第20話 黒のドラゴン
目を覚ました黒いドラゴン。
傍に居た執事を見ると、戦っていると思われる俺たちを見てから遠くの方――詳しく言えば俺たちが来た方向を見ている。
『クォアルとフォリスは死んだのか』
「はい」
ヴィシュの質問に対して静かに答える。
『相手は、そこにいる人間共と人間に使役されている魔物か』
「左様です」
『そうか』
こちらを睨み付けて来る。
ドラゴンの巨体で上から睨み付けてくると威圧感が他の魔物とは比べようがない。ドラゴンという種族もあるのだろうが、ヴィシュ自身が強いことも影響している。
『なら、こいつらは警戒するに値する人間だ。手に入れた力を試すにはちょうどいい』
ヴィシュが【人化】を使用する。
変化した姿は、フォリスと同じように長身でありながらスラッとした黒髪の30歳ぐらいの男性。顔は非常に整っており、正直言って羨ましく思ってしまうほどの魅力がある。
人の姿になったヴィシュが手を上へ掲げる。
すると、手の中に黒い大剣が生まれる。長身のヴィシュ以上に大きな剣。黒い刃が見る者に禍々しさを抱かせる。
「どの程度、完了しましたか?」
「ダメだな。やはりドラゴンという強過ぎる種族のせいか俺でも進化には至ることができなかった」
やはり、ヴィシュの目的は進化だった。
ただ、フォリスの自信とは裏腹に成功しなかったらしい。
「それでも強化には成功した。以前のオレよりも強いことは保証してやろう」
「それでは、この爺よりも強い、とおっしゃるつもりで?」
「当然だ」
二かッと笑うヴィシュ。
その姿に執事は満足気な笑みを浮かべていた。
「それでこそ坊ちゃまです」
「坊ちゃまはよせ」
「爺にとっては、いくつになろうとも坊ちゃまは坊ちゃまです」
穏やかな雰囲気のまま会話を続ける二人。
「それよりも、さっき言ったのは間違いないんだな」
「はい。彼らはクォアル様とフォリス様がいた方向から来ました。戦闘によるものと思われる音も聞こえておりましたし、お二人の気配も感じられません。間違いなく彼らに倒されているかと思われます」
「そうか。あいつらには余剰分の瘴気をちょうどいいから与えていたんだが……」
少しでも強化に役立ってくれればいい。
進化に至ることはできなかったとしても魔物の格を上げることはできる。
「敗北したのなら仕方ない」
ヴィシュの持つ大剣に黒い炎が迸る。
「やるぞティニル」
「かしこまりました」
執事――ティニルがこちらへ駆けてくる。
後ろで待機しているヴィシュの周囲に黒い炎の塊がいくつも生まれて飛んでくる。
ティニルを追い越した黒い炎の塊。その前に土壁を生み出して防御する。見た瞬間に受け止めてはいけない気がした。
その勘は正しかったらしく、土壁が黒い炎に包まれる。
「はぁ!?」
土の塊が燃えるなどありえない。
炎そのものが特別だ。
「失礼」
壁を跳び越えてティニルが接近してくる。
拳を構えており、殺意が溢れている。本人は気にしていないようにしていたが、やはりクォアルとフォリスを倒した事を根に持っているようだ。
ティニルの突き出してきた右拳に合わせて俺も右拳を突き出す。
右拳を受け止めているとティニルの左足が振り上げられる。魔法で右手の先を爆発させてティニルの拳を弾き飛ばすと、爆発の勢いを利用して反対側へと腕を振ると振り上げた足を弾き飛ばされる。
お互いに後ろへ跳ぶ。
拳を構えて腰を低くすると目の前にいる相手を警戒する。
「まるで山を殴っているような感覚。何か魔法を使って体を硬くしていますね」
ティニルの分析通り、殴る腕に【極限硬化】を使用して硬くしている。
手甲を装備したのと同じ状態になればドラゴンの硬度を持つ腕とも対等に殴り合うことができる。
そうしてティニルと戦っていると土壁が向こうから崩される。
大剣を振るったヴィシュによって壊された。
かなり頑丈に造った土壁だったが、黒い炎に焼かれている内に脆くなってしまっていたのだろう。魔法で造った壁なので魔力を送れば強度を上げることはできたが、ティニルと殴り合っているせいでそんな余裕はなかった。
「オレの相手は女か」
「女だからと言って油断しないで下さい」
「分かっているよ」
ヴィシュが剣を頭上へ真っ直ぐに掲げる。黒い炎が強くなり、ティニルと戦っている俺にも分かるほどの気配を放つ。
シルビアが気付かないはずがない。
しかし、攻撃を受けた訳でもないのにシルビアの足が竦んでいる。そのせいで足が止まって動けずにいる。
イリスが魔法を使用する。冷気が地面を伝ってヴィシュの足を凍らせる。そのまま冷気が全身へと行き渡れば氷の彫像ができあがる。だが、足首まで氷に覆われたところで黒い炎が噴き出して氷と一緒に冷気を吹き飛ばしてしまう。
剣を振り上げたままのヴィシュは何もしていない。
冷気が弾かれ、不気味な気配がするものの構わずにアイラが突っ込む。
――ギィン!
「う、そ……」
まるでアダマンタイトを斬ったような感覚。剣を振り上げて無防備な状態で晒されている腹を狙ったにも関わらずアイラの手に帰ってきたのは強烈な痺れ。
あれは斬れない。
実際に【明鏡止水】を使っていたにも関わらず斬ることが出来なかった。
最初の1回で斬ることができない。
その事実は【明鏡止水】を使用する上で致命的な障害となる。
ヴィシュの体はクォアルやフォリスとは比べようがないほど硬い鱗で守られている。おそらく【劫火日輪光】を直撃させてもダメージを与えるのは難しい。けれども、そこまで硬さを持つヴィシュにダメージを与えられるような攻撃は、同じような魔法ぐらいしか思いつかない。
そして、俺では実戦向きではない。
だからと言ってメリッサを喚ぶつもりはない。
「消えろ」
ヴィシュの持つ大剣から炎が大きく吹き上がる。
間欠泉のように溢れ出した炎が天高く昇り、大剣が振り下ろされるのに合わせて黒い炎も落ちてくる。
土壁は燃やされた。
とにかく直撃だけは受ける訳にはいかない。
「――ごめん」
謝りながらイリスがスキルを使用する。
「【眷属召喚】」
極限盾亀が一瞬にして移動する。
現れたのは、振り下ろされる黒い炎の前。
極限盾亀の盾と黒い炎が衝突し、極限盾亀が耐えている。
「なかなかの防御力だ。だが、周囲はどうかな?」
黒い炎に熱せられたことで地面がグツグツと煮立つ。
さらに極限盾亀によって受け止めた黒い炎はごく一部。それよりも先にある黒い炎は剣先から溶けるように落ちて地面を燃やしている。
シルビアたち3人は集まり、イリスが生み出した冷気で炎をやり過ごしている。
このままだと全員が焼かれることになる。
「ほほっ、さすがは坊ちゃんの炎。この辺り一帯ごと貴方たちを焼き尽くしてしまうつもりのようです」
余裕のあるティニル。
彼だけは、炎を受け流して生き残るつもりなのだろう。
「……まさか、極限盾亀以外にも喚ぶことになるなんて」
「何か?」
「ヴィシュの能力を考えれば、あっちの方がいいだろうな」
戦力の追加投入。
迷宮にいる魔物の四強。残った『格闘戦最強』と『最強範囲殲滅』のどちらを喚ぶべきかで迷っていた。
ヴィシュの能力を考えると近接戦闘は厳しいように感じられる。
だからこそ喚び出すのは、最強の魔法使い。
「【召喚】――『賢竜魔女』」
魔法陣から木でできた杖を持った白髪の女性が現れる。若々しくシルビアたちと同年代にしか見えない。しかし、俺たちは彼女が数千年の時を生きていることを知っている。
そして、彼女の危険性も理解している。
「ちょっと! 彼女を喚び出すなんて正気?」
「他に策があるのか?」
「それは……」
言い淀むイリス。
答えは出ない。何よりも考えている時間を賢竜魔女が与えない。
「まずは、その厄介な炎を消すことにしようか」
直後、雨が激しく降り始める。