第20話 黒の獣
細切れにされ、ゴミのように捨てられるニコラスの体。
しかし、『鍵』に触れていた親指から瘴気が溢れて肉体を形作る。
「ヒャハハハッ、無駄だ。オレを殺すのは不可能だ」
甲高い笑い声を挙げるニコラス。
たしかに肉体は再生されるかもしれない。しかし、戦いに慣れておらず、肉体が傷付くのを見る度にニコラスの精神は摩耗していく。
不安定な精神の影響が言動にも出ていた。
「どうした? 掛かって来いよ」
ニコラスから離れるイリスとメリッサ。
二人とも攻撃に意味がないことに疲労を感じ始めていた。体力的にはまだ戦い続けることができたとしても状況を打破する方法が思い付かない状況は想像以上に疲弊させられる。
距離を取って様子見。
「そっちがその気ならオレにも考えがある」
地面に『鍵』を突き刺して回す。
大量の瘴気が流れ、『鍵』の周囲に黒い猿や鹿、狐といった獣が次々と生み出される。
数十体に及ぶ黒い獣が整列する。
「この『島』に封印されている神様は、獣と関係の深い神様だったらしくてな。その神様の力を手にしたオレにはこんなことができる」
ニコラスを守るように立ち並ぶ獣たち。
「行け!」
叫び声を上げながら獣たちが一斉に襲い掛かる。
正面から突っ込んできた鹿をイリスが切り捨てる。すると、横にある木の上から4体の猿が飛び掛かってくる。
「氷柱」
地面から突き出た氷柱が4体の猿を串刺し、猿はピクリとも動かなくなる。
一瞬だけ安堵すると背後に気配を感じる。振り向いた彼女の目に飛び込んできたのは先ほど斬り捨てたはずの鹿と同じ姿をした鹿。
正しくは、斬り捨てたはずの鹿が再び起き上がって突っ込んで来ていた。
「そう、か……!」
イリスは失念していた。
目の前にいる獣たちは神気をベースに瘴気で作られた獣。どれだけのダメージを与えたとしても膨大に供給される瘴気が消費されるだけで再生されてしまう。肉体へダメージを与えることは意味を成さない。
瘴気の魔物をどうにかするには神気をどうにかする必要がある。
その事をマルスたちの戦闘を見て知っていたはずなのに普通の獣を相手にするように攻撃してしまった。
咄嗟に氷壁を生み出して突進を受け止める。
しかし、一瞬で生み出せるような氷壁では瘴気の魔物を完全に受け止めることはできない。僅かに押し留めただけで氷壁を砕かれてしまう。
その一瞬さえあれば十分だった。
鹿の背を斬りながら跳び越える。
「やっぱり効果がない」
普通なら魔物でも背中がパックリと開かれて倒れてもおかしくない傷。
けれども、鹿は滑りながら倒れてもすぐに体を起こして再び突っ込んで来ようとしている。
「伏せて下さい」
メリッサの周囲から火球が何百と放たれる。
何かに当たった瞬間に爆発を起こす火球。瘴気の獣たちは当たった瞬間に粉々に吹き飛ばされて跡形も残らなくなる。
本来なら森が火事になってしまうような攻撃。
自分たちも巻き込まれる可能性がある状況で使いたくはなかったが、贅沢を言っていられる状況ではない。燃え広がる火を消す為に空へ水球を打ち上げて弾けさせると水を降らせる。
水浸しになる地面。
ビチャビチャといった音が響く。
「どうする?」
「大火力の攻撃で全身を吹き飛ばしても意味がないようです」
鳴り響く音は水溜りを歩く魔物たちの足音。
自分たちが一度は吹き飛ばされてしまったことを理解しているのか敵意をイリスとメリッサへ向けていた。
二人にとって幸いだったのはジェムとジリーを抱えたシルビアへ向けられていないこと。さすがに鍛えたと言っても物量差のある相手に敵うはずがなかった。
「素直に負けを認めな。よく見れば美人じゃねぇか。神になった俺が飼ってやってもいいぜ」
「断る」
「お断りします」
二人が同時に拒絶する。
「あんたの力は、神様から借りただけのもの。その程度の力を手にしただけでいい気になっているような奴に飼われるつもりはない」
「その通りです。私たちの主はいつだって一人だけです」
「……そうかよ」
ニコラスの前に人よりも大きな猪が作られる。
鋭い2本の牙を鼻先に備えた猪。ニコラスのイメージが反映されているのか必要もないのに鼻息を荒くしている猪からは相手を必ず貫き殺す気が感じられる。
「この力を手にしたオレは外へ行く。誰も敵わない力。けど、もっと多くの力が必要だ……そうだ、力が必要なんだよ!」
猪が突っ込んでくる。
進路上には猿がいたが、瘴気の魔物に仲間意識はないらしく、猪は猿を気にすることなく撥ね飛ばし、猿には撥ね飛ばされたことを気にする様子はなく元の状態に戻っていた。
「イリスさんとメリッサさんが!」
迫る猪を見てジェムが声を荒げる。
ジリーに至っては目を瞑ってしまっている。
「大丈夫」
対してシルビアは落ち着いており、その目はイリスたちや猪とも違う場所へと向けられていた。
「大丈夫って……」
「もう到着するわ」
猪が5メートルほど駆け出したところで横へ大きく吹き飛ばされる。必死に立ち上がろうとする猪だったが、立つ為に必要な足が力を入れた瞬間にボロボロと崩れてしまう。
核となっている神気が霧散させられてしまったことによって形を保つことができなくなってしまったためだ。
吹き飛ばされた方向とは反対側を見れば拳を突き出したマルスの姿があった。
「遅い」
「そう言うなよ」
「あの状況では周囲一帯を氷漬けにして瘴気の魔物を動けないようにするぐらいしか対策を思い付きませんでした。『島』がそんな状態になってもいいのですか?」
「さすがに、まだ困るな」
イリスとメリッサもマルスが自分たちの方へ向かって来ていることは少し前から察知していた。
マルスが辿り着くまでの数十秒間。
必要な時間を稼げれば十分だったため無理のない範囲で攻撃していた。
「相手について分かっていますか?」
「さっきも倒したから問題ない。状況も見ていたから大丈夫だ」
【迷宮同調】を利用した感覚の共有。
スキルのおかげで、別行動をしていてもイリスたちがどのように戦っていたのか全てを把握することができている。
もちろん対策も万全。
「俺に考えがある。奴の相手は任せろ」
そう言って二人に背を向けるマルス。
だが、この姿はニコラスへ向けたものだった。
『3人とも、この位置へ行け』
ニコラスには聞かれないよう念話で伝える。
ニコラスもマルスが自分から守る為に壁になっている、と勘違いしていた。
上空にいるサファイアイーグルが見ている『島』の光景。その光景を頭に思い浮かべて地図代わりにすると『島』の5か所に光が灯る。
5か所――『島』の中心と北東、北西、南東、南西だ。
『イリスは中央、シルビアとメリッサで分担して南東と南西へ行け。あと、二人はジェムとジリーもそれぞれ一人ずつ連れて行くように』
『ここに何が?』
『アイラとノエルは先に北側へ向かわせている。この場所そのものには何もない。けど、イリス以外はこの場所にいることに意味がある。その場で集中してもらう必要があるから護衛がいるんだよ』
『何をするつもりなのですか?』
意を決したメリッサが尋ねる。
マルスの雰囲気から何か途轍もない事をやろうとしていることを察した。
『今から「島」を――沈める』