第39話 女神と巫女-対話-
「ここは……」
真っ白な何もない空間。
いきなり目の前の光景が変わったことに戸惑った女神ティシュアが呟いた。
「貴女は……!」
すぐにティシュア様を重ねたわたしに気付いた。
「ここは精神空間ですね」
「『そうです。私と貴女……いいえ、私たち自身だからこそ繋げることのできた精神の空間です』」
ここでは全ての力の行使を禁止される。
おまけに現実では解除するまで時間が進まない。
「『たった一瞬の間に話し合いをするには打って付けの空間です』」
「話……? 今さら何を話し合うというのです?」
「『私たち自身についてです』」
ティシュア様が女神ティシュアへ歩み寄る。
「『今まで辛かったのですね』」
「そんな風に分かった感じで言うのが……!」
「『はい。どれだけ辛かったかなんて楽をしていた私に言えた義理ではありません』」
神としての責務から逃れたのがティシュア様。
けれども、神獣を追いやった功績を称えて勝手に称えられていたのも事実。
逃げ出したい、なんて思うのも自由なはずだった。
「『それでも神となった責務からは逃れることができていなかったのですね』」
この地に縛られたまま残してしまった。
「私には恨まれる責務などなかった。なのに、一方的に恨みをぶつけられる苦しみが逃げ出した貴女には絶対に分からないでしょう」
吐き出されるのは女神ティシュアの恨み。
それは、同時に自分自身への不満でもある。
「『そうでしょうか?』」
「は?」
「『それは、貴女が悪意以外を見ていなかったからでしょう』
「何を言って……」
「『私は限られた範囲でしたが、自由に動く権利を与えられていたので色々な話を聞くことができました』」
端から見ると女性が集まって噂話に興じているようにしか見えなかった光景。どうやら情報収集が目的だったみたい。
「『主に他国での情報収集です。その中には政変が起こったメンフィス王国を貶すものもありました』」
故郷とも言える場所を悪く言う噂。
本当なら聞きたくない、と耳を塞ぎたいところだったけどティシュア様には聞かないといけない理由があった。
「『中には私のことを悪く言う噂もありましたね』」
民衆を見捨てた女神。
一部ではティシュア様の評価が悪くなっていた。
「『私は神としてメンフィス王国の人々をもっと上手く導く方法があったかもしれないのにできなかった。その戒めとして受け入れるようにしました』」
ただし、その後のメンフィス王国の衰退を聞くと一人だけ反省しているのが馬鹿らしく思えてきた。
一人だけ自戒している状況なら尚更かもしれない。
「『私のことを悪く言う人、貶す人はたくさんいました。けど、彼らが「鬼」になったなどという話は聞いたことがない』」
「それ、は……」
「『彼らの悪意は貴女に届いていなかった』」
それがメンフィス王国以外では鬼人による被害報告がなかった理由。
「それが、どうしたの……」
「『貴女が受け取っている悪意は、今でも貴女を信仰している人たちの悪意ですね』」
だからこそ矛盾を抱えている。
「『女神ティシュアを信仰している人たちの中には今でも純粋に祈りを捧げてくれている人たちがいます。彼らの想いが私に届いている、というのなら分かります。ですが、私にそういった想いは届けられていません』」
では、どこへ……?
分かり切った答えは考えるまでもない。
「『貴女は悪意だけではなく、純粋な想いも受け取っていたはずです』」
「ちが……」
「『肯定できるはずがありませんよね。悪意ばかりぶつけてくる愚かな人々を排除する為に行動を起こした。その意義が失われてしまうことになります』」
「――黙りなさい!!」
女神ティシュアの体から“穢れ”が溢れ出して纏わり付く。
咄嗟に離れたおかげで直撃は免れたけど、掠った指先が焼けたように焦げている。
「どうやら、精神世界を壊すほどの力を解放されてしまったみたいですね。それで、どうしますか?」
「『話し合いは決裂です』」
「そのようですね」
決裂したことを認めた瞬間、真っ白な空間に亀裂が走る。
もう長くはもたない。
「『では、最後に一つだけ言わせてもらいます』」
「……」
「『人の悪意ばかりを見るのは止めなさい。私のように自由でなかった貴女には分からないでしょうけど、純粋な想いに支えられることもあります』」
「何を言って……」
「『では、力尽くで認めさせることにしましょう』」
☆ ☆ ☆
パリン、というガラスが割れるような音と共に目の前の景色が元に戻る。
現実に引き戻されることが分かっていても、すぐに気を持ち直すことのできていない女神ティシュア。
ハッと気付いて下を見れば懐に飛び込んだティシュア様の姿が見えるはず。
すぐに“穢れ”を纏った腕で貫こうと手を伸ばしてくる。
「残像……いいえ、幻影です」
「……!?」
けど、女神ティシュアの手がティシュア様を貫くことはない。
正確に言うなら幻影を貫くだけに終わる。
懐に飛び込んだのは、わたしが見せている幻影。わたしやティシュア様には何のダメージもない。
騙せるのは最初の一回だけ。しかも稼げる時間は一瞬。
「それだけの時間があれば後ろへ回り込むことができる!」
背後から羽交い絞めにするように体を密着させて拘束する。
「【ティシュア神の加護】――全開!」
後の事なんて考えない。
全ての魔力と神気を使い果たすつもりでスキルを使用する。
「止め--」
振り向いて止めようとする。
けれども、両手をシルビアに掴まれて動きを封じられる。戦闘経験なんて皆無な女神ティシュアは、この状況に対応できる方法を所持していない。
「女神ティシュアの力をマイナスと捉えるなら、ティシュア様の力はプラス。両者の力がぶつかり合ったならどうなるのか……」
ティシュア様の神気が女神ティシュアの力を削っていく。
削るのは“穢れ”じゃない。“穢れ”を生み出す彼女自身が持つ悪意。
「ぐぅ、うぅ……」
強く抵抗される。
わたしが……ティシュア様が消そうとしているのは女神ティシュアの存在を成す根幹。
抵抗されるのは当たり前。それでも、ティシュア様は力を弱めないどころか強くしていく。
「あ……」
広く触れ合っていることでティシュア様の見せる光景が鮮明に映る。
ティシュア様が見せているのは、神の立場を離れてから体験した様々な出来事。色々な人と触れ合い、笑い合うことで楽しむことができた。何よりも楽しむことができていた。
「『貴女にも神に感謝する心と祈りは届いていたはずです』」
――ドクン!
「そんなものは知りません!」
胸の内で膨れ上がる想いを感じた女神ティシュアが憤る。
それは、新しく生まれた想いではなく、彼女が心の底に封印して見て見ぬふりをしていた想い。
神気を与えれば与えるほど想いが膨れ上がり“穢れ”を抑え込んでいく。
「こんなことをしても無駄です。私が抱えた“穢れ”はこの程度では……」
「『でしょうね。ですが、人とは正の感情を抱えていることもあれば、負の感情も抱えているものです。それは元々が人であったにも関わらず神になった私なら、神となった後でも変わりません』」
正と負が拮抗する。
負の側面ばかり見てきた女神ティシュアにとっても無視できなかった。
「そんな、私は……」
それは、もう“穢れ”とは呼べない。
真っ黒だった力が灰色になる。
「まだ、壊していない、のに……」
呟きながら幻のように消えていく。
最初から女神ティシュアなんていなかったような消え方。
「『さようなら、私の悪意』」