第26話 女神の祝福
「お前たちには随分と世話になったな」
近付いて来たアルサムがマルセーヌの姿、声のまま礼を言う。
「いや、こっちにも事情があったから手を貸しただけだ」
とはいえ、目的を果たせたとは言えない。
そもそも今回エストア神国へ赴こうと考えたのは謎の迷宮主が事件の裏に潜んでいるかもしれないと考えたからだ。
実際には、降神した神が暴走しているだけでいなかった。
だが……
「お前たちの事情は大凡だが聞いている」
「え……」
「あいつらがやろうとしている事は神ですら危険視するレベルだ。だが、神では現世に直接関与するような真似はできない」
そういったルールがあるせいでティシュアから詳細な情報を得ることができていなかった。
ノエルにとってはもう一人の母親みたいな存在であるため彼女を無碍に扱うこともできなかったため放置していた。
「狩猟神であるオレが人間に言える事なんて『神殿で起こった出来事』について語るぐらいだ」
そう言って祭壇の前にある『神の棺』を見る。
「ただし、これは独り言だ。あれを持ち込んだのは一体誰なんだろうな……」
「あ……」
あんな珍しい神具が簡単に見つかるはずがない。
昔はいくつかあったらしいが、今となっては作り方の分からない、いくつ残っているのかすら定かではない代物。
そんな代物を用意する手段に心当たりがあった。
「迷宮――」
呟くとアルサムがしたり顔で頷いた。
そうなれば『神の棺』を持ち込んだ相手にも心当たりがある。
「リュゼね」
アイラにとっては忘れられない相手だ。
ただ、話を聞いていると彼女とは少し違うような気がする。リュゼにも仲間の眷属がいるはずなので、仲間が持ち込んだ可能性が高そうだ。
「それから、これも持っていけ」
アルサムが手を上へ向けると光る球体が出現する。
俺でも微かに神気を感じ取る事ができるし、神気に対して敏感なノエルが視線を逸らそうとしているところから相当な量が込められているのが分かる。
「これはどうしたんだ?」
「オレの現身が地上に残した神気だ。色々としている間に集めさせてもらったんだが、地上に馴染んだ神気は神界へ持って帰られる訳じゃない。ただし、このままにしておく訳にもいかない。報酬としてこれをやる」
集められた神気は一種の危険な爆弾みたいな存在になっている。
この場でアルサムの制御から離れるようなことがあればエレンテが一瞬にして吹き飛ぶような事態が起こる可能性がある。
ただ、国土全体に残したままでも悪影響を及ぼした可能性があった。
報酬と言いつつ厄介事を押し付けたいだけだ。
だが、受け取らないという選択肢はない。
「ありがたく頂戴させてもらう」
危険な代物だが【魔力変換】してしまえば無害な代物だ。
むしろ神樹の実よりも膨大なエネルギーを秘めているので今から期待せずにはいられない。
「それじゃあ後の事は任せた」
マルセーヌの体からアルサムの気配が消える。
意識が途切れたことによってマルセーヌが前へ倒れ込む。
「もう、少しは気遣って欲しいよ」
倒れそうになったマルセーヌをノエルが優しく受け止めた。
アルサムがもう少し気遣えていれば安全な場所へ移動してから消えることだってできたはずだ。
「あれ、わたし……」
寝惚けた時に似た様子でマルセーヌが目を覚ます。
「どうして生きているの?」
神降ろしを敢行した者は魂が神の力に耐えられずにボロボロになってしまう。
その事は、神に仕える者にとっては常識だ。
「私の方で魂に保護を掛けていたからです」
ティシュアにも神降ろしという選択肢を提示した責任がある。
だから彼女は、マルセーヌが選択した時に備えて事前に神の力に耐えられるよう自らの力で保護を掛けておいた。
これによってマルセーヌは無事でいられる。
「そして、こればかりは私にとっても予想外だったのですが……」
「え――」
マルセーヌが耳に手を当てている。
その動きは、聞き取りにくい声を必死に聞こうとしているように見える。
「何と言っていましたか?」
「ええと……『オレの「巫女」になる事を選んだのはお前だ。簡単に死なれるのは困る』とアルサム様が言っています」
「どうやら、しっかりと神の声が聞こえるようになっているようですね」
短時間とはいえ神を憑依させることに成功したマルセーヌ。
それによりアルサムとの親和性が他者の追随を許さないほどになった。
それは、間違いなく『巫女』を名乗るには十分だった。
「よかったじゃない!」
抱えていたマルセーヌを離すと彼女の手を掴んでブンブンと何度も振る。
自分の事のように喜んでいる。
それがマルセーヌには信じられなかった。
「私を許してくれるんですか?」
「ううん……わたしにした事は許すつもりはないけど、それでも神に仕える『巫女』が新しく生まれたのは純粋に嬉しいの。だって悩みとか相談したくても相談できるような相手なんていなかったんだもん」
神殿で一人寂しく神に祈りを捧げていたノエル。
一応、ノエルをサポートする巫女はいたが、彼女たちの仕事はノエルのサポートであるため対等な立場で相談できる訳ではない。それに実力が不足し過ぎていてノエルの悩みを共有することができずにいた。
だが、ここに来て対等な立場の友を得られた。
その事がノエルにとっては嬉しかった。
「でも、『巫女』って何をすればいいんでしょうか?」
「貴女の目から見てノエルは何をしていましたか?」
「何を……」
マルセーヌがじっくりと考える。
「毎日祈りを捧げて、神殿の修繕や維持。それから……」
色々と地味な事をしていた。
考えるマルセーヌも手伝いをしていたためスラスラと出て来る。歴代の『巫女』の中には掃除を面倒臭がって巫女に任せていた者などもいるが、真面目だったノエルはしっかりと自分の手でやっていた。むしろ彼女の出自を笑って巫女たちが手伝わなかったぐらいだ。
「あとは神の言葉を伝える事ですね」
「はい……」
『巫女』にとって最大の仕事だ。
思わずプレッシャーに押しつぶされそうになっている。
「そこまで身構える必要はなく、私に仕えていた時と同じように今度はアルサムに仕えていれば問題ありません。それに本来なら温厚な彼の事ですから、この土地でもやっていけそうな農業方法などを教えていければ十分ですよ」
今まではアルサムに『巫女』など存在していなかったために言葉を伝える手段もなかった。
だが、マルセーヌが『巫女』になってくれたおかげで伝えることができるようになった。
それは、降神したアルサムが暴走していた時とは違うが、アルサムが助けてあげたいと思っていた方法だ。
「それに今は小さいかもしれませんが、『巫女』の権力はいずれ大きくなります。神官長以上の権力があればご家族も困るような事態にはならないでしょう」
「それは……」
「ただし、権力の乱用は禁止ですからね」
「は、はい!」
一度は失敗してしまった身だ。
後悔もしていたのなら大丈夫だろう。
「これから『巫女』様はどうされるのですか?」
「わたし? 今のわたしはもう女神ティシュアの『巫女』じゃないからね。拠点にしているアリスターへ帰るよ」
「そう、ですか……」
「でも、ま。先輩として困った事があれば相談に乗るよ」
そう言って『遠話水晶』を渡す。
遠く離れた場所にいる相手とも対になる魔法道具さえあれば会話が可能になる。
「いいんですか?」
限定的な使用方法しかできない魔法道具だが、かなり高価な代物になる。
「大丈夫。それぐらいを買えるほどには稼いでいるから」
とは言うものの迷宮の力で生み出した物だ。
こう言った方がマルセーヌを安心させられると思ったのだろう。
「仲直りもできたみたいですし、一件落着ですね」