第8話 最下層で
「う……」
呻き声を上げ、呆然とする意識を覚ましながら目を開けると、ゴツゴツとした岩の天井が見える。所々に生えた水晶から光が溢れ、それが光源となっていた。
体中がボロボロで、酷く痛い。だが、痛みを感じるということは生きているということである。
「ここは……?」
すぐ後ろには迷宮の階層を行き来することのできる転移結晶がある。
転移結晶の放つ光を見ていると、心が落ち着くような感覚になる。
あれから――隠し部屋で襲われて地面に開けた穴に滑り込んでから何が起こったのかを必死に思い出す。
すぐに下の地下3階に辿り着くかと思ったが、穴の先は何層もの階をぶち抜いたような空洞で、そこから何層も落ちた結果、迷宮の中を流れる川に落ちた。朦朧とする意識の中、何かに掴まろうと必死に手を伸ばしてみるものの、結局届くことはなく、川の流れが緩やかになると曲がり角になっていた場所でようやく岸に掴まることができた。
そこには、光り輝く結晶――転移結晶がすぐ傍にあり、その光に手繰り寄せられるように手を伸ばした。
そこで、俺の意識が途絶えた。
「ここは、どこなんだ?」
自分の身に起こった事を思い出すと改めて考えさせられる。
もしも、川から流れ着いた場所の先にあった転移結晶の前で意識を失ったままだと言うのなら自分が転移結晶の前で気絶していたのは理解できる。しかし、近くには川などない。
ならば、別の階に転移したのか?
そう考えて周囲を見渡してみるが、転移が可能な1階や2階とも景色が違っていた。
なにより、天井や壁を構成する洞窟の土だ。
似ているようだが、何かが違う。材質が違うとでも言えばいいのだろうか、俺が見た迷宮の洞窟は天然の洞窟をそのまま利用したような物だったが、今俺の目の前にある土壁はツルツルに磨かれていた。
全く別の場所だ。
ここが、どこなのか気になるところではあるが、目の前には転移結晶があるのだ。これに触れれば転移可能な行き先が自然と頭の中に浮かんでくる。
つまり、ここも含めて俺が訪れたことのある階層が表示される。
果たして――
「え、地下82階?」
頭の中に行くことのできる階層が表示される
・1階
・2階
・6階
・82階
1階と2階は、俺が直接迷宮を下りて転移結晶に触れたから移動できるのは理解できる。6階もおそらく川に流されながら辿り着いた場所が地下6階だったのだろう。
しかし、地下82階?
「ここが、そうなのか?」
思わず、もう一度キョロキョロと辺りを見渡してしまう。
俺も少年ながらに村の近くにある迷宮についての話を聞いていた。中でも一番気に入っていたのが200年近く前に迷宮へ挑み、最下層まで到達したと言われている伝説の冒険者パーティの存在だ。
そのパーティは当時の冒険者の中で、最強と目されるパーティの一つで、彼らは長期間の探索の末、最下層である地下55階に到達した。最下層にあった財宝である希少な金属は武器に加工され、その後の彼らの冒険者活動に大いに役立った。
だが、最下層にはそれ以上の財宝はなく、迷宮の核になるような物はないと伝えられた。
その後、彼らの偉業に続こうといくつもの冒険者パーティが迷宮に挑戦したが、結局地下50階に到達するのが限界だった。
さて、ここにおかしな話がある。
迷宮は常に拡張を続けている。
そのため、200年前に最下層に到達したときに55階だったのだから、今ではもしかしたら60階を超えているだろうと言われていた。
しかし、200年程度では何十階層も拡張されないはずだ。
だが、実際には地下82階まで拡張されている。
考えられる可能性は――
「奴ら、最下層になんか到達していなかったな!」
大声を上げると胸が痛んだ。
彼らはたしかに地下55階までは到達したのだろう。しかし、それ以上の攻略を諦め、そこで得られた財宝を持ち帰ることで地下55階が最下層だという嘘を信じ込ませやすくした。実際、得られた金属は、強力な武器となった。
まったく、偽りの英雄譚に心躍らせていた気持ちを返してほしい。
ま、偽りの英雄についてはどうでもいい。
それよりもどうにかしなければいけないのは、自分が最下層に到達してしまった理由だ。
「ここが最下層なんだとしたら、やっぱりあれは……」
地下82階は酷く狭い場所だった。
転移結晶のある場所の隣には、上の階に行く為の階段がある。階層全体も入り口から見渡せるほど狭い。
そんな狭い場所に大きな神殿のような真っ白な建物があった。
転移結晶を使えば一瞬で迷宮の入り口へ戻ることができる。
しかし、転移結晶から手を離し、俺は誘われるように神殿の中へと入っていく。
『やあ、よく来てくれたね』
神殿の中に入った瞬間、どこかからか声が聞こえてきた。
どこかで聞いたことがあるような声。
しかし、声を発した人物の姿はどこにも見当たらない。そもそもここは迷宮の最下層である。そんな場所に自分以外の誰かがいるとは思えない。
『僕がいるのは神殿のもっと奥だ』
こんな場所で聞こえる正体不明の声。
しかし、俺は不思議と警戒心を抱くことなく歩を進める。
神殿の奥と思われる部屋に足を踏み入れた瞬間、魔法によるものなのか部屋の隅にある柱に篝火が焚かれる。
そして、部屋の中央にある柱のような台座の上に置かれた水晶が目に入る。
『さて、自己紹介といこうか。僕は、この迷宮の迷宮核だ』
「は?」
水晶から自分が迷宮核だと名乗る声が聞こえてくる。
『僕は、迷宮の命そのものであり、僕を破壊することで迷宮は完全に機能を停止する。そんな存在だ』
「本当に?」
『証明する方法は一つだけ存在している。しかし、その為には君にある使命を帯びてもらう必要がある。君は、それを受け入れてくれるかい?』
「どんな内容なのかも分からないのに受け入れるわけがないだろ」
迷宮核との会話は成立していたが、言っている意味が分からない。
やはり、さっさと帰るべきだったか、体中が痛い……。
『どうやら攻撃された体が相当痛いようだね』
「おまえ、なんで知って……」
迷宮核の口調は、まるで見てきたかのような納得した様子だった。
『僕は、迷宮そのものだ。迷宮の中で起こったことは全て把握することができる。それに君の行動は、迷宮に入ってきた瞬間から――いや、地下1階から観察させてもらったよ。さて、まずはその傷を治すことにしようか』
「おまえ、何を言って……?」
俺の疑問に迷宮核が答えることはなく、代わりに俺のすぐ傍の床に魔法陣が出現する。その上にどこからともなく隠し部屋で見たような宝箱が出現する。
『開けてごらん』
言われるまま開けてみると中には一本の瓶が入っていた。
瓶の中身は紅色の液体で満たされている。しかも、ただの液体ではない。魔法には全く適性のない俺でも分かるほどの魔力が浸透している液体だ。
ポーション――服用することで、体の傷を治し、体力も回復してくれる魔力の込められた液体。
村にもあったが、このポーションは村にあるようなポーションとは品質が比べ物にならない。まさに極上と呼ぶべき代物だった。
『飲んでごらん』
一口飲んでみる。
それだけで体中の傷が癒され、体力も元通りになっていた。
『さて、これで話がしやすくなったかな?』
「俺の傷を治してくれたことには感謝する。けど、どうして俺をこんな場所に導いたんだ?」
迷宮核なんて物が最下層にいて目の前に存在しているんだ。
俺が最下層にいる理由も迷宮核に原因があると考えた。
しかし、迷宮核はその考えを否定する。
『ん? 君が最下層にいることについて僕は何もしていないよ。最下層に転移する資格を持った君は、自分の力で最下層にやって来たんだ』
「いや、最下層にだけ転移できる資格とか分からないし……」
俺が転移できる行き先は、自分で触れた転移結晶と最下層のみ。
意味が分からない。
『僕はずっと君のように資格を持っている者を待っていたんだ。その資格を持つ君に是非ともなってほしいんだ』
「だから、何に?」
よほど待っていたのか迷宮核は少し興奮していた。
『もちろん。迷宮主だよ』