第36話 女神と巫女-激突-
白いワンピースのようなドレスを着た碧色をした髪に蒼く透き通った瞳をしたこの世の者とは思えない絶世の美女。
鬼人から逃れる人で溢れる大通りの中心に女神ティシュアは悠然と立っている。
大通りを駆けて怒りのままに錫杖を叩き付ける。
けど、肉体を叩いたはずなのに硬い金属を叩いた時みたいな感触が手に返ってくる。
それでも、無理矢理叩いたことで吹き飛ばされていた。
「いきなり攻撃するなんて酷い人ですね」
女神ティシュアの腕には見覚えのある甲冑があった。
「炎鎧……」
「ええ、そうですよ。私本人は攻撃力を全く持っていません。ですが、私は汚染されて暴れるだけだった神獣を封印したことで神として崇められた経歴があります。条件さえ整っていれば彼らの力も使用することができます」
形は見覚えがある。
けど、色は炎鎧と違って真っ黒だ。
「その鎧――“穢れ”で作られているの?」
「はい。これほどまでに強い力を利用しない訳にはいかないでしょう」
神気にも匹敵する力。
大元とも言える女神ティシュアは自由自在に操ることができる。
「それに貴女も気付いているでしょう」
女神ティシュアが言っているのは王都の現在の状況。
センドルフが自らの“穢れた血”をばら撒き、多くの人に鬼人へ変化する素養を植え付けたことによってあちこちで新たな鬼人が生まれていた。
「血を与えるのは非常に簡単でした。慣れない王都での生活に少しばかり親切にするだけで、人々はお礼だと言いながら彼の血が含まれた商品を手にしていたのですから」
元が小さな村出身の者たち。
少しばかりの異変を気にするよりも食料や布を手に入れられることを喜んでいた。
「私にとって何よりも喜ばしかったのは、王都へ連れて来られたことで彼らに女神を恨む気持ちが強くなったことですね」
いくら貧しかったとはいえ生まれ育った村。
故郷を無理矢理捨てさせられた人たちの苦しみは計り知れない。
おまけに自分たちが住んでいた村には王都で燻ぶっていた者たちが我が物顔で住んでいる。村を維持する能力などないため村は徐々に廃れていっているため、もう戻る場所もない。
王都へ無理矢理連れて来られた者たちの中には、交代するようにスラムへ落ちてしまう者までいた。
「どうしようもない苦しい状況。目に見えた脅威である王族や貴族を恨むよりも、私を恨む存在はたくさんいました」
おかげで兵士がいるため大きな騒ぎになっていないだけで北部の寒村よりも不満が燻ぶっている状態だった。
「それが、今の王都……」
最初に訪れた時は微かに感じる程度だった。
これぐらいならメンフィス王国へ入った時からどこでも感じることができていたから大したことがない、と思っていた。
けど、一度騒ぎに火がついたせいで人々の不満も爆発した。
「貴女には感じられるはずです。王都を覆い尽くすほど大量の“穢れ”が」
今も増え続けている。
いくらわたしが対処したところで増える“穢れ”の方が多い。
「現状をどうにかするつもりなら、私を倒す必要がありますね」
余裕の笑みを浮かべる女神ティシュア。
彼女の目論見は分かっている。たしかに、わたしが頑張っても追いつけないけどせっかくの“穢れ”を浄化されるのは面白くない。
だから自分の存在を誇示することでわたしたちの注意を惹き付けることにした。
わたしたちは、わたしたちで無視することができない。
今の混沌とした王都の状況を最も手っ取り早く解決する方法は女神ティシュアを討伐することにある。むしろ、討伐しなければ事態を完全に解決することはできない。
そのことが分かっているからこそ陽動として最適だと女神ティシュアも判断した。
「まあ、こうして降神が叶った状況なら『鬼』に頼る必要などないのですけどね」
女神ティシュアが手を掲げる。
すると、彼女の後ろに“穢れ”で作られた炎鎧が現れる。しかも、その手には巨大な斬馬刀が握られている。
穢れの炎鎧と同調した女神ティシュアが腕を振り下ろすと、動きに合わせて後ろにいる炎鎧も腕を振り下ろして斬馬刀が襲い掛かる。
振り下ろした時の余波だけで近くにあった建物が吹き飛ばされている。
回避することは可能だけど、あんな強力な攻撃をただ地面に叩き付けられれば逃げている人たちも巻き込まれる。
錫杖を握る手に力を込めると受け止める為に掲げる。
「受け止めるだなんて愚かな」
わたしの力じゃあ受け止め切れない。
それでも、わたしが受け止めることによって周囲への被害は少しでも減らすことができるはず。
『……まったく見ていられないな』
「え……?」
聞こえてきた声に見上げていた視線を前へ移動させれば鎧を纏った大男が斬馬刀を構えて立っていた。
『ふぅぅぅん!』
大男がわたしに代わって斬馬刀で振り下ろされた斬馬刀を受け止める。
大きさや“穢れ”で作られているせいで色が全く違うけど、それは同じ武器だった。
ただ、やはり大きさの違いは深刻。
彼も被害を出したくないわたしの想いを汲んで全身から炎を吹き上がらせると力を増して、振り下ろされた斬馬刀を上へと弾き飛ばす。
「どうして……」
「私が喚ばせてもらった」
近くへ来てくれたのはイリス。
彼女の持つスキル【眷属召喚】で炎鎧は王都へ召喚された。
「……以前は王都を滅ぼそうとしていた貴方が、今度は王都を救う為に私と戦いますか」
『別に罪滅ぼしだとかそんなことは思っちゃいないさ。けど、今のオレはこいつらの魔物だ。こいつらが望むなら従わなくちゃならないのさ』
「……いいでしょう」
巨大だった“穢れ”の炎鎧が大男と呼べるサイズにまで小さくなる。
女神ティシュアの傍に立つ姿は、女神を守る騎士のようにも見えた。
「彼の相手は、貴方に任せましたよ」
コクッと鎧に身を包んだ“穢れ”の炎鎧が頷く。
『いいだろう! テメェの相手はオレだ!』
二体の炎鎧が同時に駆け、斬馬刀が衝突する。
炎鎧の体から炎が吹き上がって周囲を焼いている。
「ちょっと……」
自分から王都を焼いている。
アレだと頼んだ意味がない。
「待って」
どうにかしようとしたわたしをイリスが止める。
「彼は何も考えていない訳じゃない」
「え、どういうこと?」
二人の炎鎧が剣をぶつけ合う度に衝撃が周囲に迸っている。
さらに“穢れ”の炎鎧は周囲への影響なんて気にすることなく“穢れ”で作られた鞭みたいな物を体から生やして振り回している。けど、それも炎鎧が生み出した炎によって掻き消されている。
「アレが被害を最小限に抑える方法」
「そう、なのかもしれないけど……」
やっぱり、わたしとしては納得がいかない。
「それから彼らも参戦したいみたい」
「彼ら?」
イリスがスキルを使用すると地面に魔法陣が描かれる。
魔法陣の上に現れたのは大きな真っ白な獅子――雷獣。
『奴にばかり活躍させるのも悔しいので彼女に頼んで参戦させてもらった』
「もう……」
子供みたいに無邪気な笑顔を浮かべる雷獣に思わず苦笑いしてしまった。
『乗れ』
雷獣の背に跨らせてもらうと、わたしが乗ったのを確認してから大通りを一気に駆け抜ける。
雷撃を纏った突撃。
いくら女神でも直撃を受ければ無事では済まない……
「お忘れですか? 私は神獣の力を使えるのですよ」
黒い稲妻が落ちる。
雷獣は落ちてくる稲妻を巧みに回避しながら突進する。
『む、これは……』
突進が地面から浮かび上がってきた尻尾みたいなものに叩かれて止められる。
「今度は海蛇、か」
地面を海面のようにして現れたのは最後の神獣である海蛇。
女神ティシュアを守るように周囲を胴体で囲み、起き上がらせた頭部をわたしたちの方へ向けている。
「発射」
黒い水鉄砲のような物が大きく開けられた口から発射される。
「伏せて!」
後ろから聞こえてきたイリスの声に雷獣の背に伏せる。
すると吹き荒れる冷気が“穢れ”の水鉄砲をあっという間に凍らせていく。
「では、これならどうでしょうか?」
遠くから地響きが聞こえる。
何体もの鬼人がここに迫っていた。
「全ての『鬼』は私の支配下にあります。神獣と『鬼』、どちらも相手にすることができます――か?」
その時、女神ティシュアの首が飛んだ。