第29話 退屈な試合
廊下を抜けて格子状の入口から試合場へと足を踏み入れる。
外からでも試合の様子がしっかりと見えるよう天井にあるライトで照らされているおかげで明るい。
試合場には既に対戦相手がいる。
両手首に手錠を填めた筋肉質の男だ。ただ、手錠は嵌められているものの繋がっていないため拘束はされていない。
「犯罪奴隷か」
「ああ、そうだ。ビビったか?」
対戦相手の男と対峙すると俺の呟きが聞こえてしまったのか笑みを浮かべていた。
「別に。だけど、どうして戦うのか気になるな」
「簡単な話だ。ちょっとばかり強い殺戮衝動を抱えていたら、我慢できずに殺して捕まっちまった。牢屋に入れられている間は、本当に退屈な日々だった。そんな俺に奴が闘技場の話を持ち掛けてきたんだ」
対戦相手の視線が個室で観戦している男へと向けられる。
緑色の髪をした美形の男が笑みを浮かべながら観ている。
「あいつか?」
「そうだ。ヨルヘス商会の会長らしい。とはいえ、俺にとっては奴が何者かなんてどうでもいい。ただ、誰かと戦うことができれば十分だ」
対戦相手の事情は分かった。
そして、彼が重要な情報を持っていないことも知れた。
「泣き喚く暇もなく沈めてやるよ」
両手をワキワキと動かす男。
闘技場での試合におけるルールは簡単。相手が戦闘不能になるか降参を認めさせれば勝利。観客席へ行くようなことがなければ場外も存在しない。力の限り戦い続けることになる。
「俺は、これまでに戦ってきた連中も素手で沈めてきた。死なないように気を付けるつもりだけど、ウッカリ死ぬことがあるかもしれないな」
闘技場では相手の命を奪うような攻撃は厳禁とされている。しかし、命を賭けて戦う場である以上、何かしらの理由によって命を落としてしまうことがあるかもしれない。
多少のペナルティがあるものの厳罰に処されることはない。
それは、相手が犯罪奴隷の時でも同じ。
「この闘技場で稼げば解放もありえるんじゃないか?」
「知っていたのか」
犯罪奴隷の全員がこいつみたいな考えをしている訳ではない。
それでも試合に一定以上の犯罪奴隷が出場すると聞いてイリスが推測した。試合で勝てば報酬がもらえる。しかし、奴隷として最底辺の生活をしている彼らに金を使う機会はない。
ならば、何を目的に戦っているのか。
奴隷、という立場に堕とされた者たちにとって何よりも欲しいのは『自由』だ。
しかし、それはありえない。だからこそ、カマを掛けてみたのだが、本当に手に入るようだ。
「犯した罪の重さによって金額が変わってくるらしいけど、決められた金額を稼ぐと解放してくれるらしいぜ」
普通なら絶対にありえない。
借金によって奴隷に堕ちた者や止むを得ない事情によって奴隷に堕ちてしまった者については、主人の裁量によって奴隷を解放することができる。
しかし、犯罪奴隷の場合は奴隷商や購入した主人の手で解放することができないようになっている。そんなことになれば、金を積めば罪から逃れられてしまう。
ヨルヘス商会が嘘を言って犯罪奴隷を戦わせている可能性がある。
けど、本当に解放されるのかもしれない。彼ら犯罪奴隷を管理する立場にいる者が行政に対して強力過ぎるほどの伝手を持っていれば、犯罪奴隷の解放も不可能ではない。
「俺は興味がないな。ここで、こうして試合に参加しているだけで俺の欲は満たされる」
「そうか。けど、それも今日までの話だ」
「あ、それはどういう……」
すぐに分かること。
答える必要もないため相手と距離を取る。
この試合では賭けが行われている。
どちらが勝つのかを予想したものなのだが、俺が勝利した時の倍率が圧倒的に高かった。
当然と言えば当然の話だ。相手は、口振りからして闘技場で何度も勝ったことのある実績がある。対して俺は何の実績もない。Aランク冒険者などという肩書は実力が物を言う闘技場では何の役にも立たなかった。
まあ、その方が助かる。おそらく、アイラあたりが俺の勝利に大金を賭けているはずだ。しっかりと稼がせてもらおう。
試合開始の鐘が鳴る。
「おら、しねぇ――」
「悪いな」
――ドゴォン!
勝敗は一瞬で決した。
俺を倒そうと踏み出した直後、接近する俺の姿を認識するよりも早く接近した俺が相手の頭を掴んで地面に叩き付けた。
頭に強い衝撃を受けた相手は完全に気絶している。
「審判」
戦闘続行が不可能かどうかは観客席の一番近い場所にいる審判が判断することになる。
あまりに一瞬の出来事だったため審判も叩き付けられる瞬間は見逃してしまっていた。
それでも、今の姿を見れば戦闘続行が不可能なのは明白。
すぐに俺の勝利を宣言してくれた。
闘技場に微妙な歓声が湧き起こる。
「ありがとう」
手を振るいながら試合場へ入ってきた廊下へと向かう。
歓声が微妙なのは、戦う光景を楽しみにしていた人たちにとっては、あまりにあっさりと決着がついてしまったため不満があったからだ。
それでも、歓声が湧き起こっていたのは俺が勝つ方に賭けていた人たちが喜んでいたからだ。
「よう」
廊下を進むとドルジュットが迎えてくれた。
ちょうどよかった。
「次はどうすればいい?」
「もう、次の試合の相談か」
「稼げるんだろうけど、ここに長居するつもりはないからな」
アイラが賭けていた賞金だけではない。
試合に勝ったことで賞金も出る。
そこそこ稼げるだろうが、こんな方法で稼ぐのは限界がある。
「ヨルヘス商会の連中は大誤算だったろうな」
闘技場を取り仕切っているヨルヘス商会。
飛び入り参加した俺を許可してくれたのには思惑があった。
「最初の試合で、人を嬲るのを趣味にしている犯罪奴隷と戦わせる。連中の思惑は、粋がって試合に参加したガキを屈強な男が殴って嬲る。そっちの方がショーとして楽しめたはずだ」
ところが、結果は逆な上、一瞬で終わってしまった。
そんなところだろうとは思っていた。
「そんな思惑に俺が付き合う必要はないな」
試合は武器の持ち込みが自由。
魔法やスキルだって制限なく使える。
最低限のルールしか決められていない。
観客を退屈にさせる試合をしてはいけない、というルールも存在しない。
「さっさと次の試合を設定しな。主催者や観客にとっては面白くないだろうけど、面白いものを見せてやるよ」
「いったい、何をするつもりだ」
「圧倒的な力を見せつけてやるんだよ」
その後、初めての挑戦、ということで短時間の間に組まれた試合を5回繰り返す。
全ての試合において対戦相手の頭部を掴んで地面に叩き付ける。
時間も数秒と掛かっていない。
圧倒的な試合展開に主催者側も焦る。出場停止にしてしまいたいところだが、闘技場の空気は誰なら俺の連勝を止められるのか、という空気に包まれていた。もはや、主催者側の意向で出場停止させるのは不可能だ。
そこで、闘技場において最強の戦士を出すことになった。