第2話 雲海-後-
澄み渡る青空の広がる階層。
一つだけ遥か遠くポツンと見える小さな島が浮いている以外には何もない。
「無理無理無理!」
転移した島の縁に立ったアイラが下を覗き込んでから首を全力で振る。
下には本当に何もない。浮遊島の上にいる間は問題ないが、落ちた瞬間にどうなるのかを想像して顔面蒼白になっている。
同じように空を飛べないメンツは島の中央に集まっている。
俺とメリッサだけが平然としていられた。
「何もないだけで本当にトラップらしい物もないんだぞ」
「何もないからこその恐怖もある」
珍しくイリスも使い物にならない。
「お前はその気になれば空中を移動することができるだろ」
空気中の水分を氷結させて足場にする。
空を飛ぶ、というよりも走り抜けるような感じだが空中を移動することができない訳ではない。
「分かっていない」
バッサリと切り捨てられた。
「地面が見える状態で空中を走るのと地面を見ることができない空を飛ぶのとだと全然違う」
イリスでさえ恐怖心が違うらしい。
同じ理由で【壁抜け】を使用して空中を駆けることができるシルビアもダメ。
「わたし!? わたしは空を飛ぶ能力なんて持っていないからね!」
ノエルからも拒絶された。
たしかに彼女自身は飛行能力を保有していない。
「お前は迷宮にいる魔物の誰かに助けてもらえばいいだろ」
魔物と強い親和性を持つノエルなら魔物たちは力を貸してくれる。魔物の中には空を飛ぶことができる魔物がいるのだから空中ぐらいは問題ない。
ただし、やはり下が見えない状況で飛ぶのは困難を極める。
どうやら俺の目論見は正しかった。
「地下87階――飛行フィールド」
単純に上空を飛んでゴールまで辿り着くだけのフィールド。
まず、人間に飛行能力を求められている時点でクリアできる者の少ないフィールドとなっている。
「試してみましょうか」
【風属性魔法】で空を飛ぶことのできるメリッサが体を浮かせる。
足元から発生した風が体を浮かせ、体を傾けることによって進行方向を変える。ある程度進んだところで背中へ押し当てるように風を発生させて加速させる。
ゴールである浮遊島まで5分ほどで到達する。
「……もう少し距離を離した方がいいかな」
「いえ、これでも遠い方です」
【転移】で戻ってきたメリッサが言う。
「空を飛ぶのは精密な魔力制御を必要とします。飛んでいるだけでも魔力を消費するので少しでも早く到達しようと速めれば魔力をさらに消費することになります」
膨大な魔力を持つメリッサだからこそ余裕を持つことができている。
ここまで到達することのできる冒険者で飛行能力を持っている者なら高レベルに到達しているのは間違いない。それでも、途中で力尽きてしまう可能性が高いらしい。
「こんな距離を飛べるのは、私のように魔法に特化した迷宮眷属ぐらいです」
リオたちみたいな迷宮主や眷属でなければクリアは不可能。
まあ、87階なので俺が楽しむ為に用意した階層とも言えない。
「よっと」
メリッサを見習って空を飛んでみる。
イリスが言うように何もない空間の上を飛ぶのは恐い。
だからこそ訓練にもなる。
島の周囲を飛び回る。平行だけでなく垂直にも飛び回ると視界までもがグルグルと回るようになる。
浮遊島に着地すると足元がふらつき、シルビアに支えられる。
「どうして、このような階層を?」
「空を飛ぶ訓練って今まで高さに制限のある階層でしかできなかっただろ」
高さだけを求めるなら5階層をぶち抜いて造られた高山フィールドがある。
しかし、高山フィールドがあるのは地下31階から35階まで。採取の為に訪れる冒険者が普通にいる階層なため空を自由自在に飛べることを見られたくないため訓練には適さない。
以前から上下にも飛ぶことのできる広い階層が欲しかった。
「たしかにここなら誰かに見られることもないし、自由に飛び回ることができるけど……」
アイラが恐る恐る階層を見渡す。
下を見なければ問題がない程度には慣れてくれた。
「あんた以外には需要がないわよ」
「侵入者には足止めになるなら十分なんだよ」
空を飛ぶことができたとしても落ちた瞬間に終わり。
この階層の恐ろしさを知った瞬間に二の足を踏んでしまうのは間違いない。
「それに最大のトラップは次の階層にある」
全員で地下88階へと移動する。
目に映るのは、踏み締めることのできる白い雲が浮かんだ青空。
そして――ドラゴン。
「え、ちょ……」
既にブレスを放つ体勢になっていた賢竜魔女がブレスを放つ。
俺たちの前に障壁を展開させてブレスを受け止める。
「おい、手加減するように言ってあっただろ」
間違いなく全力だと思われる威力のブレス。
数分ほど耐えているとようやく収まってくれた。
「すまないね。ちょっと楽しくなって全力で撃ってしまったよ」
「最強クラスのドラゴンなんだから自重してくれ」
【人化】によって魔女の姿となった賢竜魔女が浮遊島に下り立つ。
「まさか、これがトラップとか言わないわよね」
「これがトラップだよ」
ギリギリまで魔力を使い果たすような飛行によって辿り着いたゴール。
疲れているため階層を移動した先にある転移結晶を用いて帰還しようと考える。しかし、階層を移動した瞬間に襲い掛かるブレスによって帰還は叶わない。
魔物の中でも最強種であるドラゴン。
それが何十体とおり、悠々と飛んでいる。
「ここは自由に飛べていいね」
今までは狭い場所で我慢してもらっていた。
だが、地下88階ではそのような我慢をする必要がなく自由に飛び回ることができ、空に浮かんだ小島で休憩することもできる。
「侵入者が現れた際には最初の一発だけ不意打ちで攻撃するようにしてある」
その後、浮遊島にいる間は攻撃しないよう厳命している。
ドラゴンたちが襲い掛かって来るのは雲の上を移動している間だけ。獲物を巡って喧嘩にならないよう、それぞれ縄張りに侵入してきた相手だけを攻撃するように言いつけている。
「やっとの思いでゴールに辿り着いて帰還を考えたとしても不意打ちのブレスが襲い掛かってくる。それを防御することができて初めて88階の攻略に挑むことができるんだ」
少々やり過ぎな気がしないでもない。
それでも、ここまで辿り着くような相手を妨害するならこれぐらいのトラップが必要になるのも事実だ。
「とりあえず私たちが雲海フィールドを利用することはない」
「特に採取できる物もないですからね」
「あたしならリタイアしている」
イリス、シルビア、アイラは断念した。
「のびのびと生活できるみたいでよかったですね」
「ああ。幸いにして、この階層にいる魔物には階層を移動する権利が与えてくれたから何もない世界に嫌気が差すようなら自由に移動すればいいんだよ。ワタシはここと遺跡の両方で生活させてもらおうかね」
侵入者が現れた際には常駐してもらわないとならないが、基本的に自由にしてもらっていても問題ない。
雲海フィールドの攻略を諦めたノエルは賢竜魔女とスキンシップを取っている。
「ここは私も利用させてもらっていいのですか?」
「むしろお前が利用しないと俺しか訪れることがなくなる」
メリッサだけは有効利用するつもりでいてくれた。
侵入者対策としては優秀だったかもしれないが、メリッサ以外の仲間からは実用性を問われて不評な階層となってしまった。