第15話 明鏡止水
アリスターの街の西区にある貧民街。
そこにある一軒の住宅だった場所の陰で昨日の夜から怯えるように壁を背にして膝を抱えて震えていた。
理由は、いつものように人から生き血を得る為に獲物を探している内に見つけた相手に浴びせられた炎が脳裏にこびり付いて離れないからだ。
――なんだ、あの化け物は!?
魔剣を手に入れて自分が化け物と呼ばれるような力を手に入れた。死の恐怖など再生能力によって感じることはなかった。どれだけ強い騎士を目の前にしても落ち着いて殺すことができた。
だが、今は感じてしまった恐怖に体の震えが止まらない。
こんなにも怯えてしまっているのは、自分のせいだけではなく手に持った魔剣の影響もある。
この街で初めて人を斬り殺した次の日ぐらいから魔剣の呪いが強くなった。呪いが強くなったことに疑問を持つようなことはないが、魔剣が力の強い相手の生き血を求めるようになってしまったことにより、標的は騎士や冒険者が中心になった。
幸い、アリスターの街は冒険者が多く、治安維持の為に領主が積極的に騎士を取り入れて行ったので相手には困らなかった。
そんな状況が魔剣にとっては嬉しかった。
それが、今は『溶かされる』という恐怖を覚えてしまい、俺にも強く影響を与えていた。俺がどれだけ落ち着こうとしたところで、魔剣が怯えてしまっているせいで落ち着くことができない。
「クソッ……!」
いつまでもジッとしてられないと考え立ち上がり1歩踏み出すと壁の向こうから突き出てきた剣が俺の座っていた場所へと叩き付けられる。
――なんだ!?
間違いなく俺を殺すつもりだった攻撃。
魔剣がある限り死ぬことはないが、躊躇のない攻撃に思わず後退りしてしまう。
「あれ、外した?」
突き出された剣を振り抜いて砕かれた壁の向こうから姿を現したのは、昨日の夜に致命傷を負わせたはずの俺を追っていた娘。傷は既になく、全快しているように見えるだけでなく、壁を易々と壊していた。
本当に同一人物なのか疑わしくなる。
「うわっ、外しちゃったの?」
「でも、気付かれたって感じじゃないんだよな」
同じように現れたのは今まさに俺へ恐怖を与えている男。
その隣には従者のように付き従うメイド服の少女がいる。
☆ ☆ ☆
振り子の力で辻斬が隠れている場所を正確に捉え、事前の打ち合わせにおいて1人で戦うことが決まっていたアイラが仕掛けたが、直前に動かれてしまったせいで奇襲は失敗に終わった。
それはいい。
不死を相手にして奇襲など意味がない。
俺が最も気にしている問題は……。
「どうして、お前はメイド服なんだ?」
シルビアはいつもの冒険者風の服装ではなく、家にいる時に着ているメイドを着ていた。
「今日は戦うわけではないのですから、別にいいではないですか」
「いや、そうだけどさ……」
それでも戦いの場に赴くことには変わりない。
戦場にメイド服みたいな目立つ格好でいられると落ち着かない。
「オマエ、オマエ……!」
辻斬が俺を怯えたような目で睨み付けてくる。
「なんだ。俺に殺されかけたのがそんなに怖かったのか?」
挑発するように言ってやると辻斬りが体全体で震える。
いや、魔剣を持っている右手が強く震えている。
「俺を怖がっているのは魔剣の方か」
「キサマ……キサマを殺せばオレサマの恐怖も消えル」
辻斬が姿勢を低くして一直線に突っ込んでくる。
その姿に技能や戦略といったものはなく、ただ獣のように本能――魔剣の想いに突き動かされている。
まったく怖くない。
「アイラ」
「了解」
ただ俺に向かって真っ直ぐ突っ込んでくるだけだった辻斬の横に剣を構えたアイラが現れ、辻斬の体を上下に両断する。
辻斬の上半身が倒れる。
「ジャマ、だ……!」
倒れながらも振るうもののアイラは既にいない。
虚しく空を切るだけに終わる。
「恐ろしいわね。2000近い俊敏があれば目にも止まらない速さで動くことができるのね。ちょっと加減を誤って走り過ぎたわ」
辻斬が隠れていた民家の壁に手を付いて予想以上のスピードで走ってしまったアイラが止まる。体慣らしにある程度の練習はさせたが、練習と全力ではやはり差がある。
「わたしは追えましたよ」
張り合うなシルビア。
「コムスメ、それだけの力をどこデ手に入れタ?」
いつの間にか上半身と下半身を繋げた辻斬が立ち上がりながら尋ねてくる。
「手に入れたっていうよりも貰ったのよ」
「ナンダト?」
信じられないと言ったように固まる辻斬だったが、何を勘違いしたのか自分の持つ魔剣を見て頷いていた。
「そうカ、オマエも魔剣を手に入れたんだナ」
「は?」
「それほどノ力ヲ与えてくれる存在など魔剣以外に存在しない」
「魔剣に魅入られたあんたたちなんかと一緒にしないで!」
挑発されたアイラが辻斬に突っ込むが、先ほどとは違って辻斬に剣を受け止められてしまう。
「父さんも馬鹿な人よ。魔剣の力が凄いからってリスクのことを全く考えずに魔剣を使い続けて……!」
「ソウカ。オマエの父はオレたちを解放してくれた男カ」
「父さんのことを知っているの!?」
「アア。封印されていてもオレたちには意識があったカラ覚えてイル。オレたちが封じられていた宝箱ハ、誰が見ても明らかにヤバイ物が封印されてイルって分かるぐらいニ禍々しい代物だったからナ、誰も触れようとすらシナカッタ。ダガ、力を求めていたオマエの父はオレたちの魅力に抗うことができなかっタ。愚かな男ダ」
「このっ!」
父のことを言われて怒ったアイラがステータスに任せて自分の剣を魔剣に叩きつけるが、魔剣が砕けるような様子はない。
やはり、強化されたとはいえ魔剣を砕くのは難しいか。
とはいえ、魔剣を砕く方法は既にアイラの中にある。
「アイラ、スキルを思い出せ」
「――明鏡止水」
それまでスキルなど持たずに剣術だけで生き残って来たアイラが眷属になったことで得た『明鏡止水』というスキル。
その効果は、斬撃の威力増加。
スキルを発動させる為には心を落ち着かせて泰然としており、ただ『斬る』ことにのみ集中している必要がある。
俺の口からスキルについて説明していたのだが、魔剣を前にして冷静さが失われてしまっている。普通に戦う分には問題ないのだが、とても明鏡止水を使えるレベルに落ち着いているとは思えない。
さて、どうすべきかと考えていると……
「ひゃあ!」
アイラが驚きから声を上げていた。
理由を探ればいつの間にか隣に移動していたシルビアがアイラの脇腹を突っついていた。
「随分と無様な姿ね。見ていてハラハラしたわ」
「あんた、その口調……」
その態度は俺に出会った頃の勝気だった頃のシルビアのもの。
「あなたは仮にもご主人様の眷属になった身なのよ。魔剣が危険だとか自分の使命とか以前に眷属となったからには主の前で無様な姿を晒すような真似は先輩であるわたしが許さないわ」
「えっと……」
「というわけで、さっさとあの魔剣を破壊しなさい」
「うん……」
シルビアに色々と言われて怒りなどどこかへ吹き飛んだアイラが釈然としないながら大きく息を吸い込み吐き出すと剣を構える。
あれなら使えるな。
「ふっ!」
一気に踏み込んだアイラが全力で魔剣に剣を叩きつける。
辻斬も魔剣で迎え撃つが、パキッと音を立てて魔剣が真っ二つに斬られる。
「ハァ?」
信じられない様子で中ほどから斬られた魔剣を見る辻斬。
だが、次の瞬間には斬られた魔剣を放り投げて両手で体を押さえて地面をのた打ち回っていた。
「イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、――」
魔剣が斬られたことにより再生能力が失われ、逆に効果が反転して魔剣が受けている苦痛が辻斬本人を襲っていた。
「こんなはずジャ……」
「いいえ、あんたは終わりよ」
転がり回っていた辻斬の体を両断すると辻斬りの動きもようやく止まる。
「それで、これについてはどうする?」
俺の目の前には真っ二つに斬られた魔剣が残っていた。
腕のいい職人なら、この状態からでも修復することは可能だろう。
「……もう2度と使われることがないように消滅させて」
「分かった」
今度こそ街中で使えるレベルまで落としたイグニスフレイムによってアリスターの街に何人もの被害を出した魔剣が跡形もなく溶かされる。




