第7話 アイラ
ファングボアに倒されたわけではなく、空腹で倒れてしまったらしい女の子に収納していたサンドイッチを渡す。
昼食用に買っておいたサンドイッチを受け取ると女の子はパクパクと勢いよく食べていく。
せっかくなので俺たちも少し遅めの昼食にする。
薄暗い洞窟フィールドから常に明るい草原フィールドに出たせいで時間感覚がおかしなことになっているが、既に昼過ぎになっている。俺もそろそろ休憩にしようかと考えていたところなのでちょうどいい。
地面の上に座っている女の子と同じように座ると自分たちの昼食を用意する。
用意、と言っても収納リングの中に入っているサンドイッチや家から持ってきたお茶の入っている水筒を取り出すだけだが。
迷宮のような場所に長時間いると食事がお座なりになる。
転移結晶があるおかげで帰ろうと思えば階層の入口まで向かえば帰れるし、迷宮の中で得られた財宝や素材を持つ必要があるので荷物を最小限に抑える必要がある。そのため食料を持って行ったとしても携帯食のような最低限の物になる。
もっとも収納リングや道具箱がある俺たちには関係がない。
数日分の食料は常に用意してある。
「ごほっ、ごほっ……」
サンドイッチを口の中に詰め込んでいた女の子が咽ていた。
そんな勢い良く食べていたら咽るのも仕方ない。
シルビアが収納リングに入れておいた水筒からお茶を用意して渡す。
俺のメイドになったつもりのシルビアはこういった気遣いを忘れない。
お茶を受け取った女の子もシルビアにお礼を言って笑い合っていた。やはり、女同士の方が早く仲良くなれるらしい。
「ごちそうさまでした」
やがて女の子が俺たちの倍以上の量を食べ終わる。
いざという時の為に3日分の食料を用意しておいて良かった。
「良かったよ。行き倒れたりしなくて」
「本当にありがとうございました」
「お礼は、今度街で会った時にでも何か奢ってくれたらいいよ。俺はマルス。で、こっちの女の子はシルビア」
「シルビアよ」
「あたしの名前はアイラと言います」
女の子が立ち上がって頭を下げてくる。
アイラと名乗った少女は腰に剣を差しており、頭を下げた時に1本にまとめてポニーテールにしている腰まで届く長い真っ赤な髪が揺れた。肩には使い古された白いマントが揺れている。
「どうして君みたいな女の子が迷宮にいるんだ?」
地下11階にまで来られるぐらいだからそれなりの実力者なはずだ。
「実はあたし賞金稼ぎなんですけど、ある賞金首を追って昨日アリスターの街にやって来たばかりなんです」
「賞金稼ぎ、か」
賞金稼ぎ――主に犯罪者を相手にする対人に特化した戦士で、罪を犯した者には賞金が懸けられることがあり、賞金を懸けられた犯罪者を捕まえる、もしくは討伐して報酬を得るのが彼らの仕事だ。
アリスターの街にはいなかったので、俺も賞金稼ぎを実際に見たのは初めてだ。
ただ、荒んだ生活を送っているだけに荒くれ者が多いという風に話を聞いていただけに目の前にいるような可愛い女の子が賞金稼ぎをしているというのがちょっと信じられなかった。
「あ、その目は信じていないわね。女だけど、12歳の頃から3年間も賞金稼ぎをしていて冒険者ランクだってCランクになったんだから」
そう言って女の子が冒険者カードを見せてくれる。
そこには、たしかにCランクと記載されていた。
賞金稼ぎは、賞金を懸けられた賞金首の情報を得る為に情報が集まる冒険者ギルドに登録していることが多く、こうして冒険者を兼業している者がいる。賞金首が見つからない時は、依頼をこなして報酬を得ればいつの間にかCランクになっていたということもある。
しかし12歳から賞金稼ぎとは……ずいぶんと苦労してきたんだろうな。
「本当にCランクです。羨ましい……」
シルビアが自分のFランクの冒険者カードを思い出して、羨ましそうにアイラの冒険者カードを見ていた。
「あなたも冒険者なの?」
「はい。と言っても今日冒険者になったばかりなのでFランクですけど」
「その割には強そうね」
アイラが一目でシルビアのステータスを見破っていた。
「それで、どうして賞金稼ぎの冒険者が迷宮になんているんだ?」
「恥ずかしながらアリスターの街までやって来たら路銀が底をついちゃったから手っ取り早く稼ごうと思ったんだけど、大きく稼ごうと思ったら長期の依頼しかなかったから、どうしようかなって考えていたら街の近くには迷宮があるって聞いて朝早くから探索していたの」
アイラの傍には魔物の素材でパンパンに膨れ上がった鞄が転がっていた。
どんな魔物が入っているのか分からないので正確な金額は分からないが、少なくとも数日分の生活費になることは間違いない。
「それで? どうして3年も冒険者を続けている賞金稼ぎが今朝からの探索で倒れるんだ?」
今朝から、ということは俺たちよりも1、2時間早く潜っているだけなはずだ。
にもかかわらず空腹によって行き倒れるというのが信じられなかった。
「まず、理由としてはそんなに深く潜るつもりはなかったの。本当なら地下10階ぐらいで帰るつもりだったの。だけど、迷宮には初めて潜ったから地下11階でいきなり景色が変わったことに思わず興奮してしまって地下12階を少し探索したところで……」
空腹感に襲われて帰ろうとして、どうにか入り口近くまで辿り着いたところでファングボアのような強力な魔物が現れ、咄嗟に身を隠していた、というわけか。
「食料は持って来ていなかったのか?」
「それが……」
アイラがポケットから5センチほどの固形物を出す。
まさか、それが食料なのか?
いや、迷宮で得られた素材を持ち帰ることを考えれば持って行く荷物を最小限にすることは当然だ。だが、行き倒れてしまうのに携帯食だけというのは少ないだろう。
「普段なら、これだけでも大丈夫なんだけどな」
アイラが固形物を見ながら呟く。
いや、行き倒れている時点で大丈夫じゃないよ。
だが、何かに気付いたのかアイラが「あっ」と声を上げる。
「もしかして、迷宮って魔力を吸収されたりする?」
「え、何当たり前のことを聞いているの?」
迷宮にいると魔力を吸収される。
俺たちは迷宮適応があるので吸収されることはないが、迷宮に潜る冒険者たちの間では常識のようになっており、冒険者は自分の魔力量を考えて迷宮に潜る時間を決めている。
そのことを伝えると何か納得していた。
「実は、あたしは体質のせいなのか魔力を大きく消耗してしまうと強い空腹感に襲われてしまうんです」
は? そんなの聞いたことない……。
「あ、わたしの故郷にもそんな体質の人がいました。魔法の得意な人だったのですが、調子に乗って使いすぎると凄く眠くなるそうです」
そうか、俺が知らないだけで世の中にはそんな体質の人がいたのか。
「つまり、迷宮の魔力を吸収される仕組みを知らずに潜ったせいで強烈な空腹感に襲われて行き倒れてしまった、と」
「面目ない……」
アイラはしゅんと項垂れる。
俺たちが通り掛からなかったらどうなっていたのか?
見た目も可愛い少女だからこそ悪意のある冒険者にでも捕まっていれば娼館にでも連れ込まれて売られていた可能性だってある。
対人に特化した賞金稼ぎとして活動してきたのだろうが、行き倒れた状態なら捕まえることも難しくない。
それが分かっているからこそアイラも反省していた。
「あの……できれば何かお礼をしたいんだけど、今はお金が無くて、それで……可能なら賞金首を討伐するまで待ってもらえないかな?」
賞金首から得られた賞金なら相当な財産になる。
奢ってもらうとは言ったが、賞金が手に入るまではまとまったお金も手元にないのだろう。
だけど正直言って金には困っていない。
せっかくだから、ここは彼女が最も得意としていることで恩を返してもらうことにしようか。
「だったら、模擬戦をしてくれないかな?」
「模擬戦?」
「そう。対人経験が少ないから君みたいなプロと戦って鍛えたいと思ったんだ」
賞金稼ぎが相手ならこれほどの強敵はいない。
「いいですよ」
アイラがにこやかに立ち上がると剣を抜く。
俺も一応腰に剣を差しているので剣士と判断されたようだ。
ただ、彼女の勘違いを1つだけ訂正するなら……。
「あ、君の相手は俺じゃなくてシルビアだ」
「ふぇ!? わたしですか?」
まさか自分が戦うとは思っていなかったシルビアが声を上げる。
しかし、これは彼女にとって必要な経験だ。
魔物との戦闘経験なら迷宮でいくらでも積めるが、対人経験は相手にもよるのでなかなか積めない。
ならば、せっかくの機会だからシルビアを鍛える為に協力してもらおう。
「いいの? 彼女、装備品の恩恵なのかステータスは高そうだけど、経験とか少なそうに感じるけど」
「問題ない。模擬戦なんだから負けても貴重な経験にはなる」
「なんだか、わたしが負けることが前提のような話ですね」
俺たちの雰囲気に不満ながらもシルビアが離れた場所で2本の短剣を構える。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
シルビアが自分の得意な距離で戦う為に一気に駆け出す。