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convicted  作者: 雨恭
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act1

初連載です


どうぞよろしくお願いします。


本作品はフィクションです。

実在の人物、団体などとは関係ありません


 1835年4月

彼は空腹で座り込んだ。

もう何日食べ物を口にしていないかなど彼の衰弱しきった頭では理解することもできなかった。

ましてや自分がいまイギリスのどこにいるかなどわかるはずもない。かろうじて彼の頭に入ってくる情報は太陽の光が細く降る路地裏であるということのみだった。テラコッタの髪は泥にまみれ、濁ったオリーブ色の瞳は何も写ってはおらず、だんだんと重くなるそれに逆らうことなく彼は受け入れる。

視界が消える直前の彼の眼に焼き付いたのは黒の神父服と対照的な白の髪だった。



急に彼の瞳を痛いほどの光が刺した。

ゆっくりと眼球を回しながら周りを見渡す。周り一面をレンガの壁とガラスの窓に囲まれ、正面の祭壇には見事な聖母マリア様のステンドグラスが神々しく輝いている。自分はどうやら教会の聖堂にいて祭壇に向かって並ぶ長椅子の一つに寝かされていたようだ。


「おはようございます。食欲はありますか。」


自分に向かって歩いてくる神父の持つトレイには湯気の立ったポトフが彼の腹を刺激する香りを漂わせていた。差し出された器を前に神父をチラリと見て戸惑いながらも、手に取り口つける。ゆっくりと口に含み咀嚼する。温かいスープが喉を通り、腹を満たしていく感覚にようやく体が安堵する。


「たくさん作ったのでいっぱい食べてくださいね」


彼はその言葉にふと、思い出したように神父を観る。神父の瞳は長めの前髪と眼鏡で反射しているため、うかがい知ることはできないが、優しく微笑んでいるのがわかる。それと同時に神父の白い髪が意識を失う直前に見た白と重なる。


「ねぇねぇ、お兄さん迷子なの?」

「迷子なの?」


突然彼の両耳に響いた幼い男女の声に驚き動悸を激しくしながら振り返ると8、9歳くらいであろう同じ顔の女の子と男の子が満面の笑みを浮かべながらこちらを蒼く大きな瞳で見つめていた。女の子の方がその長く少しくせ毛の金髪をリボンで一つに結んでいるためそちらが女の子だろうとかろうじて区別がつくようになっている。


「ぼくロジー」

「わたしリリー」

「ここね、よく迷子が来るんだぁ」

「来るんだぁ」

「だからお兄さんもまいごぉ?」

「まいごぉ?」

「いや…そういうわけでは…。」

「そっかー」

「そっかー」

「まぁいいやー。ねーねー、お兄さんはチェスできる?」

「できる?」


可愛らしく左右対称に首をかしげながら問う。彼は少し考える仕草し、笑顔を浮かべて


「少しならできるよ」


頭の中の奥底にしまわれているであろうチェスのルールを掘り起こしながら答える。

「まったく、あなた達は。彼は起きたばかりなんだからほどほどにしてあげなさい。」


神父は呆れたようにため息をついた。


「うるさいなー」

「うるさいなー」

「ヘタレ神父はあっち行ってよ。」

「行ってよ。」


頬を膨らませながらロジーは腕を組み、リリーは手を腰に当てて言い放つ。神父はその言葉がよほどショックであったのか祭壇の隅にしゃがみ込みお祈りの言葉を高速で唱え始めた。


「よし、これであそべるねー」

「あそべるねー」

「え、あ、うん」


いつの間に持ってきたのかチェス盤がすでに長椅子の上に置かれ、リリーが駒をセットしていた。彼は神父を放置してもよいのか不安になったが二人が何も言わずにいるということは自分が口を挿むことではないだろうと結論付ける。


「はい。どっちがいい?」

「どっちがいい?」


ロジーがすでにポーンを手に持っているのかトスを求めてくる。彼は戸惑いながらもライトを選択する。


「お兄さんブラックだ。ぼくたちからね。」

「からね。」


嬉々とした様子でロジーとリリーはポーンを手に取り一マスすすめた。それに続き彼の自分のポーンを手に取った。



この二人は彼にとって予想以上に強かった。ただの子どもだと彼は甘く見ていたがなかなかキングにたどり着くことが出来ない。そうして悩んでいると急に教会の扉が開く音がする。


「あ。プレイシアだ。」

「プレイシアだ。」


その声につられて扉の方を振り返るとエルクベージュの髪の毛を耳の上で二本に結んでいる女性が一人激しく足音を鳴らしながら入ってきた。買い物に行ってきた帰りなのかその腕には紙袋が抱えられていた。よく見ると彼女の瞳には珍しいピンクスピネルの鮮やかな色が勝気に浮かんでいる。


「お帰り。プレイシア。」


先ほどまで高速で祈りの言葉を呟いていた神父が笑顔で出迎える。


「なんで私が買い物に行かなきゃならないのよ。ユノあんたが行けばよかったじゃない。」

「仕方ないでしょう花屋のおばあさんが危ない状態だったんですから。」

「何も私じゃなくてもいいじゃない。この教会もう一人いるでしょ。」

「彼がたかが買い物で外に出るとおもいますか。」

「もう。あの引きこもりめぇ」


バンッとチェス盤を置いていた長椅子に苛立ちをあらわにし、紙袋を置いた。その拍子にチェス盤が傾き、駒が全て床に散らばる。


「「ああー。」」

「プレイシアひどいよ。」

「ひどいよ」

「もう少しで勝てたのにー」

「勝てたのにー」


ロジーとリリーはプレイシアに食って掛かる。プレイシアも気まずいのかソッポを見きながら「ごめん」と呟く。

それを見かねた彼は「大丈夫だよ」とロジーとリリーに優しく笑いかけ、チェス盤を長椅子に戻し駒を一つ一つ拾い上げチェス盤に戻していく。


「ほら。これで元通りのはずだよ。」


彼がすべての駒を拾い上げた時にはチェス盤の上には先ほどのゲームが正確に再現されていた。


「お兄ちゃん、すごーい。」

「すごーい。」


ロジーとリリーは目を輝かせながらチェス盤と彼の顔を見比べる。

彼の戻した駒を遠目から見ながらプレイシアは感心したような表情を浮かべ。


「6種類32個の駒すべての配置を覚えていた。ってことよね。」


隣の神父もといユノに話しかける。プレイシアからは表情こそ見えないがユノも微かに驚いている様子を感じ取っていた。


「そうですね僕はこんなことできる人間は一人しかしりませんよ。」


そんなユノに意見に「同感だわ。」と同意しながら彼女は少し考えるそぶりを見せる。


「ねぇ、ユノ。彼、使えると思はない?」

「彼を仲間に引き入れるということですか?」

「ええ。彼の記憶力は使えるはずよ。」


その意見にユノはわずかに思考をめぐらすが自分には手に負えない問題だと結論付け思考を放棄する。


「あの人に聞いてみるのが一番なんじゃないですか。」

「それもそうね。連れてくるわ。どうせ部屋にいるんでしょあの引きこもりは。」


そう言ってプレイシアは教会の中央にある立派な装飾が彫られている扉に入っていった。

そんな会話がなされていることなど三人は知る由もなくチェスの続きを楽しんでいる。


「ちがうよロジー。そのナイトはこっちの方がいいってばぁ。」

「ちがうよリリー。そこに置いたら取られちゃうよ。こっちのほうがぜったいいいよー。」


ロジーとリリーが次の一手の取り合いを始めてしまう。彼はその二人の様子を微笑ましく思うと同時に今の自分からは程遠いい状況にわずかな悲しみを滲ませながらも停戦を促す。しかし、兄妹喧嘩に夢中の二人に彼の声はいっこうに届くことはない。どうするべきか頭を抱えていると、急に彼の上に影がかかる。


「おい、うるさいぞ。ロジー、リリー。」


振り返ると白衣を着た長身の男性が立っていた。寝ぐせがついたアイボリーの髪を無造作にかき分けるため、さらにぼさぼさ頭になる。そして、光の灯っていないサファイアの眼で彼らを見下ろしていた。この男が何者なのかという問いよりもさきに、彼はその長身から降ろされる視線に一線の恐怖が脳内をよぎった。


「あ。ヴァルさんだぁ。」

「まだ陽が沈んでないのに」

「めずらしー」

「めずらしー」

「五月蠅いぞ、ツインズ。頭に響くから黙ってくれ。」


二人にヴァルさんと呼ばれた男性は煩わしそうに欠伸をしながら今にも閉じてしまいそうな目をロジーとリリーではなく彼に向ける。その男の視線は鋭く、逃れることはほぼ不可能であることを彼は理解していた。一見魚が死んだような目に見えるが一切の隙がなく、自分が観察されているような感覚に陥る。いや、実際に観察されているのだろう。


「初めまして。お前がユノの拾ってきた子供か?」

「え、えっと。」

「ええ、そうですよ。彼が先ほど言った子です。」


彼は先ほど言ったという言葉の意味がわからず、混乱の色をにじませる。


「そうか。覚えることは得意か?」

「まぁ、はい。」

「そうか。」


男はゲーム中のチェス盤に駒を適当に並べ変え彼に見せた。そして、彼が見たのを確認すると、なんの躊躇もなくその並びを崩してしまった。


「元通りにできるか?」


男の問いに恐る恐る頷いてみせ、駒を手に取って並べる。彼の頭の中には先ほどのチェス盤が映像のようにはっきりと写し出されている。


「ほう。」


男の視線は駒を動かす手に絶えず刺さっているのを感じていた。


「できました。」


男は口元に手を添えて鋭い視線をチェス盤の駒一つ一つに注ぐ。一通り観察を終えると男は顔を上げ一歩後ろにいたユノに視線を向ける。


「まだ部屋あったよな。」

「お前の物置を片せばありますよ。」


ユノは呆れたようにため息を吐きながら答え、やれやれといった風に礼拝堂の中央にある扉の奥に入っていった。扉が閉まる瞬間張りつめていた空気が少し和らいだため彼は肩の力を抜く。そこへ男の視線が彼に向いた。


「さて、お前帰る家はあるか?」

「い、いえ。帰る場所はありません。」

「そうか。なら今日からここに住め。お前のその才能俺が買ってやる。」


決定事項だとでも言いたげに男は彼に言い放った。それと同時に先ほどまでの重苦しい雰囲気は消え、男は気だるげに口を開く。


「俺はレトリヴァル。お前の名前は?」

「名前は、その、ありません」


彼の声は徐々に沈んでしまう。レトリヴァルは少し考えるように彼をじっと見下ろしていたがふと視線を窓際の花瓶に生けられた三センチほどの淡いピンクの花にむける。恐らく、ユノが貰って来たのだろう。その花を手に持ち彼に向って差し出す。


「アスターだ。」


彼は戸惑いながら花を見つめる。


「お前の名前だ。俺たちはお前をそう呼ぶ。」

「アスター。」


レトリヴァルの告げた名前を確かめるようにつぶやくと元から知っていたかのように胸にすっと入り込む感覚を感じた。



「ここがアスターの部屋です。」


そういってユノに案内された部屋に入ると正面にベッドが横たわりその奥の窓からは生い茂る木々がのぞいていた。


「こんな立派な部屋、もらってもいいんでしょうか。」

「はい。好きに使ってください。今日からあなたの部屋ですから。」


ユノはにっこりと微笑みアスターを中に入るよう促す。アスターは部屋に入りもう一度部屋を見渡す。扉の横には木製の引き出しの付いた机と小さな椅子が置いてあり、その上に青銅の燭台が置かれている。


「夕食になったら呼びますよ。」


ユノが出ていくとアスターはベッドに横たわり目を閉じ、今までの状況を思い返す。寒い風が吹く中、冷たい地面に体を庇いながら寝ていたアスターにとってこの部屋は充分過ぎる程であり、この状況は夢なのではないかとさえ感じていた。

そんなことを考えていると、どっと疲れが体を襲う。だんだんと瞼を押し上げていられなくなり意識は沈んでいった。


「夕飯ですよ。」


ノックの音に眠りから呼び戻されるのと同時にユノが扉を開け、顔を出す。いつの間にか寝てしまったのだろう、窓の外は日がすっかり沈みガラスに映る自分と目が合った。短く返事を返しユノの後ろを追って部屋を出る。唯一の明りである燭台を持っているユノについて暗い廊下を歩き、礼拝堂の祭壇の脇にある扉を抜けると広い部屋が現れる。長いテーブルが一つ置かれそこにレトリヴァルやプレイシア、リリーとロジーがすでに席に着いていた。


「こっちよ。」


プレイシアに促され彼女に隣に座る。反対隣りはロジーだが、正面にはセピア色の髪を綺麗にバックへ撫でつけ上質な上着を身に着けた男性が、ペリドットを宿した眼を細めアスターに笑いかけている。加えて、斜め前には美しい光沢を放つ黒髪を優雅に流した女性が金色の瞳でアスターを観ているため落ち着かない。


「まずは食事にしましょう。」


ユノの言葉にテーブルに視界を移すとパン、野菜のたっぷり入ったスープ、そして蒸したジャガイモが並び、中央には焼いた肉の塊が置かれていた。その肉をユノが一人一人に切り分ける。驚いたことに、あの幼いロジーとリリーでさえ黙って粛々とナイフとフォークを動かし素人でもわかるような美しい作法で食事をとっている。一通り食事がすんだところでアスターの正面に座っている男性が口を開いた。


「そろそろ、我々にも彼を紹介していただけませんか。」

「そうね、その可愛い坊やを紹介して欲しいわ。」


黒髪の女性も組んだ腕に顎をのせこちらをジッと見つめている。


「ああ。すまない、忘れてた。」

「あ、す、すみません。ア、アスターと言います。」


レトリヴァルの視線とプレイシアの肘に促されて慌てて名前を名乗る。


「私はカトレア=キャンベルよ。一応伯爵夫人をやっているわ。」


先ほどの射貫くような視線とは異なり緩やかな笑みを浮かべる。


「わたくしはルイスと申します。普段はオランダなどから商品を買い付け、それを売る仕事をしています。」


確かに二人の服装は上質な布が使われていることはアスターにも一目でわかったためただの客人ではないのだろうとおもってはいたが、まさかそのような自分とは無縁の地位にいる人間だとは思わず、彼は目を見開き唖然としている。


「わぁ。アスター間抜け顔だぁ。」

「間抜け顔だぁ。」

「いや、だって、伯爵夫人って。」

「えー。ぼくも侯爵だよー。」

「だよー。」


急なロジーの告白にアスターはますます大きな衝撃を受けたがいわれてみるとロジーの服もリリーのドレスも一見、庶民の着るような地味な色合いだが生地そのものは上質なもので仕立てられている。


「あの、皆さんってどういった集まりなんですか?普通の集まりとはだいぶ違うようですが…。」


ここまでの身分の人間がごく普通の教会に集まっているところを見るとさすがにただの集まりではないだろうと疑問を持つ。


「ああ。それについても話さなくてはならないな。」


その言葉とともにレトリヴァルはめんどくさそうに頭をかくがアスターに向けられる視線は鋭くなった。


「腹は満たされたか?」

「え、あ、はい。」

「なら部屋を移動しよう。ここで無防備にできるような話じゃないからな。」


そう言いながら席を立つレトリヴァルに続き他のメンバーも席を立つ。


「来い、アスター。お前を拾った意味を教えてやる。」


そのまま食堂からキッチンに移動し、おもむろに棚の一番下の扉を開ける。鍋が数個あるだけだがその鍋をかき分け、身をかがめながら奥に入ってく。奥においてある人ひときわ大きな鍋を横にずらすと床にピッタリはまった蓋のようなものがあった。レトリヴァルがその蓋を躊躇なく持ち上げると地下へ続く階段が現れた。人がギリギリ一人は入れる程の大きさの穴に一人一人足から入っていく。


「お気を付けなさい。迷子になったら大変よ。」


突如現れた穴に驚き声も出ないアスターをクスクスと笑いながら入っていくカトレアの後を慌てて追いかけるように階段に足を踏み入れ、暗く湿気のある通路をまっすぐに歩く。まだ通路は続いているはずなのだが全員が立ち留まった。そして、レトリヴァルが壁に手を置きレンガの一つを押し込むと歯車が重くゴゴゴという音が鳴り響き先ほどまで壁であった場所はレンガがすべて横にはけ、重厚な扉が姿を見せた。

彼らの後について到着した部屋は先ほどの食堂とは違い低いテーブルを囲むソファと部屋の端に火のついていない暖炉があるだけだった。アスターは突然現れた部屋に戸惑い状況を整理しようとキョロキョロと周りを見渡す。


「まぁ、まずは座れ。」


レトリヴァルに促され出入り口から一番近い三人掛けのソファーに座る。その横にはロジーとリリーが座る。全員が座るのを確認するとアスターの正面に座ったレトリヴァルが気だるそうに口を開く。


「さて、おれたちは泥棒だ。」


今日一番の驚きかもしれない。アスターの表情は口を開いたまま固まり、声を出すことすらできず他のメンバーの顔をキョロキョロと見回すが誰一人としてその発言に異を唱えることもなく表情もさして変わらない。


「あんた言い方が悪いのよ。」


プレイシアが呆れたように言葉を発する。


「何か違ったか?」

「まぁやっていることは泥棒で間違いないですが。」

「言い方がねー。」

「ねー。」

「もう少し良い言い方があると思うわ。」

「そうですね。もう少し言い方を考えた方が良いと思います。」


全員に否定され、レトリヴァルの眉間にしわがより、顔が少し不機嫌になる。


「え…。ま、待ってください。それじゃあ僕は泥棒の片棒を担がされるために拾われたということですか。」


アスターは自分を拾い部屋を与え、食事まで出してくれたここまでの行為がただの親切心ではなく悪事の片棒を担がせるための行動であったと周りが完全に否定しないことに絶望の色を見せる。


「まあ、ユノさんはそんなつもりで助けたわけではないと思いますけどね」


クスッと微笑を浮かべルイスは続ける。


「確かに我々のやっていることは泥棒と大差はありません。しかし、その辺にいる空き巣などと一緒にされるのは心外です。」


浮かべた微笑を張り付けたままいつの間にか手に持っていた紅茶を口に含みゆっくりとした動作で飲み込む。


「我々が盗むのは強者に取り上げられたものです。」

「取り上げられたもの?」


アスターはまだ理解できないといった表情だ。


「そうよ。権力のある強い人間は権力もなく抗う力の無い弱い人間から大切なものを無理やり取り上る。それを盗み取って元の持ち主に返すのがあたしたちの仕事よ。」


理解のできていなかったアスターにわかりやすくプレイシアが説明する。


「そうそう。ぼくたちが悪モノから取り返すんだよー。」

「取り返すんだよー。」

「だって」

「「力のある大人は何もしてくれないからね」」


さっきまで無邪気に輝いていたはずの二人の澄んだ蒼い瞳は陰り、青白い光を放っている。その瞳の焦点はあっていないように思えた。


「お前が俺たちの仕事をどう思おうが勝手だが、俺たちはお前を助け、食事を与えて、寝床もやった。」


レトリヴァルは鋭い視線をアスターに突き刺す。アスターはその視線にごくりと固唾を飲み込む。


「お前は俺たちに恩があるはずだ。」


盗みは犯罪であり、罰せられる行為だ。実際アスターはどれだけ生活に困窮し生命を脅かしかねない状況でも泥棒などの犯罪行為にだけは踏み込むことはなかった。しかし、アスターにはレトリヴァルの視線から逃れる術も自分の受けた恩を否定する方法も持ち合わせてはいなかった。


「い、一度だけでいいですか?」


それがアスターが精一杯考え抜いて行き着いた答えであった。


「ああ、それでいい。そのあとはお前の好きにしろ。」


レトリヴァルの返事を受けてもう一度自分の答えをはっきりと口にする。


「一度だけ手伝わせてください。」


薄暗い部屋のなかで薄く輝くオリーブ色の瞳がアスターの覚悟を示しているようだった。




アスターは感嘆の声を漏らした。


(すごすぎる。)


滑らかで、艶のある真赤なビロードの絨毯が隙間なくひかれた廊下を踏み込むたびに感じる上質な布地を踏む感覚にびくびくとしながら前を歩くプレイシアを追いかけるように続き、この屋敷の玄関から並ぶ、一生見ることは叶わなかったであろう数々の品に目を泳がせる。

階段の手すりは自分の顔が映り込むのではないかと思うほど磨き上げられ、所せましと絵画の飾られた壁はむらなく綺麗にホワイトの塗料が塗りこめられている。その壁に取り付けられた金の燭台には目を凝らせば複雑な模様が描かれている。


「キョロキョロしてないで早く来なさい。」

「は、はい。」


焦りながら、速度を緩めることなく歩くプレイシアのところまで小走りで追いつく。プレイシアは普段の簡素な服とは違い上等な黒いロングワンピースを完璧に着こなし、白いエプロンをつけ長い髪を後ろで団子状にまとめている。ふとこちらを振り返る。


「あんまり遅いと置いていくわよ。」

「すみません。」

「すみませんじゃなくてごめんなさいでしょ。あと敬語も気を付けてよ。私たちは今姉弟なんだから。そんなよそよそしく喋る姉弟いないわ。」

「すみま、じゃなくてごめん姉さん。」


なぜこのように豪華絢爛な廊下を歩きプレイシアを姉と呼んでいるのかは数日前にさかのぼる。



「さて、アスターが手伝ってくれると決まったところで作戦会議といこうか。」


レトリヴァルは長い足を組み、自分の座っているソファーに背中を預ける。


「では、今回の依頼内容からですね。」


ユノが進み出てきて紙を広げる。


「今回の依頼主は隣の村のおばあさんです。」

「隣の村ってことはジッター男爵の領地だねー。」

「だねー。」

「知っているんですか?」


ロジーとリリーにユノが問う。


「知ってるよー。かれこの辺だとちょっと有名だからねー。」

「そうそう。もちろん悪い方向でだよー。」

「ルイスとカトレアもしってるんじゃない?」

「じゃない?」

「ええ。社交界でも彼のきな臭い話は多く聞くわ。」

「私もそれなりには」


カトレアとルイスも思い当たる人物を思い出したのか少し眉間にしわが寄っている。


「まあ。そのジッター男爵が大いに関係あるんですがね。」


そう言ってユノは疲れたようなため息を吐き出すと紙に視線を落とし、口を開く。

ユノの説明によると数日後、隣村に領土を持つジッター男爵夫人の誕生パーティーが盛大に行われるそうだ。

そこで金遣いの荒い夫人は屋敷の装飾品を全て模様替えをするべく村にいるあらゆる職人に急な発注を強いた。その際に花瓶の下に引くクロスの刺繍を村一番と評判のおばあさんに発注したのだがいざ注文の品を取りに行くとどうやら夫人のお気に召さず『この私に恥をかかす気か』とひどく罵った上に作り直しを命じたそうだ。しかし、夫人の注文した模様はとても複雑で、おばあさんは数日で作れるようなものではないと訴えた。それに対して夫人はならば家においてあるものをよこせと強引に一枚のクロスを持って行ってしまった。


「そのクロスが今回のターゲットってことね。」


プレイシアが納得したような声にユノは頷く。


「どうやらそのクロス病死した娘さんの遺品だったそうです。」

「なるほどな。それで、そのクロスの特徴は?」


レトリヴァルがちらりとリリーを見るとリリーはユノに預けていた紙を受け取りテーブルの上に広げる。そこには蔦が複雑に絡み合い鮮やかな花模様が描かれていた。


「これがおばあさんから聞いた刺繍の模様だよー。」


その模様に見とれていたアスターにレトリヴァルが視線をよこす。


「アスターとプレイシアはこの模様を覚えておけ。屋敷には二人で潜入してもらう。」

「はい。」

「わかったわ。」

「それからどうもこの領地は怪しい。裏で妙な金の動きがあると報告が来た。今回の刺繍の件とは別に何かあるかもしれない。」

「そうですね。その可能性は極めて高いと思われます。」


レトリヴァルの意見にルイスも同意を示す。


「こちらの件は俺とルイスで調べる。」

「ええ、そのほうが確実ですわね。社交界での情報はわたくしとロジー、リリーにお任せなさい。」

「まかせてー。」

「まかせてー。」


カトレアの提案にロジーとリリーも左右片手ずつ手を上げ、張りきった様子で目をキラキラと輝かせていた。


「では、諸君仕事と行こうか。」


レトリヴァルの一言に空気が一気に引き締まり緊張感が空間を満たす。アスターはもう後戻りはできない自分の立場に固唾を飲み込んだ。



プレイシアに連れられ豪華な廊下を歩き一番奥に位置する部屋に通される。

部屋の壁中をぐるりとガラス張りのショーケースが囲み、中には見事な装飾が施された金属器や美しく磨き上げられたグラスなどが騒然と並べられていた。それらの一つを開け放ち中の金属器を念入りに磨く初老の男性が一人立っていた。プレイシアがその男性に近づき深々とお辞儀をする。それにならい少し遅れてアスターもお辞儀をする。


「おはようございますMr.エーカー。本日は私の弟を雇っていただきたくお時間を頂戴いたしました。」


プレイシアが声をかけるとこちらの存在に今気が付いたとばかりに振り返った。


「ああ。話は聞いているよ。君も仕事があるのにこんなところに呼び出してすまないね。それで、君の弟とは後ろにいる彼のことかな。」


男の視線にビクッと肩を揺らしたアスターだったが気を取り直しプレイシアの視線にも促され自己紹介をする。


「あ、姉がいつもお世話になっております。弟のアスターです。」


緊張しながらも噛まずに言葉が出てきたことに安堵を覚える。


「アスター君だね。君のお姉さんはとても優秀だからとても助かっているよ。ぜひ正式に雇い入れたいくらいさ。最近はよい人材がなかなか見つからないから困っていたんだ。期待しているよ。」

「おほめに預かり光栄です。それでは、弟も雇っていただけるということでよろしいでしょうか?」

「ええ。もちろんです。私はこの屋敷の使用人を雇用する権限を旦那様から頂いております。もうすぐ奥様の誕生パーティーで忙しいのでなるべく人手が欲しいのですよ。」


にこやかに彼はアスターの申し入れを受け入れた。そのままプレイシアに男性の使用人用の服がある場所の指示を出し、鍵を渡して退出を促す。

アスターは先程までの会話に何も感じていなかったと思っていたが相当緊張していたようで無意識に握りこんでいた手のひらはジットリと汗ばんでいた。


「まずは第一段階成功ですね。」

「気を抜くのは早いわよ。まだスタートの一歩を踏み出しただけの状態なんだから。それとここでそういった話はやめて。ただでさえ敵地にいるのにいつどこで誰が聞いているかなんてわからないわ。」


プレイシアは呆れたようにアスターを見る。


「それと、ここでは姉弟のプレイシアとアスターよ。私はあなたの姉だし、あなたは私の弟よ。この立ち位置を絶対に忘れないこと。」


プレイシアは投げつけるように言い放ち廊下をどんどん歩いて行ってしまう。それを慌てて追いかけるようにアスターも小走りでついていく。



「アスターです。よろしくお願いします。」


使用人服に着替えたアスターは他の使用人たちの集まる部屋に案内され全員の前で自己紹介をする。


「プレイシアの弟だそうだ。何かあったら教えてやってくれ。」


先ほどの初老の執事によって補足され、紹介も終わると配属された掃除担当のグループに合流する。


「よろしくな、新入り!」


バンッっと肩のあたりを後ろから強めに叩かれる。後ろを振り返るとくすんだ茶髪を短く刈り上げ、鼻の上にはそばかすの散ったアスターよりも体格の良い男の子が人懐っこい笑顔を見せていた。その後ろにも同じような男の子が数人こちらを珍しそうに見ている。


「俺ヒース。今日から俺らのグループだろ。仕事教えてやるよ」

「え…ありがとう。」


戸惑うアスターの腕をつかむと他の班員のもとに引きずるように引っ張っていく。


「おう。仲良くやろうぜ。」


彼らの仕事は屋敷内をくまなく掃除することだ。屋敷内の掃除を全て任されているこのグループに所属することで屋敷内を余すことなく調べることが可能だというレトリヴァルの説明を思い出す。

しかし、高価な装飾品の多くを任されているため適当に仕事をすることは許されない。少しでも傷をつければジッター夫婦からの厳しい折檻が待っている。掃除担当はさらに4~5人のグループに分けられ各部屋の掃除を行う。


「よし、アスターは新入りだからな俺がしっかり面倒見てやるよ。」


そう言うとヒースは自分のグループにアスターを入れてくれた。そのグループはヒース以外はアスターと同じく臨時に召集された下男で彼だけが小姓としてこの屋敷に雇われている。しかし、彼はそれを鼻にかけたりすることなく献身的にアスターに仕事を教えてくれた。

アスターは仕事をこなす間に先日見た屋敷の地図と照らし合わせながら部屋や廊下、窓などの配置を確認する。


「…ンでここの掃除は…おいアスターちゃんと聞いてるのかよ」


傍からみるとぼーっとしているように見えるアスターに彼は不機嫌そうに問いかけた。


「えッうん。聞いてるよ。この棚を拭くときは雑巾じゃなくてこっちの布にするんだろ。」

「それはさっきの像の話だろ。今言ってるのは窓枠の話だよ。」

「ごめん。ぼーっとしてたみたい。」

「しっかりしろよ、少しでもへますると旦那さまと奥様から折檻されるぞ。」


ヒースは少しおびえたように言った。



ヒースのグループと一日中掃除をして、間取りの確認という作業に集中しているといつの間にか終業時間を知らせる鐘が夕暮れの空に鳴り響く。

皆自分のやっている作業に区切りをつけ道具を片付けると帰り支度を始める。アスターもヒースのあとに続き使用人用の戸棚から自分の荷物と洋服を取り出し使用人服から着替え、他のメンバーに挨拶するとすでに外で待ってきたプレイシアのもとに行く。


「また明日ね。」


女性たちがプレイシアに向かって笑顔で手を振っている。それに対してプレイシアも笑いながら手を振り返す。


「お友達ですか?」

「そうね。噂話が大好きなオトモダチよ。」


女性たちが見えなくなったと同時にさっきまで確かにあったプレイシアの笑顔は跡形もなく消えていた。


「さ、帰るわよ。」

「はい。」


夕暮れの中どんどん歩いて行ってしまうプレイシアに今日3回目だなと思いながらアスターはあとを走って追いかけた。



今日もまた廊下の美術品の清掃に精を出す。少しでも磨き残しがあると先輩方の厳しい注意を受ける。その先輩方も何か不備があれば主人から厳しい処罰を下されるため必死に仕事をしている。

そんな日々を数日送ればそれなりに友好関係も築かれる。毎日行動を共にしているためヒース以外のメンバーたちともそれなり仲良くなり、少しずつ会話も増えていく。


「なあ、刺繍のばあさんの話知ってるか。」


仕事の合間に軽食を食べているとメンバーの一人で一番小柄なフェンがおもむろに口を開いた。


「あー、俺も聞いたぜ。奥様がばあさんから遺品のクロス取り上げた話だろ。ひでぇ話だよなまったく。」


まかないのパンとスープを食べていると急に同僚の一人が話し出したことを切り口にメンバーが次々と口を開く。アスターは情報を掴むチャンスだと思い、話に加わる。


「その話僕にも教えて。」


アスターも興味津々という表情で喋りだしたメンバーに聞く。


「あー。お前隣村のやつだもんな。この村一番の刺繍の腕を持つばあさんがいてな。どうも今回のパーティーのために刺繍の入ったクロスを頼まれてたらしい。」

「けどよ、そのクロスを奥様はどうもお気に召さなかったようで新しく作り直せって命じたらしい。そんなのは無理だって言ったら代わりにとばあさんの娘の遺品のクロスを持っていっちまったんだと。」


ここまではアスターが聞いた話とほぼ同じだ。


「しっかし奥様も酷なことするよな。なんでもそのばあさんの娘ってのが奥様の折檻が原因で死んだって話だぜ。」

「俺も聞いたことある。奥様の証言だと滑って転んで後頭部強打したって話だが医者が診たところ体中に折檻の跡があったんだろ。」

「あれ?その娘さんって病死なんじゃないんですか?」

「おまえ、よく知ってんな。」

「ええ、まあ。」

「それがよ。医者脅して折檻の跡も死んだ直接の原因もすべてうやむやにしちまったんだと。それで、他の人にはよくわからない病死ってことにしてんだよ。しかも折檻の理由は花瓶に入れる水をドレスにかけちまったかららしい。しかもほんの一滴。胸糞悪い話だぜ。」


アスターは話を聞き終えるとまだ半分残るスープを見つめながら思考に沈む。おばあさんはどんな気持ちだっただろうか。自分の娘を理不尽な理由で殺され、その本人に今度はその遺品を奪われる。こんな仕打ちはないだろう。今にも殺してやりたいと考えても不思議ではない。そんな状況で遺品だけでも取り返せる可能性に彼女はすがったのだろうか。

そう考えるとプレイシアたちが行っているこの行為は正義なのだろうか。アスターは徐々にわからなくなっていた。

彼の中で他人からモノを盗む窃盗という行為は許されざる犯罪だ。この考えは変わらない。しかし、今回のジッター夫妻からクロスを盗むという行為はおばあさんの盗られたモノを取り返すということだ。これはおばあさんを助けたことになるため人助けなのではないか。


「まっヒースが一番詳しく知ってるだろうけどな。なんせあいつは現場にいたらしいし。」

「おいアスターいつまで食ってんだ。午後の仕事に行くぞ。」

「あ、ちょっと待って。」


ヒース呼びかけに慌てて残りのスープを流し込む。一緒に話していたはずの他のメンバーはいつの間にか食べ終わり食器を片していた。


「そういえばさっきの話で思い出したけど次の掃除場所saloonだぜ。」

「saloon?」


Saloonとは広間を意味し来客の際お客様を通す部屋であり、パーティーなども開かれる部屋だ。つまり先ほどの話に登場し且つ今回のターゲットになっているクロスの置かれている部屋ということになる。


「そっ。さっきの話の現場な。」


来たチャンスを逃すまいとアスターは気を引き締めた。



「さあ、全員いるな。」


ヒースの掛け声にキョロキョロと部屋中を見回していた視線を正面に戻す。


「よし。この部屋はパーティー当日に使用される部屋だ。塵一つなく掃除することはもちろん調度品に傷一つつけるなよ。いいな?」


話が終わると班員は部屋中に散らばり各々掃除を始める。Saloonは金箔ばかりを使用した趣味の悪い壁紙がぐるりと部屋全体を取り囲み、調度品は見事な金細工が施されているも一つ一つが主張しすぎているため調和が全く取れていない。一言で言うなら『悪趣味』という言葉がピッタリな部屋だ。

そんな中、一際自己主張の激しい花瓶の下に派手に一枚のクロスが敷かれていた。今回のターゲットであるクロスだ。じっくりと花瓶の周りを掃除しクロスを観察しリリーの描いた絵のクロスとほとんど一致している模様にこのクロスで間違いないことを確認する。


(広いな…)


Saloonの中は広くその最奥にこの花瓶は置いてある。これだけを見れば簡単に侵入しクロスを盗ることは一見簡単なように思えるがこの部屋は普段鍵がかけられその日の掃除当番グループのリーダーとジッター男爵夫妻そして執事のMr.エーカーのみだ。

ここから誰にも見つかることなくクロスのみを持ち出すことはおろか掃除以外でこの部屋に入ることはほぼ不可能だ。今回プレイシアからは見つけても場所だけ把握したら何もするなと言われている。黙々と掃除をしながら家具の配置を記憶する。

終業時間の鐘が鳴り響き今日の仕事が終了し、。いつものようにアスターより一足先にそとで待っているプレイシアと並んで帰る。


「アレ、見つけました。」

「そう。ちゃんと覚えた?」

「はい。」

「ならいいわ。そのままあいつの指示があるまでおとなしくしてなさい。」


プレイシアの横を歩きながら返事ふと周りがいつもと違うことに気づいた。


「どこに行くんですか?」


この屋敷のある村は教会のある村と比べると市場はなくその代わり田畑が多く基本的に農業を中心に行っている。それに対そして教会のある村は市場が栄、モノの売り買いが盛んにおこなわれている。そのため人の往来に明らかな差が存在する。

今、プレイシアに連れられている道は暗い顔をした人たちが農作業をしているばかりだ。また出会う人たちもみんな下を向いて浮かない顔をして歩いている。

自分がお世話になっている村との明らかな違いにアスターはかすかに表情を歪める。

質問に対しプレイシアはアスターをチラリと流し見てからまた正面に向き直す。


「依頼人のおばあさんのとこよ。」

「依頼人のところに行っても大丈夫なんですか?」

「行っちゃだめなんて言ってないわ。あなたがどうしても今回の任務、ひいては私たちのやっていることに疑問があるようだから。どう考えようとかまわないけれど私たちがどんな人たちに仕事を依頼されてるか知ってほしいの。それからもう一度考えて、今回の件に協力するかどうか。」

「もし、協力しないって言ったら僕はどうなります?」

「大丈夫よ。レトリヴァルはああ言ったけどあの教会はユノのものだから私からユノに頼んであげる。それに教会だもの困った人を放り出したりしないわ。」


途中の店で野菜を買い込み着いた先は古びた一軒の小さな家の前だった。家の横にある畑は手入れが行き届いておらず、井戸の桶はしばらく使われていないのか乾いたまま井戸の横に転がっている。中からカラカラと糸をつむぐ糸車の音が響いているのが聞こえた。


「おばあちゃん開けるよ。」


ノックをして一声かけるとプレイシアは躊躇なく家の扉を開け中に入る。


「こんにちはおばあさん。」


小さなテーブルに買ってきた野菜を置いてプレイシアが話しかけるとやっと気が付いたようにそれまで糸を紡いでいた老婆が顔を上げてこちらを見た。その瞳に光はなく、ひどくやつれ頬骨の浮いた顔は皺が深々と彫られている。


「お嬢ちゃん今日も来たのかい。野菜ありがとうね。」


口角を無理やり上げ力なく笑う。


「また糸を紡いでたの?」

「そうさ。そうすればあの子が帰ってくるからね。」

また糸車に視線を戻すと糸を紡ぎ始める。

「おばあちゃん、ご飯たべよう?」

「…」


プレイシアが再び声をかけても全く反応せずひたすらに糸を紡いでいた。


「おばあちゃん、クロスの話聞かせて。」


そうプレイシアが問うとおばあさんの瞳に光が戻りゆっくりと口を動かしながら声を発した。


「あの刺繍はね、娘が私にと作ってくれたものさ。私があの子に教えた刺繍であの子が私のために作ってくれたのさ。」


幸せそうにどこか遠くを見ているような高揚した表情をしていたが急に顔はこわばり目元はキッとにらみつけるように吊り上がる。


「それをあのバカで薄汚いあいつに取られた。その苦しみがわかるかい?あの子を殺した女に今度はあの子の残してくれたものを取られそれを自分のものだと吹聴される。こんな屈辱はないよ。」


言い終わるとおばあさんは嗚咽を漏らしながら涙を流す。それをプレイシアが背中をさすってなだめるがおばあさんの涙は止まらずむしろ目は見開き真赤に充血し始め、綿を持っている手を強く握りこんでいるため白くなっている。


「おばあちゃん落ち着いて。ごめんね、こんな辛い話させて。」

「ああ…。大丈夫さ。」


プレイシアが水を汲んでおばあさんに渡す。それを受け取るとおばあさんはゆっくりと飲み干し、目を伏せた。再び開いた目からは光が消えていた。


「行きましょ。」

「いいんですか?」

「ええ。私たちにできることはここにはないわ。」


そういって家を後にする。もうすっかり日も傾き真っ暗な道を会話なく二人は歩く。

アスターは先ほどのおばあさんの様子を思い出していた。

あのおばあさんは助けを求めている。奪われたモノを取り返す力のない自分に絶望しそれでも抗いたくて教会に依頼した。今回の件に手を貸すことはおばあさんの救いになる。しかし、それは犯罪を犯していい理由になるのか。アスターは悩んだ末ふと顔を上げ立ち止まる。


「あの。」


プレイシアは急なアスターの呼びかけに振り向く。


「あの。僕は、皆さんがやっていることは犯罪だと思っています。」

「そうね。犯罪だわ。」

「僕にはこの行為が正しいのかはわかりません。でも今回のように困っている人を見捨てることもできません。だから、頑張ります。もう少し皆さんのお仕事を全力でお手伝いをさせてください。」

「いいんじゃないそれで。」


アスターの言葉にピンクスピネルの目を眩しそうに細め口元に笑みを浮かべる。



教会に帰りユノ、プレイシア、レトリヴァル、アスターで夕飯を食べる。他のメンバーはそれぞれ自分たちの家があるため普段は教会にいない。

そして夕食の時間が終わるころに馬車がガラガラという車輪の音を響かせながら教会の前までやってきた。馬車から降りてきた4人と共に地下の部屋に移動しソファーに座る。


「さて、全員の情報をまとめましょう。」

「はーい。まずぼくたちねー。」

「ねー。」

「予定通りぼくたちに招待状は届いたよー。」

「届いたよー。」


ユノの呼びかけにまずロジーとリリーが元気よく声を上げる。


「わたくしのもとにも届きましたわ。ずいぶんと悪趣味なシーリングスタンプですこと。」


カトレアは嫌悪感に顔をゆがませた。


「この近辺の商人たちの証言をまとめるとにらんだとおりジッター男爵の周りはここ数年金の周りがおかしいようです。」


カトレアとは対照的に一切表情の崩さずルイスが話し始める。


「どうやら男爵の購入なさっているものはずいぶんと危険なもののようですよ。」

「なんだ。」

「銃ですよ。最新モデルより一段下がりますが性能は申し分ない品物です。」


ルイスの発言にほかのメンバーが息を飲む。


「なるほどなこれでこっちの話はつながった。」

「そちらでも何かあったんですね。」


レトリヴァルのつぶやきをユノが拾う。


「ああ。カトレアに調べてもらったジッター男爵家の総資産額がどうしても合わなくて裏の連中にきいてみたたら、どうやらあの男爵きな臭い商売のやつらとつるんでいるようでな、大量の賄賂がやつの懐に入り込んでた。」


レトリヴァルは面倒くさそうにソファーに背を預ける。


「こっちはアスターがクロスの場所を突き止めたわ。Saloonの最奥に飾られている花瓶の下よ。」

「なるほどな。花瓶を割って殺された娘の遺品を花瓶の下に敷くか。」

「知ってたんですか?」


アスターは屋敷の使用人たちに聞いた話をレトリヴァルが知っていたことに驚きを隠せない。


「当たり前だ。依頼人の身辺調査は基礎中の基礎、依頼人によってこちらが被害をこうむる事態は絶対に避けなければならない。」


レトリヴァルはこの話は終わりだとばかりに視線をアスターから逃がす。


「パーティーは明後日に行われる。各々忙しいだろうから今作戦を伝える。忘れるなよ。」


そう言うとユノが数枚の紙をテーブルに広げる。そこにはアスターの話をもとにリリーが改良を加えた屋敷の見取り図が広がっている。

レトリヴァルが足を組みなおしメンバー一人一人と目線を合わせる。


「いいな失敗は許されない、心してかかれよ。」


レトリヴァルの口が重々しく開かれた。



「ねぇヒース僕布巾を1枚忘れたみたいなんだ、取りに戻りたいんだけどいいかなぁ。」

「まじかよ。そりゃsaloonに布巾を置きっぱなしなんて旦那様に怒られる。」

「だろ、取りに戻ってもいいかな?」

「戻らせたいのはやまやまだが、俺このあと明日の打ち合わせにエーカーさんに呼ばれてるんだよな。」


頭に手を置いて悩んでいるヒースにアスターはすかさず提案する。


「僕が一人で取りに帰るよ。」

「いや、でもあそこは鍵かけてきちまったから開かねぇぞ。」

「うん。だからヒースの鍵を貸してほしいんだ。大丈夫だよ、後でちゃんと返しに行くから。」


アスターはいい提案でしょとにっこりと笑いながらヒースを見上げる。


「まぁ、貸してやってもいいがよ、ちゃんと返しに来てくれよ。」


そう言ってヒースは上着の内ポケットから乳白色の鍵が4~5個程度下がっている鍵束をアスターに渡した。


「それスゲー大切な物だから帰る前に必ず返してくれよ。」

「うん。」


アスターは鍵束を受け取ると小走りで来た道を戻り始めた。



廊下を小走りで進み、先ほどまで掃除をしていたsaloonの扉の前まで来る。

ズボンのポケットからヒールに借りた鍵束を取り出しそのうちの一つを豪華な扉の鍵穴に差し込む。そっと扉を開け先日見た悪趣味な部屋へ体を滑り込ませる。幸いなことに床一面に敷かれた上等な生地が使用されているこの高級な絨毯のおかげで足音はほとんど出ない。花瓶の前まで来ると花瓶を床に置き刺繍のクロスを手に取る。また花瓶を元の位置に戻しアスターは何事もなかったように部屋を後にする。


「アスターどこ行ってたんだよ。迷子になったかと思っただろ。」


メンバーの一人がアスターに駆け寄り心配した様子で話しかけてくる。


「ごめん。Saloonに布巾忘れちゃってさ。」

「おいおい、掃除道具をよりによってsaloonに忘れるなんて…。」

「大丈夫だよ。今取りに行ってきた。」

「まったく気をつけろよな。」


メンバーは安心したように息を吐くと「早く行こうぜ」と他のメンバーのもとへアスターを促す。


「もう少しで終業の鐘が鳴るはずだからがんばろうぜ。」


そう言って他の班員と合流すると仕事を再開し特に何が起こるわけでもなく終業の時間を迎え、道具を片付けてから服を着替えに使用人の部屋に行く。アスターはいつもよりもゆっくりと着替えその部屋を最後に出た。

教会に帰るとユノが笑顔で「おかえりなさい。」と出迎えてくれるのに対して「ただいま。」という返事を返して自分の部屋へと向かうのがここ数日の行動であったが今日はユノに促されて棚下の扉を開けて例の部屋へと入る。そこにはレトリヴァルがすでにソファーに座って待っていた。


「例のものは盗ってこれたか?」

「はい。」


そう言ってアスターは自分の上着をおもむろに脱ぎだした。その下には例の依頼されたクロスが腰に巻き付けてあった。それを取るとレトリヴァルに渡し、レトリヴァルはそれを受け取りクロスを観察し、確認する。


「間違いないな。依頼されたクロスだ。誰にも見つからなかっただろうな?」

「はい。大丈夫です。」

「よし。」


レトリヴァルはクロスをユノに手渡す。そして足を組んで座りなおすとアスターに視線を向ける。


「クロスを持ちだすことには成功したがまだ作戦は終わっていない。それに問題は明日だ。どうする?今ならまだ引き返せるが。」


レトリヴァルの言葉にアスターはその瞳に覚悟の色を濃くして口を開く。


「最後までやります。いえ、やらせてください。この件はどうしても最後までやり遂げたいんです。」

「そうか。」


それを聞くレトリヴァルはフッと口角を上げアスターに近づき大きな手をアスターの頭に置き数回ポンポンと撫で、そのまま部屋を出ていく。


「早く寝ましょう。明日はもっと大変ですから。」


ユノに声をかけられて自分の部屋にもどる。シーツに体を沈ませ、今日の自分の行動を思い返し明日の作戦を反復すると自分が思っていたよりも疲れていたのか、次第に瞼は重くなりアスターの意識はゆっくりと落ちていった。



次の日屋敷中は大騒ぎだった。

ジッター男爵夫人がいたく気に入り今回の飾りにと、saloonに置いていた見事な刺繍が施されたクロスが忽然と消えたからだ。使用人たちも大慌てで探すも一向に見つからない。しかし誕生パーティーは今夜、もう招待状も送っていしまっているため延期やキャンセルなどはできない。急いで執事のエーカーが代わりのクロスを引っ張り出しその場を収めるも当初の夫人の機嫌は最悪なものであった。

そこらかしこの使用人に当たり散らし何かと文句をつけては罰だと言い、自身の持っている悪趣味な羽飾りの付いた扇で殴っていた。その使用人の中にはプレイシアも含まれていたが本人はさほど気にしておらず淡々と仕事をこなしていた。アスターはいつものように他の使用人たちと掃除に専念する。


「おいアスター。」


布巾で玄関の手すりを磨いているとヒースがアスターを呼び止める


「お前に昨日最後にsaloonに入ったよな?」

「うん。布巾を取りに君の鍵でね。」

「そん時クロスはあったか?」

「うん。僕の入ったときはあったはずだよ。ただ布巾のことで頭いっぱいだったからあんまり覚えてないけど。」

「そうだよなー。ってことはその後誰かが盗ったってのが一番可能性高いよな。一瞬おまえが盗ったのかと思ったんだけど。」


その一言にアスターは内心ドキリとする。


「おまえそんな度胸なさそうだもんな。」


ヒースは笑いながらアスターの背中を叩くと、自分の持ち場に戻っていった。



夜になると屋敷の玄関には数多くの煌びやかな馬車が到着した。

その中に見覚えのある小さな双子と黒髪の女性を発見する。ジッター男爵は双子を見つけると慌てるように自ら前に出てきて頭を下げる。ロジーとリリーはぞっとする視線を男爵夫妻に向けていた。


「ようこそお越しくださいました。ロジウム=ガルシア侯爵様。リリウム=ガルシア侯爵令嬢様。そしてカトレア=キャンベル伯爵夫人様。」


ジッター男爵は下品な笑みを口元に浮かべて二人と挨拶を交わす。


「挨拶はいいよ。早く入れてくれる。」


いつものような幼い口調ではなくはっきりとした口調でロジーが答える。


「申し訳ありません。どうぞお入りください。」


男爵の案内で三人は屋敷に中に入っていく。


「この度は妻の誕生パーティーにお越しいただきありがとうございます。皆様にお越しいただけて恐悦至極にございます。」


男爵がペラペラと話し始めるが三人はなんの反応も示さない。特に廊下に飾られている装飾には領民から搾り取った税によりものであると嫌悪感さえ抱いていた。

三人が最後の客だったようで他の客人はすでにsaloonに集まっていた。男爵が進み出て挨拶を終えると楽団による演奏を合図にパーティーが始まる。ロジーとリリーが今回の客人で一番身分が高いため主催者である男爵の近くに座っている。


「今夜は楽団から料理、調度品に至るまで一流のものをそろえております。ぜひお楽しみください。」

「一流ね…。」


ロジーの変わらず冷たい視線を男爵に送っている。その横でリリーは興味なさげに楽団の演奏を見ている。その向かいではカトレアと男爵夫人が談笑をしてる。


「カトレア夫人もお久しぶりですわ。なかなか茶会に呼んでくださらないんですもの。」

「あら、そうだったかしら。今度、機会がありましたらお呼びいたしますわ。」


男爵夫人の取り入るような態度に虫けらを見るような視線を突き刺しながらカトレアはにこりと口元だけ微笑んだ。



双子とカトレアが吐き気のするような接待を受けている間アスターは廊下を小走りで走っていた。

キョロキョロとあたりを窺いながら廊下のある一画くにそびえたつ豪華な扉の前にたどり着く。

もう一度周りを見渡し、懐からそっと鍵を取り出す。扉に差し込めばピタリとはまり、ゆっくりとひねれば静かに扉の鍵が外れる。扉をそっと押し開け中を覗き込む。壁一面に本棚が立ち並び正面の大きな窓の前に金箔で飾り立てられた大きなデスクと革張りの椅子が主張するように置かれている。

立ち並ぶ本棚に収められた一度も開かれた形跡のない重厚な装飾の本たちは窓から差し込む月明かりをいっぱいに浴びている。

アスターは本棚の前に来ると一つ一つ眺める。どの本も同じく手が付けられている形跡がなく硬く閉じられている。しかし、デスクから一番近い本棚に収められた数冊の本がほかの本とは違い開かれた形跡が見られ、ページの所々に歪みが生じているものがある。ぎちぎちに入れ込まれた中から一冊引き抜く。開いてみるとページの間に羊皮紙が数枚ずつ挟まっていた。それを一枚手に取って中身を見ると何かの書類のようなものだった。サインはジッター男爵となっていて様々な金額がびっしりと書かれている。その金額の横には商品名として何やら書いてあるがアスターには理解することはできない。

そもそもこの仕事は昨日の夜にレトリヴァルに頼まれたことでありアスターはこの書類の意味も利用方法も聞かされていない。

アスターは他の本に入っている紙も確認し二枚ほど引き抜き懐に収める。そして、入ってきた時と同様に静かに扉を開け、廊下に出る。抜き取った紙がしっかりと懐に入っていることを服の上から再度確認し、ほっと息を吐く。


「そこで何をしているのですか?」


突然かけられた声に振り返ると廊下の突き当りから顔をのぞかせていた執事のエーカーと目が合ってしまう。アスターは今この屋敷の主人であるジッター男爵の書斎の前にいる。そして、自分の左手はドアノブをしっかりと掴んだ状態で静止した状態だ。臨時の下男ごときがこのような場所にいることは明らかにおかしい。加えて今部屋から出てきた、もしくは部屋に入ろうとしているこの体勢は確実に異質な状況だ。エーカーはゆっくりと優雅にしかし確実に近づいてくる。


「こちらは旦那様の書斎ですよ。旦那様はパーティーの途中です。旦那様に御用ですか?」

「あ、えっと、そうゆうわけでは…。」


アスターの瞳は焦りを隠しきれず動き回り何か良い方法はないかと必死に思考を巡らせるが焦りと緊張から頭は真っ白となり何も思い浮かばない。エーカーはにっこりと微笑みながら訪ねているがその眼の奥には怪しいと感じているであろう疑惑の光がギラギラと光っているように見える。


「アスター。ここにいたのね。」


何か言葉を発しなければと口を開いた瞬間先ほどのエーカー同様に廊下の突き当りからプレイシアが顔を出しアスターを呼ぶ。


「アスター大丈夫だった?広くて迷子になってしまったのね。」


アスターのところまでプレイシアが駆け寄りアスターに目線を合わせると『話を合わせろ』と言いたげな強い意志のある視線がアスターを射す。


「ごめん姉さん。部屋への帰り道がわからなくて。Mr.エーカー申し訳ありません。ここが旦那様の書斎だとは知らなくて。お屋敷も広いので僕の記憶力では部屋の場所を全て把握できなくて、目についた扉を開けてみようとしただけなんです。」


そう言ってアスターは頭を下げる。一瞬だけ走ったエーカーの視線に冷たい汗がタラりと落ちるがその視線はすぐにいつも通りの柔らかいものに戻る。


「そうでしたか。顔を上げてください。この屋敷はそれなりに広さがありますから無理はないでしょう。まだパーティーは終わっていません。早く持ち場に戻りなさい。」


そういってエーカーは先ほどと同様にゆっくりとした足取りで廊下の陰に消えていった。


「まったく何やってるのよ。行くわよ。」


プレイシアに促されてアスターも歩き出す。


「例のものは?」

「大丈夫です。」

「そう、よかったわ。」


プレイシアが周りを警戒しつつ尋ねる。アスターも紙の入っている懐に手を当て答える。そして素早く担当として振り分けられていた給仕の仕事に戻った。



給仕の人たちのもとへ戻ると忙しさはピークを迎えていた。ちょうど客人たちも一通りダンスをすませ全体の空気が小休止のような状態になっていた。アスターも綺麗に磨かれたシルバーの飲み物の入ったグラスを載せてsaloonにはいる。ちょうどロジーたちは男爵との話にひと段落つけていたようだ。そこに近づきグラスを相手に見せるように前へと出した。


「果実を絞ったジュースはいかがですか?」


ロジーは一度だけアスターに視線を送ると「一杯貰おうか」とグラスに手をかける。ロジーがグラスを取る瞬間ぐらッとお盆が傾いた。それをロジーはもう片方の手で下から支えお盆が完全にバランス崩す前に戻す。その瞬間アスターはロジーに紙を握らせた。


「気を付けたほうがいい。」


ロジーは一言だけ言葉をかけ先ほどアスターが男爵の書斎から抜き取った書類をその懐にしまい込みながらその場をすぐに離れる。アスターもその場を離れて他の客が集まっている場所へ移動して仕事を再開した。

アスターと別れたロジーは他の貴族と談笑している男爵にもとへ向かう。


「お話し中失礼する。ジッター殿に少々話があるのだが大丈夫だろうか?」

「ええ、もちろんです。ガルシア侯爵のお誘いとあらば何よりも優先させていただきます。」

男爵は深く頭を下げ、下品な笑みを浮かべながら下心丸出しの視線を自分よりも低身長のロジーに向ける。そこには、はっきりとした上下関係が成立していた。

「ではお聞きしたいことがあるのだが。」

「なんなりと。」

「最近お前の領地で妙な噂を耳にしたのだが。」

「妙な噂…ですか?」

「ああ。大量の武器が密輸されていると聞いたが?」

「そ…それは、初耳でごさいます。」

「へぇ、初耳か。お前の領地のことなのに。」


ロジーはゆっくりとした動作でその場にあった椅子に腰かけ、横に現れた自分の片割れから真赤なブドウのジュースの入ったグラスを受け取りそれを眺めながら続けた。


「僕の領地におかしな金の動きが確認されたから調べてみたんだ。そしたら君の領地からのものだと言うじゃないか。それに加えて、君の周りからきな臭い金の周りが存在するなどという噂があると聞いたんだ。おかしいよね。」


男爵は目を離すことができず呆然と立ち尽くし、その顔色は青くなっているようにも見える。


「さて、実はこんな書類が僕のもとにあるのだが見覚えはあるかい?」


ロジーが掲げる手元には先ほどアスターが必死に男爵の書斎から持ってきた書類があった。


「そ…そんな書類は知りませんなぁ。」

「知らない?おかしいなこのサイン君のだろ。誰かが筆跡を偽装したとでも言うのかい?」

「そうだ!偽装されたんだ。私じゃない。」

「偽装ねぇ。これ君の書斎から出てきたものなんだがそれに対する言い訳は何かあるかい?」

「私の…書斎。」


彼の顔には大玉の汗が浮かび、目はキョロキョロと泳いでいる。青くなっていた顔は焦りからか若干土色のようにも見える。


「嘘だ!こんな子供の戯言を信じるのか!」

「子供?何言ってるのさ子供は小さい大人だよ。それに僕はガルシア侯爵家当主ロベルム=ガルシアだ。つまり君なんかよりずっと権力のある大人さ。」


ロジーはにっこりと口角を上げているが目は少しも笑っておらずむしろ氷のような冷たさを孕んでいた。


「君が犯した罪は重い。これは貴族院議会に報告させてもらう。それに君の領地での悪政は目に余る。恐らくこの領地は没収だろうね。」


男爵はガクリと膝を着き床に目線を落とす。


「侯爵は私に人間をやめろと、たかが平民に身を落とせとおっしゃるのか。」

「そうですわ。人間を辞めろなどと、あんまりですわ。」


すっかり腰が抜けてしまった男爵に駆け寄り夫人はロジーを鋭い目でにらみつけ抗議する。


「君たちは平民が人間ではないと言うのか?自分よりも身分が下であれば何を奪ってもいいと?」

「もちろんですわ。下の者は上の者に従属するのは当然のことです。上の者が欲しいといったモノを下の者が差し出すのは当然ですわ。」


夫人の怒鳴りにロジーはにやりと笑う。


「下の者が上の者に差し出すのは当然なのか。」

「そうですわ。」

「じゃあ僕が君たちから領地を奪っても文句はないよね?」


その瞬間、ジッター夫人の顔から色が消え去り、自分が口にした言葉の意味を理解のか口元を抑えてふらふらと後退し床にへたり込んでしまった。その二人を置いてロジーはリリーを連れて退出する。


「残念だわジッター夫人。あなたをお茶会にお招きするのは無理そうね。」


美しい笑みを浮かべカトレアもその後を追って退出する。パーティー会場には絶望に伏した男爵夫妻とざわめく他の客が残された。



屋敷を出るとガルシア侯爵家の馬車がすでに待機していた。アスターは馬車の横でアスターとプレイシアがすでに待機していた。


「「プレイシア、アスターただいまぁ。」」


先ほどまでの態度とは一変、アスターがいつも見ている年相応の喋りと表情に戻る。


「おかえり。ロジー、リリー。」


プレイシアは双子をギュッと抱きしめる。その双子とは少し遅れてカトレアも屋敷から出てくる。


「早く帰りましょう。もうここに用はないわ。」


カトレアはさっさと従者の手を借りて馬車に乗り込む。


「さんせぇー」

「さんせぇー」


双子も乗り込みプレイシアとアスターも乗る。アスターは走り出した馬車の窓から流れる外の風景をぼぅと眺める。


「どうしたの?」

「どうしたの?」


アスターの顔を二人がのぞき込む。


「どうせ今回のことで悩んでるんでしょ。早く決めちゃいなさいよ。」


プレイシアが呆れたように溜息を吐く。


「落ち着きなさいプレイシア。淑女がそんな風に言うものではないわ。でも、早く決めてしまわなくてはいけないのも確かよ。」


プレイシアの態度をカトレアが叱りつけるがプレイシアは窓際に肘をかけてそっぽを向いてしまった。


「大丈夫です。僕決めましたから。」


プレイシアを一度見た後、カトレアにまっすぐと視線を向けてはっきりとした口調で答える。


「そう。決めたのね。ならしっかりとレトリヴァルに言うことね。」

「はい。」


会話をしているうちに馬車は教会に到着した。馬車を降りて教会に入りここ数日で慣れてしまった地下通路を通り例の部屋に入る。


「皆さんおかえりなさい。お疲れでしょう紅茶を入れておきました。」


ユノがお茶の準備をしながら出迎える。その奥ではレトリヴァルとルイスがソファーに座り優雅に紅茶を楽しんでいた。


「ルイスー情報ありがとー。」

「ありがとー。」


ロジーとリリーがルイスに飛びつく。


「お役にたてたのであれば光栄です。」


ルイスは二人を受け止め人当りの良い笑顔で返す。レトリヴァルはその様子を見ながら紅茶をすする。


「あのレトリヴァルさん。お、お話いいですか。」


アスターが緊張した口調でしかし、目線は決して離さずレトリヴァルを見据えて彼を呼んだ。


「僕、今回皆さんの手伝いをして考えました。」


はっきりとした口調でアスターは話を切り出す。その様子にレトリヴァルは寝起きのような眼を開き始めて対峙した時のような相手を観察するような突き刺さる視線をアスターに向ける。


「人のモノを盗むことはしてはいけないことだと考えてここまで生きてきました。この考えが間違っているとは今でも思っていません。でも、救済を求めている人たちを見捨てることの方が僕にはできないと思います。僕が皆さんのお手伝いをすることで少しでもそんな人たちを助けることができるなら。」


ゆっくりと深呼吸をしてしっかりとレトリヴァルに目線を合わせる。


「僕はもう少しアスターでいます。いや、いさせてください。」


勢いよくレトリヴァルに頭を下げる。少し間をおいてレトリヴァルが口を開く。


「好きにしろ。」


その言葉にはっと顔を上げるとレトリヴァルはユノがテーブルに用意していた紅茶の入ったカップを持ちアスターに差し出した。その口角がかすかに上がっているように見えた。


いかがだったでしょうか?

初連載なのでドキドキしながら書いていました(笑)

少しずつ連載して行こうと考えていますので今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m

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