第25話 脅された者たち―前―
翌朝。
「ふわぁあ……」
あくびをしながら『金の狐亭』を1階へ下りる。
頭が痛い。
解毒回復薬を使って酔いの方は最低限治すことができたけど、本当に最低限しか治さなかったから頭が痛い。尤も、普段と比べればその程度で済んでいる、というレベルだ。
「……おはよう」
1階にある食堂には既に全員が集まっていた。
まあ、同じ部屋で寝ていたはずのイリスがいなかった時点で察していた。
「お疲れみたいですね」
レイナちゃんが水を持って来てくれる。
「良かったら、これもどうぞ」
一緒にミルクまで出してくれた。
「二日酔いの時に食事をすると体調を悪くしてしまうかもしれませんから、これを飲んで胃を落ち着かせてから食事にして下さい」
ゆっくり飲んでいるとお粥が出された。
少々、量が心許ないがこれもこちらの体調を鑑みてくれての事だ。
「で、昨日の件について報告しよう」
そう言うとシルビアが手を伸ばして俺のお粥に白い粉のような何かを振りかけた。調味料の類だろうが、改めて食べてみると味が僅かに強くなっていた。
「昨日、ノエルを襲って来た連中ですが、金で雇われただけの連中でした」
日々を日雇いの肉体労働で食いつないでいるだけの人々。『平民・下』である彼らには他の選択肢などなかった。
そこへ美味い儲け話を持ち掛けて来た人物がいた。
依頼内容は――俺たちの誰かを殺すこと。
パーティメンバーであれば誰でも良く、短絡的な彼らは自分と同じ男である俺を避け、依頼主から聞いた冒険者ランクから一番弱いと判断したノエルを狙うことにし、一人になった機会が偶然にも訪れてくれたために襲撃に襲い掛かって来た。
結果は、無残にも失敗に終わってしまった。
「成功したらそんなに大金を貰えたのか?」
「成功報酬は金貨100枚。それだけの金額を稼ぐことができれば十人全員の身分を上げることができるみたいです」
特に興味もなかったため身分の上げ方については確認していなかった。
『平民・下』である彼らにとって身分を上げることこそどんな事をしてでも手に入れたいものだ。
「で、その依頼人はどいつなんだ?」
「それが……」
言い難そうにするシルビア。
ノエルも狐耳が垂れていることから落ち込んでいるのが分かる。
「どうにも彼らは依頼人について覚えていないみたいなんです」
「覚えていない?」
「おそらく認識阻害の魔法道具か魔法でも使っていたと思うんだけど、接触して来た相手が『紫色のローブで全身を隠した人物』という事以外は何も覚えていなかったみたいなの」
申し訳なさそうにしながらノエルが説明してくれる。
たしかに、もう少し覚えていてもいいようなものだ。もしくは、最初から容貌については気にしないよう認識を弄られていたのかもしれない。
ただ……
「暗殺者とは別件だな」
こっちは依頼人まで含めて背後関係がしっかりとしている。
「で、チンピラ共はどうしたんだ?」
「少なくともわたしたちがエスターブールにいる間はちょっかいが出せない程度には痛めつけておきました」
腕や足のどこかを折ったらしい。
適切な治療を受けられれば数日で完治するし、高額な回復薬でも使用すれば一瞬で治すことだってできるはずだ。
が、残念ながら彼らにはそれだけの財力がない。
それに自分でできる治療に必要な知識も持っていないため自然治癒に任せるしかなく、最悪の場合には不適切な事をしてしまって悪化するかもしれない。
俺たちには関係のない話だ。
金に目が眩んで襲って来るような連中を気遣うような精神は持ち合わせていない。
「次はこっちの方だな」
俺とイリスが担当していたのは最後に鋭い物を投げて来たアサシン。
あの時、投げられた物は夜の闇に紛れる黒い針で先端には毒まで塗られていた。致死性の毒で、ノエルのステータスなら毒で死ぬような事はなかったが、体に力が入らなくなり動けなくなったところをアサシンの手によって殺されていたかもしれない。
その事実を伝えるとノエルがブルッと震える。
無理もない。あの時、ノエルはアサシンの存在に全く気付いていなかった。狙いは正確だったため俺が気付かなければ毒を受けていた可能性が高い。
「よく気付けたわね」
「お前は迷宮眷属になってから日が浅いから忘れているかもしれないけど、ここは迷宮の上……しかも迷宮運営に必要な魔力を少しでも多く稼ぐ為に迷宮の一部として利用しているんだ」
迷宮の地上部分とすることによって地上にいる人からも魔力を吸い上げることができるようになる。これだけの大都市にいる人数なら一人一人からは微々たる量しか吸い上げることができなかったとしても最終的には膨大な量になる。
グレンヴァルガ帝国の帝都と同じ仕組みだ。
一般的には知られていないみたいだし、一般人に知られたところでデメリットなどほとんどない。多少の魔力を吸い取られたところで健康に害を及ぼしている訳でもないし、大都市の利便性を捨ててまで他の都市へ行く理由にはならない。
人は贅沢を知ってしまうと捨てられなくなってしまう。
「たしかに一般人にとってはメリットもデメリットもない。けど、俺たちみたいな迷宮関係者にとっては大きなメリットとデメリットがある」
【迷宮操作:地図】。
迷宮の外で使用した場合には狭い範囲しか地図を作ることができないが、迷宮内なら階層全ての詳細な地図を得ることができる。
それは、迷宮の地上部分にも適用される。
「ほら、【迷宮同調】で見てみろ」
「わ、本当にエスターブールの詳細な地図が表示された」
迷宮操作を使用することができるのは俺とイリスのみ。得られた情報を閲覧するには【迷宮同調】によって情報を共有するしかない。
「凄く便利な能力だけど、これにも欠点があるんだよな」
「……頭が痛くなりそう」
情報を整理しなければ地図には建物の位置や人のいる場所など際限なく細かな情報を表示してしまう。こちらでいらない情報を消さなければノエルのように頭を痛めてしまう。
しかし、これにより人の位置を把握することができる。
どれだけ優れた【気配遮断】スキルを持っていたとしても【地図】から逃れるには迷宮眷属レベルのスキルが必要になる。
残念ながら昨日の暗殺者は迷宮眷属ではなかった。
「ただの雇われた暗殺者だったみたいだ」
金によって臨時で雇われたのではなく、ある貴族に抱えられた裏の仕事を請け負う暗殺者。
貴族ともなれば表沙汰にはできない汚い事もしているため処理の為に抱えることがあるらしい。平民の俺たちには分からない領域だ。
「雇っていたのはザルバーニュ伯爵。覚えているな?」
確認してみるもののイリスとメリッサ以外は覚えていないようだった。
「……エスタリア王国へ入ったばかりの頃に遭遇した盗賊。あいつらが以前に所属していた騎士団を雇っていた人だよ」
「ああ!」
あの時はいなかったアイラも説明してようやく思い出してくれた。
「まさか、腹いせで襲ってきたの?」
「それならもっと単純だったんだけどな……」
ザルバーニュ伯爵も自分の騎士だった者が盗賊に堕ちた事を知ってすぐにでも動こうとしていた。
そして、全ての準備を整えて出ようとしたところで偶然にも盗賊と遭遇した冒険者の手によって盗賊が捕縛された事を知ってしまった。
これは伯爵にとって非常にマズい事態だった。
自分の騎士だった者が盗賊になった。
貴族にとってこれ以上の恥はない。
だから、自分たちの手で捕縛して誰にも知られない内に処理しようと考えた。
「ま、王都に広まるほどの問題ではなかったから伯爵が処分されるような事態にはならなかった訳だ」
けれども、騎士が盗賊になってしまったのは事実。
汚点として残ってしまった。
貴族なら、その問題を再燃させれば王都でもあっという間に燃え広がり伯爵も罪に問われる可能性があった。
「それで、盗賊を捕まえたあたしたちを消そうとノエルを襲ったの?」
「暗殺者の目的は襲う事によって危機感を持たせ、俺たちを街から遠ざけることにあった」
さすがに命を狙われる危険性が常にあるような都市に居続ける訳にはいかない。
襲うことによって危機感を持たせるつもりだった。
その際に犠牲者が出ても構わない、との事。
「そんなにあたしたちに出て行って欲しいの?」
「出て行って欲しがっているのはザルバーニュ伯爵じゃないけどな」
「じゃあ……」
「あの人は脅されたんだよ」