第51話 本日も平穏なり
「ふわぁあ~」
あくびをしながら体を起こす。
窓のある方を見れば朝陽が部屋の中に入ってきていた。
久し振りに自力で起きた気がする。普段は俺が起きるよりも早く起きているシルビアが起こしてくれる。そのシルビアは隣のベッドでノエルと一緒に寝ている。襲撃があったせいでベッドが使い物にならなくなってしまったためだ。
ここはエスターブールに来てからお世話になっている『金の狐亭』。
あれだけの騒ぎがあったが、壊されないよう気を遣って動いていたおかげで宿屋は無事だった。
コンコン、と部屋のドアがノックされる。
「どうぞ」
「失礼します」
宿屋の看板娘であるレイナちゃんが入ってくる。
「すみません。いつもの時間になっても食堂に来ないようだったので、様子を見に来たんですけど……」
レイナちゃんの目が一つのベッドで仲良く寝ているシルビアとノエルへ向けられる。そして、俺が使っていたベッドにはイリスが寝ていた。
「し、失礼しました……!」
子供とはいえ、宿屋の娘であるため状況を見て一瞬で把握した。
「ああ、違う。そうじゃないから」
もちろん昨日は寝ただけだ。
さすがに戦闘をしたので疲れていた。
「昨日は色々と用事があって遅くなってね。で、戻って来たらシルビアとイリスの使っていた部屋が荒らされていたんだ」
「え……!?」
慌てて隣の部屋へ駆け込む。
さすがに荒らされた部屋を元に戻すような余裕はなかった。
「やっぱり、お客様の部屋も荒らされていたんですね」
「ん、他の部屋も荒らされていたの?」
「はい。まだ確認した訳ではないんですけど、宿の至るところが荒らされていたんです。ただ、奇妙な荒らされ方で、大勢の人が無秩序に暴れ回ったようでした」
昨日は、宿に大勢の人が詰め掛けていた。
あれだけの人が押し寄せるだけでも酷く荒らされるだろう。
「お部屋の方は夕方までに直しておきますので安心してください」
「そのことなんだけど……」
予定ではエスターブールの様子を簡単に確認してから帰る予定でいる。
なので、もう『金の狐亭』へ帰ってくることはない。
「えぇぇぇ……みなさん、本当に帰って来ないんですか!? まだエスターブールへ来て数日ですよ」
「うん。でも、帰ってやらないといけない事だってあるし、もう目的は果たしたからね」
「……分かりました」
寂しそうにしょんぼりとしながら1階へと下りていく。
「やっぱり寂しいんでしょうか?」
「気丈に振る舞っていても子供だからな」
身支度を整えたシルビアが部屋の中にいた。
イリスも起きているようだけど、ノエルは起きてくる気配がない。しばらくは寝かせておいてあげよう。
「ですが、本当に何も覚えていないのですね」
隣の部屋からメリッサが出てくる。
彼女が言うようにレイナちゃんは昨日の出来事を何も覚えていなかった。
そんなことになっているのは、ベントラーが苦しみながらも【階級支配】を使用して全員から昨日の出来事を消し、不自然にならないよう調整したからだ。
レイナちゃんがそうだったように昨日は何もなかったという認識になっている。
もちろん【階級支配】の支配下にいない外国人や『貴族・上』には通用しない。だが、都市にいる大多数の人が何も覚えていなければ自分が悪い夢を見ていたように思えてしまう。
何よりも物的証拠が存在しない。
「いい天気」
イリスが部屋のカーテンを開けて朝陽を浴びている。
窓の向こう側にはいつも通りの光景が広がっていた。
そう、愚者髑髏が吹き飛ばし、暴徒と化した人々が壊した痕跡などどこにも残されていない。
迷宮内に様々な構造物や建物を造ることが可能なスキル【迷宮操作:建築】。
建物は騒動が起こる前の状態に戻され、大多数の人が何も覚えていない、となれば覚えている方が異常だと感じるようになる。
「おい、メシを食いに行くぞ」
「ふみゅ~」
「うん……」
まだ眠たそうにしているノエルとアイラを支えながら食堂へと向かう。
☆ ☆ ☆
少し遅い時間の朝食となったが、きちんと用意されていた。
食堂には俺たちと同じように少しばかり遅い朝食を摂っている者の姿がある。
「本当なんだ、信じてくれ!」
「はいはい」
その中に騒いでいる者の姿があった。
彼は昨日の出来事をしっかりと記憶しており、自分に賛同してくれる者を求めて女将さんに接触していた。ただし、女将さんも宿の仕事で忙しいためほとんど相手にしていない。
こちらとしても助かるので彼の相手は女将さんに任せることにしよう。
「邪魔するよ」
黙々とパンを口の中に運んでいたところにお世話になった『黄金狐商会』の会長であるケープさんとランディさんがやって来た。
「どうしました?」
「あんたたちに礼を言いたくてね」
「礼?」
お礼を言われる覚えなんてない。
「ワタシやランディは全く覚えていないけど、昨日何かがあったんだろ」
「よく知っていますね」
ケープさんは、それなりに有力な商人だが伯爵家の当主というほどではない。
だから、昨日の夜も他の人たちと同じようにベントラーの支配下にあったはずだ。
ケープさんがブローチをテーブルの上に置く。
「こいつは魔法道具で身に付けた人物がどこにいるのか教えてくれる魔法道具なんだよ」
本来は、他人に化けることができるリズベット対策に自分が本物であることを示す為に用意した魔法道具らしい。『黄金狐商会』ほどの商会になれば特定の魔法道具を一日で用意することぐらいはできる。
「ついでに言えば、どこにいたのか記録することができる」
それなら身に付けていた昨日の夜もどこにいたのか知ることができたのだろう。
いくら何も覚えていなくても記録が残っており、さらに少ないながらに正しい記憶を保持している者もいるので、どちらが正しいかはケープさんなら判断できるはずだ。
「別に詳しい話が聞きたい訳じゃない」
「そうなんですか?」
「世の中には知らない方がいいことだってある。今回の一件はワタシの手に負えるものじゃないって気がするのさ」
だから関わらない為にも知らないことにした。
「ただ、ね。それでもお礼を言っておきたいとは思ったんだよ。アンタたちがどうにかしたんだろ」
返事をせずに肩を竦めるだけに留める。
隣ではメリッサやイリスがコーヒーを飲んでいるだけで惚けているのだが、アイラとノエルはオロオロしている。
「アンタたちも得になる事があるわけでもないのによくやるね」
「そうでもないですよ」
謎の迷宮主と関わっていないことの確認。
それから、今後は関わらないことを誓約してもらう以外にも報酬があった。
「ここに来てからかなりの金額を稼がせてもらいました」
ベントラーを釣り上げる為に行っていた迷宮攻略。
その間に得た素材を売った金がある。はっきり言ってしばらくは生活に困らないレベルだ。
「それに俺たちは、この国の身分制度をどうにかできた訳ではありませんよ」
「それでも、裏で色々と動いていた連中を懲らしめた訳だろ。ワタシとしては、この国の人間でもないアンタたちに全部頼る訳にはいかない。このぐらいでちょうどいいのさ」
ケープさんが満足しているならそれでいい。
「で、帰るのかい?」
「そうですね。家族が待っているので早く帰りたいところです」
「そうかい。もしも、次に来るようなことがあったら『黄金狐商会』が便宜を図ってあげるよ」
「ありがとうございます」
お礼だけ言って自分たちの商会へと帰って行った。
ケープさんには言えなかったが、本当の報酬は誰かに迷宮主の座を引き継がせる方法を見つけられたことだ。イリスが迷宮核へ干渉した際に見つけた。色々な処理や特別なスキルを用意する必要があるが、決して不可能な方法ではない。
俺がいなくなった後の迷宮が心配だったが、これならアリスターを迷宮の力で維持することも可能になる。