第34話 神の代弁者-穢血-
体内へと入り込んだセンドルフの血。
そのまま血管を利用して全身を駆け巡り、最終的には肉体の全てへ行き渡る――“穢れ”。
体の中にある不快感に後退る。
「本来は、違和感を与えない為に少量ずつ入れていくのですが、そんなことを言っている場合ではないですからね」
体内にある“穢れた血”が“穢れ”を集めようとしている。
なるほど。これが鬼人になる、っていうことか……自分の意識が黒く塗り潰されていくような感覚に陥り、目の前が暗くなる。俺でさえこれなら一般人では耐えられないだろう。
「主!」
俺を心配したメリッサが上にあるテラスから身を乗り出している。
それを、手を掲げることで抑える。
「主……」
「無駄です。どんな人間も“穢れ”には勝てません」
勝ち誇った笑みを浮かべるセンドルフ。
「【魔導衝波】」
右手を胸に押し当てて【魔導衝波】を使用する。
「は?」
その光景にセンドルフが呆けている。
自爆したようにしか見えない。現に自分の技でダメージを受けている。けど、些細な問題だ。
「鬼人にする方法は理解した」
「そんな……」
次にセンドルフが目にしたのは“穢れ”が体内から完全に消えて平然としている俺の姿。
「そんなことはありえない! 一体、どんな方法を使ったら“穢れ”を排除することができると……」
「どうやら何も見ていなかったみたいだな」
方法ならいくらでもある。
治療薬を用いれば鬼人になった後でも元に戻ることができる。それに、人を『鬼』に変えてしまう“穢れ”そのものだったとしても神気を用いることで吹き飛ばすことができるのはセンドルフで証明済み。なにより【ティシュア神の加護】があるのだから浄化は簡単。
相手は『商人』で戦闘においては素人のセンドルフ。
敢えて隙を晒せば起死回生の一手を打ってくると思っていた。
「つまり、鬼人であるお前の血を取り込ませることによって人間を『鬼』に変えることができる。特別なのは、女神ティシュアが心血を注いで作り上げたお前だけで他は感染者でしかない」
「……」
センドルフは答えない。
しかし、逸らされた視線が真実だと物語っている。
「なら、簡単な話だ。お前を排除して“穢れ”に感染している人たちをどうにかすれば新しい鬼人が生まれることはない」
「そんなことは不可能です!」
ハンマーが振るわれる。
それを回避することなく左手で受け止める。
「ぐぅ……!」
可能な限り接近する必要があった。
自分の武器であるハンマーを頼りにしているセンドルフは掴まれている状況にも関わらず手放すことができずにいた。
「【迷宮結界】」
俺を中心に【迷宮結界】を展開させる。
センドルフの大きな体がすっぽりと収まる。
「敵と一緒に結界の中に入るとは愚かですか」
「問題ない。この結界は、お前を逃がさない為の物だ」
「……!」
今さら気付いたところで遅い。
左手でハンマーを掴んだまま右手で神剣を振るう。
全てを切断する剣は、鬼人の硬い体など構うことなくセンドルフの体を細切れにする。
すぐに再生が始まる。
「ハハッ、何度やったところで無意味ですよ」
目の前で肉が蠢いて元の『鬼』の体が作られる。
再現まで5秒と掛かっていない。
「【焦土】」
「ぎゃあああぁぁぁぁぁ!」
結界内でセンドルフの体を蒸し焼きにする。
結界が阻むのは人や敵意が込められた攻撃のみ。普通に結界内でも空気があるため燃えてくれる。
「なに、を……」
炭と化した状態になりながら見上げて尋ねてくる。
「お前の再生能力には目を見張るものがある。無限に思えるような再生には俺も対処のしようがない。けど、その再生能力は膨大な“穢れ”があるからこそ可能な力だ」
しかも、“穢れ”は延々と取り込むことができる。
これではいつまで経っても倒すことができない。
「だから供給源を断てばいいんだよ」
「まさか……」
周囲に展開された【迷宮結界】が“穢れ”の侵入を阻んでいる。
「神の力が結界程度で……」
「普通の結界なら防げなかっただろうな」
通常の【迷宮結界】でも完全に遮断するのは難しい。
それでも今展開されている結界が“穢れ”を阻むことができているのは、結界に神気を含ませているためだ。
相克する力が反発し合って阻んでいる。
「お前が再生できる限界は、体内に保有している“穢れ”が尽きるまでだ。一体、いつまで耐えることができるかな」
☆ ☆ ☆
8回目の再生。
地面に倒されたセンドルフの上から超重力を加えて体の負荷を与えていたところ体がボロボロに崩れたまま思うように再生が開始されない。
どうやら、ようやく尽きたみたいだ。
強化されたことで保有できる“穢れ”の量が増えていた。それでも限界は必ず訪れる。そもそも、鍛えていた訳でもないセンドルフには過ぎた力だった。
超重力を解除する。
「私は、消える、のですね」
「そもそも、どうしてこんなことをしようと思ったんだ?」
死を悟ったセンドルフが静かに語る。
「私が女神の喪失を知ったのは他国にいた時でした。その後、女神を失った国がどうなったのか見に行こうと思い王都を訪れました。そこで何を見たと思いますか?」
かつての賑やかさを取り戻そうと必死になる王族と貴族。
中には真面目に経済を潤そうと思って行動していた者もいただろうが、センドルフの目には醜くかつての栄華に縋ろうと足掻いているようにしか見えなかった。
全く反省していない。
彼らの努力をそのように認識した瞬間に神の声が聞こえてきた。
「ティシュア様の罰は中途半端だったのです。やるなら全てを壊すほどでなければならない。本当の意味でやり直させるなら、中途半端に残っている状態は枷にしかならない」
王都を破壊する決意をしたセンドルフ。
彼の存在は女神ティシュアにとって都合のいい存在だった。自らの持つ神気を注ぎ込んだところ、センドルフの持つ憎しみと反応を起こして『鬼』という存在が生まれることになった。
国にある全てを破壊するまで止まらない強い意志が再生能力となり、破壊衝動が強靭な肉体となった。
「……どうなるのか見届けることができないのは残念です。ですが、私の目的は遂げられました」
「そうかな? 今も本物の『巫女』が……」
「王都の破壊など二の次です」
「なに?」
「お忘れですか? 私は、女神ティシュアの代弁者。消えた『巫女』の代わりとして女神ティシュアに選ばれた存在です。『巫女』が命を失ったことで何が起こりましたか?」
ノエルが死んだことで怒ったティシュア様が降神した。
「まさか……」
「私の目的は、女神ティシュアの降神そのものです!」
その時、センドルフの顔の右半分が崩れる。
「降神に、必要な、場は、ととのい、ました……」
それは最期まで神を信じ抜いた男の言葉。
「王都は神の降り立つ地獄と化す--」
センドルフの体がボロボロに崩れて何も残らなくなる。
「……既に種は蒔き終えた、か」
以前の言葉。
本当にセンドルフは自分が命を賭してすべき事を終えていた。
「主」
俺を心配したメリッサが降りてくる。
「俺たちも行こう。本当はノエルに任せるつもりだったけど、そうも言っていられない状況なのか、も……」
王都の南から強い神の気配を感じて振り向く。
二つの強い気配が戦っている。一つは【ティシュア神の加護】を発動させているノエル。
そして、もう一方は……
「ノエル?」
正確に言うなら相手も【ティシュア神の加護】を発動させている状態。
そんなことはありえない。俺は迷宮主だから一時的に借りることができているが、【ティシュア神の加護】はノエルだけが持つことを許された特別なスキル。
なら、考えられる理由は一つ。
「敵は女神ティシュアか」
神の力を持つ者と神そのものが戦っている。
俺も【迷宮結界】を解除して向かおうとする。
「……っ!」
「少し休んだ方がいいです」
倒れそうになったところをメリッサに支えられる。
「魔力の使い過ぎです」
結界を維持するだけで通常以上に魔力を消耗してしまう神気を消耗し続けていた。おかげで大量の魔力を持っているはずの俺でも残りの魔力が1割近くにまで減っていた。
道具箱から魔力回復薬を取り出して飲む。
何本も飲めば戦闘ができる程度には回復できるだろう。