第7話 金の狐亭
冒険者ギルドで迷宮に潜る申請を済ませると宿屋へ向かう。
そろそろ夕方になろうという時間。態々、夜に迷宮へ挑む必要もない。
それに拠点も決めずに迷宮へ挑むのは危険だ。
まずは、しばらくの間拠点として利用することになる宿へ向かう。
「どこへ向かっているの?」
大通りを歩いているとノエルが尋ねて来る。
先頭を俺が歩いているため彼女たちは付いて来ているだけだ。
「……どこへ行こうか?」
「へ?」
俺の答えにノエルが呆けた声を出す。
「だって、エスターブールへは来たばかりでどこに何があるのか分からないし、宿の善し悪しだって分かる訳がないだろ」
いつも初めて訪れた街では目に付いた宿に入っていた。
宿の評価など外から見ただけでは分からない。誰かに聞けば教えてもらえるかもしれないが、信用できる相手からの紹介でなければ怪しい。
信用できる相手と言えば冒険者ギルドもそうだが、冒険者ギルドが紹介する宿には冒険者が多い。ウチは女性も多いのでそういう宿はできる事なら遠慮したい。
望むのは一般人向けの宿だ。
宿の方も荒事を持ち込まれたくないため宿泊客が冒険者だと拒否する場合があるが、ウチのパーティは女性が多いので逆に同情されて泊めてもらえる。向こうもこちらの事情ぐらいは察してくれるからだ。
なので、今は適当に大通りを歩いていた。
しばらく滞在することになるので街の地理を覚えるのも重要な事だ。
「とりあえず腹が減って来たな」
「あ、ちょうどいいところに屋台を発見!」
アイラが屋台のある場所へ駆けて行き、数分で戻って来た。
手には薄い生地に野菜と肉が包まれた食べ物が全員分あった。
「へぇ、美味しそうじゃないか」
実際に食べてみると美味しい。
使われている食材も新鮮で野菜は瑞々しいし、肉もしっかりと油で揚げられている。
屋台で売っている食べ物なので手軽に食べられる事を売りにしているため味にはそれほど期待していなかったが、満足できるレベルだ。
行列ができていないのが不思議なぐらいだ。
「今は時間が悪いですから」
「そう言えばそうか」
既に昼を過ぎている。
屋台が忙しい時間は終わっていた。
「……ん」
遅い昼食を食べながら歩いていると一軒の宿屋が目に止まる。
「ここにしよう」
「そんな適当に決めていいの?」
大通りには様々な店がある。
宿屋もいくつか通り過ぎていたが、決め手に欠けていたのでここまで保留にしていた。が、ここの宿が気になってしまった。
「宿なんて気に入らなければ翌日には変えればいいだけの話なんだから、どこでもいいだろ」
「ちょ……」
自分たちのニーズに合っているかどうか。
金銭的な問題を気にするほど困窮している訳ではないので外から見た雰囲気から判断してとりあえず入る。
「いらっしゃいませ」
宿に入ると玄関を掃除していた10代の少女が出迎えてくれる。
非常に可愛らしく、頭の上でピコピコと動いている熊耳に目が行ってしまう。
そう、宿屋で働いていたのは熊の獣人だった。
「6名様ですか?」
「そう」
「お食事でしょうか? それとも宿泊も希望されていますか?」
この宿屋の1階には大きな食堂があり、宿泊しない客でも料理だけを楽しみに利用することができる。
俺たちの見た目から冒険者だと判断した。
あまり冒険者向けの宿ではないので食事だけの利用だと思われたらしい。
「宿泊でお願いします。とりあえず1日分です」
「かしこまりました」
そう言ってパタパタと奥の方へ駆けて行く。
少し待っていると大きな女性を連れて戻って来た。パーティメンバーの中で身長が最も高い俺よりも高く、横にも大きい。おそらく種族特性によるものだろう。
「アタシがこの宿の女将だよ」
そう言って象の獣人が笑みを浮かべる。
見た目は大きいだけで人間とそれほど変わらず、細い尻尾にだけ象の痕跡が残されていた。
「……ん? アタシが珍しいかい?」
「ええ、象の獣人は見た事がなかったので」
メンフィス王国で活動していた時も見た事がなかった。
あの時は、王都から出ていなかったが、ノエルが舞った神殿前には様々な人種の獣人が集まっていたため多くの獣人を見ることができたが、その中にも象の獣人はいなかった。
「ま、獣人の特徴は遺伝するから最近だと淘汰されて象の獣人は見かけなくなったんだよ。象の獣人っていうのは女であってもこんな風に大きくなるから男にはあまり好かれなくてね。アタシも父親が物好きだったおかげで象の獣人だった母親からこうして生まれることができたんだよ」
フッと自嘲気味に笑う。
大きな体に色々と苦労して来たんだろう。
「だ、大丈夫だよお母さん! お母さんは、お父さんと結婚することができたんだから」
……え?
苦労しているかと思えば既に結婚していた。
しかも、大きな娘さんまでいる。
ただ、娘さんの方は熊の耳と尻尾があるだけで小柄な少女だ。そのせいか親子だと言われても信じられないほど似ていない。
「わたしは父親似みたいで、お父さんの熊の獣人としての遺伝子しか引き継がなかったみたいなんです」
へへっ、と笑っている。
それでも女将さんが母親であることは間違いないのか優しい目で見ている。
「ええと、宿泊だったね」
「そうです」
「ウチは冒険者でも泊まることができるよ。ただし、戻って来た時にあまりにも酷く汚れているようだと宿に入るのを拒否させてもらうよ」
その時は公衆浴場などへ行って汚れを落としてから宿へ入る必要がある。
「それに宿泊料も高いよ」
「問題ないですよ」
即答できるだけの金は稼いでいる。
俺たちが重視しているのはサービスとセキュリティの方だ。
「6人だと2人部屋が3つか3人部屋を2つ借りることになる訳だね。2人部屋だと1部屋あたり銀貨5枚、3人部屋だと1部屋あたり銀貨7枚になるよ」
2人部屋だと1泊で銀貨15枚。
3人部屋だと1泊で銀貨14枚。
3人部屋を選んだ方が安上がりになる。
「……2人部屋を3つお願いします」
色々と都合があるので2人部屋の方がいい。
基本的に夜は誰か一人に独占されてしまうためだ。
収納リングから銀貨を15枚取り出して女将さんに渡す。
「明日以降については今日泊まってみてから判断します」
「そうかい。明日以降も利用したいと思えるぐらい満足させてあげるよ」
カウンターにある部屋の鍵を手にして宿屋の奥へ案内しようとする。
「ああ、そうそう――ようこそ『金の狐亭』へ」
金の狐亭――それが宿屋の名前だった。
そして、俺がこの宿を選んだ最大の理由でもある。
「ねぇ、やっぱりこの宿を選んだ理由って……」
最大の要因であるノエルが傍によって聞いて来る。
「まあ、なんとなくだな」
ノエルの色は『金』というよりは『明るい黄色』。
それでも『金』に見えなくはない。
宿屋の名前が描かれた看板を見た瞬間、ノエルの姿が頭をよぎってしまった。
後は、もう入るしかなかった。
ただ、気になるのは……
「今のところ狐の獣人を見ていないな」
宿の名前が『金の狐亭』にも関わらず『狐』の獣人がいない。
今のところ『熊』と『象』しか見ていない。
「ああ、あんたたちは知らずに入ったんだね」
俺たちの会話が聞こえていた女将さんが振り向きながら教えてくれる。
「この宿屋は狐の獣人が会長を務める商会――『黄金狐商会』が経営している宿屋の一軒でね。だから、名前が『金の狐亭』になっているけど、従業員の中に狐の獣人はいないんだよ」
「そういう事ですか」
従業員の中にはいない。
だが、『黄金狐商会』……これは利用できるかもしれない。