第8話 エルマーの全力
エルマーがディアに向かって駆ける。
自分に向かってくるエルマーの姿を見た瞬間、ディアも迎撃する為に地面を蹴った。ディアの戦闘スタイルからして、その場で迎撃するのは得策ではない。
だからエルマーの雰囲気が変わったことに気付けなかった。
エルマーまで、あと一歩踏み込めば手が届く場所まで接近したところでディアの視界が一瞬にして落ちる。
倒された訳ではない。物理的に落とされた。
エルマーを中心に半径2メートルの穴が空いていた。
土属性魔法【落とし穴】。ただ、穴を掘るだけの簡単な魔法なのだが、掘れる広さは使用者の力量によって違い、半径2メートルの穴を一瞬で掘るには相当な訓練が必要になる。だが、真面目なエルマーはコツコツと鍛錬して耐え続けた。
そうして接近した敵を穴に落とせるまでになった。
「こんなもの……」
突然、穴の中へ落とされたことで動揺してしまったディアだったが、すぐに落ち着きを取り戻すと上から振り下ろされたエルマーの剣を受け止め、反動で下へ飛ばされると着地した直後に後ろへ跳ぶ。
さすがに一瞬で造られた落とし穴では深さは1メートルもない。
すぐに落とし穴から抜け出す。
「【砂流】」
「ちょ……」
エルマーの足元にある砂が動いて投げ出す。
移動先はディアの目の前だ。
「隙あり」
剣を振り下ろす。
突然の落とし穴と進行方向に現れたことで気が動転しているディアは斬られるのを覚悟して目を瞑る。
ピタッ――そんな感触が首筋に生まれる。
恐る恐るディアが目を開けると自分の首に刃が触れているのが見えた。
これは摸擬戦なのだからエルマーはきちんと寸止めしていた。
「まさか、娘が負けるとはな」
「信じられませんか?」
「それこそ、まさかだ。目の前の光景が信じられないようでは戦士としては二流もいいところだ」
シオドア族からも了承をもらえたので万事解決だ。
「どうします? 俺たちも戦ってみますか?」
子供たちが頑張ったのだから保護者が戦うのもアリだ。
戦闘部族であるシオドア族なら乗ってくるかと思った。
「いや、止めておこう」
あっさりと断られてしまった。
それは、ちょっと困る。
「たしかに俺たちは強者との戦いを楽しみにしている。しかし、戦いと思える相手でなければならない」
「俺では不足ですか?」
「逆だ。俺たちでは里にいる奴らも合せて全員で襲い掛かっても全力を引き出すことすらできないだろう」
「随分と過大評価ですね」
「事実だろう」
実際に事実ではある。
だが、ここで肯定してしまうと話がややこしくなるので何も言わない。
そして、保護者二人で子供たちに近付く。
「戦ってみてどうだった?」
「はい。最初は剣だけでどうにか勝とうと思ったんですけど、相手の速度に追い付いて行くのが精一杯で攻撃できるほどの余裕はありませんでした」
観戦していた母たちには、エルマーの表情から余裕があるように見えていたかもしれないが、本人はギリギリのところだった。だが、母たちを心配させまいと平然としていた。
そういう気遣いの出来る子だ。
「いい刺激にはなっただろ」
「そうですね。目標ができました」
今度は純粋に剣だけで勝つ。
それでも構わないのだが、この子なりに成長できたのなら報酬としては申し分ない。
「―――――」
一方、ディアの方は放心状態だ。
そんなに敗北したことが悔しかったのだろうか?
「悔しいか?」
ディアの父親が尋ねる。
随分と直球な尋ね方だ。
だが、効果はあったらしく肩をビクッとさせて反応していた。そうして何も言わずにエルマーの前に立つ。
「え、なに……」
無言で目の前に立たれたエルマーは困惑するばかり。
俺としても戦うようお願いしてしまった立場があるので、そろそろ話し掛けなければならないかと思っていたところ、ディアが声を挙げる。
「ねぇ、最初は本気じゃなかったの?」
「いや、本気だったよ」
「でも、あの人の言葉を借りるなら全力じゃなかった」
「う……」
持てる全ての手札を駆使して力を尽くす。
そういう意味では魔法を使用していなかった頃は全力ではなかった。
「つまり、最初から全力だったら勝負にすらなかなかった訳だ」
エルマーは否定も肯定もできない。
今さら否定したところで嘘だという事はバレているし、肯定すればさらに傷付けてしまうかもしれない。
そんなジレンマに陥っていると父親へ願いを言う。
「父さま!」
「どうした」
ガバッと顔を上げられたことで思わず勢いに飲まれてしまっている。
「こいつを里に連れ帰る!」
ビシッとエルマーを指差す。
「ダメに決まっているだろ」
「けど、私よりも強い。婿にするには十分だ」
「相手の事を考えろ」
頭を抱える父親。
事情を聞いてみるとシオドア族のしきたりが関係していた。
シオドア族では、一人前の戦士として認められた者がお互いの尊厳を賭けて戦い、敗北した場合には相手に隷属する決まりがある。
ディアはどうやら族長の3人いる娘の一人らしく、地位向上を狙った男たちから言い寄られているらしく、条件として『自分よりも強い事』を掲げており、勝負を挑んできた男たちを次から次へと屠って来た。
さすがに自分より何歳も年上の相手を同格と見做すようなことはしないため条件が満たされていたとしても結婚するような気はなかった。
が、同年代では負けなしだった。
……先ほどまでは。
魔法アリだったとはいえ、エルマーに完敗してしまったことですっかり落とされてしまったらしく、里へ連れ帰ろうとしている。
「事情はよく飲み込めないんですけど、あなたの里へ行くのは無理です」
「どうして!」
「僕には帰る場所がありますし、仲間がいて、やらないといけない事もあるんです」
「そうだぜ」
「その通りよ」
話を聞いているだけだったジェムとジリーも混ざる。
すっかり置いていかれた二人は仲間として色々と言いたい事があった。
「それに、あなたのことをよく知りません。そんな人の所へ行くような真似はできません」
こちらにも事情はある。
族長である父親の方はその辺りの事を分かっているらしく、ディアに諦めるよう言っている。
「しかし、面白い事になったな」
「いや、エルマーが可哀想よ」
アイラから怒られてしまったが、これはこれでアリだ。
急な接触ではあったものの『島』について色々と知っていると思われるシオドア族から話を聞くのが目的だった。
戦闘部族でもあるシオドア族から話を聞くなら戦って実力を知らしめるのが最も効果的だと判断した。
エルマーとディアを戦わせた後で保護者同士による戦いを行う。
残念なことに族長は俺と戦う気が全くないみたいなので実力を知らしめるような機会はない。この状況でシオドア族の協力を取り付けるならエルマーにこのまま協力してもらった方がいいかもしれない。
ワイワイ言い合っている4人の子供たちを見る。
……大丈夫だろうか?
「大丈夫ですか?」
「ん?」
遠くから男性の声が響く。
振り向いた先にいたのはサボナの冒険者ギルドでギルドマスターをしているジェフリーさんだ。
「ファールゼン家のぼっちゃんが島へ行こうとしていると聞いた。状況はどうなって……あぁ!」
ジェフリーさんが目にしたのは砂浜に倒れたままの護衛騎士。
すっかり介抱するのを忘れていた。
「ディール様は……あ!」
ジェフリーの見つめる先――エルマーとディアの戦いが見える場所で砂浜の上で膝を抱えて座り込んでいるディールがいた。
「ぜんぜん、みえなかった」
魔法を使用する前の剣劇すら見えていなかったディールは自信をなくしてすっかり意気消沈していた。