第9話 夜の闇に潜む氷
夜。
クラーシェルの冒険者ギルドで待機することになる。町には宿屋がいくつもあるが、今は避難してきた人を受け入れる為に解放されている。
多くの人がいては体が休まらない。俺一人がこっちにいれば女性陣はいつでも呼び出すことができるため部屋を一つ借りてベッドやソファを道具箱から取り出して寛がせてもらうことにしていた。
「物資なら用意しておいたよ」
既に夕食を簡単に済ませた後でルイーズさんを連れたイリスが戻ってきた。
「随分と早かったですね」
「こっちはあんたたちのスキルを前提に支援の方法を用意させてもらったんだよ。本当なら明日の朝に渡すはずだった物資だったんだけど……こっちの予想以上の速度で辿り着いたみたいだね」
ルイーズさんは【転移】や【跳躍】といった長距離の短時間移動を可能にするスキル、物資の大量輸送を可能にする【道具箱】を知っている。
本来なら送る手段もないのに救援物資を用意するなど馬鹿のすることなのだろうが、輸送に関しては何の労力を割くこともなく安全に届けることができる。倉庫の奥で眠らせていた備蓄の中から目録を作るだけでよかった。
そして、俺としては物資さえ得られれば問題なかった。
「物資を得られたことに関しては助かりました。ただ、ルイーズさんがついて来る必要はなかったのでは?」
「アタシは今回の救援における責任者でね」
今はアリスター家に仕えているルイーズさん。
救援は、アリスター家からクラーシェル家へと行われている。
「ただ、今のクラーシェルは危険ですよ」
こんな場所へ来てほしくなかった。
「けど、来てくれて助かっているのも事実なんだろ」
「……」
正しいため何も言い返せない。
「来てくれますか?」
「いいだろう。アタシもその為に来たんだよ」
☆ ☆ ☆
ルイーズさんを連れて外壁の上へと移動する。
この場には眷属が全員揃っている。メリッサとイリスには都市を暖かくする仕事があるが、何も都市の中心で行っていなければならない訳ではない。
「アレが敵です」
俺たちの見る先で氷の鎧が規則正しく動いている。
軍勢までの距離は200メートル。都市の中にいる人を安心させるなら少しでも熱波の影響範囲を長くしておいた方がいい。だが、広くすればするほどイリスへの負担が大きくなる。
そこで熱波の範囲は、都市の外200メートルに抑えている。
「なるほど。たしかに異様だね」
ルイーズさんから同意は得られた。
やはり、氷の鎧は魔物ではない。
「おい」
外壁の上から眺めているとフィリップさんとダルトンさんが現れた。
「王都の冒険者ギルドのマスターがこんな所で何をしている、んですか?」
「今のアタシはアリスター家に仕える相談役でしかないよ。救援をした者として敵が気になったから覗かせてもらっただけだよ」
ルイーズさんの仕事は、救援物資の用意だけ。
届けられたのを確認することまで頼まれていない。
「それよりも、アンタたちは気付かないのかい?」
「何を……」
「やれやれ。これだから前線を退いた奴はいやだね。どうやら相当鈍っているようだね」
フィリップさんとダルトンさんの二人が怒られて小さくなる。
全盛期よりも少しばかり老けているらしいルイーズさん。それでも、見た目は二人の方が完全に年上だから年下から注意されて落ち込んでいるようにしか見えない。
「マルス」
「はい」
「サンプルが欲しい。1、2体でいいから掻っ攫ってくることはできないかい」
「お任せください」
外壁の上から跳び下りる。
着地した時の衝撃音から俺の存在を感じ取った氷の鎧が一斉に目を向ける。
だが、動き出すような真似はしない。少しでも前へ出れば熱気によって溶かされてしまうことを理解しているからだ。
200メートルの距離を一気に駆け抜ける。
全力で走っても数秒の時間を要する。その間に数十体の氷の鎧が長槍を正面に構えて迎え撃とうとする。
隙のない隊形。
正面から無策で突っ込んで行ったのでは強行突破は難しい。そうして足を止めている間に他の氷の鎧が串刺しにする。
だが、俺の目的は突破ではない。
「お勤めご苦労」
槍と槍の間に体を滑り込ませて頭を掴む。
虚を突かれたものの氷の鎧が一斉に俺のいる場所へと槍を突き出してくる。
ただし、残念ながら突き出された槍が俺に届くことはない。頭部を掴んでいた氷の鎧を手にしたまま後ろへと跳んでからだ。
「ただいま」
二体の氷の鎧を手にしたまま外壁へ戻る。
手の中で暴れて槍で攻撃しようとしてきたため地面へ叩き付けて使い捨ての剣を取り出すと両手両足を串刺しにして動けないようにする。
「分かったかい?」
ルイーズさんが再度フィリップさんとダルトンさんに尋ねるが二人とも分かっていないようだ。
「メリッサ、溶かしな」
「かしこまりました」
メリッサの手から放たれた火が氷の鎧を溶かしていく。
瞬く間に氷から水へと変わり、大きな水溜りが出来上がる。
「まだ分からないかい?」
「いや……」
「どうやら異常すぎる事態に考えが追い付いていないみたいだね」
足元に広がる水溜まりを見るよう杖で示す。
そこには水があるだけで何もない。
「……魔石はどこだ?」
そう。
水があるだけで魔物なら体内に持っていなければならない魔石を所持していないことが異常だった。
魔石を持たない魔物は決していない訳ではない。だが、それはゴーストのように実体を持たない魔物。氷の鎧のように確かな肉体を持っているのなら魔石が体内にないのはありえない。
この事実から考えられるのは、氷の鎧は魔物ではない。
「……そんなことがありえるのですか?」
魔物ではない。
それでも確かな敵意を持って襲ってきている。
「あいつらは魔法、もしくはスキルによって普通の氷から生み出された兵士だろうね」
本当の意味で氷の鎧は兵士でしかなかった。
「そもそも今までの襲撃で気付かなかったのかい」
「それが……」
逃げている最中は魔石の有無を確認しているような余裕はなかった。
クラーシェルで迎撃している最中も遠距離攻撃を中心に外壁に取り付かないよう攻撃しているだけだったため遠くからでは砕けた氷の中に魔石がないことに気付くことができなかった。
「こっちは取り付こうとする敵を迎撃するだけで精一杯だったんです」
「けど、マルスたちは気付いていたみたいだよ」
魔物なら魔石を回収すれば再生能力を封じることができる。
しかし、氷の鎧の中心を駆け抜ける最中に魔石を見つけることはできなかった。だから早々に魔石については諦めていた。
「けど……」
「そんなことが可能なんですか?」
未だに信じられないダルトンさんとフィリップさん。
クラーシェルを取り囲んでいる氷の鎧は数万に匹敵する。誰かが魔法やスキルで氷の鎧を生み出しているだけでなく、操作までしているとなると……
「そんなことが人間に可能だとは思えない」
「魔物にだって不可能だ!」
そういう意見が出てくると思ったから会議中に教えなかった。
「そうだよ。敵は『人間』でも『魔物』でもないっていうことなんだろうね」
「そんな相手……」
言葉を呑む二人。
これだけの超常現象を引き起こすことができる存在。二人とも出会ったことがないから言葉をすぐに出すことができないでいた。
「敵は――『神』だよ」