第40話 女神と巫女-喪失-
「どうやら、全部終わったみたいだな」
ティシュア様の姿をしたノエルの傍に駆け寄ると、仲間たちも集まる。
「大丈夫だった?」
「ちょ、ちょっと……いったい、どうしたの!?」
シルビアが心配して声を掛けると涙を流すノエルにアイラが気付いて驚いていた。
「あ、あれ……」
我慢していた。しかし、これから起こることを思えば涙を流さずにはいられない。
「『お別れですね』」
ノエルの口を借りてティシュア様が別れの挨拶をする。
「どうにかならないんですか?」
ティシュア様が首を横に振る。
「『私は、自分の神気を送り込むと同時に彼女の“穢れ”を受け入れました。神にとってアレは毒にしかなりません』」
ノエルの上に重ねられたティシュア様の姿が薄れて、ノエルの姿が見えるようになる。
「『彼女を消す為には、この方法しかありませんでした。こうなることは最初から覚悟していたことです』」
『……』
神は決して不死などではない。
女神ティシュアがティシュア様の神気を受けて消えてしまったように条件さえ満たしてしまえばティシュア様も消えてしまう。
彼女の場合、女神ティシュアとは逆に“穢れ”を受け入れたことで無へと還ることになってしまった。
「『この2年間は本当に楽しかったです。他の方々に挨拶できないことが悔やまれますが、ミレーヌさんたちにはそちらから挨拶をしておいてください』」
「はい……」
「『私が消えたことでシエラたちが泣いてくれる、と……』」
ティシュア様の声が完全に聞こえなくなる。
彼女はもうどこにも存在していない。
「あ、あぁ……」
ノエルが何もない場所を掻くように手を動かしている。
二人の関係は簡単な言葉で言い表せるようなものではない。だからこそ、ティシュア様を失ったノエルの悲しみは計り知れない。
ノエルの肩を掴むと抱き寄せる。
俺の胸に顔を押し付けると溢れ出る涙を抑えられずに泣き出す。
シルビアたちもそれとなくノエルを隠すように集まってくれる。
☆ ☆ ☆
「ごめん……」
ノエルは全力で泣いた。
その代わりに数分と経たずに泣き止んでいた。
それでも悲しみが消える訳ではない。頭の上にある耳はペタンと落ちてしまっているし、尻尾は完全に垂れてしまっている。
「これぐらいは問題ない。それよりも、そろそろ王都も落ち着いてきたみたいだ」
女神ティシュアが消えたことで“穢れ”も消滅を始めていた。
おかげで『鬼』になっていた人たちも動きを止め、時間を掛けてではあるものの徐々に元の姿へと戻っていた。
ただし、全く問題がない訳ではない。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
近くの路地から男性の雄叫びが聞こえてくる。
とても聞いていられるものではないため声に反応して立ってしまったノエルの獣耳を手で押さえる。
「いったい……」
それでも聞こえてしまったノエルは気になった。
「『鬼』になっていた奴らが精神的、肉体的なダメージで苦しんでいるんだ」
精神的なダメージは自分たちの住む王都を破壊してしまったこと、そして何も悪くない人々を自分の手で殺めてしまったことに対する罪悪感。
肉体的なダメージは強制的な方法による“穢れ”の剥離であるため動きを封じる為に剣を串刺しにしていた場合などには、元に戻った体に剣が残ることになる。鬼人だった時の傷が残されているのが原因だった。
どちらも容易に取り除くのは不可能だ。時間を掛けて癒してもらうしかない。
「自業自得……そこまで言うつもりはないけど、アレは彼らが背負う傷だ。お前が気にする必要はない」
「でも、助けるつもりでいたのに……」
王都で助けられた人は少ない。
「そんなことはない。お前が犠牲を払ってでも女神ティシュアを討伐しなかったら、もっと多くの人が今も犠牲になっていたんだ」
少なくとも女神ティシュアを討滅したことぐらいは誇ってもいいはずだ。
「その言葉は嬉しいけど、一つだけ訂正させて」
「なんだ?」
「女神ティシュアは消滅していない」
神は信仰されて敬われることによって力を得て誕生する。
今後も女神ティシュアが信仰され続ければ復活することになる。もっとも、その時に現れるのは人々を慈しみ見守る心を持っているはず。女神ティシュアのように人の悪意に触れ過ぎて狂った神ではない。
どちらかと言えばティシュア様と女神ティシュアを合わせたような存在になる。
「それなら、いいのかな?」
問題は復活するまでの時間にある。
「少なくても数十年……ううん、数百年後の復活になるかもしれない」
俺たちが生きている間に再会することはできそうにない。
「もう、会うことはできないんだな」
色々と楽しい人だった。
神でありながら散財してまで買い物を楽しみ、他の街へ赴いた際にはノエルに知らせることなく勝手に出歩いて現地の食べ物を美味しくいただいていた。子供みたいに遊んでいたかと思えば、子供たちの面倒を誰よりも見てくれた。
そんな風に過ごしていたのも楽しむことのできなかった人だった頃の思い出を得ようとしていたからだろう。
しんみりして全員が落ち込む。
――ギギィ……!
「お、帰ってきたか」
「虚ろ喰?」
一つ目の黒い球体が宙に浮かんでいた。
瘴気を喰らうことのできる魔物で重宝させてもらっていた。
「いやぁ、今回は本当に儲かった」
暗い雰囲気を吹き飛ばす為に敢えて明るく言う。
「わたしが浄化しなくても回収できたの?」
「今回は襲撃を受けると同時に【召喚】しておいたからな。あちこちに待機させておいたおかげで、かなりの量を回収することができたみたいだ」
アヴェスタでの騒動時は想定していなかったノエルの【神舞】による浄化だったため“穢れ”の回収が間に合わなかった。
だが、王都では襲撃が分かった時点で付近に喚び出しておいた。
「ありがとう」
「ギィ」
一体の虚ろ喰がノエルに近付くと腕の中にすっぽりと納まった。
あまり可愛い顔をしていないが、こうして人懐っこい様子を見せていると可愛い魔物のように思えてくる。
虚ろ喰もノエルの状態は理解している。
だから彼なりに慰めようとしていた。
『すまんが、迷宮へ戻してくれないか? ワシらが王都にいると騒ぎになる』
「ああ、そうだったな」
神獣たちも回収しなければならない。
特に王都を熱で苦しめていた炎鎧がいつまでもいるのは問題だ。
『おい、いつまで時化た面しているんだ。やることやったなら帰るぞ』
「え、でも……」
王都は半壊状態になっていた。
炎鎧が暴れていた時は熱で苦しめられていただけだったが、神獣たちが建物なんて気にすることなく暴れたせいで南側に向かって瓦礫だけで何もない道が新しく出来上がっていた。
鬼人たちも建物をクッキーのように粉々にしていた。
とにかく王都にある半数近い建物が役割を果たせなくなっている。
そんな状態を放置して帰ることに罪悪感を覚えていた。
「元々メンフィス王国には深く関わるつもりではなかったでしょう。事態を解決する為に欠かさない協力はしたのですから、後の事ぐらいは彼らでした方が後々の復興もスムーズに進むでしょう」
海蛇も早く帰りたかった。
それでも、彼女にとって最も大切な存在であるノエルの為にも落ち着いてから帰還したかった。
だが、事態は報告によって急を要する。
『――大変だよ』
「どうした?」
迷宮核からの通信。
迷宮や屋敷近辺で非常事態でも起こらなければ、今みたいな状況で念話を届けてくることはないはずだ。
しかも慌てているということは、それなりの緊急事態。
『全員、すぐに屋敷へ戻って! 少なくとも僕にどうこうできる状況じゃないよ』