第23話 終焉の獣⑤
ノエルの生み出した神気が混ぜられた結界――【神域結界】。
神や神の眷属たちを抑える力がある。この発動にはノエルが神気を十分に練り上げ、イリスが完全に同調させる必要がある。同じ主を持つ眷属同士だからこそ可能な技。
おかげで終焉の獣を足止めすることに成功した。
「現状を説明する」
スクルル砦の会議室へ集められた人々。
足止めしている間に砦まで撤退し、残っていた兵力と合流して再編成された戦力だ。
その会議に俺も参加させてもらっている。
俺たちに語るのはウルカエル将軍。
「現在、コードネーム『終焉の獣』と呼ばれる魔物がこちらへ向かって来ている」
「え、動きを封じることに成功していたのでは?」
傭兵の一人が手を挙げる。
イリスの【神域結界】に閉じ込められる瞬間を見ていた傭兵だ。
「残念だが、既に解き放たれている」
神域結界は普通の人間などには効果が薄い。
代わりに神や神の眷属に対しては強固な檻となる。
ウルカエル将軍が言うように【神域結界】は既に失われている。
「君たちも体験したように、終焉の獣には他者の魂を喰らう性質がある。どうやら魔力のようなエネルギーも喰えるらしく、どんなに強固な結界も時間を掛けることによって破壊が可能だ」
それでも封じ込めることに成功していたからこそ半日以上の時間を稼ぐことができ、翌日の朝を迎えることができた。
「もう一度同じことをするのは?」
全員の視線が会議室の隅で腕を組んで黙っていたイリスへ向けられる。
マスクをしたままの顔を横に振る。
「無理。あれは消耗が激しい。二度目はないと思った方がいい」
「疲れているようには見えないが……」
何人かが訝し気にイリスを見ていた。
表情が見えないせいで判断に迷っているが、実際にイリスはほとんど消耗していない。
消耗しているのはノエルの方だ。
体内で神気を練り上げたせいで体調を悪化させて今はメリッサの膝の上で気絶している。
『二度目は無理か?』
『ノエル一人なら問題はありません。ですが、子供にどのような影響があるのか全く予想できないので私としてはおススメできません』
『私も反対です。獣人の妊娠期間が短いのは無防備な期間を少しでも減らそう、という本能の現れです。あまり負担は掛けない方がいいです』
ティシュア様とメリッサから反対された。
元々、気絶しているノエルを見れば強制させるつもりはない。
「詳しい理由は言えないが、あの技は一回きりだ。二回目はない」
「そういうことなら仕方ないか」
傭兵たちにも雇い主であろうと秘密にしていることがある。
その辺りは冒険者と同じなので納得してくれたし、騎士たちも将軍や皇帝といった上の立場から命令されているため従っている。
「話を戻させてもらうが、敵は途中にある村へ寄りながらこちらへ向かっている」
「真っ直ぐにここへ来るわけじゃないのか」
追って来るような姿勢を見せていた終焉の獣。
しかし、スクルル砦まで真っ直ぐ伸びている街道を利用せずに外れた場所にある村へもフラフラと立ち寄ってからスクルル砦のある方へと歩いていた。
理由は空腹によるものだ。
「生贄を捧げられて召喚された終焉の獣だが、全く足りていなかったらしい。途中にある村に人はスクルル砦まで避難させたが、村で飼育されていた馬や牛といった家畜はそのまま残されている」
どうやら生物であれば何でもいいようで黒い腕を使って家畜の魂を捉えると捕食していた。
「家畜の魂がどれだけの力を回復させてくれるのか分からない。だが、召喚された時よりも力をつけて対峙することになるのは間違いない」
将軍の言葉にその場にいたほとんどの者が戦慄する。
あの時は、狂気から解放されたばかりで状況が分かっていない者も多い。すぐに正気を取り戻した者や正気を保っていられた者でも魔法でなければ攻撃が通用しない終焉の獣を相手に手も足もでなかった。
「幸いなことに物理攻撃が通用しないのは尾の部分だけだ」
「本当かよ」
あの場を経験した傭兵は訝しんだ。
「事実だ。既に猿の肉体の方へ物理攻撃が通用することは確認している」
村の家畜を襲う終焉の獣。
その様子を偵察している斥候部隊が存在した。彼らは少しでも多くの情報を持ち帰るべく一人を犠牲にする覚悟で遠くから攻撃させた。相変わらず尾は擦り抜けてしまうものの、それ以外の場所については攻撃が当たった。
不意を突いての攻撃だったが、攻撃したことで気付かれてしまったものの食事に夢中な終焉の獣は斥候を無視した。
結果、全員が生き残ることに成功した。
「そこで対王国軍用だった作戦を終焉の獣にも用いることにした」
スクルル砦での籠城戦。
誘き寄せられた王国軍。近くには森があるため軍隊での行軍が難しく、森の外は見晴らしがよく整備されているため見逃すことはない。
それは、終焉の獣にも当てはまる。あの猿は、かなりの巨体であるため無理に森を通ろうとすれば必ず木の枝に体が当たり、草花を踏み付けることになる。それらの音を聞き逃さないようにしていれば見つけるのは容易だ。
「こちらは砦の上から矢や魔法のような遠距離攻撃で敵にダメージを与える」
籠城戦をする以上は他に選択肢がなかった。
ただ、一つだけ懸念事項があるとすれば……
「この砦はもつのか?」
終焉の獣の攻撃にも耐えられるのか?
という問題だけだ。
「分からない」
なにせ、災害クラスの魔物の攻撃など受けたことがない。
耐えられる保証はない。
「だが、アレを相手に野戦を仕掛けるか?」
「……」
即答できる者はいない。
開けた場所で何百本という黒い腕を相手にすることの愚かさを痛感しているためだ。
「せめて敵の狙いが分かればいいんだが……」
召喚した騎士の命令に従っている終焉の獣。
騎士の狙いが全く読めない。
「王国軍はどうしているんだ?」
「奴らなら撤退した」
既にクラーシェルの方へと戻っている。
ただし、帝国軍と違って撤退の歩みは遅かった。
後ろから襲ってくる終焉の獣という敵がいないこともあって逃げているわけではないこともある。
だが、それ以上に指揮官の不在が大きかった。彼らを指揮していたフレイペスト将軍は捕虜になっており、指揮ができる騎士クラスが村の中へ真っ先に攻め入っていたこともあって多くの指揮官を失っていた。
さらに多くの仲間を失ったことで彼らの士気は低い。
「はっ、自業自得だ」
騎士の言葉が会議室に響く。
その言葉に賛同している者も多くいる。
王国軍の兵士たちは上から命令されただけ、もしくは村で何をするのか知らされていなかったのかもしれない。
しかし、多くの騎士たちは率先して村人の虐殺に参加していた。とても騎士のすることではない。
「あいつらのことは放置だ。こちらも多くの人手を失っている。傭兵のお前たちにも協力してもらう」
「……ああ、分かっているよ」
リオから聞いたが、傭兵が受けた依頼は『スクルル砦での防衛』。砦よりも後ろへ行かれた場合に戦闘する義務はないが、砦を死守する為に戦わなければならない。もしも、逃げた場合には傭兵ギルドから重いペナルティがある。
今回、森にいる魔物の襲撃に騎士が対処することは考えられていなかったため砦へ攻められた時の防衛も依頼に含まれている。
そして、終焉の獣のような災害クラスの魔物にも対処しなければならない。
「こちらもカルテアから学んでいる」
大きな山に擬態していた亀の魔物。
帝国軍は対処に追われ、雇っていた傭兵も働かせようとした。
しかし、彼らはカルテアの大きさを目の当たりにした瞬間に逃げ出してしまった。
傭兵ギルドも相手が相手なのでペナルティを課さないと決断を下した。
それ以降、帝国で傭兵ギルドや冒険者ギルドへ依頼を出す際には災害クラスの魔物にも対処するよう契約書に明文化されるようになった。さすがにそのような対処をされては傭兵ギルドも対応するしかない。
「全員、持ち場につけ」