第18話 貴族同士の喧嘩
王都を1台の馬車が出て行く。
「まったく……なぜ、私が逃げるように王都を出て行かなくてはならないのか!?」
思い出すのは屈辱的な扱いを受けた昨夜の出来事。
冒険者らしき2人組に屋敷を襲撃された。幸い、負傷した者はいなかったが、ボーバン準男爵が麻痺させられて目覚めた時には翌日の昼前になっていた。
貴族であるため、こんな屈辱を受けたことは今まで1度もなかったのだろう。
「私が準男爵だからと舐めおって……! ボーバン家の力を使って奴らを探し出して、必ず報いを受けてもらわなければならない……!」
怒りに燃えるボーバンが親指の爪を噛む。
馬車に乗って王都から出て自分の領地へと戻ろうとしているのは、家臣に王都から出るように言われたからだった。屋敷が襲撃され、襲撃者を取り逃がした。そんな話が王都の噂になれば家名に傷が付く。噂が収まるまで王都から離れていた方がいいと言われた。
ボーバン準男爵は、自分の領地が嫌いだった。
王都のように発展しているわけでもなく、数百人の人が住んでいるだけの小さな町。生まれながらの貴族であると勘違いしているせいで、王都の賑やかさを知った子供の頃から王都で悠々と過ごすことばかり考えていた。
その為に目障りだったフレブル家に恥を掻かせる為に暗殺依頼まで出した。暗殺者の方は亡くなった父の伝手のおかげで格安で雇うことができ、表向きの犯人として雇った冒険者には最初から報酬など渡すつもりがなかったので、何の問題もなかったはずだった。
それが、昨日の1日だけで全てが崩れ去った。
「くそっ!」
ドン、と馬車を殴ると馬車が突然止まる。
「な、なんだ!?」
まさか、自分が殴ったせいで!?
などと考えてしまったが、馬車の傍で護衛を務めていた兵士から声を掛けられる。
「大変です旦那様」
「どうしたと言うのだ?」
「それが……」
護衛がどう説明すればいいのか分からず、言葉に詰まってしまう。
「ええい、黙っておれ!」
馬車から出て自分で何があるのか確認する。
「え……?」
馬車の進行方向には、完全武装した何十人という兵士がいた。
「まさか、盗賊か!?」
「いえ、違います。兵士が着ている鎧にはフレブル家の紋章が刻まれています。彼らは、フレブル子爵家の兵士です」
「なんだと!?」
全く予想していなかった人物の登場に冷や汗を流していた。
フレブル子爵家とは、3日前にあった前子爵の葬式で顔を合わせていたが、今このタイミングで顔を合わせるのはマズイ。
どうやって逃げるか考えている間に兵士の間から白髪オールバックで眼鏡を掛けたインテリな姿をした男性――フレブル子爵が現れる。
「久しぶりですねボーバン準男爵」
「これはこれはフレブル子爵。これは、どうしたことでしょう?」
手を揉みながらフレブル子爵へと近付いていくボーバン準男爵。
準男爵と子爵では格に差がある。忌々しい相手だったとしても下手に出なくてはならない。それがボーバン準男爵にとっては、何よりも嫌なことだった。
「単刀直入に言わせてもらおう。先日は、父の葬式に出席していただいたが、父を殺した犯人が見つかった」
「それは良かったです。あの冒険者もついに捕まったのですね」
「冒険者? 犯人について知っているのかね?」
「はい。私の方でも何か協力できないかと考えておりまして、犯人について情報を集めておりました。どうやら、その努力も実らなかったようですがね」
「何を言っている。犯人は、冒険者などではなく貴族に雇われた暗殺者だったよ。私たちが犯人だと思っていた相手は、全く無関係の相手だったようだ」
「え……?」
捕まえられた犯人について聞いたボーバン準男爵が再び言葉に詰まってしまった。
なぜなら、フレブル子爵の言っている犯人とは自分が用意した表向きの犯人ではなく、本当に暗殺をさせた暗殺者デイビスの方なのだから。
「今朝早くにある冒険者が捕まえた暗殺者を連れて来てくれたよ。そして、その者はどうやらボーバン家に雇われた者だそうじゃないか」
「そ、それは……」
そこで、ようやくボーバン準男爵は気付いた。
自分を見ているフレブル子爵の目には親しみなどなく、冷徹な怒りだけが宿っていることに。
「何かの間違いではないでしょうか? 私には全く覚えのないことです」
「そうかね? では、彼が持っていたこれについてはどう説明する?」
「そ、それは……!」
フレブル子爵が懐から取り出した宝石を見てボーバン準男爵が焦る。
それはフレブル前子爵が肌身離さず持ち歩いていた国王陛下から賜った宝石で、冒険者からデイビスが奪ってきたが、自分が持ち続けているのはマズイとデイビスへと預けたままにしておいた宝石。
「これは、殺された父が盗まれた宝石だ。これこそ暗殺者デイビスが犯人である何よりの証拠。そして、彼は君に雇われた者だと自白してくれたよ」
「そんなの何かの間違いです! いや、誰かの陰謀という可能性だってある!」
「残念だが、準男爵で大した力も持っていない君を陰謀で貶めるような輩はいないよ。君も誇りある貴族だというのならいい加減に認めた方がいいと思うがね」
「認めるも何も私は何も知りません」
「では、これならどうかね?」
宝石を懐にしまうと、今度は掌に収まる卵のような形をした物を取り出す。
「君も貴族なら魔法道具についてそれなりに知っているだろうが、これは中に音を封印しておける魔法道具だ。魔法道具とはいえ、王都ならば金さえ出せるなら買えるような代物だがね」
それでも金貨で数枚は必要なだけに財政が厳しいボーバン家ではそういった魔法道具を購入することができずにいた。
問題は、なぜここでその魔法道具が出てくるのか分からないということ。
フレブル子爵が卵を割るように魔法道具の中心を開くと、中に封印されていた音が解放され近くにいた全員に聞こえる。
『フレブル前子爵を殺害した犯人だけど、そこに転がっている暗殺者デイビスの犯行で間違いないか?』
『ああ、そうだ』
『暗殺者デイビスを雇って、フレブル前子爵を殺害するように指示を出したのは?』
『……私だ』
ボーバン準男爵には再生された会話に覚えがあった。
「これは、暗殺者デイビスを連れてきてくれた冒険者が渡してくれた物だ。私には、冒険者と会話している相手が君の声であるように思えるのだがね」
「これは……そう、冒険者の脅されて無理矢理言わされた物です」
「そうか、あくまで認めるわけにはいかないんだな」
「もちろんです!」
もう、フレブル子爵は決意をした。
「分かった。だが、私には父を殺した暗殺者を雇った者が君であるようにしか思えない」
「へ……?」
「君には色々と嫌がらせなどされてウンザリとさせられていたよ。これといった決定的な証拠もなかったし、近所だからと遠慮していたが、さすがに今回のことはやり過ぎだ。売られた喧嘩は買おうじゃないか」
「え、え……何を言っているのですか!? さっきから言っているようにその暗殺者と私は無関係です」
「ならば無関係だという証拠を渡したまえ。こちらは君が関係者であるとしか思えない証拠を持っている。3日だけ待ってやるから、自分は無関係だという証拠を渡したまえ。そうすれば、こちらの間違いだったと謝罪をしようじゃないか」
フレブル子爵が殺気に満ちた兵士の下へと戻って行く。
兵士が殺気立っているのも仕方ない。彼らにとっては、自分が守らなければならない相手を殺されているのだから。自分たちの無力を悔やむと同時にくだらない理由で殺した相手を今すぐにでも殺してやりたかった。
「早く、戻って戦争の準備をした方がいいぞ」
戦争――領主同士が戦えば領民にとっては、戦争と変わらない。
「お待ちください! 我々にどうしろと言うのですか!」
そんなことを起こさせるわけにはいかない兵士が声を上げる。
「我々では、フレブル家に勝てるわけがありません」
子爵と準男爵では領地規模が違いすぎる。
子爵家なら自分の治める領地である街の近くに小さな集落がいくつかある。
一方、準男爵では小さな町を与えられているだけである。
もしもの場合に備えて動員できる兵力にしても子爵家なら男手を集めれば数百人に及ぶだろうが、準男爵家では100人に届けばいい方だろう。
「言っただろう。先に喧嘩を仕掛けてきたのはそちらだ。こちらは売られた喧嘩を買っただけだ。もっとも全責任は領主にあるだろうから、領主の首さえ差し出せば領民は助かるかもしれないぞ」
先頭にいた兵士が答えると、フレブル子爵たちが自分の領地へと戻って行く。
後には、項垂れるボーバン準男爵だけが残された。
「どうされますか、旦那様?」
「どうするだと!? 決まっている! 私たちも帰って戦争の準備だ」
デイビスと自分が無関係な証拠。そんな物はない。
関わりを疑われることがないようになるべく証拠となるような契約書の類は用意していなかったので、その逆である無関係である証拠などもない。
ボーバン家に雇われていると確信されている以上、彼には戦うしか選択肢が残されていなかった。
「お待ちください。我々の規模で勝つことは不可能です。ここは領民を守る為にも降伏を視野に入れるべきです」
「降伏だと!? 降伏などした貴族がどうなるか分かっているのか!?」
降伏して領主が全ての責任を負うことで戦争は回避され領民は助かるだろうが、降伏した領主は自分の領地を奪われ、貴族位すら剥奪されることになる。
貴族ですらなくなるなど我慢できなかった。
「お前たちはとにかく戦えばいいのだ!」
そう言って馬車へと戻ろうとするボーバン準男爵。
その姿を見た瞬間、ボーバン家に雇われている兵士たちは決意した。
「がっ!」
ボーバン準男爵が突然背中に走った痛みに呻きながら地面を転がる。転がった地面には血の跡があり、背中へ手を伸ばすと掌にはべっとりと血が付いていた。
「ひっ!」
「もう、あんたに付いていくのはコリゴリだ」
「き、きさま……貴族である私に剣を向けるのか!」
「ああ、あんた一人の首を差し出すだけで数百人の命が助かるっていうなら、俺は領主殺しの罪を被ってでもあんたの首をフレブル家に差し出すさ」
「や、止めろ!」
ボーバン準男爵の必死な声を聞いても止める者は誰もいなかった。
「あの世で反省するんだな」
兵士の剣がボーバン準男爵の首を斬り飛ばす。
「こいつの死体は後で俺がフレブル子爵に持って行く。領主を殺したことで何かを言われたとしても全ては俺の責任だ」
兵士の全員がボーバン家が騎士爵家の頃から仕えており、老齢で頼りになる兵士に頷く。