第36話 キマイラ召喚の宝珠
男――トランが淡々と語ってくれる。
事の始まりは今から1カ月近くも前の事。ある古物商がリゴール教と接触した。古物商との取引自体は何度も行い、その度に偽物を掴まされていた。その古物商との取引は初めての事だった。
いつものように曰く付きの商品を勧められる。
そうして購入した商品の中にある『宝珠』があった。
「その宝珠がキマイラ召喚の為に必要な代物なのか?」
その宝珠にはご丁寧な事に取扱説明書まで付いていた。
絶対に売りつけた古物商が用意した物だろうな。
「まず、宝珠を広い場所に置く。そして、宝珠を中心に生きた人間の血で魔法陣を描くことによってキマイラの召喚は成功する」
魔法陣はかなり大きく、20人で描くことになった。
この魔法陣を描くには血が用いられるが、鮮度のいい新しい物である事が求められる。ここで、描くのが凶悪な宗教組織であるなら人を攫うなり、奴隷を使うなりするところなのだろうが、リゴール教にはそこまでの強者がいなければ奴隷を買える財力もなかった。
そこで、自分たちの体を切って血を流すことにした。
「森の奥にいた連中だね」
俺と別れた後、ルイーズさんとイリスは森の奥を探索することにした。
そこで見つけたのは20人近い人数の死体。ルイーズさんの見識によれば死後から数日が経過しており、全員が生命力を吸い取られて死んでいた。外傷はあるものの直接的な原因は生命力の枯渇によるものだ。
「そうだ。キマイラを喚び出すことには成功した」
普段から成功しない儀式ばかりに没頭していたリゴール教。
初めて成功した儀式に一人を除いて歓喜していた。だが、トランだけはキマイラの放つ異様な気配――瘴気に恐怖して逃げ出してしまった。
その行動は、結果的にトランを助けることになった。
魔法陣の外へと移動したトラン。
魔法陣の内側にいた仲間たちは、全員が一瞬で息絶えてしまった。
喚び出した対価としてキマイラが要求したのは、生命力。20人程度ではキマイラにとって全く足りなかったが、喚び出されたばかりのキマイラは唯一生き残ったトランを気にすることなく眠りに就いた。
そうして隙を突いてトランは逃げ出した。
しかし、トランの戦闘能力は乏しい。森へ来た時は20人もいたため魔物を楽観視することができた。だが、いざ一人になってみると離れた場所にいるゴブリンを見つけただけで恐怖し、逃げ出してしまった。
「結局、俺にできたのは木の上や茂みの中に隠れている事だけだった」
それなりにサバイバル能力はあったらしく、身を隠しながら食糧を確保し、生き残ることに成功した。
そして、そうこうしている内に人の声が聞こえるようになった。
助けを求めようとしたトランが見たのは、犠牲を払いながらも生み出したキマイラを相手に奮戦している俺たちの姿だった。
遠くからでも分かる異様な光景。
思わずトランは逃げ出してしまった。
「……このアリスターで騒ぎを起こした理由は?」
キース様が尋ねる。
当然、俺以外の人間の質問にも正直に答えるように設定されている。
「キマイラを召喚する為には、土地に潤沢な魔力が必要だと説明書には描いてあった。メティス王国で魔力が潤沢な土地と言えばいくつかある」
つまり、いくつかリストアップされた内の一つにアリスターがあっただけ。
明確にアリスターへ対して敵意を持っていた訳ではない。
「その古物商について教えろ」
「さあ?」
「なんだと……」
「俺はリゴール教の中で下っ端同然の存在だ。知っている事なんて少ない。もちろん古物商との取引にだって立ち会っていない」
とはいえ、姿ぐらいは見ているはずだ。
「顔は白いローブで隠していて見ることができなかった。ただ、体付きからして女である事は間違いない」
「女……」
ある可能性が頭を過ぎる。
「それはこいつか?」
魔法でトランの前に人の姿を映し出す。
映し出されたその人物は、謎の迷宮主の眷属であるリュゼだ。
以前、エストア神国へ行った時は『神の棺』を持ち込んでいた。今回も似たような事をしていたかもしれない。
「いいや、こいつは古物商じゃない」
「そうか」
「古物商の護衛をしていた女だな」
……ん?
「護衛を名乗る癖に弱いようにしか見えない奴だったから何人か馬鹿にしていたのを覚えている」
たしかに人懐っこい笑顔を浮かべるリュゼは威圧感を求められる護衛には向かないだろう。
だが、嘲笑による代償はすぐに払うことになった。
誰もが認識できない内にバカにした男たちの首が切断されて床に落ちていた。
「俺たちは古物商に従うしかなかったんだよ」
バカにはした。
しかし、それだけで仲間が殺されてしまった。
弱小宗教団体であるリゴール教は、古物商の指示に従うしかなかった。
「にしても、やっぱり奴らが絡んでいるのか」
キマイラ召喚の為に必要な宝珠を渡し、使用方法まで懇切丁寧に教える。
そこに、どんなメリットがあるのか分からない。
「知り合い、なのか?」
キース様が当然の質問をする。
相手の姿を映し出せたことから関係があるのは間違いない。
「ええ、まあ……」
とはいえ説明が非常に難しい。
結局は、言葉を濁す程度の方法しか思いつかない。
「で、お前らは古物商からキマイラを召喚する為の宝珠を買い取った。それが本物である事を知らずに使用したところ生命力を奪い取られて一人を除いて全滅。後は、キマイラが本能の赴くまま人を襲っていた」
これが、今回の魔物騒動の顛末だろう。
まったく、面倒な事をしてくれる連中だ。
「……違う」
これで終わっていれば面倒事は片付いていた。
しかし、俺の支配下にある間は隠し事など絶対にできないし、絶対服従でなければならない。何か利益に繋がるような情報を持っているなら話さなければならない、という強迫観念に囚われている。
「リゴール教が買ったのはキマイラを召喚する宝珠だけじゃない」
他にも『剣』と『鏡』を購入していた。
どのような効果があり、どうするつもりなのかはトランも知らない。
「俺は所詮下っ端だ。今回の宝珠についての作戦しか知らされていない」
他の作戦など下っ端が知っている必要はない。
「とりあえず、今日のところは最後の質問だ。お前たちリゴール教の拠点はどこにある。全て教えろ」
「そんな仲間を売るような証言ができる訳が……はい、教えます」
拒否しようとしていたトランに無理矢理言わせる。
教えられた拠点は国内に6箇所。というか王都の周囲にある。
「こいつらは弱小宗教団体だよ。王都にいる連中は、こんな小童に構っていられるほど暇じゃない。だからこそ見逃されていたんで、王都の近くの方が隠れ易かったんだよ」
事情は分かった。
「た、頼む……提供できるような情報は全て渡した! だから、もう解放してくれ」
また、『解放してくれ』か。
「どういう意味だ?」
エリオットにはよく分かっていないみたいで首を傾げていた。
「今のコイツは死ぬ事のない不死者です。けど、特別な方法で不死者にしたので生前の記憶は全て持っているし、感覚もそのままなんです」
体を斬り付ければ痛みを感じる。
しかし、既に死んでいるため死ぬ事が許されずに延々と苦痛に耐えなければならない。
何よりも不死者になった、という精神的な苦痛。この苦痛からは、どんな事をしたとしても逃れることはできない。
逃れる方法は二つ。
不死者にした俺が解放する。そして、最上級の聖職者による浄化魔法を受ける。普通の神官の力では不足しており、それこそ教皇レベルの実力者による浄化が必要になる。だが、現実を見ればそんな事が叶うはずもない。
そして、俺からの解放も特に考えていない。
「何か、使い道があるかもしれないから保管しておくことにするよ」
「なっ……情報を言えば解放してくれるはずだろ!」
似たような事は言った。
だが、決定的な勘違いをしている。
「お前は、自分から情報を売った訳じゃない。喋ったお前は既に俺の所有物だ。俺の所有物が何を語ろうと、お前自身の利益にはならない」
もしも、不死者になる前に喋っていれば楽に殺していた。
使い道ができるまで『墓地フィールド』で待機してもらうことにしよう。
「ちょ……」
言いたげだったトランの生首を道具箱に収納する。
時間ができたらすぐさま迷宮へ捨てに行こう。広大な空間を誇る道具箱だけど、食糧とかも保存してある場所に生首を入れているのは気分的によくない。
「何かよくない事を企んでいるみたいですよ。王都に連絡して解決してもらった方がいいんじゃないですか?」
これ以上、リゴール教と関わり合いになるつもりはない。
どこで、何をするつもりなのか知らないが、俺たちに直接的な被害がないなら解決する気にもならない。
王都の人間が放置し続けていた事にも原因がある。
ここは、情報だけ渡して彼らに頑張ってもらおう。
と、思っていたのだがキース様やルイーズさんの表情は優れない。
「……タイミングが悪いな」
「そうだね」
二人の憂いていた。
「何か問題でも?」
「これは、アタシがアリスターへ来ることになった要因でもあるんだけどね。現在の王都は絶賛クーデターの最中なんだよ」