第1話 ラグウェイを継ぐ者
屋敷の廊下を何度も往復する足音が響く。
「……少しは落ち着いたらどうです?」
落ち着きのない男性を女性が咎めた。
「だが――」
注意されても男性は落ち着きがない。
「貴方が不安にしていたところでメリッサの苦痛が和らぐ訳ではないですよ」
男性はガエリオさん、女性はミッシェルさん。
二人はメリッサの両親だ。
彼らが俺の屋敷に来ている理由は単純――メリッサが産気づいた。
自分の娘の出産、孫が生まれるということで店を休みにして朝から屋敷へ来ていた。
明け方には苦痛に顔を歪ませながら出産の準備に入った。
今は、昼過ぎ。あれから数時間が経過しているが、未だにいい報せは聞こえてこない。
「そうですよ。落ち着きましょう」
「君は随分と落ち着いているな」
たしかに祖父となるガエリオさんに比べれば、椅子に座って待っている俺は落ち着いているように見える。
ただし、これでも不安には思っている。
アイラの時には不安なんて感じていられないほどの激痛を共有していた。
シルビアの時は、不安に思う暇などなくあっさりと生まれた。
過去2回に比べればやることがなく、何時間も待っているのは苦痛でしかない。
「女性陣から釘を刺されましたからね」
俺ではできることが少ない。
そのため当事者の意向を受けて部屋を出ることになった。
「優秀な産婆を呼んでいるので大丈夫ですよ」
アリスター家の跡取りであるエリオットの産婆を務めた女性の噂を聞き付けたメリッサが交渉した末に大金を積むことで来てもらうことができた。
「その件では本当にお世話になります」
「お礼はメリッサに言ってください。俺には産婆を呼ぶ、なんていう考えがなかったんですから」
この場にいるもう一人の男性が頭を下げてきた。
狐の獣人であるバルトさんだ。彼も仕事先に謝ってから仕事を休ませてもらっている。人手の足りない肉体労働なので急な休みに相手も困っていたが、事情を聞くと快諾してくれた。
理由は――ガエリオさんと同じだ。
「ノエルも俺……俺たちにとっては家族ですからね」
今朝方にノエルも産気づいていた。
と言うよりもノエルの方が先に産気づいていたため、ノエルにつられるようにしてメリッサも産気づいていた。
二人同時の出産。
獣人の出産ということで優秀な産婆にも経験が少なかったため遠慮したいところだったが、頼み込んでどうにか了承してもらった。
「バルトさんは大丈夫そうですね」
「男が慌てたところで何もできない。それに妻の出産も間近に控えている今から慌てるわけにはいかない」
椅子に座っているバルトさんの膝の上ではノキアちゃんが眠たそうにしていた。自分の姪が生まれる、ということで楽しみにしていたが子供には待っているだけ、というのは退屈だったらしく飽きてしまっていた。
「おぎゃーーー! おぎゃーーー!」
「生まれた!」
部屋の中から赤ん坊の声が聞こえる。
その瞬間、落ち着いていたバルトさんが立ち上がる。膝の上にノキアちゃんがいることすら忘れて立ち上がったため床へ落ちそうになるのを俺がキャッチして受け止める。
「う、ん……」
抱えられたことでノキアちゃんもようやく目を覚ます。
そして、聞こえてくる赤ん坊の声。
「生まれた!」
父親のバルトさんと同じように喜ぶノキアちゃん。
一方、ガエリオさんは部屋の扉を見つめたまま呆然としていた。いざ、生まれてみると何をしたらいいのか分からなくなっていた。
まだ部屋へ入る訳にはいかない。中にいる女性陣や産婆からの許可が出ていないからだ。
そうして待っていると赤ん坊の声が大きくなる。
……違うな。
「二人目も生まれた!?」
最初に聞こえてきたのがメリッサかノエルの産んだ赤ん坊の声。
そして、もう一人も産んだことで声が二人分になって大きくなった。
どちらも声を聞いている限りは問題がないように思える。
「どうぞ」
部屋の中にいたシルビアが招き入れてくれる。彼女にはスキルと出産経験があることから産気づいた二人の世話を頼んでいた。その表情を見る限り悪いことが起こっているようなことはないようだ。
招かれて部屋の中へ入ると二つのベッドを見る。
手前にあるベッドでは生まれたばかりの赤ん坊を抱いているメリッサ。
奥のベッドではグッタリとした様子のノエルが産婆の手によって体を拭かれている赤ん坊の姿を見ていた。
「父親の到着だね。母子共に問題ないわよ」
産婆の言葉にホッとする。
さすがに何度経験しても慣れない。
「お母様」
赤ん坊を抱いたメリッサが母親のミッシェルさんを呼ぶ。
「大丈夫?」
近くへ寄ったミッシェルさんが娘の状態を心配する。
彼女も出産を2度経験し、流産まで経験している。子供を産んだ時の辛さについては理解している。
自分を思い遣ってくれる言葉を嬉しく思うメリッサ。
だが、一刻も早く報告したいことがあった。
「ラグウェイ家の正当な後継者です」
「え……」
ずっとメリッサは子供の性別を気にしていた。
ただし、シルビアのように魔法で調べるようなことはしなかった。【全】属性の適性を持つメリッサならその気になれば性別を知る魔法もすぐに使えるようになるはず。それでも知ろうとしなかった。
気になったため聞いていてみたところ、「知るのが恐いのです」と教えてくれた。
女の子しか産むことのできなかったミッシェルさん。
彼女の為にも男の子を望んでいるメリッサとしては、生まれてくる子供が女の子だと知ってしまうのは恐怖だった。そんな思いをしてしまうぐらいなら希望がある可能性の方がいい。
だから、男の子かもしれない、という可能性を残して調べないことにしていた。
「抱いてあげてください」
目を閉じて眠っている赤ん坊。
その子は、男の子だった。
「いいのかしら?」
ミッシェルさんの目がメリッサ、そして俺へと向けられる。
父親を差し置いて抱き上げることを遠慮していた。が、事前にメリッサと話して決めていた。
「ミッシェルさんは、この子にとっては祖母です。抱く資格は十分にありますよ」
急いで俺が抱く必要もない。
ガエリオさんの血を継ぐ男の子を待ち続けていたミッシェルさんへ譲ることにする。
恐る恐るといった様子でミッシェルさんが抱き上げる。
二人の子供を育てた経験、領主の妻として領内で生まれた子供を何度も抱き上げたことがある。それに最近ではシエラやアルフ、ソフィアたちの世話をしていたこともあって赤ん坊を抱くのには慣れていた。
単純に緊張していた。
自分では成し得なかった男の子の出産。
状況が状況ならラグウェイ家の正当な後継者。
待ちに待った存在に自然と涙が零れていた。
「ぅう……」
「あら、ごめんなさい」
自分の頬に落ちる涙で男の子がぐずる。
だが、祖母にあやされるとすぐに落ち着いていた。
「この子の名前は決めているの?」
「はい。メリッサと話し合って『ディオン』にしました」
「え……」
男の子――ディオンの名前にガエリオさんが固まる。
この名前は、ラグウェイ家にとって特別な意味があった。
「その名前を知っていたのか?」
ディオンについてガエリオさんは教えていなかった。貴族だったガエリオさんがメリッサと別れたのは10歳にもならない頃。まだまだ自分の庇護下で成長するものだとばかり思っており、貴族と言っても弱小貴族であったため政略結婚なども考えられていなかった。
子供の名前を決めるに当たってメリッサはラグウェイ家について調べた。
貴族には色々と決まり事があるらしく、子供の名前にも決まり事……と言うよりも慣習のようなものがあった。
貴族家を興した初代の功績にあやかって嫡男には功績を残した当主の名前をつける。
ラグウェイ家でも、そのルールは使われていたようで度々同じ名前が見受けられた。
それがラグウェイ家を興したディオンだ。
ラグウェイ家が治めていた土地は、別の貴族が領主だったのだが経営状況が悪化してしまったため王家に接収されてしまった。その後、経営状況を改善する為に王の元で財政官をしていたディオン・ラグウェイが派遣されることとなった。
彼の政策は上手くいき、その功績に報いる為に王は彼を貴族にした。
そんな人物にあやかった名前。
それと、もう一つの理由がある。
「領地を守る為に戦ったお爺様の為でもあります」
メリッサの祖父であるディオン・ラグウェイは、当主の座を息子に譲って隠居していた身でありながら領地が襲われる状況で自ら率先して兵を率いて戦った。
その戦いでどうなったのか知らない。
生きているのが絶望的な状況を考えればラグウェイの血を残す為に逃がされたガエリオさんも含めて全員が諦めていた。
「そうか。母親と父親の二人が納得しているならいい」
真面目な顔で言った後、一気に表情をへにゃと崩してミッシェルさんに抱かれているディオンの頬を突く。
途中までだったが、領主を立派に務めた男性でも孫の可愛さには勝てなかった。