第1話 わがまま
懐かしい屋敷の玄関に足を踏み入れる。
エスタリア王国から遠く離れたメティス王国にある我が家だが、帰るだけなら本当に一瞬で済ませることができる。
ただ、ベントラーとの騒動から数日が経過している。エスタリア王国は人の出入りの審査が厳しいところなので、後から調べられて出国の記録がないことを問い詰められると面倒なことになる。そのため、歩いて国外まで出てから【転移】で移動させてもらった。
そうした移動もあって時刻は昼過ぎ。仕事のない日ならのんびりとお菓子を楽しんでいる時間だ。
「ただいま」
屋敷から返事はない。
耳を澄ませてみるとリビングから何人もの人と子供の声が聞こえてくる。どうやら屋敷でもおやつの時間らしくリビングに集まっている。
『ちょっと待って』
リビングへ行こうとしたところ迷宮核に呼び止められた。
『せっかくだから陰から覗いてごらん』
特に反対する理由もなかったので気配を隠しながらリビングへ行くと死角になっている隅へ移動して様子を見させてもらう。
リビングには子供用のローテーブルに3人の子供が座っており、右にシエラ、真ん中にアルフ、左にソフィアと生まれた順番に座っている。そして、シエラの隣には母が、ソフィアの隣にはオリビアさんが世話をする為にいた。
「はい、あ~ん」
「あん」
母がシエラの口に小さくした果実を運ぶ。子供でも食べやすいように少し柔らかくした物だ。
「おいしい?」
シエラがゆっくりと食べながら頷く。
その隣ではアルフが一生懸命に軽いコップを抱えて甘い果実を絞ったジュースを飲んでいる。
『あ、もうコップを持てるようになったんですね』
シルビアによればエスタリア王国で合流する直前まではコップを持つことはできなかったらしい。アルフとしては、姉の様子を見ていて自力で飲めるように頑張っていたけど、やはり力不足で持てなかった。
さすがにエスタリア王国へ行っている2、3週間もの時間があれば子供も大きく成長する。
コク、コクと一口ずつ味を確かめるようにゆっくりと飲んでいる。
「はい、ソフィア」
左ではオリビアさんがジュースを与えている。
ソフィアも自分で飲むことができるらしいが、祖母であるオリビアさんに甘えている。
ただ、ソフィアは飲むスピードが速い。
すぐにジュースがコップの中からなくなってしまった。
「けぷっ……」
飲み終わると満足そうな笑みを浮かべていた。
そんな光景を見させられて母親であるシルビアが黙っていられるはずがなかった。部屋の隅から出てアルフとソフィアに近付こうとする。
が、その時に事件は起こった。
ソフィアの目に未だにジュースが残っているアルフのコップが映った。
自分の分を飲んで満足していたソフィアだったが、すぐに不満そうな表情を浮かべていた。
「たぁ!」
アルフの手からコップを奪い取り、そのまま自分の口へと運んでしまった。
奪い取った際にコップの中に残っていたジュースの半分以上が零れてしまっている。
「う……」
ジュースが体に掛かったことでアルフもようやく自分の手にコップがないことに気付いた。
隣を見ればジュースを飲んでいるソフィアの姿がある。
「う、うわぁぁぁぁぁ!」
ジュースがなくなったことで泣き出してしまった。
最近では、甘いジュースを飲めるこの時間が楽しみだっただけにショックだ。
「ああ、よしよし」
母が抱えてあやしているが、泣き止む様子はない。
「ソフィア!」
「やぁ!」
兄からジュースを奪い取ったことを怒るオリビアさんだったが、ソフィアは注意を無視してそっぽを向いてしまった。
そのままジュースを飲んでいると半分以上を零してしまったため、すぐに飲み干してしまい空になる。
「ぷいっ!」
空になったコップを投げてしまった。
「こら!」
オリビアさんが怒っても反省した様子はない。
『随分とわがままに育っているね』
『え、えぇ……』
エスタリア王国へ行く前にはこんな様子はなかったらしい。
そうなると出掛けている間に色々とあったのだろう。
「しょうがないわね……」
叱っていたオリビアさんだったが、布巾で手早く零したジュースを掃除して注意を止めてしまった。
『ちょっと、わたしの方から注意してきます』
と、シルビアが接近する。
だが、またしても足が止まる。
「メッ!」
わがままを言っていたソフィアをシエラが叱っていた。
その目は真剣そのものだった。
自分も幼い子供ながらにシエラはソフィアのしていることがいけないことだと分かっている。
「う……」
「あやまる!」
コクッと頷くと母に抱えられているアルフに向かって小さな手を振る。
子供たちの間では、それが謝る仕草になっている。
「ぅう……」
アルフの方も妹が謝っているのが見えたのか泣き止み出した。
ソフィアも姉に怒られたのが堪えたのか涙を抑えている。
「うん!」
二人の態度に満足そうな笑みを浮かべるシエラ。
「あん! もうシエラ最高!」
「きゃっ」
我慢できなくなったアイラがシルビアよりも先に飛び出してアイラを抱えてしまった。
「おかぁさん!」
ヒシッと抱き着く。
ようやく母と言ってくれたことでアイラも感無量だ。
ちょっと見ていない間に色々と成長したようだ。
「マルス、帰っていたのね」
母とオリビアさんも俺たちの帰宅を見て迎えてくれた。
「だっこ」
シエラが両手を俺の方に出してくる。
子供の要求には応えなくてはならない。
「おおっ!」
俺の方がアイラよりも背が高い。
そのためシエラの見る景色も高くなる。
「いい子にしていたか?」
「してた!」
へへっ、と笑って顔を埋めてくる。
さっきの様子からして弟と妹の面倒を必死に見ていたのだろう。
「ふみゅ?」
シエラが振り向く。
そこには母とオリビアさんに抱えられたアルフとソフィアが俺の姿を見てキョトンとしていた。二人とも成長してきたことで違いが見られるようになったのだが、こういう細かな仕草はそっくりで双子なんだと思わせてくれる。
「……1カ月以上もいなかったから知らない人がいるとでも思われているのかもしれないな」
それでも泣き出していないのは、大好きな姉が甘えているからだろう。
「大丈夫ですよ」
抱えていたシエラをアイラに渡し、母とオリビアさんから受け取ったアルフとソフィアを俺に渡してくる。
ずっしりと感じる重み。
最後に抱き上げた時に比べて全然違う。
「「……」」
双子は泣き出すこともなく安心した笑みを浮かべていた。
そのまま抱いているとすぐに微かな寝息が聞こえてきた。
「やっぱりお父さんのことは覚えているんですよ。抱かれた時の感覚をしっかりと覚えていましたね」
寝ているのが安心している証拠だ。
自分も抱きたそうにしているシルビアに双子を渡す。彼女もしばらく会っていなかったのだから仕方ない。
「じゃあ、わたしは二人を部屋に寝かせてきますね」
「みゅぅ~」
眠たくて目を擦っているシエラの声が聞こえてきた。
おやつも食べたのでそろそろお昼寝の時間なのだろう。
「じゃあ、シエラもお昼寝しようか」
「うん、と……えっと……」
眠気を堪えながらシエラは必死に何かを考えていた。
その姿を見て母がクスクス笑っている、
「あ、おかりなしゃい!」
拙いながらもたしかに「おかえりなさい」とアイラに向かって言った。
「この子、一生懸命に言葉を覚えたのよ。で、おかあさんたちが帰って来たら、覚えた言葉を言うんだって言っていたの」
母がシエラの言葉について教えてくれる。
が、そんな言葉はアイラの耳に届いていなかった。
「……どうしたの?」
ポロポロと涙を流すアイラ。
それを弟たちと同じようにどうにかしようとしていた。
「なんでもない。さ、寝ようか」
「うん」
アイラはシエラに任せておけばいいだろう。
帰る場所と家族を失ったアイラにとって「おかえりなさい」と迎えてくれる家族がいることは何よりも望んだことだった。
自分の願いがまた一つ叶ったことで思わず涙を流してしまった。
「よかったわね」
母もアイラの気持ちを理解していたため微笑みを浮かべながら見ていた。
「で、さっきのがどういうことなのか聞かせてもらいましょうか」