第1話 エスタリア王国へ
6月。
暑くなり始めた頃にエスタリア王国へと向かう。
屋敷で生活している家族が門の前まで迎えに来てくれる。
「今度はどれぐらい出ているの?」
母が心配そうに尋ねて来る。
外国まで行くとなれば万が一の事も考えられる。
「最低でも数週間から1カ月は掛かる予定でいます」
「そう」
一言だけ呟いて母の視線が子供たちへ向けられる。
生まれたばかりのアルフとソフィアは朝ということもあってシルビアとオリビアさんの腕の中でぐっすりと眠っている。
こんな幼い時期に離れたくはない。
が、いつまでも放置する訳には行かない。
「子供たちの事お願いします」
「ええ、私にとっては孫なんだから大切にするわ」
最後に残ったシエラ。
シエラは母親のアイラの横で母親のスカートの裾を掴んで涙を堪えた目で俺の事を見上げていた。
賢くなろうとしている長女は父親がいなくなる事を本能的に悟っていた。
「ばいばい」
そう言ってアイラの後ろに隠れてしまった。
寂しい思いをさせてしまうな。
「こっちの事は任せるな」
3人の母親であるシルビアとアイラに頼む。
父親がいなくなってしまう状況で母親までいなくなってしまうのは、子供たちが可哀想だという事で二人とも留守番をすることになった。
「と言っても、あたしたちもしばらくしたら合流するつもりなんだけどね」
アイラが言うようにエスタリア王国へ着いたら【召喚】で喚び寄せるつもりだ。
だが、それまではメリッサとイリス、ノエルがいれば護衛としては十分なので二人が残るのは問題ない……いや、眷属たちからは道中も連れて行くべきだと反対されたが、結局子供の事を盾に押し切らせてもらった。
「早く喚んで下さいね」
「大丈夫だ。目的地までは1週間も掛からずに辿り着ける予定でいるから」
方法は既に用意してある。
最後に屈むと立ったシエラの視線に高さを合わせる。
「ごめんな。仕事で遠くに行かないといけないんだ」
「うん……」
「シエラはお姉ちゃんとして、弟と妹の事をしっかりと守って、お母さんとお祖母ちゃんの言う事をしっかり聞くんだぞ」
責任感の強いこの子なら聞き分けてくれるはずだ。
寂しそうにしながらもゆっくりと頷いてくれる。
「早く、帰って来て、ね……おとうさん」
☆ ☆ ☆
「もう帰りたい……」
豪華な部屋に設えられた椅子に座って膝を丸め込みながら落ち込む。
離れ離れになるのがここまで寂しいとは思っていなかった。いや、覚悟はしていたが最後の言葉が不意打ち過ぎた。
「落ち込みすぎだろ」
向かいにはグレンヴァルガ帝国の皇帝であるリオが座っている。
忙しい中、時間を作って面会してくれているので改めて顔を上げる。
「初めて『おとうさん』って呼んでくれたんだぞ」
色々と言葉を覚えてくれるが、なかなか呼んでくれなかった。
アイラとどっちが先に呼ばれるか競争していたぐらいで、今日ようやく決着が付いた。今頃はアイラが一生懸命『おかあさん』と呼ばせようと頑張っている。
「まあ、しばらく会えないだけで連絡はできるからいいんだけど……」
屋敷に『遠話水晶』を置いて来た。
遠く離れた場所にいる相手との会話が可能になる貴重な魔法道具だと理解していなくても会話をすれば少しは寂しさも紛れるはずだ。
「……そろそろ今後の予定について話したら?」
「ああ、済まない」
お互いに父親の身で愚痴を零すのはここまで。
帝都まで一瞬で連れて来て貰ったソニアに申し訳が断たない。
「別れてから1時間も経っていないんだから気を引き締めないと」
馬車で普通に移動すれば1カ月以上も掛かる距離があるアリスターと帝都だが、移動時間を短縮させる為にリオの眷属であるソニアに協力してもらった。
ソニアだけが持つスキル【転移穴】。
【転移穴】を使えば瞬時に遠く離れた場所であろうとも移動することができる。その能力を利用する為にリオと事前に連絡を取っており、ソニアにアリスターまで迎えに来てもらっていた。
情報交換とお礼を言う為に帝都へ寄らせてもらったが、用事が済めばすぐにでも帝都の国境線まで移動してもらう手筈になっている。
「改めてお礼を言わせてもらうよ。俺たちが全力で走っても1週間以上は掛かっていた道のりを一瞬で済ませることができるんだから、いくらお礼を言っても足りない」
「これぐらいは気にするな。実際にスキルを使ったのはソニアだし、お前たちには返し切れないほどの借りがある。この程度で返せたとは思っていないし、今回の件は俺たちにも無関係じゃないからな」
正体不明の迷宮主を探しに行く。
同じ迷宮主であるリオにも関係のある事だ。
「その、やっぱりガルディス帝国との戦争は今も続いている?」
イリスが質問する。
アリスターで色々と情報収集をしていたイリスだったが、やはり外国であるうえに辺境では必要な情報を十全に集めることができなかった。
分かっているのは戦争が継続中という事ぐらい。
「ああ。ガルディス帝国との戦争は恒例行事みたいなものだ」
リオは帝国の中で最も権力を持っている存在だ。
軍人ではないから前線で戦うような事はしないし、指揮官でもないから前線の詳しい状況も知らない。
それでも帝国全体を考えれば最も情報を持っているのは間違いない。
「ちょっと今回は激しいみたいだ」
国境線で定期的に小競り合いが行われている。
それは、大昔から続けられていることで、ある程度の被害が出たところで手打ちになって停戦が結ばれる。
皇帝であるリオが出て行くとしたら停戦協定が結ばれた後らしい。
「今回は、俺の皇帝就任と同時に行われた大規模な粛清のせいで向こうが本気で領地を掠め取ろうとしているらしい」
リオの皇帝就任に反対した多くの貴族が粛清された。
中には、前皇帝や皇太子に擦り寄ることで利益を得ていた悪徳貴族も含まれていたため真面目な臣民からは喜ばれていた。
しかし、その結果として人手不足に陥ってしまった。
皇帝就任が唐突だったためにガルディス帝国も最初は動けずに様子を見ているだけに留めていたが、去年の年末にカルテアが暴れたことで少なくない被害を受けたグレンヴァルガ帝国が弱っていると判断したガルディス帝国が戦争を仕掛けて来たらしい。
「ガルディス帝国に訪れ難くなった事は申し訳なく思う。だが、この件でお前たちの手を借りようとは思わない」
もしも、外国との戦争にまで俺たちの手を借りてしまうとグレンヴァルガ帝国の軍事力そのものに疑いを持ってしまう事になる。
相手が外国だけなら外交でいくらでも対処のしようはあるだろうが、国内が相手になると税の徴収などで問題が出て来る。
多少の犠牲が出ようとも国としては安易な方法に頼る訳にはいかなかった。
「分かった。俺たちは先にエスタリア王国へ行くことにするよ」
「それにしてもエスタリア王国か……」
「何か気になる事でも?」
「気になる事、というよりも心配な事だな。あの国は選民志向が強いから気を付けた方がいいぞ」
その情報は聞いたことがない。
「エスタリア王国は、昔から身分の階級差が激しくて下の者は上の者に対して絶対に反抗してはいけない、という決まりがあるぐらいだ」
階級は、生まれた時から付けられており、余程の大出世――メティス王国で言えば、平民が貴族になるぐらいの功績があって初めて階級を上げることができる。ただし、落ちる時も余程の大事件でも起こさない限りは階級が変わったりしない。
そんな国だからこそ野心に溢れる者が多い。
「中でも野心が強いのが冒険者だ」
迷宮から貴重な財宝でも手に入れれば、それが評価されて階級を上げられる。
実力によってはっきりとした功績が出て来る冒険者は人気らしい。
「お前たちエストア神国を訪れた事があるんだろ」
「ああ」
「エストア神国は、エスタリア王国の身分差による圧迫から逃れた人々が作り上げた国だ」
逃げた人々は、自分たちがエスタリア王国の人間だという事を忘れないようにする為に似た名前を付けた。
いつかは国力を付けて見返す。
だが、そんな想いはいつしか忘れられて、エスタリア王国の選民的な思想だけがエストア神国の人々の中に残り、近くにあった獣人で構成された国――メンフィス王国を敵対視するようになった。
「なに、それ……」
メンフィス王国出身のノエルが呆れていた。
それだけエスタリア王国での選民思想が強かった、という事だろう。
「でも、外国人には関係がないよな」
「たしかに身分は適用されない。だけど、身分を持っていないが故に卑しい存在だと見られることになる」
「うわっ……」
実際に依頼で行ったことのあるリオはそういう扱いを受けたらしい。
「ん? 依頼で訪れた時には、エスタリア王国の迷宮主を探してみようとは思わなかったのか?」
「迷宮主になる前の話だ。迷宮主がいることすら知らなかったんだから探す気なんて起こるはずがないだろ」
「それもそうか」
それに嫌な目で見られていたせいで早く帰りたかったらしい。
俺たちもなんだか訪れるのが嫌になって来た。