第28話 『島』からの逃走
眷属5人の手によって『島』の沈没が開始された。
主である俺がやるべき事は決まっている。
「逃げる」
目の前にいるニコラスへ背を向けて脱兎の如く逃げ出す。
「あ、おい……」
何か呼び掛けているようだが、全力で無視。
森の中は走り難い。木があって真っ直ぐに走り続けることができないし、根があるため躓かないようにしなければならない。
が、それは普通の人が走った場合。
問答無用で風魔法による衝撃波を木に叩き付けて、火を放つ。
焼かれたことで地面が露わになり、走り易くなった。
このまま逃げられるかと思いきやそうもいかない。
「マ、マテッ!!!」
後ろから雄叫びが聞こえる。
間違いなくニコラスの声なのだが、獣のような荒々しさが感じられる。
「げっ!?」
首だけ後ろへ向けて確認した光景は奇妙なものだった。
5メートルほどの真っ黒な球体が宙に浮かんでおり、側面から『馬』や『虎』や『鳥』、『狼』といった多種多様な動物の足が突き出ていた。そして、上からは獣の頭部が出ており、中心にニコラスが立っていた。
グチャグチャに混ぜ合わせたような形をしていながら凄まじいスピードで追って来る。
「お前、迷ったな」
離れていく俺を見て追うことは決めた。
しかし、自分が走るよりも速く走る俺を見て、ただ追い掛けただけでは追い付けないと判断した。だが、ニコラスには獣を生み出す能力がある。
瘴気を使って脚の速い魔物を生み出し追う。
ただし、実戦経験の乏しいニコラスは迷ってしまった。
その結果が混ぜ合わせた歪な魔物だ。
「いいだろう。追い付けるものなら追い付いてみな」
森の斜面を全力で駆け抜ける。
ただ逃げているだけだと余裕が出てくる。
「へぇ~、あいつは意外と考えているな」
エルマーがアイラに頼んでゴブリンを召喚した。
ゴブリンたちに頼んでいるのは『島』にある物資の回収。
もう来ることができないのだから今の内に回収できる物は回収しなくてはならない。
「【召喚】」
俺もエルマーに倣ってゴブリンを召喚する。
ただし、アイラとは違って高位のゴブリンも喚び出すことができる。
聖騎士小鬼。知能が高く、魔法も併用することができる騎士と呼ぶに相応しい姿をしたゴブリン。
パラディンゴブリンの1体をリーダー兼護衛にして9体のゴブリンで小隊を組ませる。
俺の近くで召喚された10体のゴブリンが離れていく。
「ニガスカ!」
ゴブリンたちには目もくれず俺だけを追うニコラス。
今のニコラスには俺だけを脅威に感じ、敵意を向けて追っている。
そっちの方が俺にとっては都合がいい。
『パラディンゴブリンは他のゴブリンたちを指揮して「島」にある色々な物を集めろ。おそらく、ゴブリンたちを発見した瘴気の魔物が襲ってくるだろうけど、お前なら斬れるはずだ』
装備させた剣には神気を与える。
迷宮生まれの魔物とは【迷宮同調】で繋がることができるため魔物に魔力や神気を送り込むことができる。もっとも、神気を扱える魔物でなければ自壊する要因になりかねないし、パラディンゴブリンでも扱える量は【祝福】を受けたエルマーたちよりも少ない。
2、3日の護衛が限界だ。
それでも数日は探索が可能。
『じゃ、後はよろしく』
『ゴブッ!』
ゴブリンたちが離れていく。
その後も走りながらゴブリンを次から次へと召喚していく。
ただし、そんな事を10回も繰り返していれば瘴気を失いつつあるニコラスだって気付く。
「ムッ」
丸い球体から真っ黒な猿の腕が生え、横に向かって伸ばされる。
「ゴッ……」
伸び続けた腕がパラディンゴブリンの胸を貫く。
一人だけ完全装備な姿から特殊なゴブリンだと判断されて真っ先に倒された。
「ここまでか」
パラディンゴブリンは十分に役目を果たしてくれた。
リーダーの死を悼みながらも生まれた隙にゴブリンたちが逃げ出す。
彼らの回収は後回しだ。
「お、見えてきた」
森の向こう側に海が見えるようになった。
このまま進めば砂浜まではすぐだ。
「ニガスカ!」
ニコラスが球体の後ろからカンガルーの足を生み出して跳躍する。
着地した場所は俺の前方10メートル先。本気を出せば一気に追い越すこともできたのだろうが、使い慣れていない力なうえ、既に瘴気を失いつつある状況では思い当たらなかったようだ。
そして、最もしてはいけない事をしてしまった。
前に飛び出したニコラスが俺に向かって手を伸ばす。
「【跳躍】」
ニコラスが手を伸ばした直後に馬の脚がある場所の前まで移動する。
そのまま剣を横に構えると前へ走って獣の脚を全て斬っていく。
左側だけの脚が全て斬られてニコラスが倒れる。
「じゃあな」
獣を何体も継ぎ合わせた魔物は再生が可能。
しかし、大きさが大きさだけに再生には時間が掛かり、逃がしてしまうことになる。
結局、大きな体を棄てて走るしかない。
「ガァ!」
走り出した直後、地面から盛り上がってきた土の壁に頭から突っ込んで動きが止まる。
時間を置いて作動する【土壁】を仕込んでおいた。本能のままに追うことしかできないニコラスなら俺の通った場所に設置するだけで引っ掛かってくれると思った。
そうして稼いだ時間で砂浜へと辿り着いた。
「問題なし。結界は正常に作動しているみたいだ」
砂浜へと足を踏み出した瞬間、目に見えない何かを突き抜けたような感覚を覚える。神を封印する為の結界が『島』を覆うように展開されており、砂浜が境目になっていた。
けれども、結界の状態を確認しているような暇はない。
来た時は、50メートル以上はあった砂浜が水没しており、10メートルも残されていない。そうなると潜水艇までの距離も長くなる。かなり離れた場所で潜水艇がプカプカと浮いていた。
「おーーーい!」
潜水艇の近くには船が三隻ある。
俺が助けた二組のパーティと知らないパーティ。助けた方は先に海岸まで連れて来ていたが、俺たちとは遭わずにいたパーティも沈む状況を見て急いで『島』からの脱出を目論んでいた。
既に封印が機能した状況なら迷うこともない。
「どうしてか分からないが、『島』が沈んでいる! 今、船を寄せるからそこで待っていろ」
どうやら彼らは沈む『島』から俺を助ける為に砂浜の近くで待っていたらしい。助けられた恩を少しでも返す為だ。
だが、待っていられるほどの余裕はない。
待っている間に『島』は沈み続けるうえ、後ろからはニコラスが迫っている。
「ひっ!」
案の定、森の奥から感じられる気配に足が竦んでいる。
冒険者として自分の命を優先させるあまり船を近付けることを躊躇している。
躊躇った事を同じ冒険者として憤るつもりはない。
潜水艇まで離れてしまっているが問題ない。
助走をつけて、海へ向かって跳ぶ。俺の力でも潜水艇まで僅かに届かない。あと1歩が足りない。だから、1歩を踏み込む為に【風魔法】で圧縮させた空気を足場にして潜水艇へ飛び込む。
「ふぅ」
思わず溜息を吐く。
海へ落ちても潜水艇まではすぐなのだから問題なかったが、やはり精神的に海へ落ちてしまうよりはいい。
落ち着かせると振り向く。
『島』では、ようやくニコラスが砂浜まで辿り着いたところ。本能に身を任せたまま砂浜へと突っ込む。
人でありながら人とはかけ離れた姿をしたニコラスを見て冒険者たちが慄いている。今すぐにでも逃げ出したいところだが、明らかな化け物を相手に背を向けて逃げるのは非常に危険だ。どの程度の知能を持っているのか把握してからでなければ逃げる方法も分からない。
ただ、彼らの迷いはすぐに消えることになる。
ニコラスは追って来ることができない。
「ガァ!?」
再びニコラスが壁にぶつかったように動きが止まる。
ただし、今度は土壁など存在していない。何もない場所――砂浜の入口から先へ一歩も進むことができずにいた。