第20話 終焉の獣②
三人称視点です。
「あの腕は何ですか?」
「分からない」
「え……」
騎士がリオに尋ねるものの余裕がない様子のリオは静かに答えた。
「俺が家へ入った時、妙な力が漏れている鏡を見つけた。とにかく破壊した方がいいと思って剣を向けたら鏡を中心に魔法陣が現れて、そこから腕が飛び出してきたんだ」
リオにも詳細が全く分からない。
だが、鏡を守るように展開する10本の腕。
両者に何かしらの関係があるのは間違いない。
そして、鏡に対しては詳細を読み取ることはできなかったが【迷宮魔法:鑑定】を使用することができた。迷宮に関わりのある品が関与していることもはっきりした。
「とにかく今は警戒しろ」
飛び出してきた場所でゆらゆら揺れる腕。
『おなか、すいた……』
か細い子供の声がどこからともなく聞こえてくる。
『おなかすいた!』
再度同じ言葉が聞こえる。
しかし、今度の声は怒っているようにも聞こえる声だ。
まるで子供が癇癪を起こしたよう……いいや、実際に幼い子供が空腹を訴えていた。
『ちょうだい!』
ゆらゆら揺れていた腕の動きがピタッと止まる。
その手は、まるで獲物に狙いを定めるようにあちこちへ向けられていた。
「何をするつもりだ」
『いただきます!』
真っ黒な腕が伸びる。
「全員、回避!」
「いいえ、違います」
リオの指示をマリーが止める。
彼女が観た未来では下手に動かない方がいいとあった。
そして、マリーが観た未来の通りに黒い腕はリオたちへは目も暮れずに地面に倒れ伏している人間の体に覆い被さる。
ゆっくりと腕が引かれる。
死体の方には変化がないように見える。
しかし、引いていく手には光り輝く球が握られていた。
全ての手に同じ物が握られている。
『いただきます』
手が元の場所へと戻り、光る球が消える。
『うん、おいしい』
満足した明るい声が聞こえる。
ただし、満足したわけではなかった。
『おかわり!』
再び凄まじい速さで腕が伸ばされる。
何をしているのか具体的なことは分からないが、死体へと腕が伸ばされているのは間違いない。
そして、これを放置してはいけない。
そんな予感に駆られる。
「止めるぞ」
「待ってください」
またマリーが止める。
彼女には既に別の未来が観えている。無駄なことは省くべきだ。
黒い腕に向かってナイフを投げる。腕は自分へ迫るナイフを気にした様子がなく、一心不乱に死体を目指している。
すぅ、とナイフが黒い腕をすり抜ける。
まるで何もない場所をそのまま通り抜けたよう。もしくはシルビアを知る者なら彼女の【壁抜け】と同様の印象を受ける。
「お分かりですか。あの腕に物理攻撃は通用しません」
今度は風魔法による弾丸を放つ。
圧縮された弾丸が黒い腕を弾いたことで死体から遠ざかる。けれども、弾かれたことなど何でもないとでも言うかのように死体へと向かう。
死体から光の球を回収した腕が戻っていく。
「ああ。理解した」
三度、腕が飛び出してくる。
「はぁ!」
リオの持つ剣が色を黄色へ変えて電撃を放つ。
2本の腕が電撃によって弾かれて消える。
『キライ……』
残っていた8本の腕がリオへと向けられる。
『おまえキライ! キライ! キライ!』
8本の腕が一斉にリオへ向かう。
「陛下!」
騎士たちも魔法を使える。
物理攻撃が効かないため各々が全力の魔法を迫る腕へ放つ。
しかし、騎士たちの放つ魔法では腕を止めることができない。
「そんな……」
騎士が主に扱うのは剣。
魔法はあくまでも補助や剣が効きにくい相手への攻撃に使用していた。
彼らの魔法では威力が足りない。
「下がっていろ!」
騎士たちの前に出たリオが炎の壁を生み出す。
炎の壁を前にして腕が動きを止める。
『むぅ……』
むくれる子供。
リオの魔法によって作られた炎の壁に突っ込むのは危険だと本能で理解した。
『いいもん』
興味を失くした子供。
それでもリオを警戒しているらしく、炎の壁の向こうで黒い腕をそのままにしている。
しかし、効果はあった。
「あれ……?」
「ここは、どこだ?」
「たしか……」
剣と剣を打ちつけ合う音が響いていた戦場。
いつの間にか音がピタッと止んでいた。
あちこちで兵士たちを襲っていた狂気が止んでいた。
「どうやら俺を警戒したことで兵士たちへの狂気が止んだらしいな」
兵士たちを正気に戻す。
当初の目的は達成された。
「お前たちは、正気に戻った兵士を連れて一旦下がれ」
「ですが……」
「正気でいられた中でこいつをどうにかできる魔法が使えるのは俺ぐらいだ。俺が相手をしている間に戦列を整えろ」
帝国軍の中にも魔法使いはいる。
彼らの魔法なら通用するかもしれないが、この村へ連れてきた魔法使いは全員が正気を失ってしまっていた。スクルル砦まで戻れば籠城用に残してきた魔法使いがいるので戦力は十分。
問題は魔法使いの放つ魔法で通用するのかどうか。
そこは、実際に使用してみなければ分からない。
「私はここに残りますよ」
マリーの【未来観測】があれば不測の事態にも対応できる。
皇帝と側妃を置いていくことに不安を覚える騎士。
「あ、あれを……!」
けれども、村に新たな異常が起きてそれどころではなくなる。
真っ黒な腕が生きている兵士を襲い始めた。状況が分からない騎士は、普段の癖から剣で斬ろうとする。しかし、全ての攻撃が腕をすり抜けてしまう。
だが、騎士の攻撃がすり抜けてしまう、ということは黒い腕も騎士の体をすり抜けることになる。
ガチャァ!
真っ黒な腕がすり抜けた騎士が前のめりに倒れる。
ピクリとも動かず、起き上がる気配がない。
「死んでいるのか?」
真っ黒な腕にすり抜けられた騎士は死んでいた。
何をされたのかは分からない。それでも死体を覆った時と同じように騎士をすり抜けた後の黒い腕には光る球が握られていた。
「う、うわぁ!?」
「逃げろ!」
王国軍も帝国軍も関係ない。
狂気の次は恐怖によって逃げ惑う。
「状況が分かっているお前らが正気を取り戻してパニックになっている奴らをまとめる必要がある。将軍、隊長なら自分の仕事を全うしろ」
『はっ!』
皇帝に命令されて騎士が駆ける。
明確な指示を受けたことで兵士たちが一か所に集まる。
「がぁ!」
「ぐふっ」
それでも一人、また一人と犠牲になっていく。
マリーが観た最悪な光景が起こっている。どちらの軍の兵士かなど関係なく人々が食われていっている。
魔法を使える者はいるが、彼らの魔法でも威力が足りない。
そんな中、目覚ましい活躍をする者がいる。
黒い腕を剣で斬り、盾で防ぐ『幻影傭兵団』……のフリをしたマルスたちだ。
「やるな。魔法を斬れる剣らしいけど、魔法しか効かない腕も斬れるみたいだな」
「どうやらそうらしい」
実際には斬る瞬間に一点へ威力を集中させて魔法を発動させている。
今の彼らは傭兵に扮しているため普段のような強い魔法を使うことができずにいた。
黒い腕に対抗する為には迷宮主クラスによる魔法が必要になる。
「とはいえ、俺だって魔法は得意じゃないぞ」
目の前に展開させたままだった炎の壁を解除する。
すると、10本しかなかったはずの腕が数百本と現れ、踊り狂って次々と人々を襲っている光景を目にする。