第29話 沈む『島』
俺を追っていたニコラスだったが、砂浜よりも先へ立ち入ることができなくなっていた。
何度も体当たりを繰り返すものの見えない壁を飛び越えることはできず、思い出したように『鍵』で叩いてみるが見えない壁によって弾かれてしまう。
そのため、俺を追うどころか『島』からの脱出が不可能になっていることに気付いた。
急いで脱出しようと何度も攻撃する。
しかし、どれだけ攻撃しても結界が消えることはない。
そうこうしている内に水がニコラスの膝ぐらいの高さにまで上がってくる……正確には、ニコラスのいる『島』がその高さにまで沈んでしまっている。
だが、ニコラスの足は一切濡れていない。
結界によって『島』から出られないニコラス。
同じように海よりも低い高さにまで沈んでいるのに水が結界の内側へ流れていくことはなかった。
結界の役割は二つ。
神の封印と『島』の環境維持。
海水が流れ込むような事態になれば環境維持は不可能。そのため水であろうとも外から何かが侵入することはない。
「全員いいな――うん、じゃあ【召喚】」
眷属5人、それから護衛の4人を喚び寄せる。
分かってはいたことだが、全員怪我もないようで何よりだ。
こちらへ喚び寄せる時には注意が必要になるため向こうの状況を確認してから召喚させてもらった。必ず、エルマーたちに触れていなければならない。喚び寄せることができなければ彼らも沈む『島』と運命を共にすることになりかねない。
「お~、ちゃんと閉じ込めることに成功しているみたいね」
「これからどうする?」
「……自分の状況が全く分かっていないのは可哀想だ。ちょっとネタバレしてやろう」
最後に召喚したゴブリン。
その1体をニコラスへと近付ける。
近付く気配に気付いたのだろうが、バッと勢いよく振り返る。しかし、振り返った先にいたのが普通のゴブリンだと分かって動きが止まる。
「何の用だ?」
しかも、俺が召喚したゴブリンだと気付いている。
それに閉じ込められて追い込まれたことによって少しは冷静になったのか正気を取り戻していた。
「今がどういった状況なのか説明してやろうと思ってな」
「……!?」
ゴブリンが喋ることに驚くものの情報を得ようとする。
「お前の目の前にあるのが何なのか分かるか?」
「……神を封じる為の結界だろ」
神の力を得ていたニコラスには結界の正体について何となく分かっていた。
問題なのは、どうして『神を封じる為の結界』で自分までもが封じられることになっているのか。
その答えは、結界について理解できた時点で分かっているようなものだ。
「今のお前の肉体は、封印されている獣神の力によって神気をベースに瘴気で作られたもの。つまり、その体には『神の力』が宿っていることになる。封印すべき神の一部ということになるんだよ」
「……!」
ニコラスもようやく理解した。
神を封じる為の結界。
神の力を使って好き放題していた対価として神に近付き過ぎてしまった。
そのため結界が復活した今、自分も封印の対象になってしまった。
「……っ! 今すぐにオレを出せ!」
「そんな事は不可能だ」
俺たちは、あくまでもこの『島』にあった休眠状態の封印を利用して再起動させただけに過ぎない。機能の一部に干渉することも可能だが、さすがに根幹部分である『獣神の封印』をどうにかするのは不可能だ。
つまり、結界が起動している以上、獣神と同等の存在であるニコラスは脱出することができない。
「だったら――!」
『神櫃の鍵』を地面に突き刺して神気を吸い上げようとする。
以前にも同じように『鍵』を突き刺すことで獣神の神気を吸い上げ、封印を和らげることに成功した。
今回も、それで封印が解除されると本気で思っているのだろう。
けれども、ニコラスの考えが間違いであることはすぐに分かる。
「……なぜ!?」
吸い上げても結界が解除される気配はない。
そうしている間にも海は腰ぐらいの高さにまで到達していた。
「簡単な話だ。お前が吸い上げられる量なんて獣神が持っている神気の総量に比べれば微々たる量なんだから」
それでも吸い上げれば弱り、『封印を弱らせる』ことぐらいは可能になる。
結果、浮上しただけに過ぎない。
そもそも数日に渡って吸い上げたことで機能の一部を停止させただけで封印の機能は根幹で生きていた。
「じゃあ、また数日掛けて吸い上げれば……」
「それも無駄だ」
今回は致命的な違いがある。
「この結界には別の神の力も混ぜてある」
敢えてティシュア様の名前は出さない。
神にとって名前を知られることは自らの経歴を知られるのと同義であり、致命的な結果に繋がる恐れがあるためだ。もっとも、その割にはアリスターで自分の名前をバンバン言っている。ただし、それは神だという事を知られないように行動しているためだ。
ティシュア=神だと分からなければ、名前が知られても問題ない。
エルマーたちにはその条件の両方を満たしているが、気にしないことにする。
そして、二柱の神の力が混じっている、というのが問題になる。
「『神櫃の鍵』は神の力に干渉することができる、っていう凄まじい力を秘めた魔法道具だ。けど、それにも限界がある」
残念なことに『神櫃の鍵』が一度に干渉することができるのは一柱の神のみ。
まあ、基本的に一つの遺産に対して一柱の神しか力を付与しないことを考えれば問題なかったはずだ。
ところが、神の力を得た人間が干渉することまでは想定されていない。
「どれだけ獣神の力を吸い出したところで俺たちに味方してくれる神の力を同時に吸い上げることはできない。『鍵』に蓄えた力を完全に放出してから吸い上げることは可能だろう。けど、そうして放出してしまえば獣神の力が復活することになる」
結界を解除する為には、獣神とティシュア神の力の両方を同時に無力化する必要がある。
『神櫃の鍵』で無力化することができるのはどちらか一方のみ。
これでは脱出することができない。
「つまり、お前はこの時点で詰んでいるんだよ」
結界からの脱出は不可能。
その事実を理解した瞬間、ニコラスが恐怖に支配される。
そして、凶暴性に囚われていた心に冷静さが完全に戻ってくる。
「だ、出してくれ! こんな所に閉じ込められたら……」
自分の力では脱出は不可能。
そうなれば俺に頼るしかなくなる。
とはいえ、頼られても困る。
「残念だが、さっきも言ったように俺にも結界をどうこうするのは不可能だ。そして、『神櫃の鍵』をどうにかするのも不可能。そもそも、今のお前は神気があって初めて生きていることができる。お前から神気を抜くことができれば結界の外へ出ることは可能かもしれないけど、その瞬間に生きていられなくなるぞ」
本末転倒。
もう、どうしたところでニコラスの望んだ結末を迎えることは絶対に不可能。
「じゃあな」
「待ってくれ!」
ゴブリンを走らせる。
それを追うニコラスだったが、動揺のあまり足を縺れさせて転んでしまう。瘴気の魔物を生み出して追わせることも出来たはずだったが、動揺しているニコラスにはそこまでの事は思い付けなかった。
彼には海の底で『永遠に』生きてもらおう。
魔物に老化は存在しない。永く生きたことで考え方が落ち着いたり、口調が渋くなったりといったことはあるが、肉体的な衰えは存在しない。そして、それは寿命による死も存在しない、ということになる。
今のニコラスは神気をベースに瘴気で肉体を造られている。
どちらかと言えば人間よりも魔物に近くなっている。
彼は外的要因によって殺されるまで『島』の中で生きることになるだろう。だが、環境を維持されている『島』の中にいながら外的要因によって殺されることなどあり得ないと言っていい。
「神の力を得て浮かれていたお前に相応しい罰だ。せいぜい海の底で朽ち果てるまで楽園のような『島』で生き続けるんだな」