第37話 風神
報告を終えて屋敷へ帰る時間にもなれば日は完全に暮れていた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
挨拶をするとシルビアが迎えてくれる。
【探知】があるおかげで俺の帰宅を事前に知ることができるので、いつも真っ先に迎えてくれる。
「邪魔するよ」
「今日もこちらに来るのですか?」
一緒に帰宅したのはイリスだけでなく、ルイーズさんもだった。
「息子や孫たちは忙しくしているし、こっちの方がのんびりとできるからね」
今日は依頼を終えた打ち上げも兼ねて盛大に振る舞うよう言っておいた。
それに今日は近所の人たちが魔物の襲撃を聞き付けて避難してきていた。そのせいで近所の人たちは夕食の支度が間に合っていないし、最近の騒動のせいで食糧の購入が滞っていた。
母には潤沢にある食糧を使用していいので振る舞うように言い、近所の人たちの好感度を上げていた。
これも理由があって必要なことだ。
リビングへ行くとソファに身を沈める。
体力的にはまだ動けるのだが、色々あって疲れてしまった。
だが、まだ最後にやるべき事が残っている。
「シエラ」
リビングの入口で顔だけ出してこっちを見ているシエラを呼ぶ。本人としては隠れているつもりなのだろうが、気配がまるで隠れられていない。
呼ばれたシエラがヨチヨチとゆっくりした足取りで近付いてくる。
その表情には怯えが含まれていた。
こんな表情を見せられると辛い。
「自分が何をしたのか分かるな?」
目の前まで来たシエラへ静かに問い掛ける。
「……ごめんなしゃい」
俯きながらシエラが謝った。
「何がいけなかったのか理解しているか?」
「うん……」
俺が帰ってくるまでに散々母親たちから叱られたから理解している。
「シー、おてつだい、したかったの」
「その気持ちは嬉しい。けど、危ない場所へ行って皆が心配したんだ。特にお祖母ちゃんたちなんてすっごく慌てていたんだぞ」
【迷宮同調】で屋敷の様子は確認できるので母たちがいなくなったシエラを探し回っている姿は見てある。
あんな緊急事態で孫の姿が見えなくなれば心配もする。
「お母さんたちから怒られただろ」
「うん……」
メリッサ、ノエル、シルビア、アイラの順で怒られた。
特にアイラは涙を流しながら説教していたので、シエラのとっても堪える姿だったのか落ち込んでいた。
「怒るのはシエラの事が心配だからだ。お手伝いしてくれるのはいい子だ。けど、お母さんを心配させるのは悪い子だぞ。シエラは悪い子になりたいのかな?」
「わるいこ、なりたくない」
「だったら、これからは心配させないっていうのは理解できるな」
「うん!」
「よし、おいで」
元気を失くしていたシエラを抱き上げる。
なんだか昨日よりも大きくなっているような気がする。
「もう、いいの?」
アイラたちからどれだけ怒られたのか。
シエラは予想以上に簡単に解放されたことでキョトンとしていた。
「もう、お母さんたちからたくさん怒られたんだろ。だったら、反省しているよね。じゃあ、大丈夫だ」
「おとさん、だいしゅき」
ガシッとしがみ付いてくる。
そのまま体を撫でていると規則正しい寝息が聞こえてくる。今日は色々とあったし、俺から怒られるんじゃないかと緊張していたので思わず安心してしまって寝てしまった。
さて、シエラはこれで問題ない。
「で、そこの二人」
呼び掛けるとシエラの影からシャドウゲンガーが姿を現す。
そして、目には見えないが、シャドウゲンガーの隣に『何か』がいるのが感じられる。おそらくティシュア様に似た気配を持つこの存在こそ風神だろう。
「反省しているな?」
そもそも二人がシエラを外へ連れ出すような真似をしなければこんな事態にはならなかった。いや、事情は聞いているので二人が一方的に悪い訳ではない事は知っている。それでも保護者として受け止めなければならない。
シャドウゲンガーは本気で反省している、という感情が伝わってくる。言葉を発することができなかったとしても迷宮主は迷宮にいる魔物の感情を読み取ることができる。
問題は、風神の方だ。
こっちは何を伝えたいのか全く分からない。
「あ、そっちは私が通訳するわ」
困っていたところ最初からリビングにいたティシュア様が助けてくれた。
神同士なら言葉を交わすことも可能らしく、通訳できるみたいだ。
『初めましてオレは風神だ。そして、改めて謝らせてもらう。初めて言葉を交わすことができる人間に出会えてオレも舞い上がっていた。この子を外へ連れ出してしまった言い訳をするつもりはない。ただ、親であるアナタたちに心配させてしまったことを深く詫びる』
謝る風神様。
これには訳があった。
『オレはティシュアなんかと違って【加護】を与えるぐらいしか人間と関わることができない。しかも、【加護】を与えられる人数は限られている。数日前に【加護】を与えていた一人が死んだ。そこで、世界を気の向くまま漂っていると適性のある少女を見つけた』
それがシエラだった。
魔法を使いたい、風に適性を持つ少女。
風神にとっては、これ以上ない適任者だった。
けれども、シエラが選ばれた理由はもう一つあった。
『最初にこの子と会話することができた時は本当に驚いた。どうやら、この子は神と強い親和性を持っているらしい』
「強い親和性?」
『そうだ。神に慣れていたからこそ、幼いながらに【加護】を平然と受け入れ、本来は【加護】を持っていても会話は不可能なはずの神との対話を可能にした』
どうやら『巫女』と似たような状態になっていることでシエラに特殊性が発生したらしい。まるでノエルのよう。
神との親和。
その言葉を聞いた瞬間、俺たちの視線がティシュア様へ向けられる。
「な、何ですか……」
通訳を止めてこっちを見る。
神との親和性とは、本来なら巫女たちのように厳しい修練に耐え、神に祈りを捧げ続けた者が手に入れられる奇跡だろう。
だが、意図せずにシエラは奇跡を成し遂げてしまった。
と言うよりも原因はティシュア様にある。
「あなたが生まれた時からシエラを溺愛しているのが原因でしょう」
俺の娘。
ティシュア様にとっては、ノエルの義娘でもあるので自分の孫みたいに感じられ暇さえあれば面倒を見てくれていた。
地上に降臨した神と生まれた時からずっといる。
それは、神との親和性も高くなるだろう。
「でも、普通ならデメリットなんてないような効果よ」
【加護】を持っているだけで風魔法が評価され、将来は安泰と言ってもいい。
持っているだけで勝ち組になれるスキル。
『できれば、これからもこの子と一緒にいさせてほしい』
「一緒に?」
『初めて人と触れ合うことができた。これほど嬉しい事はこれまでになかった。迷惑を掛けたのは申し訳なく思う。それでも、この子と一緒にいたい! と思えるだけの時間を過ごさせてもらった』
そして、これからそんな時間を過ごしたい。
【加護】は普通にしていれば消失するようなことはない。つまり、風神はシエラの傍に生涯居続けるつもりでいるらしい。
今日の事を思えばあまりいい気にはなれない。
しかし、心配事が一つ減るのも事実だ。
「シエラは行動力のある子だからな。今日みたいに無茶な事をする日が来るかもしれない」
その時の事を考えれば誰かが傍にいる必要がある。
とはいえ、忙しい親たちは常に傍にいられる訳ではない。祖母である母たちが育児を手伝ってくれているが、母たちだって今日みたいにちょっと目を離してしまうことがある。
そのため確実に傍にいられる存在は非常にありがたい。
「……今後もシエラの面倒を見て、守ってくれるなら許可しよう」
『当然!』
こうしてシエラに新たな祖父ができた。
よほど嬉しいのかリビングを激しく飛び回っている。
「ただ、今後はそれでいいとしても今日の問題をどうするのか、だよな……」
シエラが魔物を討伐した。
これにより発生してしまった難しい問題にも対処しなければならない。