第2話 姉
数日後。
屋敷にあるリビングでのんびりと過ごす。
迷宮主として設定の変更や管理の必要があるものの迷宮核にはできない事を終えてしまえば後は任せるだけでいい。
という訳で胡坐を掻いて床に座ると足の上にシエラを乗せる。
「それ」
少し離れた場所にはアイラがいる。
アイラの手から放たれた柔らかいボールがシエラの前まで転がって来る。
「たぁっ!」
それを勢いよく倒れ込むようにキャッチする。
全身で受け止めてボールが左右に揺れるとシエラも左右に揺れる。
こうして揺られるのが楽しいらしく遊んでいる。
「ほら、『お母さん』に返して」
「ぅ!」
手を広げて返すよう言ったアイラの方へシエラがボールを押し出す。
どこかがっかりした様子でボールを受け取るアイラ。
「やっぱり『お母さん』とは呼んでくれない」
「この間からそればっかりだな」
「だって……」
生まれたばかりの弟と妹を『おとーと』と『いもーと』と呼んだシエラ。
それは初めて口にした言葉だった。
母親であるアイラは自分の名前や『おかあさん』を初めに言わせたかったらしく悔しがっている。
それでもめげずに呼んで貰おうと事ある毎に『お母さん』を強調して言っている。
「……」
膝の上にいるシエラが俺の顔を見上げて来る。
アイラの様子から何かを察したらしい。
「大丈夫。焦らなくていいからな」
「あぅ……」
頭を撫でながら言ってあげると目を細めていた。
「あたしも分かっているんだけどね」
拗ねた様子でボールを転がす。
ただ、拗ねていたせいでシエラから少し逸れた場所へ転がっていた。
「ごめんごめん」
転がるボールを視線だけで追うシエラ。
アイラが謝りながら立ち上がってボールを回収しに行こうとしている。
「ん……」
自分の方へ転がって来たボールへシエラが必死に手を伸ばしている。
だが、赤ん坊の手では届かない。
「仕方ないな」
俺でも手を伸ばしたところでちょっと届かない。
移動する為には膝の上にいるシエラを動かす必要がある。
持ち上げようと手を体の下へ潜り込ませたところで……通り抜けてしまった。
「あれ?」
何も不思議な事はない。
タイミングよくシエラが前に動き出したしまった。
必死に手と足を使って移動している。
「ハイハイまでできるようになったんだ!」
ボールを手にしたシエラをアイラが抱え上げる。
抱えられたせいでボールを手から落としてしまい、シエラが泣き出しそうになっている。
「こら!」
「ごめん」
落としたボールを抱えられたシエラの前に差し出すと嬉しそうにしていた。
「この子はハイハイするのが遅かったからちょっと心配だったけど、先に言葉を喋るし杞憂だったみたいね」
屋敷の掃除をしていた母がリビングに入って来る。
冬の間はエストア神国へ行っていて留守にしていたせいで育児のほとんどを母に任せっ切りにしていた。
それでも母は初孫が嬉しいのか楽しそうに世話をしていた。
育児の経験のある母からしてみればシエラの成長は少し遅かったらしい。
だが、言葉を話したしハイハイもした。
これなら大丈夫だと安心している。
「やっぱりお姉ちゃんになったことで責任感が出て来たのかな?」
母が顔を覗き込むとキャッキャッと楽しそうにしている。
「ぁぅ……!」
その表情が一転して泣き出しそうになっている。
「え……!?」
「あぅ~~~~~~~~!」
母があやす暇もなくシエラが泣き出してしまった。
「どうして……?」
母の話によれば最近では泣き出す回数も少なくなっていたという。
時々、母親が恋しくなって泣き出すことはあったが、そういう時はシルビアに抱かせれば母親の代わりになって泣き止んでいた。
ここにはシルビアがいないから頼れない。
「いや、違うでしょう」
「そっか」
今は母親であるアイラに抱かれている。
さっきまで穏やかな表情をしていたし、母親が恋しくなった訳ではない。
「母乳はさっきあげたばかりだし、おむつも濡れていない。後は……」
泣き出す要因を一つずつあげながらシエラの状態を確認するが泣き出す要因が分からない。
それを母も手伝っている。
だが、結局は二人とも困惑している。
『――上だよ』
「上?」
「何か言ったかしら?」
唐突に聞こえて来た迷宮核の声。思わず呟いてしまった。
アイラには聞こえていたから呟いた俺に疑問を感じなかったが、母にはどんな意味があるのか分からず聞き返して来ている。
「えっと……」
どう言い繕えばいいのか分からない。
とりあえず言葉の意味を考えてみる。
上――屋敷の上階には何があるのか?
今日は他の眷属たちも街の方でそれぞれ用事があるらしく外出している。他の家族に関しても同様で上の階にいるのは寝ているアルフとソフィア、そして二人の面倒を見ているシルビアぐらいのはずだ。
「二人に何かあったのか?」
下からでは分からない。
屋敷の改築をした時に音が他の部屋へ伝わらないよう壁を頑丈に作り替えたため上の様子はさっぱり分からない。
様子を確認しに行くべく立ち上がる。
「ぁぅ!」
「一緒に行きたいのか?」
「う!」
行きたそうに手を伸ばしているためアイラにも付いて来て貰う。
アルフとソフィアはシルビアの部屋で寝ている。やはり、母親がいる時ぐらいは一緒にいた方がいいだろうという判断から同じ部屋で寝かせている。ちなみに俺の部屋は夜に関しては教育上よろしくないため寝かせられない。
「わわっ……!」
部屋の前まで来たところで二人が泣いているのが分かる。
やはり、二人いるとシエラよりも煩い。
「ちょっと持っていて」
「ああ」
泣いていることに気付いたアイラが慌てて入る。
母もアイラに続く。
二人とも泣いている二人を抱え上げると必死にあやしている。
「もうシルビアはどこへ行ったの……?」
二人はシルビアが見ているはずだ。
けれども肝心の彼女の姿がどこにも見当たらない。
シエラを抱えて俺も部屋の中に入る。
泣いている赤ん坊が3人もいれば凄く煩くなる……と思っていたのだが、部屋に入った瞬間から……いや、泣いている二人の姿を見た瞬間からシエラがパタッと泣き止んだ。
泣いている二人に向かって必死に手を伸ばしている。
まるで近付きたそうにしているので抱えたまま近付く。
赤ん坊の手でも触れられる距離まで近付く。
ポンポン。
優しい手が二人に触れる。
直後、双子が同時に泣き止んだ。
「ど、どうしたの?」
ようやく慌てたシルビアが部屋に戻って来た。
「さっきから泣いていたのよ。どこへ行っていたの?」
「ちょっとトイレに……」
どこかバツが悪そうに告げるシルビア。
母親だって赤ん坊の傍にずっといられる訳ではない。そういう時は近くにいる人を頼っていい事になっているのだが、つい油断してしまい寝ていることもあって少しぐらいなら離れてもいいだろうと思ってしまった。
そこに運悪くアルフが目を覚まして母親がいない事に気付く。
不安から泣き出してしまい、隣で寝ていたソフィアまで起きて泣いた。
これが二人の泣いていた理由。
「その直後にシエラも泣き出したんだ。たぶん姉弟妹のせいか二人の不安が姉に伝わったんだろうな」
その不安に圧し潰されるようにシエラも泣き出してしまった。
いや、もしかしたら二人が泣いているのを教えようとしていたのかもしれない。
「ありがとうねシエラ」
シルビアがベッドで3人仲良く寝ているシエラの頭を撫でる。
撫でられたシエラがくすぐったそうにしている。
「この子、姉としての自覚ができるの早過ぎない?」
「それは、たぶんあたしのせいかも」
妊娠していた時から頼れる兄か姉になるよう言い聞かせていたらしい。
それと言うのも弟を守れなかった事に原因がある。アイラの責任ではないのが、それでも弟を守れなかった事には違いない。
誰かが次の子供を産むのは予想できた。
だからこそ自分の子供にはその時みたいな後悔はして欲しくなかった。
アルフとソフィアが生まれたことでシエラにも明確な姉としての意識が生まれた。
「二人の事をお願いね。シエラはちゃんとお姉ちゃんできているよ」