第40話 孤独な貴族
シルビアを置いて走り出してから2分後。
「止まって」
何かを引き摺るような音が聞こえて足を止める。
先ほどのパティみたいに待ち伏せされている可能性がある。何か異状を感じたのなら確認した方がいい。
「あそこ」
イリスが気付いた。
指差している場所を見ると通りの中央にあるマンホールがガタガタ動いている。どうやら誰かが下から出ようとしている。
咄嗟に武器を構える。
「ぷはっ」
だが、出てきた人物の姿を見て警戒を解く。
「あなたでしたか」
「お前たちは……」
現れたのはベントラーに脅されていたスウェールズ伯爵。
彼は上等な服に身を包んでいたのだが、服の至る所が泥で汚れており、右肩にはナイフが突き刺さったことで出血していた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫なものか……クソッ!」
マンホールの下は下水路になっており、汚かったため傷口を広げる訳にもいかずナイフを抜く訳にはいかなかった。
「すまないが回復薬か回復魔法をかけてくれないか?」
「仕方ありませんね」
助けるメリットは全くないが、ここで見捨ててしまうと目覚めが悪い。
メリッサに頼んで回復してもらう。
「ありがとう。謝礼は必ずする」
「それよりも一体何があったんですか? 貴族が下水路から出てくるなんて異常ですよ」
「それが、私にも分からないんだ……」
事の発端は今から1時間ほど前。
部屋で今後のことについて頭を悩ませていると一人の女性が部屋を訪ねて来た。彼女は同じ伯爵であるザルバーニュ伯爵家で雇われている者だと名乗った。おそらく以前に俺たちを襲った暗殺者だろう。
彼女の役割は、ザルバーニュ伯爵とスウェールズ伯爵の連絡役。
同じ伯爵同士で、パペッターズから狙われてしまったということで協調体制を取ろうというものだった。
スウェールズ伯爵も二つ返事で了承した。
今は少しでも手が必要な時だった。
そうして、色々な打ち合わせをしていたところ数分前に事態が急に動いた。
突然、自分と協力しようとしていた女性が怒りの形相を浮かべて持っていたナイフで斬りかかってきた。
「私も貴族だ。最低限、身を守れるだけの力はある」
魔法を近距離で暴発させることで急所を傷付けられることだけは防いだ。しかし、肩にナイフが刺さってしまい負傷してしまった。
女性の方は負傷していたこともあって後ろへ下がる。
「だが、本当に不可解なのは次からだ」
負傷したスウェールズ伯爵は、暗殺者を警戒しながら助けを呼んだ。
すぐに執事や兵士が飛び込んできた。
だが、彼らが攻撃してきたのは暗殺者の方ではなく、伯爵の方だった。
「とにかく我武者羅に逃げ、執務室に用意しておいた脱出口から逃げ出すことに成功した。ハハッ、まさか執事に言われて万が一の場合に備えて用意しておいただけの脱出口を執事に襲われて使用することになるとは思いもしなかった」
その脱出口には追って来られないようにする為の仕掛けも施してあり、脱出口の存在を知っていた執事も追って来ることができなかった。
そうして、脱出口の先にあった下水路を歩き回って出てきたのがここだった。
「何があったんだ……」
これから協力していこうという者、さらには信頼していた者にまで裏切られた。
もう、何を信じたらいいのか分からない状況だった。
「どういう事なんだ?」
スウェールズ伯爵は操られているような様子ではなかった。
「これが【階級支配】です」
「ああ」
ロンヴェルト家は、子爵家――『貴族・下』に該当するため『貴族・上』であるスウェールズ伯爵を支配することができないでいた。
そうすると欠点のあるスキルに思えるな。
「普段は欠点など感じていなかったのでしょう」
「いや、だって伯爵を支配できていない訳で……」
「支配することができないのは『伯爵家当主』のみです。伯爵家に仕えている人たちは全員が平民ですし、当主の妻や子供にしても当主の爵位に準じた身分が与えられます。伯爵の家族なら、子爵相当の扱いを受けることになります。それでも『貴族・下』ということになる訳ですから――」
「そういうことか」
伯爵家にいる人間は、当主を除いて全員が支配下に置かれることになる。
伯爵も自分一人で全ての雑務を含めた仕事を行っている訳ではない。何か必要な情報があればベントラーは家族や使用人を通して情報を得ていた。
「今の状況について説明します――」
自分が信頼していた人間全てが敵に回っていることをメリッサが伝える。
頼れるとすれば俺たちみたいな外国人や伯爵以上の身分を持った人間でなければならないことを伝える。
「そんな者いる訳がない……」
貴族家の使用人ともなれば身元がしっかりとした者でなければならない。
今回は、その件が仇になってしまった。
「おそらく先日の一件もあって今回のゴタゴタのついでにスウェールズ伯爵も排除してしまうことにしたのでしょう」
街にいる全員を支配することができたのなら数十人、数百人を伯爵の始末へついでに向けるぐらいは手間ではない。
「……そうか、私は片手間に片付けられてしまうような存在なのか」
「けど、こんなことをすればベントラーがどういう能力を持っているのか分かりそうなものだけど……」
「おそらく、これまでにこのような使い方をしたことはないのでしょう。今回は私たちというイレギュラーがいたからこそ、このような強引な方法を取ったに過ぎません」
「二人とも静かに……」
イリスが口に指を当てて静かにするよう言う。
すぐに地響きが鳴り渡り、何千人という人が波のように押し寄せる。
「逃げようか」
こんな数を相手にしていられない。
「ま、待ってくれ……!」
近くの建物の屋上へ跳び上がろうとするとスウェールズ伯爵がしがみ付いてきた。
「このような場所へ置いていかれては死んでしまう」
「……分かりましたよ」
せっかく助けた命だ。簡単に死なれては困る。
手を差し出すと……
「スウェールズ伯爵こっちだ!」
「ロントナー侯爵!」
近くの建物の入口を開ける一人の男性がいた。
小太りで宝石のついた指輪をいくつも嵌めており、典型的な贅沢をしている貴族男性だった。
伯爵の呼び方が正しければ、彼は侯爵。
伯爵と同じように『貴族・上』だったからこそ助かっているのだろう。
「こっちが安全だ」
「助かる!」
俺の差し出した手を振り払って侯爵の元へと行ってしまった。
「よろしいのですか?」
「知り合いがいたみたいだし、そっちがいいっていうなら任せようか」
俺たちは俺たちで先を目指そうとすると鮮血が舞った。
「な、あぁ……!」
首を斬り裂かれたスウェールズ伯爵が呻き声を上げながら崩れ落ちる。
既に大量の血に沈んでおり、生きてはいられないだろう。
「使えない奴なら、わたしに迷惑を掛けずにさっさと死ねばいいのに」
男性にしか見えないロントナー侯爵の口から女性のような口調で言葉が出される。
「彼女は敵」
「だろうな」
イリスが侯爵に向かって剣を構える。
すると侯爵だった人物はニヤリと笑みを浮かべる。
「大正解」
指をパチンと鳴らす。
すると小太りの男性だった姿が一瞬にして紫色の髪をショートカットにした20代の女性へと変わる。
スキルからして間違いなく彼女がリズベットだ。
「なぜ、貴女まで姿を現すのですか? 貴女のスキルなら知り合いに化けて近付き暗殺する方が有効だと思いますよ」
「ま、そうよね。わたしも普段、暗殺が必要な状況ならそうしているもの。けど、あなたたちに暗殺が通用するかしら?」
しないだろうな。
この街にいる知り合いは限られているし、そもそも残ったリズベットのスキルを知っているのだから成りすましを警戒するのは当たり前だ。
「だから、こういう方法を採ったの」
周囲を取り囲むように現れる人。
地上は隙間を埋めるように人が押し寄せ、見える範囲にある建物には押し詰められているようにいる。そのうえ、屋上には今も駆け込んで増え続けている。
「わたしの主に頼んで、彼らはわたしの指揮下で動いてもらえるようにしてもらったわ」
「何人連れて来ているんだよ」
「さあ? とりあえず目についた連中を次から次へと指揮下に入れていったから何人いるのかは把握していない」
数百人、数千人なんていうレベルじゃない。
少なくとも数万人レベルでいる。
「伯爵が私たちと遭遇したのを知って彼に足止めさせ、その間に包囲網を完成させる。そして、完成する直前に私たちが屋上へ飛び立とうとしたため伯爵の知り合いの姿を借りて時間を稼いだ、そういう訳ですか」
「その通り。じゃあ、後はよろしくね」
出てきた扉を戻って姿を消してしまった。
包囲した数万人に俺たちを殺させるつもりだ。
「どうやって切り抜ける?」
「そうですね……」
「脱出口ならあるじゃない」
「え……」
考え始めるメリッサを無視してアイラが剣を地面に向かって振るう。
硬い地面も易々と斬り裂かれ、地面の下にあった下水路が姿を現す。
「伯爵の使った下水路を使わせてもらいましょ」
「あ、なるほど」
アイラの開けた穴を下りるとメリッサとイリスが続いた。
だが、開けた張本人が続かない。
「アイラ?」
「あたしに考えがあるわ。だから、あたしはここに残る」
「……分かった」
どうしても外せない目的みたいだし、アイラを信じることにする。




