第31話 女神の声
ノエルは女神ティシュアの姿を見せ、声を届けることができる。
鬼人となった二人の証言をそのまま信じるなら、二人が聞いた声は女神ティシュアによるもの。
そして、女神ティシュアは鬼人になるよう唆している。
『わ、私はそのようなことをしていません!』
ただし、ティシュア様は全力で否定している。
声は間違いなく同じ。しかし、両者は同一人物ではない。
「それがわたしの推測です」
レオニード王子を始めとした人々に推測を述べるノエル。
「では、あいつらを唆した人物は誰だと言うんだ?」
レオルド王子もノエルが生きていたことを遺憾に思いながら現状を解決する為に脇に置いて聞いてくれている。
時折、俺たちの方へも鋭い目つきを向けてくる。一緒にいることを思えば、俺たちが何らかの方法で助け出したことは容易に想像できるからだろう。
「女神ティシュアです」
「おい、さっきと言っていることが違うぞ」
「いいえ、合っています。現在、女神ティシュアは二人います」
「は?」
間の抜けた声が聞こえる。
たしかに同じ人物が二人いるというのなら一方が知らないことをもう一方が好き勝手にできていたとしても不思議ではない。
「女神ティシュアが二人いるとはどういうことだ?」
「まず、2年前の神罰の際に降神されたティシュア様は、あれからわたしとずっと一緒にいました」
これが俺たちのよく知るティシュア様。
既に神の威厳など失われ、子供たちの面倒を見て買い物などで遊び呆けるのが楽しみなティシュア様。
「今のティシュア様は本当に親しみを持って接することができる方です」
「それを以前にもしていてくれたらな」
「その気持ちが問題です」
いつしか信仰しているはずの人々からティシュア様を敬う気持ちが失せ、恩恵だけを求めるようになっていた。
その状況に嫌気が差していたのも事実。
「神の人間に対する嫌悪感というものは強いですが、わたしたちと一緒にいたティシュア様が持っていた負の感情は僅かでした」
あまり言うほど気にしていないのかと思っていた。
ところが、実際にはそうではなかった。
「降神した際に人を憎む気持ちは別に残されていたんです」
正の感情と負の感情。
本来なら両方を併せ持つのが正しいのだが、何かしらの手違いにより分離されてしまった。そして、そのことに俺たちと一緒に行動していたティシュア様は全く気付いていなかった。
『……』
彼女も申し訳なく思っているのか項垂れている。
「じゃあ、今回の騒動は全部女神ティシュアのせいだっていうのか!?」
「それは違います」
レオルド王子の言葉をキッパリと否定するノエル。
「そもそも信仰の対象でしかなかったティシュア様に頼り切りだったメンフィス王国の在り方にこそ問題がありました」
「お前、俺たちを否定するのか!」
「そうです。もうティシュア様に頼ることはできないのですから、過去の間違いを認識しなければ前へ進むことはできません」
その前へ進む為の舵取りをしなければならないのがレオルド王子。
厳しい言葉を言うノエルだが、彼女なりに故郷のことを想っているからこそ厳しい言葉を掛けて立ち直らせようとしている。
「まずは、目先の問題を解決することにしましょう」
「そうだ! 女神が何かをしているとしてどうすればいい!?」
「先ほどの二人の鬼人への変化は、わたしが元に戻した方法とは逆です」
神の声を届けて、神へ負の感情をぶつけるようにする。
ノエルがティシュア様の姿を幻視させて元に戻しているのと似ている。
「女神ティシュアは間違いなく降神しています」
近くにいて力を行使しなければ神でも不可能。
それがノエルの推論。
「どこかにいる女神ティシュアを討滅することができれば騒動は解決されます」
範囲は王都内。
これ以上の被害拡大が起こる前に対処する必要がある。
『素晴らしい。よく、そこまで推察することができた』
パチパチ、という拍手の音と共にどこからともなく女性の声が聞こえてくる。
俺たちにとっては既に聞き慣れた声。だが、声に含まれている感情が今までに聞いたことがないほどに酷く冷たい。
「誰だ!?」
一方、一度しか聞いたことのないレオルド王子が吼える。
「女神ティシュアか」
『そのとおりです』
レオニード国王の言葉を声は肯定した。
彼が言うように聞こえてくるのは女神ティシュアによる声。空気を通して伝わってくるような音ではなく、全員の心へと届けられている念話に近い声だ。
『私の正体にまで気付かれてしまうとは、少々行動を起こし過ぎましたかね』
「一体、何が目的ですか」
『目的? もう、貴方たち人間にはうんざりさせられていたんです』
ティシュア様が持っていた負の感情の大部分を請け負うことになった女神ティシュア。
だが、大部分を担っただけで負の感情だけで構成されている訳ではない。人々を慈しむ心も少なからず残っていた。だから、最初のうちは何もするつもりはなく、今までと変わらずに見守るだけでいた。
『それが、貴方たちは何をしていましたか?』
反省を促すつもりで起こした降神。
ところが、メンフィス王国の人々は責任の追及ばかりを行い、貴族や神官を弾劾し、追い詰められた彼らは次第に自分たちを見捨てた女神ティシュアへ恨みを抱くようになる。
弾劾した人たちも一向に改善される気配のない生活に嫌気が差し、女神ティシュアへの不満を抱くようになる。
神罰の件があるから表立って口にするようなことはない。
しかし、相手は神であるため心の内にある不満など簡単に見透かされてしまう。
『神を恨むなど不遜にもほどがあります』
「貴様……!」
レオルド王子が再度吼える。
彼には神が一方的に文句を言っているように聞こえていた。
『……その態度が気に入らない、と言うのですよ』
不満を隠そうともしない女神ティシュア。
「やっぱり何か条件があるんだな」
『……』
「神に対して強い恨みや不満を抱くだけで鬼人になるんだったら、この王子様が真っ先に鬼人になっていてもおかしくない」
「チッ……」
自分の態度がいけなかったことに気付いて舌打ちしている。
今も女神ティシュアに対して強い不満を抱いているにも関わらずレオルド王子が鬼人に変化するような様子は見られない。
「おそらくは、その変化に必要な“何か”をしていたのがセンドルフだ」
『ええ。彼の存在は、私にとって非常に都合のいい存在でした』
助けられたことから女神ティシュアを強く信仰していたセンドルフ。
追い出す切っ掛けとなった貴族たちのことを強く恨んでおり、同時に神であるにも関わらず自分を見捨てた女神ティシュアを強く不満に思っていた。
『彼には地上における私の「代行者」となってもらいました』
「そんなにペラペラと喋っていていいのか?」
『構いません、既に種は蒔き終えております。最初から騒ぎがある程度大きくなってから接触するつもりでいましたから』
「――そういうことか」
王城での騒動は陽動だった。
『ふふっ、気付きましたか』
俺が即座に気付くことは女神ティシュアにとって想定内のことだった。
「上へ移動しましょう」
レオニード国王たちを連れて上階へと移動する。
高い場所にある広いテラスからは王都の様子を一望することができるようになっており、普段は王族や彼らの許可を得た者たちが寛ぎながら話をする場となっている。
「なっ……!?」
普段とは違う景色に普段から利用している者たちが声を失う。
王都のあちこちで建物が破壊されている。距離があるため声まで聞こえないが、悲鳴が響いているに違いない。
『大量の「鬼」を覚醒させました。早急に手を打たないと王都が消えてなくなってしまいますよ』