことで、こっちにいるのが新しく私たちの仲間になったセリア。美人でしょ?」


 そう言って、フィリパは自分の隣に立っている娘の背中をぱんっと軽く叩く。フィリパに叩かれた娘の細い肩が、びくっと震えた。


「セリアは買い物に慣れていないみたいだから、こうして一緒に挨拶回りしてんのよ。……セリア、こっちは肉屋のジョナサン。もっさりしてるけどすっごくいいやつだから」

「もっさりは失礼っす、フィリパさん」


 カウンターに肘を突いていたジョナサンは、口達者な顔見知りにげんなりとした顔をしてみせた。

 このフィリパという娘、快活としておりなかなか美人なのだが、麓町の男たちも辟易するくらいお喋りなのが玉に瑕だった。それは、よくフィリパと一緒に行動しているエイミーとマージも同じで、この三人が集結すると町の男たちでは歯が立たないのである。


 そんな彼女に連れられてやって来た娘は、肉屋の風景が見慣れないのかしきりにあたりをきょろきょろしている。頭からスカーフを巻いているので顔立ちがよく見えないが、腰や腕が細い割に胸がふっくらしているところについつい視線が行ってしまった。


 フィリパはジョナサンの反応は特に気にならなかったようで、隣に立つ娘の背中をもう一度叩いた。


「ほら、挨拶挨拶。こいつは本当にいいやつだから、仲良くしてあげてよ」

「……は、はい」


 娘が初めて声を発した。

 きれいで、優しい声だ。


 目を丸くするジョナサンの前で、娘が背筋を伸ばしてジョナサンに向き合う。


「……初めまして。セリアと申します。これからよろしくお願いします、ジョナサンさん」


 そう言って洗練された仕草でお辞儀をする娘から、ジョナサンは視線を逸らすことができなかった。














「丘の館のセリア?」

「あー、うちのところにも挨拶に来た」

「すげぇ美人でいい胸してたな」


 セリアが挨拶に来た日の夜、麓町の若者同士で集まって開かれた飲み会はさっそくセリアの話題で持ちきりだった。


「俺、あんなにきれいな言葉遣いをする女は初めて見た」

「ぜってぇいいところのお嬢様だろ」

「だよな? だって彼女、フィリパのやつにひとつひとつ商品の説明を受けては驚いた顔をしてたもんな」

「おい、館の人間の素性を探るのは御法度だろ」

「悪い悪い」


 しーっ、と暗黙の了解を確認し合った後、話題は戻る。


「俺さぁ、せっかくだからお近づきになりたくて話しかけたんだけど、逃げられちゃった」

「そりゃあおまえ、下心満載で近づいたんだろ?」

「下心なんてねぇって! ただ、仲良くなりてぇなぁ、と思ってちょーっと声を掛けただけなのに、セリアちゃんには逃げられるしフィリパにはぶん殴られた」

「ざまーぁみぃろーぉ」

「うるせぇ! おまえも殴られちまえ! フィリパのやつ、まじ手加減しねぇからなぁ」


 全員かなり酒が入っているようで、息は酒臭いし声も裏返っている。

 そんな飲み会風景の中、黙って一人酒をあおる男がいた。


「……おい、ジョナサン。おまえのところにもセリアちゃん来ただろ?」

「……え?」


 手酌で酒を飲んでいたジョナサンは、きょとんとして顔を上げる。

 それまで好き勝手喋っていた仲間たちが自分を凝視していることに気づき、ジョナサンは居心地悪そうに視線を逸らす。


「……そりゃあ、来たけど」

「だよな? おまえはちゃんと話ができたか?」

「あー、やめとけやめとけ。ジョナサンは色恋に疎いおぼっちゃんなんだからよぉ」

「そうそう、ドナルドとは違うんだよ」

「んだよ! 俺が悪いってのか!?」


 ついさっきまではジョナサンの反応に興味津々だったというのに、十数秒後にはこれである。

 自分をよそに言い合いを始めた仲間たちを、ジョナサンはぼんやりとした目で眺める。


『これからよろしくお願いします、ジョナサンさん』


 麓町の女性は誰一人として会得していない気品に溢れたお辞儀に、訛り一つない言葉。

 隣に立つフィリパも美人だが、セリアは彼女とはまた違う。フィリパが太陽の光を浴びてすくすく育った野花なら、セリアは温室で大切に育てられた観賞用の花だろう。


 ジョナサンは酒瓶を持っていない方の手で、ぎゅっと自分の胸当たりを押さえた。

 セリアと出会ってから、どうもここが痛くて仕方がなかった。












 その日から、ジョナサンの涙ぐましい努力が始まった。

 セリアと話がしたい。もっとセリアのことを知りたい。そしてセリアに、自分のことを知ってほしい。


 だがいかんせん、彼には恋愛の知識が少ない。ドナルドたちと違って自分には女を惹き付けるような手練手管なんてないのである。


 そういうわけで。


「セ、セ、セリアさん!」

「はい、こんにちは。えーっと……」

「ジョナサンっす! あのですね、セリアさんにぜひ見てもらいたいものがあって!」

「まあ……何でしょうか?」


 そうして、ジョナサンが決死の覚悟でセリアを誘った結果、肉屋の奥に連れ込んで約十分後。


「いっ……! いやぁぁぁぁぁぁぁ!」

「えっ!? ちょっ、待って、セリアさん!」


 絶叫を上げてセリアが店から飛び出し、慌ててジョナサンが彼女の後を追いかける。

 そんな彼のエプロンは、真っ赤な血で染まっていた。










「……あんた馬鹿?」

「お、俺はセリアさんを泣かせるつもりじゃ……」

「どんな意図があっての行動か分からないけどね、いきなり目の前で鶏の解体ショーを見せるとか、馬鹿なの!? あんたの頭の中には挽肉しか詰まっていないの!?」


 本日セリアの付き添い役だったエイミーにしばかれた。叱られた、ではなくしばかれた。

 ジョナサンに悪気はない。ただ彼は、「肉屋である自分の格好いいところをセリアに見せてあげたい」という一心で、首を絞めたばかりの鶏の解体を行ったのだ。


「だって……エイミーたちは、鶏を絞めてもけろっとしてるじゃないっすか」

「そりゃ私たちはグリンヒルで暮らして長いからね。鶏の頭部バイバイくらいでビビッたりしないわよ」

「だろ?」

「でも、それは私たちの場合! 新入りのセリアもそうとは限らないでしょ!? ジョナサン、あんたは可愛い子を見かけたら自分の店に連れ込んで、鶏の首を刎ねるシーンを見せるのが趣味なの!? 馬鹿なの!?」

「断じてそういう意味じゃないっす! ただちょっと……格好よく捌くところを見せたいなぁ、と」

「馬鹿じゃん」

「うぐぅ……」

「……セリアもセリアよ。たいして親しくもない男にほいほいついていったらだめじゃない」


 ジョナサンに対しては唾を飛ばしながら怒り狂ったエイミーだが、セリアに対しては非常に優しく語りかけた。別にこれは、ジョナサンやセリアが特別なのではない。エイミーやフィリパ、マージは館の人間や女性には優しくて、麓町の若者連中には厳しいのだ。


 エイミーの背後で洟をかんでいたセリアがぴくっと身を震わせ、おどおどとした眼差しでエイミーを見上げた。


「……ごめんなさい。麓町の方とも早く仲良くなりたくて」

「いや、そりゃあ確かに私たちは、『仲良くなりたいなら積極的に接点を持つように』とは言ったわ。でも、これがジョナサンじゃなくてドナルドだったら……あんた、今頃食い尽くされていたわよ」

「食い尽くす……」

「そーよ。だからこれからは同性はともかく、若い男には気を付けること。よっぽど信頼できる相手じゃないのなら、二人っきりにもならないこと」


 エイミーの忠告を受け、一瞬セリアの眼差しが揺らいだ。

 だが彼女は素直に頷き、「気を付けます」としおらしく言った。そんな仕草にさえ、ジョナサンたちには真似できない上品さが漂っていた。
















 二年も経てば、人間も変わる。

 人間が変わるなら、ジョナサンも変わる。


「その、なんというか……俺とそう年が変わらないはずなのに大人びていて……真っ直ぐ前を見ているところとか、すごくきれいだな、ってずっと思ってて……」


 今、自分の顔は真っ赤だろう。店先にぶら下がっている肉よりも真っ赤である自信がある。

 財布から代金を出そうとしていたセリアが、首を傾げてこちらを見ている。ここ二年ほどでだいぶ垢抜けてきたセリアだが、彼女がグリンヒル一の美女であることに変わりはない。


「……あの、それって?」


 何かを察したのだろう、セリアが問うてくる。

 ジョナサンは己を叱咤するようにカウンターの下で拳を握り、思い切って声を上げた。


「え、えーっとですね。俺、二年前にセリアさんが館に来たときからずっと――」















「ジョナサン、今日はしこたま飲むぞ」

「今日はおまえのための飲み会だ」

「それじゃ、完敗!」

「完敗!」


 なんだか「かんぱい」のニュアンスが微妙に違う気がするが、ジョナサンには突っ込む気力もなかった。

 ドナルドたちがなみなみと注いでくれた酒はグラスから溢れており、グラスを手にするジョナサンの手の甲をひたひたと濡らしている。

 まるで俺の涙のようだな、なんて気障な台詞は胸の中にしまっておくことにした。


「あー、でもあれにはびっくりしたわ」

「デニスだっけ? セリアちゃんもお嬢様っぽいとは思ってたけど、まさかあんな優男と知り合いとはなぁ」

「そうそう」

「俺、セリアちゃんが若い男にあんなに近づくのを初めて見た」

「でもよぉ、あのフィリパたちが黙ってないだろ?」

「ところがどっこい、さっき配達で館に行ったときにマージのやつに会ったんだが、あいつけろっとしてたんだぜ。『デニス? ああ、セリアの友だちらしいわよ』って!」

「俺たちなら、近づいただけで嫌な顔をされ、口を開けばゴミムシを見るかのように睨まれるというのに!?」

「俺たちの何がいけないんだ!?」

「顔だろ」

「態度だろ」

「むしろ全てだろう」

「許すまじデニス」


 一応「ジョナサンを励ます会」として始まったはずの飲み会だが、当の本人はいつも通り蚊帳の外で、関係ない者たちで勝手に盛り上がっている。

 そんな仲間たちの光景を、ジョナサンは虚ろな眼差しで見ていた、が、突如手元のジョッキをあおり、なみなみと注がれた酒を一気に飲み干した。


「うおっ、やるなジョナサン」

「吐くなよぉ吐くなよぉ」

「こ、こいつ、飲みながら泣いている!」

「よーしよし、今日は思う存分泣け、ジョナサン」

「そうそう。まだ負けと決まったわけじゃねぇんだ。都会の男が何だ! ジョナサン、おまえは『麓町で結婚したい男ランキング』で毎年一位に輝いているだろう!」

「負けるなジョナサン!」

「頑張れジョナサン!」


 雄々しく叫びながら迫ってくる悪友たち。酒臭く、男臭く、汗臭い。

 カウンター越しに会話をしているだけで何となくいい匂いのするセリアとは大違いである。














 春の風が、丘を吹き抜ける。


「……ちわーっす、配達に来ましたー」

「はいよ、いつもありがとう、ジョナサン」


 いつものように手押し車に商品を乗せて丘を登ったジョナサンを出迎えたのは、フィリパだった。

 手押し車を玄関前に止めたジョナサンは額の汗を拭い、フィリパに微笑みかける。


「こんちわっす、フィリパさん。今日も新鮮な肉を届けに来たっすよ」

「いつもありがとう。ちょっと待ってね」


 そう言ったフィリパは腰のベルトから提げていたタオルで手を拭い、注文用紙をめくる。


「……よし、全部揃ってそうね」

「どもっす。……えっと、今日もできたらこれを」


 ジョナサンはそう言い、フィリパに一輪の花を差し出した。丘を登る前に麓町の花屋で買ってきたものだ。

 それを見たフィリパはふっと眼差しを和らげ、花を受け取る。


「……ありがとう。セリアの部屋に飾らせてもらうわ」

「その……俺がセリアさんに花を贈ってること、デニスさんは知ってるんすか?」

「当たり前でしょう。私たちがなにか言う前に気づいていたわ」

「……そっすか」

「『いつも花を持ってきてもらって悪いな』って言ってるわ。……デニスはあんたに敵対心とか抱いていないから、安心なさい」


 花をエプロンのポケットに入れつつフィリパが口にした鋭いお言葉に、ジョナサンは苦く笑う。


「……はは。でもそれって、ライバルとさえ思われてないってことっすよね?」

「そりゃまあ、そうだけど」

「……虚しい」

「なーに湿気た面してんの、『麓町で結婚したい男ランキング』一位の男が!」


 そうして、フィリパの容赦ない一撃がジョナサンの背中に決まり、フィリパよりもずっとたくましい体の彼はうぐぉっとうめいてよろめく。


「セリアは無理だとしても、グリンヒルにはいい女はいくらでもいるでしょう! あんたはいきなり目の前で鶏を捌いたりどもったりしなけりゃ十分いい男なんだから、自信を持て! あんたが真面目に本気になれば、絶対あんたのことを好きになる子がいるって!」

「……あっ、そういえばフィリパさんは彼氏いないっすよね。俺なんてどうっすか?」

「……ないわぁ。というか、私だけお一人様なのをおちょくってんの? んん?」

「すんません」


 ジョナサンとしてはほんのジョークのつもりだったのだが、フィリパが手にしている注文書の束で今にもしばいてきそうな勢いだったため、素直に謝る。

 どうやらフィリパは、仲良しのマージやエイミーがいずれ恋人と結婚し、セリアにもデニスがいることから、自分だけ「お一人様」であることをかなり気にしているようだ。


 フィリパは丸めた注文書をパシパシと手のひらに叩きつけつつ、顎で食料庫の方を示した。


「ほら、悪いと思うならさっさと働く! お肉を食料庫まで!」

「へいへい、フィリパ様の仰せのままに……」


 ジョナサンは大きな背中を丸め、フィリパの指示通りに商品を食料庫へ運んでいった。館の傭兵ほどではないが彼もなかなかいい体つきをしており、フィリパでは一つ抱えるのも難儀しそうな木箱を軽々と持ち上げている。


 フィリパは目をすがめてジョナサンの背中を睨んでいたが、やがてその姿が廊下の角を曲がると、ふんっと鼻を鳴らした。


「……なぁにが、『俺なんてどうすっか?』よ。フられんぼのくせに、生意気」


 そう辛辣に呟くフィリパの頬は、ほんのりと笑みを象っていた。

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