第19話 神の代弁者
鬼たちの間を舞うノエル。
その姿は、見ている誰をも引き付けてしまうだけの魅力があった。
「止めろ……やめろぉぉぉ!」
そんな中で魅了されながらも雄叫びを上げたのがセンドルフ。
彼もノエルの姿に魅了されているのは間違いない。だからこそ、ノエルを本物の『巫女』だと判断した。
「認められない。今さら出てきて何の用だ」
鬼人の体で大きく跳ぶ。
着地地点には多くの鬼人がいる。しかし、他の鬼人よりも圧倒的に強いセンドルフなら密集している場所へ落ちたとしてもものともしない。
そんなことよりも優先させたいことが彼にはあった。
「させるか!」
跳び上がったセンドルフの体を横から蹴り飛ばす。
地面へと叩き落とされたセンドルフ。だが、俺には目も暮れずに鬼人たちがいる方――ノエルへと向かう。
「邪魔はさせない」
センドルフの進行方向に土壁を出現させる。
頭から突っ込んで土壁を破壊するセンドルフ。苦痛に顔が歪み、額からは血を流している。間違いなく無視できないダメージを受けているにもかかわらず足を止めることはない。
それだけ鬼人を元に戻すノエルを無視できない。
「だったら、こっちだ」
土壁ではなく【迷宮結界】で阻む。
今度は破壊することができずに倒れてしまう。
「きさま……!」
商人だった頃からは考えられないほど憎しみの籠った目を向けてくる。
「ワタシを進ませろ!」
「行かせる訳がないだろ」
「そういうコトなら……!」
鬼人の鋭い爪を伸ばして接近してくる。
振るわれた腕から斬撃が飛び、爪そのものを回避しても斬撃が周囲をズタズタにしてしまう。
「ま、隙だらけなんだけどな」
腕を掻い潜って肉迫する。
鬼人であるこいつには致命傷を与えるよりも、苦しむ攻撃をした方が効率的だ。手を押し付けて魔力を叩き込む。
「ぐふっ……」
口から大量の血を吐いて膝をつく。
【魔導衝波】。魔力を対象の内側へと叩き込むことによって内側からズタズタにしてしまう攻撃。
鬼人の再生能力を思えば、もう傷付けられた内臓も元に戻っているはず。
それでも今までに感じたことのない苦痛は、強い恐怖心を与えることになる。
「この、程度……!」
ゆっくりと立ち上がるセンドルフ。
ただし、その足はガクガク震えていた。
「お前には俺が与えたダメージ以上の苦痛があるはずだ」
「だまれ……」
鬼人を元に戻せる舞を披露しているノエル。
その光景を見てしまったセンドルフも徐々にだが、鬼人である為に必要な力――“穢れ”を失おうとしている。
鬼人でいればいるほど消耗している。
「ワタシは、絶対に認めない」
「何を認めない」
「ティシュア様は、地上における代弁者である『巫女』を蔑ろにしたこの国の連中を許さず、神であることを止めてまで神罰を下すことを決定した。そうして、未だに改心しない連中を誅する為にこのような力をワタシに与えた」
「なに……?」
センドルフの言葉が正しいなら、鬼人の力はティシュア様が与えたことになる。
だが、当の本人はこちらの様子を覗いているのではっきりと否定している。
「お前は何を言っている?」
ティシュア様自身が否定している以上、センドルフの言っていることこそが間違いなのは確かだ。
それなのに、完全に否定することができないのは嗤っているようなセンドルフの表情を見ているせいだ。
「ワタシは、ティシュア様が新たに選んだ地上における代弁者。彼女の怒りは未だに収まっていない。神は、神による裁きを受けることを望んでおられる!」
鬼人の体を棄てて元の人間の姿へと戻るセンドルフ。
空を見上げながら高らかに嗤う。
「かしこまりました、神よ。あなたがそのように望まれるのなら、ワタシはあなたが望むままに行動しましょう」
「何もさせるつもりはない!」
このままノエルの舞を見させ続けるだけでセンドルフを倒すことができる。
拘束する為にセンドルフの周囲に展開させた魔法陣から【迷宮操作:鎖】によって生み出された鎖を飛ばす。
対象を縛る為に勢いよく飛び出した鎖。
しかし、センドルフの体へ触れた瞬間にセンドルフの体がスライムのように溶けてしまった。
今のセンドルフと似た光景は見たことがある。メリッサの作った治療薬を飲ませた時に鬼人が同じように溶けていた光景と同じだ。
「本当は、この手段だけはしたくありませんでした」
首から下の全てが溶けて頭部だけになった状態で語り掛けてくる。
「こうして自分の体まで“穢れ”そのものへ変えてしまえば誰にもワタシを捉えることができない」
それも普通の状況なら、だ。
今は周辺がノエルの舞によって浄化されている。
「どれだけの“穢れ”を残すことができるのか分かりません。それに、ワタシは私の姿に戻ることができなくなります」
それだけのリスクを抱えた上での逃走。
「ですが、それを神が望まれるというなら代弁者であるワタシは従わなくてはなりません。そして、神の意志を体現させます」
「これから何をするつもりだ?」
「もう何もしませんよ」
「なに……?」
「既に種は蒔き終えてあります。後は、勝手に芽吹いてくれるのを待つだけだったのですが、アナタたちが現れたので成長を促してあげようと思った次第です。ですが、ティシュア様にとって損にしかならなかったようです」
なんとなくセンドルフがやりたかったことは分かる。
メンフィス王国で騒ぎになっている鬼人に襲われることで町にいる人たちは強い恐怖心に囚われることになる。
ティシュア様へ頼ることに慣れている彼らは神へ祈りを捧げ、助けを求めるようになる。しかし、既に神がいないことにすぐ気付き、助からない状況に誰もが絶望する。
その絶望は“穢れ”を生み出し、人々を次々と鬼人へ変えていく。
俺たちの出現によって大量の鬼人を必要とした。
「こんなことになるなら他の町を襲えばよかったですよ」
ただ、鬼人騒動が起こっている村から最も近い町だから。
それだけの理由で選んだ。俺たち、という不確定要素がなければ問題ないどころか最適な理由だったのだろうが、俺たちがいたせいで無駄に終わってしまった。
「果たして、無駄だったのでしょうか」
「どういう意味だ?」
「言ったでしょう。『既に種は蒔き終わりました』」
それだけ言い残してセンドルフの体が完全に消失してしまった。
近くにはセンドルフの意思が残っているのかもしれない。けれども、俺の感覚では捉えることができない。
いや、周囲一帯を焼くような攻撃をすれば問答無用で滅ぼすことができるかもしれない。
「……それは、止めておこう」
誰もがノエルに目を奪われている。
そんな状況を炎なんかで台無しにしたくない。
見れば、もう鬼人のほとんどが原形を失っていた。ただし、誰もが中途半端に人間へ戻ったような状態。
それでも、人を襲う為に暴れ出すような状態ではなく、ただノエルの舞に見惚れていた。