第6話 スクルル砦
スクルル砦。
グレンヴァルガ帝国にある砦で、メティス王国との戦争に備えて昔からある。
背後に大きな湖――スクルル湖があり、メティス王国から伸びてきた街道は砦を経由して左右へと続いている。
街道は、森を切り開いて作ったもの。
そのため森に囲まれている。
森には魔物が生息しているため軍を進めてしまうと必ず戦闘をしなければならなくなる。その様子は砦から確認することができ、小人数ならばともかく軍隊での隠密行動が不可能な場所になっていた。
王国との戦争が近付いている。
平時は退屈なスクルル砦での監視も近頃は緊張に包まれていた。
「異常なしです」
「そうか」
今も監視任務に当たっていた下士官が上官に報告していた。
上官は数日前から変わらない報告に飽きていた。それでも聞き逃す訳にはいかないため耳を傾けている。
「下がっていいぞ」
「あの……」
「何だ?」
「こちらから攻め込む訳にはいかないのですか?」
「数年前の時みたいに、か?」
数年前。
今の皇帝に変わる直前に行われた戦争。
その時には、グレンヴァルガ帝国の方からメティス王国へと攻め込んでいた。そのため、国境に最も近い場所にある軍事施設でありながらスクルル砦の役割は戦力である兵たちの待機所。それに兵站の保管が主な任務だった。
戦場を王国側にしてしまえばスクルル砦が監視任務に当たる必要はない。
そもそも、監視を続けているのは未だに攻め込まれていないにも関わらず戦場をグレンヴァルガ帝国側にする意図がある為だった。
「それが分からないのです。自国を戦場にする意図が分かりません」
「お前は、以前の戦争で後方任務だったな」
「はい。この砦へ物資を運ぶ輜重隊の護衛任務に当たっていました」
戦争の長期化が予想されていた。
いや、その時は以前にあったような国境付近の領地を奪い合うような小規模な戦闘ではなく、本格的に国を奪うことを目的にした戦争だった。
そのため侵略目標は王都だった。
軍隊で王都まで行くとなれば数週間の日数が掛かる。
その間に消費される物資は膨大になるため彼の請け負った任務は重要なものだった。いや、重要になるはずだった。
戦争は呆気なく終結してしまった。
それも、帝国側の圧倒的な敗北、という屈辱的な結果だ。
その時の責任を問われて総指揮官だった当時の皇太子は斬首となった。
皇太子に味方していた上級貴族たちも次々と処分されることになった。その中に軍の重役も含まれていたため一時は混乱していた。
その混乱もリオが事前に予測していて手を打っていたため一時は忙殺されることになるものの収めることに成功した。
「あの戦争は、あの戦場を知る者にとってはトラウマ以外の何物でもない」
万全の準備をしていた。
にもかかわらず、数人の到着によって軍は壊滅させられた。
冒険者の介入は考えられた。だが、数万の軍勢の中に数人が加わったところで戦況が覆させられるはずがない。それが常識だ。
だが、その常識は覆された。
「王国にとっては奇跡のような出来事だ。そして、こちらから戦争を仕掛ければもう一度起こるのは確実な奇跡だ」
戦場でマルスたちは姿を隠すようなことをしていなかった。
つまり、あの戦場を生き残った者たちの中にはマルスたちの姿を覚えている者がいる。
年若い、少年と言ってもいいような年齢。
数年経って老いるどころか成熟している可能性がある。
王国を戦場にすれば確実にマルスたちが介入してくる。
それが分かっているスクルル砦の指揮官は自分たちから仕掛けるような真似はしなかった。
「なるほど。それで、敵が攻め込んでくるようなことをしていないのですね」
「そうだ。どうやら新皇帝は、帝国軍を壊滅させた冒険者と知り合いらしい」
「なっ!?」
軍を壊滅させた人物と知り合い。
裏切りにも思える行動に下士官が言葉を失う。
「だが、知り合いなおかげで約束を取り付けることに成功した」
王国が理不尽な理由で攻め込んだ場合には協力しない。
「分かったか? 私たちには彼が生きている間は、帝国を戦場にするしか選択肢が残されていないんだ」
「理由は分かりました。ですが……」
少なくとも故郷が戦場になる。
下士官の故郷は、スクルル砦と国境の間にある村の一つだった。
スクルル砦とクラーシェルの間にある村々は、これまで何度も行われてきた戦争で奪い、奪われてきた土地だ。ここ100年近くは落ち着いていたため彼は、自分の村が以前は王国の村だったことを知らない。
それだけ近年は平和な証拠だ。
「こっちも数年は王国を戦場にした敗北の決まった戦争を仕掛けないだけマシな状況だと思え。お前も死にたくないだろ」
「了解しました」
下士官が部屋を後にする為に振り向く。
「し、失礼します!」
ドアノブに触れる直前、ノックもなく外から扉が開けられる。
開いたのは門番を担当していた兵士だ。
「何だ?」
不躾な様子に上官が眉を顰める。
「ある傭兵の方が到着されました」
「傭兵。それなら今までの奴らと同じように対応しろ」
スクルル砦へ送られる正規兵は少ない。
北のガルディス帝国との戦争も厳しく、そちらに戦力が割かれている為だった。だからと言って王国側に戦力を割かなくてもいい訳ではない。そこで費用は掛かるものの傭兵を雇って凌ぐ方針が上層部の方で取られた。
戦力的には頼りになる。
しかし、指揮系統がバラバラな戦力を集めただけで戦争に役立つほどの戦力ではなかった。
今はスクルル砦で待機させている。
もしも、王国側からの侵略が確認された場合には傭兵を使って打って出るつもりでいた。
話を聞き付けて集まる傭兵。
新しく来た傭兵も今までに集まった傭兵と同じように扱うよう言う上官。
が、彼らと対応した門番としては受け入れられなかった。
「こちらを?」
預かっていた書状を上官へ渡す。
「これは?」
「新しく来た傭兵の方が持参された皇帝陛下からの書状です」
「っ!? それを早く言え!」
書状を確認する。
それは紹介状で、現在の窮状を考慮して皇帝が直々に雇った傭兵だということが書かれていた。
「これは真実なのか?」
「皇帝のサインもあるため間違いないかと思われます。それから、彼らと対した自分の考えでしかありませんが、来られた傭兵の方々は今までに来られた方々とは比べようがないほどの存在感を纏っておられました。頼りになる方なのは間違いないかと思われます」
「そうか」
門番はスクルル砦で勤務して長い。
戦争状態になる前は王国から来た人々の身元検査を行っていたため門番を続ける為には人を見る目が必要になる。
そういう意味では彼は信用できる。
「皇帝陛下の紹介だということは分かった。だが、どれだけ戦力として頼りになるのかは私が判断させてもらう。まずは、その人物と話をさせてもらうとしよう」
門番を引き連れて部屋を出て行く上官。
「で、どのような人物だった?」
皇帝からの書状には、書状を持っている人物が信用できるとしか書かれていなかった。
途中で書状だけ奪われた可能性は低い。そのようなミスをするような人物ならば皇帝からの信用など得られるはずがない。
「三人組の傭兵です」
「三人組? 随分と少ないな」
戦争に参加するのなら数十人は最低でも必要になる。
いや、たった数人で戦争をひっくり返した人物がいるのだから人数だけで判断するのは危険だ、と思い留まる。
「彼らは『黒』と『白』、それに『紅』の鎧で全身を覆っていて素顔が分からない―『幻影傭兵団』と名乗っていました」