第29話 『巫女』を辞めて
ノエルの口から語られる北部の現状。
鬼人が暴れ回り、その状況がさらなる鬼人を生み出すことに繋がっている。既に相当数な鬼人が生み出されており、首謀者が王都を狙っている。
全ての話を聞き終えたレオニード国王が頭を抱えていた。
自然とノエルの膝の上で寝ているリエルへと目が向けられる。
「随分と似ているな」
「わたしにですか?」
「そうだ。こうして寝ている時の顔なんて、いきなり知らない場所へ連れて来られたせいで泣き疲れて眠ってしまった時の顔にそっくりだ。今でも、あの頃のことは思い出せる」
昔を懐かしむように思い出を噛み締めている。
今の苦労を思えば、昔は本当に安らいでいたのだろう。
「わたしからも一ついいですか?」
「なんだ?」
「今、王都にいる人たちはどこから来ました」
「その話か」
政変後。
王都から逃げ出す人が続出した。一人の困窮する生活に耐え切れず、逃げ出してしまったものの神罰が下るようなことはなかったため脅しだと分かり、逃げ出す人を食い止めることができなかった。
半数近い人がいなくなった王都。
残されたのは外への伝手など持たない者たちばかり。
どうすればいいのか途方に暮れていたレオニード国王は、いなくなった人を補充することから始めた。
しかし、人の増加など自然な方法に任せていたのでは数十年単位での時間を必要とする。それほどの時間を掛けるような真似をすれば王都の方が先に滅びてしまう。
だから近隣の村から人を呼び集めた。
「でも、それだと村から人がいなくなりませんか?」
「それなら問題ない。村へは王都にいた人を送っている」
「それでは本末転倒……」
「貧民街の人たちですね」
何かしらの理由で生きていくのが困難になった人たちは少しでも休める場所を求めて路地の奥で身を寄せている。
社会からドロップアウトしてしまった者たち。
メンフィス王国は、彼らに村で生産事業に真面目に取り組むなら生活を支援することを約束して送り出した。
王都の現状からメリッサはそのように推測していた。
「表面的には釣り合いが取れているように見えるかもしれません。ですが、自然にできあがった都市ではないため無理をしているように見えた方もいましたよ」
活気は溢れていた。
しかし、中には戸惑いのようなものも感じられた。
最近まで村で長閑な生活をしていたのに都会での生存競争がある生活を強要されて息苦しかったのかもしれない。
「いつかは破綻してしまうかもしれません」
「それでも仕方ないんだ! お前たちは、人のいなくなった王都を見ていないからどれだけ寂しいのか分からないんだ!」
「ぇう……」
「ああ、ごめんね」
レオニード国王の怒鳴り声に驚いたリエルが泣き出しそうになっていた。
「ノエル、お前は戻れ」
「でも……」
「お前の助けたいっていう想いは伝えたはずだ。それで、これからどうするのかは国王が決めないといけない。それに約束を忘れたわけじゃないだろ」
「分かった」
リエルを連れてノエルが屋敷に戻る。
子供を最優先にする。それが母親となった者たちと決めた約束事だ。
「それでは、交渉といきましょうか」
「交渉だと……?」
テーブルの上に『鬼人治療薬』を置く。
「300人分用意しました」
メリッサには数日間治療薬の作製に集中してもらった。
おかげで、どうにか300人分は用意することができた。
「先ほども言ったようにこの薬なら『鬼』となった人を元に戻すことができます。効果は保証されていますね」
アヴェスタで情報収集すれば本物であることは確認できる。
俺たちが嘘を吐いて偽物を渡したとしても、身元がはっきりしているのだから冒険者ギルドを通して訴えればいいだけの話。
「くれるのか?」
「はい。1本金貨10枚です」
もちろん有料だ。
300本あるため金貨が3000枚必要になる。
「……背に腹は代えられない、か」
苦渋の決断。
現在のメンフィス王国の財政を考えれば、金貨1000枚は相当な痛手となる。
「まあ、こちらもないところから搾り取ろうなんて考えていません。後払いでも構いませんよ」
「本当か!?」
「ノエルに感謝してくださいね」
大きな借りにさせてもらった。
ノエルの名前まで使用したのだからレオニード国王が踏み倒すような真似はしないだろう。
「では、もう一つの方法について相談しましょうか」
ノエルを国の為に働かせるかどうか。
さすがに舞を披露したり、幻術を見せる為に姿を晒したりすればノエルの生存が知れ渡ることになる。せっかく中央まで伝わっていないのだから、メンフィス王国にいる間ぐらいは伏せておきたい。
「できることなら全員に協力してほしいところだが……」
「――父上!」
扉が勢いよく開け放たれる。
入ってきたのはレオルド王子。以前よりも逞しくなっており、政変によって鍛えられたことが窺える。
「レオルド。今は来客中だ」
「な、何故お前たちが……!?」
王子も俺たちのことをしっかりと覚えていてくれたようで、本来なら王の執務室へ無断で侵入した相手に対処しなければならないところを躊躇していた。
「で、何があった?」
「そうでした!」
レオルド王子の様子を見兼ねたレオニード国王の計らいによって話題が変えられた。
「場内に妙な魔物が発生しました」
「妙な魔物?」
「はい。これまでに見たことがなく、角の生えた巨体の魔物です」
「チッ、死角を突かれた」
センドルフの目的地は王都である。
そのことが分かってからサファイアイーグルを飛ばし、サンドラットを都市内にばら撒いて監視していた。鬼人になる者がいれば即座に見つけて動けるようにしておくためだった。
ただし、さすがに屋内は上空から監視することはできないし、サンドラットでも警備が厳重な場所へ入るのは難しかった。
特に王城はネズミの一匹ですら見逃さないほどの厳しさ。
結果、王城への侵入は諦めるしかなかった。
「それが鬼人です」
「どうやって城へ侵入した!?」
「それが……目撃者によれば使用人の一人が変化した、とのことです」
地方の村で起こっていた悲劇と同じことが城内でも起ころうとしている。
レオニード国王が治療薬を手にして部屋の外へ出て行く。
「どちらへ?」
「可及的速やかにその者をどうにかする必要がある。殺すのも難しい。だが、この治療薬があれば元に戻すことが可能だ」
「おお、さすがは父上」
レオルド王子も国王に続いて執務室を出て行く。
「面倒なことになってきたな」
「どうしますか?」
「とりあえず臨機応変に俺たちだけで対応しよう」
できることなら騒動が起きる前に具体的なことを決めておきたかった。
しかし、『巫女』でなくなってからのノエルがどんな生活をしていたのか、その報告に時間を取られてしまったせいで騒ぎが起こるのを許してしまった。
「どういう状況だ」
「陛下!?」
辿り着いたのは屋内にある騎士団の訓練場。障害物のない広い空間で、普段は訓練に勤しんで鍛えている。
訓練場に現れた国王を守る為に一人の騎士が駆け寄る。
「お下がりください。原因は不明ですが、北部で噂になっている『鬼』だと思われます。異様に硬く、隊長クラスが奮戦して傷一つつけられるほどであるため非常に危険です」
「もちろん自ら戦うつもりはない。だが、これを使え」
「これは?」
「あの『鬼』になった奴を元の人間に戻せる薬だ」
「そのような物が……」
貴重な治療薬を大切に持つ騎士。
数人の騎士が鬼人を取り囲んでいた。異様に硬いので攻め手に困っており、取り囲んで時間を稼ぐのが精一杯。しかし、そうして得られた時間の中に治療薬を飲ませる機会は確実にある。
力の足りない兵士たちは援護として騎士たちの後方に控える。
さらに騒ぎを聞きつけたのか兵士の増援も駆け付けてくれた。
これだけの人数がいれば彼らだけで対処も可能だろう。
「国王……?」
兵士の一人が小さな呟きと共にレオニード国王を見る。
「ガァッ……!」
次の瞬間、兵士が白目を剥いて体を痙攣させる。