第22話 終焉の獣④
全身が真っ黒な猿。
それが騎士の隣まで跳んで着地する。
「アレは持ってきたか?」
『うん、パパ!』
パパ?
単純に親子なはずがない。
おそらくは従属する者とさせられている者。子供のような思考を持つ黒い猿には騎士のことが父親のように思えているのだろう。
『はい』
尾の手に摘まれていたのは鏡。
「アレは……!」
「これを破壊されるかと思った時はヒヤヒヤしたもんだ」
騎士は鏡を受け取ると大事そうに懐へとしまった。
「今の鏡が気になるか?」
「いや、いい」
「へ?」
「敵から事情を説明してもらう必要などない」
「そんなはずはない! ここは貴様らが不利な条件を提示してでも情報を引き出す場面だろうが」
「単純にそんな必要がなくなった」
やはり、鏡は迷宮の魔法道具だった。
騎士の手にあったおかげで今は狂気を振り撒いてもいないし、黒い腕によって守られている訳でもない。
おかげで【鑑定】を使用することができた。
それはリオも同じだ。
「その鏡には、映し出した存在の感情を周囲にばら撒くことができる力があるな」
「その通り。よく知っていたな」
怒っている人間を映し出せば鏡の周囲にいる人間も不満を爆発せずにはいられなくなる。
悲しんでいる人間を映し出せば鏡の周囲にいる人間も涙を流し、嗚咽を漏らす。
村で行われていた惨劇。
鏡の周囲に狂気が振り撒かれたことによって引き起こされた訳ではない。
『村がある場所も厄介だ。王国と帝国によって何度も戦争が引き起こされ、多くの死者が出た。そして、不死者になり切れない妄執を抱えた怨念が彷徨っている』
王国から攻められた時には村の人間が犠牲になった。
彼らを守る過程で帝国軍にはもっと多くの犠牲者が出ている。
しかも、現在は帝国の領土だが王国の領土だった時もある。その時は逆の立場であったため常に犠牲が出ているようなものだ。
「『王国軍を、帝国軍を殺せ!』『犯し!』『奪え!』『取り返せ!』」
様々な怨念が漂っていた。
それらを鏡――『裏境の鏡』は映し出してしまった。
「事前の仕込みさえ可能であれば映し出されるよう細工をするのは難しくない」
狂気を拡散させ、王国軍と帝国軍との間で殺戮を引き起こす。
騎士の目的は大勢の人間によって引き起こされる殺戮だ。
「チッ、よくもやってくれたな」
多くの人間が亡くなったことで、大量の魂で溢れていた。しかも、一般人ではなく騎士や兵士の魂。
ただ魂が欲しいだけなら、どこでもよかった。それこそ目立たない長閑な村でも襲えばよかった。しかし、騎士が必要としていたのは強い魂。肉体を鍛えたことで逞しく強靭な魂。
兵士ならギリギリ基準を満たしていた。
『だからこそ戦争に便乗したっていうわけね』
アイラが言うように王国の起こした戦争に便乗して戦争を激化させるように仕向けた。
方法は、王国軍の将軍であるフレイペスト将軍の家族を人質に取って脅すことで帝国軍を目的の場所まで誘き出した。そこまで、誘き出すことができれば『裏境の鏡』によって目的は達成される。
『あいつが呼び出したのは俺たちにとっても因縁浅からぬ相手だ』
黒い猿との間にはちょっとした因縁があった。
『気を付けてください。彼によって召喚された獣は、「獣神」が使役していた獣の中でも最強の獣です』
ノエルを通じてこちらの様子を覗いていたティシュア様が教えてくれる。
獣神。
過去に二度敵対することとなったリゴール教の信者が蘇らせようと画策した強大な魔物――リゴール教徒からは終焉の獣とも呼ばれている。
最初は故郷の村の近くにある村で伝説にある魔物を蘇らせようとした。しかし、蘇ったのは神とは呼べない不完全な存在で俺たちの手によって倒されることとなった。
次に獣神が封印されている、という土地で封印を解いて復活させる計画があったが、解放することができたのは獣神の力のみ。それも一部だけだった解放に携わった者が暴走した経緯もあって再度封印されることとなった。
そして、三度目の遭遇。
『獣神マルコシアスに従っていた魔物の中で最も被害をもたらした魔物――終焉の獣。それが、猿の魔物です。その魔物は、満たされることのない空腹感を抱いて周囲の瘴気や魔力を根こそぎ奪い尽くしました。それだけでは飽き足らず、獣神の討伐隊を次から次へと貪り尽くしていきました』
あの『島』に引き籠もった獣神。
強大な魔物が溢れるようになり、畏れを抱いた人々は討伐を決意するようになった。
『最終的には獣神へ至る前の討伐隊によって倒された、と聞いています』
だが、目の前にいる。
『おそらくは同種類の魔物であって同じ個体ではないでしょう』
特殊な魔物は存在する。
彼らはユニークな能力を持ち、他の魔物にはない特別な自我を有している。
『もしかしたら、獣神への対処は手遅れだったのかもしれません』
『え……』
『あの鏡にはもう一つ効果がありますね。もし、その状態で「神櫃の鍵」によって吸い上げられた「獣神」の感情までも映し出されていたらどうなりますか?』
拡散させたことで増幅された感情を吸ってエネルギーに変える。
より強い感情であればあるほど集められた感情は強いエネルギーとなり、暗い感情から生み出されたエネルギーは時に災厄を招くことすらある。
おそらくはキマイラを召喚した時以上の力が備わっていたはず。
一か所に集められたエネルギーは魔物を喚び出し、『裏境の鏡』に吸われていた『獣神』を依り代に最強の魔物を喚び出した。
『残念ながら生贄が足りません』
終焉の獣を呼び出す為に起こされた殺戮。
その過程で亡くなった人々のことをティシュア様は生贄だと言った。事実、終焉の獣を呼び出す為の『死』ならば生贄以外の何ものでもない。
『終焉の獣は、最も獣神に近しい存在。人の魂を生贄にして神に近しい存在を召喚しようなど無理があります。ですが、その無理を「裏境の鏡」が成功させてしまいました。そのせいで厄介なことになってします』
思考が子供になってしまっている。
まあ、殺戮によって発生した瘴気を糧に生み出されたのなら生まれて間もないのかもしれない。
そして、自分を喚び出してくれた騎士のことを親のように思っている。
なんとか終焉の獣に関する情報をリオへ伝えたい。しかし、いくら個人的な繋がりがあるとはいえ一介の傭兵に過ぎない今の俺が、この状況でリオに近付くのは不自然に思われる。
けれど、要は俺たちとリオの間でやり取りがなければいいだけの話。
間に他の人間を挟んでいれば問題ない。
リオが俺の方を見る。
兜に覆われた頭で頷く。
「ウルカエル将軍」
「はっ!」
「撤退だ」
全てを聞いていたメリッサが『遠話水晶』を使用してカトレアさんへ通達。
カトレアさんからリオへ念話で事の次第が伝えられた。
「よ、よろしいのですか……?」
「ああ、全力で走れ」
「了解」
帝国軍が来た道を戻っていく。
さらに、将軍の命令を受けた騎士の数人が馬に乗って先行する。彼らの役割は、撤退先であるスクルル砦へ撤退することを伝えること。そして、スクルル砦までの間に三つの村が存在する。
彼らをそのままにしておく訳にはいかない。
騎士の手で避難させる必要がある。
『む、逃がさないよ』
終焉の獣が逃げる獲物を追う為に手と足を地面について身を低くする。
「【絶対零度の零】」
地面についていた手と足が凍っていく。
『なに、これ!?』
必死に足掻いて脱出しようとする獣神。
しかし、氷の内側からでは破壊することができない。
『だったら――!』
尾となっていた手が集まり、固まることによって大きくなって氷を何度も叩く。
内側と外側。両方から攻撃が加えられたことによって耐えられなくなった氷が砕けて解放される。
離れた場所から魔法を使ったイリスによる攻撃だ。
『ノエル』
『うん!』
氷による足止めは一時的に動きを封じる為のもの。
動きを止めた終焉の獣の周囲に光る壁が展開される。
「これは……」
終焉の獣を復活させた騎士が呟く。
『いたい……』
光の壁による結界は、大きな体を持つ終焉の獣を閉じ込めるギリギリの大きさで作られている。
体が触れていることでダメージがあった。
「私の【迷宮結界】と--」
『――わたしの【神気】の融合技』
「『簡単に出られると思わないで』」