第30話 怯えるスウェールズ伯爵
平静を装いながらも内心は怯えたスウェールズ伯爵が屋敷を奥へと進んで行く。
やがて、辿り着いたのは彼の私室。その部屋は貴族同士の昏い話をする時にも利用されるため防音が施されており、侵入者対策の為に予め指定された者以外は入ることができないよう魔法道具によって結界が施されている。
決められた手順で部屋の扉を操作する。誤った方法で開けると触れている者を昏倒させる機能が備わっていたためだ。
それだけ警備を厳重にしていた。
「クッ、まさか奴らがこうも早く接触して来るとは……」
バタン、と音を立てて扉を閉める。
「対策を用意する時間がない……」
いくら貴族と言えど何でもかんでも思い通りにできる訳ではない。
それに事前に疑いが自分に向かないよう対策を施していた策が失敗した訳ではなく、脅されて急遽することになってしまった策が失敗してしまったせいで何の対策も用意されていない。
さすがに半日程度では何もできなかった。
それに今日はパーティーの準備もあった。
スウェールズ伯爵にとって今日のパーティーは欠かすことのできないものだった。
「あの女が現れなければ……!」
「その女について教えてもらおうか」
「……誰だ!?」
スウェールズ伯爵が振り向く。
そこにあったのはメリッサと手を繋いで壁を擦り抜けて現れる俺の姿。
「なっ、どうやって……!」
どれだけ強固な防御が施された壁であろうとも【壁抜け】の前では無力と化す。もっとも【壁抜け】も使用者の力量によって効果が変わる。シルビアから借り受けた【壁抜け】だからこそスウェールズ伯爵の私室だって擦り抜けることができた。
手を繋ぐことによってメリッサも対象にできた。
「私はこのようなところで……!」
脱兎の如く部屋の扉へ向かって逃げる。
戦闘力を持たない伯爵だからこそ真っ先に逃走を選んだのは間違いではない。
ただし、逃げられるかどうかは別問題だ。
「あ、開かない!?」
どれだけドアノブを引こうとも部屋の扉は開かない。
「この部屋は特殊な結界によって閉ざさせてもらった」
部屋全体を【迷宮結界】で覆せてもらった。
これで俺が【迷宮結界】を解除するまで誰も入って来ることができないし、誰も出ることができない。さらに監視も不可能になった。
部屋からの出入りを阻止するだけなら扉を覆うだけで済んだが、監視まで阻害する必要があったため部屋全体を覆わせてもらった。
これで外の目を気にする事なく話ができる。
「あなたを脅している人の事なら気にしないで下さい。この部屋の中で何が行われたのかは、その人物も分かりません」
「何が目的だ……?」
スウェールズ伯爵も落ち着きを取り戻したようで用件を聞いて来る。
「あなたが先ほど言っていた『あの女』、彼女が何者なのか教えて下さい」
「……」
喋る気がないのか口を閉ざしてしまった。
何らかの方法で脅されているのなら簡単に教えてくれるはずもない。教えた瞬間に自分の破滅を招くことになる。
「ここへ俺たちが来た時点であなたが採れる選択肢は限られています。俺たちに情報を教えたうえで破滅を招く、苦しめられた末に情報を吐く、どちらかだけです」
「……!」
どちらにしろ碌な未来が待っていないことを知って絶望する。
「特別な訓練を積んだ訳でもないあなたでは俺たちの行う責め苦に耐えられる訳がない」
それは、ステータスを見ても明らかだ。
「……こんな場所で私を拷問すればタダでは済まされないぞ」
「それはどうでしょうね?」
肉体的に痛めつけて拷問した場合にはそうだろう。
だが、そうはならないという自信がある。
「情報を教えられてもあなたから知った、という事が分からないよう行動します。どちらがいいのかよく考えて下さい」
「……いや、決心はした。彼女たちについて知っている事を教えよう」
「おや……」
「既に私は失敗した身だ。たとえ、どれだけ酷い状態だったとしても彼女は考慮しないだろう。ならば、一人で落ちるような真似はしない。せめて彼女も道連れにしてやる」
気弱そうな伯爵。
もう少し迷うかと思ったが、自棄になってくれたおかげで情報を吐いてくれるみたいだ。
もしも、彼の意思で情報を渡してくれなかった場合、メリッサに頼んで【闇属性魔法:魅了】で口を軽くしようと思っていた。それも確実ではないので、自分から喋らせた状態で軽くかけることによって真実を語り易くする。
メリッサを見ると問題ないみたいで頷いていた。
「で、あなたを脅していた人物は何者ですか?」
「この国にいる上級貴族の間では『傀儡子』と呼ばれる暗躍者の一人だ」
パペッターズ――本来なら領民を支配して思いのままに動かす貴族すらも自分の掌の上で思いのままに躍らせることができる。そういった意味を込めて貴族たちは勝手に呼び、恐れていた。
実際に相手が名乗った訳ではないが、自然とそのように呼ばれるようになっていた。それだけ恐れられている証拠でもある。
「なぜ、あんな杜撰な計画を?」
「私だって簡単に自分へ繋がりそうな計画はしたくなかった。だが、パペッターズから命令されれば従うしかない!」
憤る伯爵。
どうやらスウェールズ家は、領地で色々とやっていて領民から不当に税を搾取しているらしい。領民からどの程度まで税を取るのかは、その領地を治める貴族に委ねられている。だが、領民の生活が行き詰まるほど搾取していた場合には国から査察が入り、最悪の場合には貴族籍の剥奪もあり得た。
スウェールズ伯爵の場合は、自派閥の強化の為にエスターブールで贅沢三昧な生活をしていた。査察をした者には悪影響しかないだろう。
そうした証拠を出されることを何よりも恐れたスウェールズ伯爵は従うしかなかった。
「この国では伯爵であろうともパペッターズの命令にはどれだけ理不尽であろうとも従わなければならない。それが、お前たちの実力を計る為に私たちを使い捨てる作戦だったとしても……」
項垂れたスウェールズ伯爵はトボトボとした足取りで部屋の扉へと向かう。
「私が彼女について知っている事は何もない。あくまでも指示に従っただけだ。だから、お前たちが求めているような情報はどれだけ脅したところで手に入らない」
まあ、情報に関しては初めから期待していなかった。
接触できただけでも十分だ。
「それよりもパーティーに戻ろう。ホストがいないままというのも問題だ。私をこの部屋から出してはくれないだろうか?」
「ええ、いいですよ」
どうにも落ち込んでいる姿を見ていると同情したくなってくる。
すぐに【迷宮結界】を解除する。
「旦那さま!」
パーティー会場へ戻ると俺たちを案内してくれた執事が慌てた様子で駆け寄って来た。
優秀な執事にあるまじき慌てた行動。
何かあったに違いない。
「セルディック、何かあったのか?」
「こちらをご覧ください」
執事――セルディックさんが一枚のカードをスウェールズ伯爵に渡す。
紙の大きさは掌の収まるサイズ、書ける内容も限られている。
「なっ……!?」
カードの中身を見た瞬間、スウェールズ伯爵が言葉を失ってしまった。
俺たちも横から覗かせてもらう。
――貴方は失敗しただけでなく、敵に情報を渡すという失態まで犯しました。故に覚悟をしてください。
今の状況を考えるならパペッターズと呼ばれる組織が動いた、という事だ。
しかも彼女たちに握られているスウェールズ伯爵の弱味まで開示される。
「私から知ったという事は分からないはずでは!?」
「そんな事は言っていません」
たしかにスウェールズ伯爵が情報源であると分かるようにはしない、と言った。
しかし、敵は俺とスウェールズ伯爵が接触した事だけに注目して断罪することを決意した。
それは、こちらの保障の範囲外だ。
「……この手紙はどこにあった?」
「パーティー会場のテーブルの上に置かれているのをメイドの一人が発見しました。幸いにして招待客には見られていないようです」
「そうか……なら、対策を行うことができるかもしれないな」
既にスウェールズ伯爵の立場は悪くなっている。
最悪の事態を回避する為にも動く必要があった。
さすがに勘のいい貴族なら今の文章を見ただけでパペッターズが動いていることぐらいは見抜いて来る。
「詳しい状況が知りたい。カードを発見したメイドを連れて来て欲しい」
「かしこまりました。すぐにジェシカを連れて参ります」
そう言って離れたセルディックさんは1分もしない内に一人の女性を連れて戻って来た。
その女性は青く長い髪をした女性で背がスラッと高く、キラキラと輝いているように見える宝石のような紫色の瞳が特徴的だ。何よりも急に呼び出されて、伯爵を前にした状況でも平然としていた。
ただ、一つだけ無視できない事があった。
――おやおや、これは……
まさか、このような形でアタリを引くことになるとは思っていなかった。
そして、スウェールズ伯爵も気付いた。
「……お前は誰だ?」