第37話 狂う者と狂わない者
「どうなっているんだ?」
思わず呟かずにはいられなかった。
『金の狐亭』へ押し寄せていることから多くの人から恨まれている状況になってしまっているのは間違いない。
だが、全く身に覚えがない。
少しばかり目立って稼いでしまったので同業者から恨まれることはあるかもしれない。だが、さすがに襲撃されるほどではない。
それに宿屋の人間に襲われるのはおかしい。
宿の経営者である夫婦と娘、利用者まで。
「まだ、そんなことを考えているのですか?」
地上の様子を確認していたメリッサが呆れている。
「彼らは明らかに洗脳されています」
「洗脳?」
「はい。そうでなければ、さすがに街の人のほとんどから恨まれる理由が分かりません」
見る範囲をさらに広げてみる。
宿の近くにいた人は宿へと押し寄せていたが、宿から離れた場所にいた人たちは今も『金の狐亭』を目指している。それも一心不乱に走り続けている。
たしかに正常ではない。
「闇属性魔法の中には相手を洗脳する効果を持った魔法があるけど、さすがにこれだけの人間に対して効果を発揮させることができるか?」
「いいえ、不可能です」
魔法による洗脳の可能性を真っ先に考えなかったのはそこにある。
洗脳されたと思われる人間があまりに多過ぎる。魔法をかけられるのはせいぜい数人が限界なはずだ。
「それに奇妙なことがあります」
「なんだ?」
「洗脳されている人から魔法にかけられている気配が感じられません」
メリッサには【魔力感知】がある。
もし、魔法によって洗脳した場合には普段とは異なる魔力反応が感じられる。
「私たちが宿泊している宿の関係者が襲われる危険性がありました。そのため、万が一の場合に備えてレイナちゃんたちの魔力反応だけは確認していたのです」
相手の正確な魔力反応を記憶することによって【迷宮操作:地図】と組み合わせることによって対象の正確な位置を捉えられるようになる。
今回は偶然にも上手く作用してくれた。
レイナちゃんたちの位置を確認する為に【地図】を使用する。
「宿の中にいるな」
必死に上へと移動している。
おそらく俺たちが屋上へ移動したことを何らかの方法で知り、必死に追い掛けているのだろう。
「ここへ来られても面倒だな」
魔法で出入口を塞いでしまう。
出入口が土で固められたことで真っ当な方法では誰も屋上へ来ることができなくなった。
「たしかにおかしい」
「何が?」
イリスが不審に思ったらしく呟いた。
俺には何の異常も見当たらない。
「洗脳された場合には外部からの干渉があって魔力に異常がみられるはず。だから魔力反応も変質していて追うことができなくなる。けど、今は宿のどこを移動しているのかも正確に分かっている」
「あ!」
そうだ。洗脳されているのなら追跡が不可能になっていなければならない。
だが、今もしっかりと追うことができている。
両親についても同様だ。
今のレイナちゃんは、屋上へと先に向かっていた両親が入口を固められたことで入れないことを知ってどこかへと移動していた。しかも、魔力反応が分からないから誰なのか分からないが、宿を利用していた者を何名も引き連れている。
そこまで正確に分かる方が異常。
「魔法で洗脳された訳ではありません。いいえ、むしろ今の状態は正常なままなのかもしれません……」
沈痛な面持ちで眼下を見るメリッサ。
彼女は必死に現状について考えていた。
「皆さんは操られている……? いいえ、そういった様子ではありませんでした……まるで私たちに対する憎しみだけを植え付けられていたよう……それも肉親を殺した者を見るような目付きでした……何らかの暗示を受けているのは間違いないのでしょうが、どのようにして……」
ブツブツと呟きながら考えを纏めている。
メリッサ以外の俺たちが一緒に考えても正しい答えは出せないだろう。
「来た!」
――バン!
屋上に大きな音が響く。
固めた入口とは反対側の床が開いてレイナちゃんを先頭に色々な人が姿を現していく。唯一の出入口は固めていたが、非常時における脱出口のような物が存在していたのだろう。宿の人間なら知っていてもおかしくない。
大勢の人がドタバタと走る音は煩い。
「シルビア、アイラ手加減しろよ」
「……まあ、仕方ないわよね」
シルビアが屋上へ上がってきた人々の後ろへ回り込むと首をトン、と叩いて気絶させる。アイラもまた正面から剣で人々の腹を叩いて気絶させる。
いきなり襲ってきた人々だけど、何らかの方法で操られているだけなら本人に過失はない。可能な限りは配慮をしたい。もっとも、自分たちの身に危険が及ぶようなら対処方法は考える必要がある。
倒れている人々を見るとレイナちゃんも含まれていることに気付いた。あんな小さな女の子が気絶させられている姿を見るのは痛ましい。
彼らが上って来た非常口は魔法で塞いでしまう。他に出入口があったとしても宿の関係者である3人は屋上にいるのだから誰も知っている人はいないだろう。
「う~ん、宿の中にはけっこうな人数が入って来ているね」
地図を見ながらノエルが言った。
今も外から多くの人が入って来ており、どうにかして屋上へ侵入しようとしている。
「ねぇ、私たちを探し回っている人が大多数だけど、部屋の中に閉じこもっている人もいない?」
「あ、本当だ……」
『金の狐亭』の大半が外から来た商人。彼らは落ち着いた雰囲気を求めてこの宿に泊まっている。そのため今みたいな異常事態に対処できるだけの力を持っておらず、部屋で身を固めて震えている。
「……妙、ですね」
「妙?」
「はい。部屋で蹲っていることができる、ということは私たちに対して憎しみを抱いていない、ということになります」
憎しみを抱いていれば他の人たちと同様に襲い掛かってきても不思議ではない。
襲い掛かってきている人と襲い掛かってきていない人。両者の間で何か違いがある。
「同じ宿にいながら憎しみを与えられていない人と与えられていない人がいる。両者の違いは何か? 商人と一般人? いいえ、ただの商人にしか見えない人が自分から襲い掛かってきている場合もあります。では、襲い掛かってきている商人と襲い掛かってきていない商人の間にある違いは何なのか?」
呟きながら俯いて考えをまとめていたメリッサ。
だが、次の瞬間ガバッと顔を上げた。
「――そうです! 襲い掛かってきていない人は外国人です! 私たちもそうではありませんか!」
外国人……言われてみれば、そんな気がする。
シルビアが部屋で襲われた時に部屋から出てきた商人も外国人だった。
「それが何だって言うんだ?」
「エスタリア国人と外国人。この国特有の事ではありますが、前者にはあって後者にはないものが存在します」
「――身分制度」
「その通りです」
エスタリア王国特有の身分制度。
外国から来た人間には『平民・中』と同等の扱いがなされる。だが、実際に身分が与えられる訳ではない。その証拠にエスタリア人の身分証には自分の階級が記されることになるが、外国人の身分証には記される訳ではない。
「残念なことに【鑑定】が成功せずステータスを確認した訳ではないので確証を持つことはできませんが、今の状況は迷宮主ベントラーの【階級支配】によるものではないでしょうか?」
『そして、現在の状況を監視している眷属もしくは協力者がこの近くにいるはずです。そうでなければ私たちが屋上にいることを地上にいる者たちが気付けるはずがありません』
自分の推論を言い終わった直後、念話で伝えてきた。
もしも近くに監視者がいるのなら相手に聞かれない為だろう。
「――そこ!」
シルビアがナイフを向かいの建物の一室へ投げる。
投げたのはただのナイフだが、眷属のシルビアが投げたナイフはガラスを砕き中にいる人間に刺さる……はずだった。
部屋の中に青白い光が灯り、ナイフが遮られていた。
「あ~あ、せっかく上手くいっていたのに気付かれちゃったか」
青白い光が消え、部屋の中から一人の女性が窓へと近付いて来た。